第41話 【ACT五】狂信国家ロト

 その国ではこの現在になっても、なお、魔族が激しい差別を受けている。その国はどこの勢力にも与せず、鎖国状態を徹底して貫いている。その国が島国であった事も幸いしてか災いしてか、密入国も難しいため、その国で起きている事のほとんど伝聞であり、風聞である。だが、嘘だろうと思わせるような内容のものが大半であったため、おとぎ話のようなものだと多くの人間には信じられていた。

だって、

『魔族を焼き殺すのがお祭り』とか、

『あり得ないほどの厳しい身分制度があって、奴隷階級がいる』とか、

『犯罪者を出した一族は被差別民に落とされるために、犯罪を起こした者は一族内で先に始末する』とか、

『自由恋愛など死刑に匹敵する罪らしい』とか、

とても今の常識では考えられないような代物なのだ。


 「全部事実だぞ」とI・Cは言った。「だって俺、燔祭の贄にされた魔族が生きたまま焼き殺されるのをこの目で見た事あるもん。 自由恋愛して、運悪く妊娠した女が腹掻っ捌かされて胎児ごと殺されるのも見たしー。 奴隷? ああ、三日に一回は奴隷共があの国から逃げようとして、逆にボッコボコにされて殺されていたなあ。 あそこは時が中世で止まっているんだ。 で、その狂信国家ロトに何の用だ? あそこは聖教機構も帝国も万魔殿も拒絶し続けて来た異常地帯だぞ? あんな所に手ぇ突っ込んだら嫌な目に遭うぜ? それとも無差別爆撃するのか?」

「本来ならば無差別爆撃をしたいところなのですわ」と意外な事をマグダレニャンは口にした。彼女は無差別爆撃など嫌いに嫌っているからだ。「かの国の元首、いえ、女王の名前を知っていますこと?」

「ん? あっちは代々『シバの女王』って……確か基本的に女系継承で、女王になると同時に名前を無くし、ただ『シバの女王』と呼ばれるだけだったはずじゃ?」

「それが、即位前の個人情報が手に入りましてよ」

「一体全体誰だったんだ」

「ドビエル、と言えばもう分かりますわね?」

「ほう」とI・Cは目を細めた。「サンダルフォンの元代理人、か。 なるほど、それで?」

「狂信国家ロトは、現在、破たん寸前の経済状況なのです。 その理由が、『バベル・タワー』と言う謎の施設の建造に国税の大半をつぎ込んだためらしいのです」

「……どうしてお嬢様、その情報を聖教機構が掴めた? あの孤島から奇跡的に亡命者でも出たのか?」

「ええ、奇跡が起きたそうですわ。 『洗礼者ヨハネ』と言うA.D.が、今、あのロトで謎の宗教活動を行っているそうなのです――とてもただのA.D.に可能だとは思えない数多の奇跡を起こして」

「……」

「その中の一つがとんでもないもので、何と、海の上を人に歩かせて、数多くの亡命者を国外へと逃がしたそうなのです。 I・C、それは貴方でも可能ですか?」

「出来ない訳じゃない。 だが……俺以外で出来るヤツなんか本当に限られている。 そいつは何なんだ? 氏素性は分かっているのか?」

「年齢は一〇歳そこそこ、性別は男、そして、浮浪児だった、それくらいしか分からないのです。 亡命者のほとんどは万魔殿穏健派にいますから、流れてくる情報も限られていますの。 ただ……確かな事は、彼は『洗礼者』であると言う事。 洗礼を受けた者が、異口同音に言ったそうなのです――『彼は真なる神の使者だ、この世界の洗礼者だ』と」

「何だと!?」I・Cの目が見開かれた。

「我々が狂信国家ロトにて調査すべき対象は二つ。 『バベル・タワー』と『洗礼者ヨハネ』ですわ」


 真なる神、だと。I・Cは驚いた。アイツか、アイツが戻って来たのか!?

『私は君をも愛している』

アイツが。

俺に愛なんぞを伝達したアイツが、戻って来たのか。

 ……『聖杯』は聖遺物でありながら聖遺物としては非常に特殊な性質を所持している。適合者が生まれたと同時に現れて自動的に適合者に融合し、適合者が死んだと同時に消える。何故なら本当の『聖杯』は救世主を産める『子宮』の事だからだ。

この世界に『聖杯』が既に再登場していて、そして、アイツを産んだのか!

「イノツェント」俺が頭を抱えて震えていると、ヘレナが声をかけて来た。聖地エルサーレムの、『救世主の墓』の前で、俺とヘレナは二人きりだった。「どうした?」

「……俺は……怖い」

「何がだ」

「俺達は、愛を錯誤していた。 でも、もしかしたら、本当の愛を知る事が出来るかも知れない。 俺達は本当の愛を知らない。 だから、愛が怖い」

「何故本当の愛を知る事が出来ると判断した?」

「お前も聞いただろ、洗礼者ヨハネの件。 ヤツがもしも本物の真なる神の一人だったら、間違いなく愛を知っていて、それを伝えに来たんだ……」

「真なる神とは何だ」

「例えば女帝、アイツは真なる神の成れの果てだ。 ヤツらはこの世界じゃない高次世界の神々だ。 いや、ヤツらを呼称する神と言う単語すら俺達の認識の範囲内の言語でしか無い。 ヤツらは、物質と言う檻に囚われもせず、法則と言う認識の網に引っ掛かる事も無く、とにかくこの世界では無い世界に……世界と言う枠組みですら俺達の認識でしかないが、存在し、そして――愛を知っている」

I・Cはそこで、少しだけ黙った。

「俺は、俺達は、愛を知りたくてこの数千年彷徨っていた。 愛を知ったと思った瞬間、それは誤解である事が判明して第一次統合体化現象を起こしてしまった。 その愛がやっと理解できるかも知れないのに、俺は、今更怖いんだ。 怖いなんて感情、とうの昔に消え失せたと思っていたのに。 俺と俺の認識は、知らない事、認識できない事を次々と知っては認識して行った。 数千年かけて、もう俺の知らない事の方が少ないと思っていた。 なのに、今更。 今更、俺は怖い。 自業自得の癖に怖いんだ。 今の俺の求めている愛が、もしかしたら、アイツらの言った愛とは全く別のものだったらどうしよう、そう思うと怖いんだ」

「イノツェント、お前の求めている愛は、何だ?」

「あの日に戻る事。 そして悪魔の誘惑を蹴っ飛ばして俺の代わりにお前を生かす事。 それを何千回と夢想してはこの現実に叩き起こされる事。 ……要するに、俺はあんな事をお前達にした癖に、お前達から愛されていたいんだ。 それが、今の俺達の求めている愛だ。 まだ、夢物語の方が、現実的な、お話さ」

「……」ヘレナは何も言わない。


 大量の白に少量の黒を混ぜると灰色になる。朱に交われば赤くなる。彼は、その黒であり朱であった。

「私はこの世界の洗礼者。 この世界に洗礼を施すためにやって来たのだよ」

酷く大人びた――否、老成した声で、小山に腰掛けるその少年は言った。その周りには、がりがりに痩せた無数の群衆が集っている。

「しかし、今の貴方達は、空腹のあまりに、私の話を聞く余裕は無い」

ヨハネ様、と誰かが絶叫した。私達を助けて下さい、憐れんで下さい、と。すると少年ヨハネは言った。

「パンはあるかい、一切れで良い」

「あります!」

最前列にいた目だけ異常に大きく見える骸骨のような少女が、一切れのパンを差し出した。

「神よ、奇跡を」

ヨハネはそう言ってそのパンを受け取り、祈った。そして、次の瞬間、群衆は驚愕する。彼らの腕の中に、持ちきれないほどの数のパンがいきなり出現したのだ。

彼らは我を失ってむさぼり始めた。けれど、むさぼってもまだパンはある、否、食べれば食べるほど増えていく!その事に気付いた瞬間、彼らは顔を明るくして、少年を見た。歓喜の声が放たれる。

「ヨハネ様!」

「救世主様!」

「違うよ」と少年ヨハネは首を左右に振った。「私は、あの御方じゃない。 私は洗礼者ヨハネ、たったそれだけなのだ」

そこに、逃げろ、と言う誰かの声がした。軍隊がやって来たぞ!

群衆はあっと言う間にクモの子を散らすようにパンを抱えて逃げ出した。

ヨハネは、逃げなかった。

馬に乗った騎兵が、ヨハネを取り囲んだ。そして槍を突きつけて、

「扇動者ヨハネだな。 逮捕する!」

「……今はまだ、その時では無いよ」ヨハネはそう言って、悲しそうな顔をした。

「何を言う! 大人しく――」

ひゅん、と空を切る鞭の音。騎兵が一瞬でことごとく馬から叩き落されて、呻き、あるいは失神した。

フードをかぶった男が代わりにそこにいて、その後ろに小さなローブをまとった人が立っていた。

「おい! お前はアイツなのか!?」男は、フードを取って、ヨハネに掴みかかった。I・Cであった。「お前が救世主なのか!?」

「違うよ、私は洗礼者ヨハネ。 とてもあの御方には及びもつかない者だ。 でも」とヨハネは微笑んだ。「魔王、貴方のこの数千年間の苦しみは、もうすぐ終わるよ」

「!!?」

「もうすぐだ。 君が大いなる運命に立ち向かうか否かの決断をする刻限タイム・リミットがやって来る。 その瞬間だ、君は、愛によって苦しんだ君は、愛によって救われる」

「どう言う、意味だ……?」

「ピスティス・ソフィア……ああ、君達が女帝と呼んでいる僕達の元同族も、全世界の運命記録を知っている。 私も、当然知っている。 ……終わらないものはこの世界には無い、唯一、愛を除いて。 バルベーローもあの御方も、愛そのものだ。 もしも君が永遠の愛を求めるのならば、この世界を滅ぼしてはならない。 何故なら聖杯が既にこの世界に再登場したからだ」

「誰だ、聖杯を宿した聖母マリア・マヤは誰だ!?」

「まだ秘密にしなければならない。 あの御方ご本人が告げられるからね。 それに――」ヨハネは粗末な杯を、どこかからか取り出した。それには綺麗な水がみなぎっていた。「私は洗礼者だ。 あの御方のいらっしゃるこの世界に、洗礼と祝福を与えるのが、最高の務めであり、最大の使命なのだ」

微笑んだまま、ヨハネが杯を天空に掲げると、途端に空に鮮やかな虹がかかった。

そしてヨハネは杯の水を、I・Cの頭に注いだ。I・Cは目を見開いた。

「これで良い」ヨハネは言った。「これで私がこの世界でなすべきことは全て終わった。 後は、供犠の子羊になるだけ……」

「まさか」I・Cは絶句する。

「君達が呼称している『バベル・タワー』は異次元への入り口だ。 迂闊に接近すると飲み込まれて二度と戻れないから、急いで君の同僚に退避要請をした方が良いよ。 私は、役目をちゃんと終えたのだから、天に召される、たったそれだけだ」

ヨハネはそう言って、倒れている騎兵の一人に近づき、触れた。すると騎兵は起き上がり、しばらく唖然としていたが、ヨハネにこう言われて我に返った。

「さあ、私を捕えなさい。 そして連れて行きなさい。 貴方も務めを果たすべきだ」

「……」愕然としていた騎兵だったが、そこに高貴な身なりの青年が騎乗して登場したために、慌ててヨハネを荒縄で縛った。

「貴様が扇動者ヨハネか」青年は傲慢な口調で言った。「ふん、うるさい喉を潰し、俺の小姓にしてやっても良いぞ」

ヨハネは、悲しそうに、

「私は洗礼者だ。 もはやこの世に属する者ですら無い。 私は真なる神の使いであって、真なる神に仕える者。 貴方に仕える者では無いのだよ」

「ほう」青年の額に青筋が浮かんだ。「ならば獅子の穴に放り込んでやろう! おい、連れてこい!」

騎兵は怯えつつ、「はい、ヘロデ様」と従った。

「止めろ」I・Cが凄味のある声で言った。「おいクソガキ、今すぐそいつを解放しろ!」

「クソガキだとう!?」青年が逆上するのが分かった。「貴様も殺してやろう!」

「いけないよ」はっきりと、まるで荒れていた水面を一瞬で鎮めるような声が響いた。ヨハネが穏やかな声で言ったのだ。「私は時が来るまで荒野で待った。 時が来たから世界に洗礼を施した。 たったそれだけだよ。 私は今や満ち足りている。 さあ、連れて行きなさい」

「ヨハネ!」I・Cが悲鳴を上げた。紛れも無い、悲鳴だった。「駄目だ、嫌だ!」

「実った果実は収穫されるのだよ」ヨハネは微笑んだ。I・Cは、わなないた。「さあ、早く。 急いだ方が良いよ。 そこの彼は、ロトの兵士ではとても相手にならないほど強いからね」

「……」不機嫌そのものの顔をして、ヘロデはヨハネを連れて行った。

 それが視界から消えた瞬間、I・Cが、その場にくずおれて、号泣した。

「どうして泣いている、I・C」シャマイムが訊ねた。

「もう良い、なあもう良いよな、ヘレナ」I・Cは激しく慟哭しつつ、言った。「俺はこれからこの世界を終わらせる、なあ、もう、俺達終わって良いだろう?」

「終わる事は、終焉は、救いなのか?」

「救いじゃなくてももう良いんだ! 俺は、これ以上苦しみたくないし、お前の悲しみを続けさせたくも無い! 終わる世界に二人っきりになってしまったとしても、俺はもう生きる事が辛いんだ、お前が俺を憎むのが辛いように!」

「……そうだな。 人は生きたがる者が多い。 だが、死の勝利も、存在して良いだろうと私は思う。 ただ、I・C、それは洗礼者ヨハネの救出に向かってからでも遅くは無いだろう」

「……そう、だな。 俺はもう少しアイツと話をしたい……」

二人は、荒野を歩き出した。ほんの少し歩いただけで、巨大な黄金の塔が見えてくる。あれが『バベル・タワー』なのだろうか。

「……」不意にI・Cが立ち止まった。貴族の邸宅が並ぶ道の上で、である。

「……I・C?」

シャマイムが怪訝に思って、呼んだ時だった。

「何だこれは」彼は低い声でつぶやいた。「これは、まさか。 いや、そんな……」

「I・C、どうした?」

「……何でも無い。 ちょっと俺は神経質になっていたみたいだ」

「いや、そうでも無いよ?」

いきなりの声に、シャマイムが背後を振り返ると同時に拳銃を構えている。

だが、I・Cは呆れたように言ったきりだった。

「レスタト、今度は何の用だ?」

「はい、これ」とレスタトは通信端末を放った。I・Cは後ろ向きに受け取って、それが血まみれで、だが増援要請の通信など一度も来なかった事を思い出し、彼の同僚は全員が全員、瞬殺されたのだろうな、と知った。「それと、これ」

レスタトは片手で豪華なネックレスをかざした。その数珠つなぎになっている宝石は、人間の目玉であった。

「そっちは聖教機構の、こっちは万魔殿の。 今このロトで生き残っている部外者は君達だけだよ」

「ふーん。 で?」I・Cはどうでも良さそうに言う。

「悲しいかな、ラファエル様は僕にまだ貴様の抹殺命令を下してくれないんだ。 代わりに、『美女と野獣』に命令を下した」

のそり、とレスタトの背後から人影が姿を見せる。

「!!?」

シャマイムは驚いた、と言うのも――。

「セシルの死亡は自分が確認した」

確かにシャマイムの眼前で死んだはずの同僚、セシル・ラドクリフが、登場したからである。I・Cがやっと振り返って言った。

「……認識だ。 ヤツは俺達の認識を反照させるんだ。 同士討ちをさせようってか。 良いなあ、良い感じに腐ってやがるぜ!」

「……」

セシルがものも言わずに獣へと変身した。

「I・C、あれはセシルでは無いのか」シャマイムが言った。

「俺達の認識にあるセシルさ。 戦闘能力も、生命力も、何もかも。 気を付けろよ、俺達の知るセシル・ラドクリフは百戦錬磨の猛者だ」

そう言ったI・Cの体が吹っ飛び、壁に激突して大穴を空けた。シャマイムの銃撃を受けても平然とその巨大な獣は突進し、シャマイムは回避しようとしたが、獣から伸びた触手がシャマイムを捕えた。

「!」

爆音のような轟音と、小さな地響き、そして粉じんの大量発生が起きた。貴族の館一つが倒壊するほどの衝撃を、獣に捕えられたシャマイムは機体に直に受けていた。獣は走り回り、次々と館が倒壊していく。このままでは破壊される、とシャマイムは形態変化しようとしたが、その瞬間、獣はシャマイムの機体の隙間に触手を突き刺し、滅茶苦茶に彼女の機体構成部品を、電子回路を引き掻きまわした。

(そうか、私の機体構造に対するセシルの知識をも、コイツは、獲得して――!)

それが限界だった。バチバチと眩いスパークが発生し、シャマイムは機能不全に陥って、動かなくなった。

「……」そこで獣は立ち込める粉じんの向こうを見据える。

「本物だったら死んでもシャマイムだけは攻撃しねえのにな」I・Cが、穏やかに邪悪な笑みを浮かべていた。「……よう、パチモンの屠殺屋セシル。 俺がお前から借りたツケ、今ここで全部返してやるぜ。 ――『魔王サタン』発動」

――ぞるう。混沌の闇が目を覚ます。それは一瞬で全天を覆い尽くすまで広がった。にやりと誰かがどこかで嗤う。直後、混沌の天空が落ちて来た。――ぞぞぞぞぞりばばばばあああッ!

混沌は何もかも呑みつくし、まるで水たまりのように大地にわだかまる。そこから一人の幼女が這い出てきて、怪訝そうな顔をした。

「おい、ヘレナ、ヘレナ、どこに行った?」

「このポンコツの事かい?」

幼女は振り返って、憎悪の顔で吸血鬼王レスタトを睨みつけた。妖のように美しい青年は、ぴくりとも起動しない兵器の残骸を踏みつけていた。

「うふふふ。 そんな顔をしなくたって良いじゃないか、魔王」

「ヘレナを返せ」無感情に、魔王は言った。

「お断りだと言ったら?」

「ヘレナを取り戻す全人道的手段を唾棄するだけだ」

「じゃあさっさと人道なんぞには唾を吐きかけるんだねえ。 うふふふ、それは天に唾するようなものなのだけれど、君には関係ないか、あははは」

「何が楽しいんだ?」

「ラファエル様達の長年のご意志が、もうすぐ叶うからさ」

「……どうやらなバベル・タワーの中にあるんだな、セフィラー・マルクトが。 そこでカマエル・アインが起動するんだろう? そんなもの全部俺の腹の中に落とし込むだけだってのに、何を余裕ぶっこいて――」

「だって魔王、色々喰ってきた君がついに喰い殺される時が来るんだもの。 ラファエル様がどうして僕に君へと手を下させなかったか、その理由をようやく今しがた教えてもらえたんだ。 復讐、そう、全ては復讐のためだったのさ!」

「だったらさっさと殺せよ」

「いやいやいやいや、とんでもない話さ。 君に何の恐怖も後悔も懺悔も悲哀も絶望も狂乱も恐慌も味わわせずに殺すなんて、ねえ?」

「俺はそんなもの、数千年の間ずっと味わってきたさ」

「いやあ、違うんじゃないかな? だって

「御託はもう良い。 とっととヘレナを返せ」

じわりじわりと天が曇っていく。それを嬉しそうに赤い目で見つめつつ、レスタトは言った――ぽい、と興味なさげにヘレナをあっちの方角へと放って。

「うん、返してあげる。 もう全ては始まったのだから!」

「!!?」

魔王の顔色が、ゆっくりと、白くなっていった。

「まさか、アイツら――ヤツを!?」


 洗礼者ヨハネを牢獄に入れようと王宮殿まで連行してきたヘロデは、美しい義理の妹サロメの出迎えを受けた。

「お兄様、お帰りなさいませ」今年で一七になる少女は、年に見合わぬほど妖艶な瞳で兄を見つめた。義理の兄がぞくりとした瞬間にヨハネに目を移し、「そっちの薄汚いのが扇動者ヨハネかしら?」

「……」ヨハネは、悲しそうに彼女を見返した。「私は悲しい」

「あら、斬首されることがそんなに悲しいなら、奴隷として生かしてやっても良くってよ」サロメはそう言って、手を口に当ててくすくすと笑った。

「いいや。 私は悲しい。 私にはあの御方ほどの力は無いのだよ。 私は君が悲しい存在である事が、その定めを変えられないのが、悲しくてたまらないのだ」

サロメの目が、きっと吊り上がり、ヨハネに近づいて、じっとその顔を見据えた。

「あら、私の何が悲しいのかしら?」

「……肉の喜びは決して永遠の愛では無いのだ」

「お前はどうやら肉の喜びを知らないだけのようね。 良いわ、接吻から教えてやりましょう」

そう言ってヨハネの顎を掴んだサロメだったが、ヨハネは首を横に振った。

「私がいるところに君は至れない。 私に君は接吻できないのだ」

「まあ!」サロメは美しい顔を激怒に染めた。「……お兄様、ねえ、私のお願いを叶えて下さるかしら?」

「良いだろう、だが……」ヘロデは好色そのものの顔をして、「お前が私の前で踊ったら、だ」

「よろしくってよ、お兄様。 私にヨハネの首を下さいな」

そう言うと、サロメは衣を翻して駆けて行った。


 サロメは薄い衣を七枚まとっただけの姿で、義理の兄の前に姿を現す。

ああ、何度見ようとも、何と淫らな。ヘロデは思わず生唾を飲み込んだ。少女とは思えないような妖艶さで、俺の義理の妹は俺を見ている。見据えている。俺はまるで蛇に睨まれた蛙だった。恐ろしいものに飲み込まれて喰い殺されるのを待つきり、だった。

義理の兄の目に浮かんだ恐怖と情欲を合図に、サロメは舞いだした。

白金の腕輪がしゃらしゃらと鳴り、瑪瑙の足環が軽やかに光を散らした。首輪の、数多散りばめられたダイアモンドがまるでともし火のようにサロメの淫らな表情を輝かせている。

一枚、薄衣を、サロメが脱いだ。

見慣れる事なく、俺はいつの間にか食い入るように見つめていた。ああ、ほんの少しだけ見えないと言うことはなまじ見えると言うことよりもいやらしいのだ!俺はこの妹を今度はいかにして組み敷いて俺の女にするか、そればかり考えていた。気が狂いそうにこの妹は淫らだ。真正の娼婦だ。男が無ければ生きていけないのだ。そう、昔から。

細いのに男の目をくぎ付けにする足がステップを踏む。腰をくねらせ、手で俺を招く!のけ反った背中の、たまらぬ色香。

俺はいつしか陰茎が痛いくらいに固くなっていた。

また、一枚。

乳房が揺れているのが分かる。ああ、あれに俺はしゃぶりつきたい!

一枚。

汗で体が濡れて、何と、放埓な有様なのだ!

一枚。

もう、俺はヨハネを即刻に斬首させようと決めていた。斬首させて願いどおりに首を持って来させた後、俺はいつものようにサロメを思う存分に犯そう。たったそれだけ、俺が考えていることはそれだけだった。

一枚。

淡い陰毛が見える。サロメ、お前ももう濡れているのだろう?

一枚。

そうだ。俺は決めた。今度はお互いが気を失うまでお互いを犯し続けよう。肉の、体の喜びに勝る喜びなどどこにある?

一枚。

俺は、はらりと散った薄衣の代わりに、腕の中にサロメを抱き留めていた。

俺は、顔を上気させたサロメの願いどおりに、ヨハネの首を持ってこさせる。

だが、次の瞬間――。

「お前はこれで私のもの! どうよ、私はお前に言った通りに接吻をしてやるのだわ!」

サロメが勝ち誇った顔で、ヨハネの首に、口づけた……。

俺は、愕然とした。

 お前は俺のものでは無かったのか?

お前の心はそんな薄汚いガキにあるのか?

激怒と憎悪と情欲が一気に襲ってくるのを感じた時には、俺はサロメを拉致して、俺の寝室へ連れ込んでいた。

そうだ、サロメ。

俺の女だった妹よ。

お前に、最高の快楽を与えてやろう。

――肉欲の果ての死と言う名の!


 俺は縊り殺したサロメを、まだ犯していた。不思議な事に殺してしまえば、後はただ愛おしいだけの肉の温かい塊なのだ。俺は無我夢中で腰を振っていた。

「何と馬鹿馬鹿しい」冷めた声に、俺は一気に現実へと引き戻される。寝室の入り口に、『シバの女王』が立っていた。「次期王位継承者を殺すなど、男妾の連れ子のやる所業か?」

「あ……」

俺は、青くなった。

「だが、今だけは特別に赦してやろう。 

俺は、その声を最後に、意識を失う……。

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