第40話 【ACT四】プライド

 彼女の体は、特型洗脳培養槽『エレナ』の触媒液の中でゆらゆらと揺れている。その前にランドルフは立ち、そして思った。

 何が私とお前のこの決定的差異になったのだろうな、と。

 彼女は『エレナ』の特殊な作用により、昏睡状態に陥らされている。彼女の意識が目覚めようものなら、一大事になる。それは聖遺物『聖釘』の模倣物である『エレナ』が失敗した事を意味するからだ。

 『聖釘』の模倣物『エレナ』――それは、長い歴史の間で失われた聖遺物『聖釘』を人の手で蘇らせようとした禁断の研究の副産物として、偶然に誕生したものである。

その機能は簡単である。『エレナ』内部の培養槽に閉じ込めた人間を、魔族を、完璧に洗脳しあげるのだ。まるで『鋼鉄の乙女』の中に閉じ込められた人間が、無数の鉄の棘で全身を刺されて血まみれになって息絶えるように。

複数ある伝承によれば、本来の『聖釘』の能力は単純そのものであった。

 『永遠の命』

『聖釘』と適合した者にはそれが与えられるのだと言う。

だが、『聖遺物』の非適合者が接触した場合は、他の聖遺物同様に例外無く死ぬと言う。第一、『聖釘』と適合する者が出た場合には、永遠の命ゆえに『聖釘』も永遠に消えるので、これらの伝承は怪しいものだ。とは言え、『聖釘』は聖遺物である事は完全に確定していた。何度か、永遠の命欲しさに触れた者が、全員死んでいるからだ。

そのために『聖釘』も厳重に封印されて保管されていたはず――だったのだが、何故かある日、あるべき場所からこつ然と姿を消していたらしい。

泥棒に盗めるはずが無いのだ。『聖釘』も、接触して適合しなかったものに対しては、それが何人たりであろうとも平等に死を与えるのだから。

だが、『聖釘』はその日以来、行方不明になった。

他に聖遺物の中で所在も機能もはっきりしないものには、『聖杯』がある。それは救世主が死んで間もなく行方不明になったそうだ。その理由は数多あるが、いずれも憶測の域を出ていない。何せ数千年前の事で、事情を知る者が誰もいないからだ。

 『永遠の命』を求める研究の中で、誕生した『エレナ』は、『命を繰り返させる』事に近しい作用を持っている。

 人を完全に洗脳するにはどうすれば良いのか。その手段には、強力な薬物を用いる、説得する、精神を破壊する……いずれも危険で不確定要素が多い行為だ。

だがこの『エレナ』は根本から違う。

 人を完全に洗脳するにはどうすれば良いのか。

その完璧な解答を表示している。

 人がその記憶や根本的信念、感情、その他もろもろの『胎児の頃から培ってきたもの』で形成されているのならば、時を逆行させて、胎児の頃から全てを、こちらの都合の良いようにやり直させてしまえば良いのだ。これを悪用すれば、赤ん坊に大人の知識を全て詰め込む事も可能であるし、逆に赤ん坊の知識しかない大人も作成できる。人の精神年齢は仮想世界で好き勝手に、あまつさえ肉体年齢すらも、『エレナ』は超高度生体再生技術で自由自在に操るからだ。

そして、『エレナ』はそれゆえに過度に危険だと判断され、技術ごと閉鎖監獄ヘルヘイムに封じられた……。

だが、この女を洗脳するために、今回限りで引っ張り出されたのだ。

 この女。

名前を、イザベル・アグレラ。

先日に壊滅状態に陥った、万魔殿過激派最強兵力、『強制執行部隊』の総長であった。


 「ようランドルフ」

いきなり、背後から声がした。

「!」

イザベルをじっと見つめていたランドルフは、はっとした。だが、振り返らずに、ため息をついて、そして言った。

「何の用かね、I・C?」

「何の用って、そりゃー決まってんだろ、お嬢様が仕事だーってお前をお呼び出ししてんだよ。 ……だが案の定ここにいやがったか。 昔の女ってのは、誰にとっても今に至る問題なんだなあ」

ランドルフは、ふと思い出した。

「……I・C。 グゼ君から聞いたのだが、お前は人を精神世界に飛ばせるらしいそうだが、それはいつでも可能なものなのかね?」

「うん」と素直な返事の後に、邪悪な声が待っていた。「そうか、お前、まだこの女に未練があるのか」

「ある」ランドルフは、この男に対して余計な言葉を言っても更に余計な事態を招くだけだと知っていたので、率直に言った。「だから私はここにいる。 お前が私を精神世界に飛ばしてくれないのならば、私はお嬢様の所へ戻らないつもりだ」

「げー」露骨に嫌そうな声。「お前を連れ帰らなかったら、俺までお嬢様に雷落とされるじゃんかよ!」

ランドルフは、強引に、言った。

「急いでくれたまえ。 それが双方にとって、利となるだろうよ」

声は憎々しげに、

「この俺を脅しやがった。 畜生、仕方ねえな! 覚えてろよ!」


 そこは、何も無い世界であった。ただ、彼女と、ランドルフだけが向かい合う形で存在していた。

「……ふん。 ランドルフ、貴様がまだ生きている、と言う事は、私達は敗北を喫したのだな」

イザベルは酷く冷静に状況を判断して、そう言った。ランドルフは、頷いた。

「そうだ。 君達は、壊滅した」

「そして私がまだ生きている、否、生かされていると言う事は、何だ? 拷問か、洗脳か、どちらだ?」

「君にとって最も耐えがたい方だ」ランドルフは、そう言って、沈痛な顔をする。「今、君はあの『エレナ』の中にいる」

「……『エレナ』か。 最悪の洗脳装置だったな。 だが私は貴様らに負けたのだ。 好きにしろ。 敗軍の将は兵を語らず、だ」

「……君は、そうだったな。 いや、そうなるしか無かったのだ……」

何も無かった景色が移り変わる。そこは、かつて『メルトリア王国』と呼ばれた小さな国の首都の景色であった。ランドルフはその景色を一瞥してから、

「君はメルトリアの一高級将校の娘だった。 メルトリアの一政治家の息子だった私と同じように、メルトリア王国の宮中で育った。 だが、私達が丁度一〇歳の時に、メルトリアは……」

「そうだ、クリスタニア王国を最も卑劣なやり方で裏切り、激怒したクリスタニアによりすぐさま滅ぼされた。 私とお前も、万魔殿に亡命し、そしてそこで育った――『裏切り者の』メルトリア人と言う烙印を、毎日毎晩毎刻毎秒のように押されながらな!」

イザベルの形相が冷酷なものから、豹変した。同時に景色も変わる。嘲り、蔑み、侮り、嫌悪感。そう言った人間の顔が無数に彼らを取り巻いていた。それを冷酷な目で見渡してから、彼女は言う、

「私はこれに耐えられるほど誇りの無い人間では無い。 ランドルフ、貴様もそうだっただろう。 だから私達は反万魔殿派のテロリストになった。 全ては我らの誇りを奪還するために。 浴びせられた泥を跳ね返すために。 だが、あの日! あの日以来貴様は変わり果てたな!」

ランドルフは、ただ、頷いた。

「……そうだ。 大帝が私達の制圧に直々にやって来た、あの日。 その時私達は『三人の魔女』の殺害を計画していた。 万魔殿の女神とも言える彼女達を殺す事で、私達は『裏切り者』から『偉大なる弑逆者』に成り上がろうとした。 私達は徹底抗戦した。 だが、大帝により瞬く間に鎮圧された。 そして君は万魔殿支配圏より追放され、私も追放された……あの時。 あの時の選択が私達を永遠に別けたのだろうか?」

「当然だ。 貴様は大帝ごときに懐柔された! 『どこにも居場所が無いのなら、心当たりがあるから、こっちに来いよ』……実にふざけていた。 心底から馬鹿にしていた。 私達の誇りを何だと思っていたのだヤツは!」

「イザベル……」ランドルフは、悲しそうに言った。「君は強い。 だからこそ、誇り高かった。 だが、君は誇りプライドを抱くと同時に傲慢プライドだった。 今でもそれに、君は気づけてはいないのだろうね」

「何だと?」イザベルの形相が、殺意を懐胎した。「もう一度でも言ってみろ、ランドルフ!」

けれどランドルフの顔にあるのは、悲しみだけだった。

「……これが、現実の世界ならば、私は何度だって言っただろう。 だが、私は君に会いに来た。 私を覚えている君に会いに来た。 最後に、会いに来た。 だから、もう、二度は言わないよ。 君は全てを『やり直しリセット』させられる。 君の誇りも傲慢も何もかも喪って、私を知らない、私の知らない君になってしまう。 ――君はその傲慢さを、君の七歳だった義理の弟にも受け継がせたね。 君の弟は聖教機構幹部を自爆テロに巻き込んで己ごと殺した。 そして君達は、それを高らかに謳い上げた。 立派な事だと、殊勝な行為だと、喧伝した」

にやりとイザベルは笑った。

「そうだ、そうだとも、アルフォンソは立派だった。 正に私の弟に相応しかった! 義理も何も無い、アルフォンソは私の正真正銘の弟だ!」

「そうか。 もはや、君と私では、価値観では無く、言葉が違うのだな……」

「まだ分かっていなかったのかランドルフ。 貴様は本当に駄目な男だな」

「そうだ、駄目な男だ。 いまだに君に未練がましい、本当に駄目な男だ」

世界が崩壊していく。崩壊は加速していく。イザベルの全てが消えていく。ランドルフは、それでも毅然として、否、むしろ己を嘲る者全てに対して嘲っている彼女に対して、最期にこう告げた――、

「さようなら、イザベル。 今度こそ、永遠に、さようならだ」

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