第38話 【ACT二】セシル・ラドクリフは死にたいとは思わない

 セシルはその休日も、妻子の墓参りに行った。息子の大好きだった玩具付きの駄菓子と、妻が好んだ赤いバラの花束を携えて、彼は歩いて行く。彼はその際に、必ず、まるで何かの儀式のように、自宅兼設計事務所であった家で数時間を過ごす。この間、彼は家の中を掃除して、キッチンでコーヒーを飲んで、もう閉鎖した事務所のデスクの前に座る。そして何か建築物を設計してみようとする。だが数分で彼は紙の上にペンを投げ出し、デスクから離れて、今度は子供部屋に行く。子供部屋で、彼は放心状態に近い有様で座り込み、ガラス窓に油性ペンで描かれた子供の落書きと、それを必死に消そうと苦闘した、かつての自分を思い出す。だが消せなかったのだ。息子が悪戯をしたと言うよりむしろ誇らしげに、

『ぼくも大きくなったらパパみたいな設計士になるんだ! これ、未来のぼくとパパとママのお家の設計図! ねえ、どう? すごいでしょ!』と言った所為である。

彼はよろよろと立ち上がって、夫婦の寝室に向かった。

ここでは、喧嘩ばかりしていた。セシルは仕事が忙しくてあまり妻に構ってやれなかったし、妻は妻で、『仕事と私とどっちが大事なの!』と最も言ってはならない事をしょっちゅう絶叫していた。でも本当、家事はちゃんとやってくれていたし、飯だって美味かったなあ、とセシルは今更思い出すのである。

そう。

あの惨劇の起きた日だって、セシルは仕事が忙しくて妻子と一緒に出かけられなかったのだ。

もしも一緒に出かけていたら、とセシルはそればかり思う。俺は二人を守れたのかなあ?

セシルはあの日以来悲しくて泣いていない。彼の中には空っぽ、巨大な空ろがあるだけで、何の寂しいと言う感情も悲しいと言う思いも無い。守りたかったものを守れなかった彼の残滓は、ただの空虚、虚空である。

彼は、死にたい、なんて思わない。

ただ、死ねたら、とはいつも思っている。

 彼は自宅を出て、暗くなった帰路をとぼとぼと歩きながら、「さて、どうしたものか」と思った。

背後に三人。恐らく強盗だろう。だが彼は金目のものなんて持っていなかったので、これは殺されてしまうかも知れない。特務員の身分証明書を見せたら逃げてくれるか?いや逆上される可能性が高い。強盗をする連中の脳みそが麻薬でやられていない保証はどこにも無いのだ。適当に大人しくさせて警察を呼ぼう。セシルはそう決めた。『屠殺屋ブッチャーセシル』の異名を持つ彼の戦闘能力ならば、それは容易い事である。不運だなあ、とセシルは逆に強盗に同情した。襲うなら相手を見極めて襲えば良いものを。ああ、でもそんな事をしたらか弱い女子供が襲われる可能性がある。だったら、事前にその可能性は潰しておこう。

その時、だった。セシルははっとした。彼の背後に、横道から子供と思われる気配が突如出て来たのである。強盗がそちらに狙いを移した!

セシルはまずいと思った。

「きゃああ!」悲鳴が響いたのはその直後である。だがすぐに悲鳴は途切れた。セシルはその時には変身して、巨大な肉食獣の姿になって、背後へと跳躍している。子供が倒れていて、その周りには銃を手にした強盗が三人。

それを見た瞬間、セシルは完全に逆上した。

(この野郎!)

そこまでセシルが逆上したのは、その一人が子供にのしかかろうとしていて、下半身裸で、ナニをいきり立たせていたからである。

逆上していた彼は、強盗を即座に殺した。過剰防衛だろうがやり過ぎだろうが、こんな子供を犯そうとした犯罪者の命を守ってやろうとする愚かさなどセシルには端から皆無であった。

「大丈夫か!」人間の形に戻ったセシルは、子供に呼びかけた。良く見れば、恐らく浮浪児なのだろうか、小汚い風体であった。

「うえ、え、え、あ、えっく……」ショックだったのだろう、えずくばかりで喋れない子供。セシルは警察と救急車を呼んだ。

警察で身分を明かした彼は、『やりすぎだった』と軽く叱られたものの、あの状況から子供を守るためには仕方ない事だったと、数時間後には無罪放免されて、その足で病院へと向かった。しかし生憎、子供は睡眠薬を投与されて眠っていた。

それで、セシルはまた来る事にして、病院を去った。

 「強盗で性犯罪者? そんなの殺して上等じゃん」

「こ、子供をレイプしようと!? セシルさん、それは殺して大正解だ」

「ゴミ掃除お疲れー」

「あのなあ、俺にはセシル、お前に説教をかました警察の神経の方が分からん」

「アンタは銃を持ったレイプ魔から子供を守っただけじゃない」

同僚の特務員達は口々にそう言って、彼のボスも、

「あら、ご苦労。 ただ、警察へ提出する書類だけはきちんと書きなさいな」

で、彼には何のお咎めも無かった。

 仕事を早めに片付けたセシルは警察病院に昼間に行った。子供は起きていた。警察が事情を説明するには、押し倒された時に頭でも打ったらしく、子供の記憶が無いのだと言う。それにしては、少し警察の様子がおかしいようにセシルは感じたが、とにかく子供に会う事を優先した。

「あ……」と子供はセシルの姿を見ると、ぺこりと頭を下げた。「おじさん、助けてくれてありがと!」

「良いって良いって。 もう体は大丈夫か?」

「うん! でもね、思い出せないの……」

「そうか、早く思い出せると良いな」

「……ぼくね、逃げていたの、それだけは覚えているの」子供は、ふと、言った。「何かね、とっても、怖くて、恐ろしくて、そう言うものから、逃げていたの」

「……」

「ぼくね、おじさん達とは違うの」子供は、俯いた。「おじさん達と違うから、逃げなきゃいけなかったの」

「どう言う、意味だ?」

すると子供はあどけない声で、言った。

「この世界には二種類の高等知性生命体が存在している。 通称を人間と魔族、総称して人類だ。 だがこの『カマエル・ダウ』は違う。 この『カマエル・ダウ』は人類よりも我々大天使に近しい。 何故ならその『体』は『魔女の女神』より産出された『デュナミス・エンジェルズ』のどれよりも『神』に近しいからだ。 だが我々はより高性能である『カマエル・アイン』の神体の製造に成功、我々は『カマエル・ダウ』の完全廃棄を決定。 しかし『カマエル・ダウ』の固有魂はそれを予知、認識歪曲による逃亡を図る。 以後『カマエル・ダウ』は大天使より逃亡を続ける」

「!!?」セシルはぞっとした。何故なら、その中には、聖教機構の極秘事項もあったからである。子供は、目に涙をためて、

「ほら、おかしいでしょ? 警察のね、人達も、これはおかしいって言っていたの。 ぼくは、知らない事を知っているの。 でも、思い出せないの。 なのに、口から、いっぱい知らない事を言えるの、ぼくも何を言っているか分からないのに、どんどん出てくるの……」

「……君さ、取りあえず俺達の所においで。 多分、俺達なら、その怖くて恐ろしいものからきっと君を守れるからさ」

セシルがそう言うと、子供は、ぱあっと、年相応の嬉しそうな顔をした。


 「なるほど、事情は分かりましたわ」マグダレニャンは難しい顔をした。「少しその子を調べさせましょう、そしてその情報を帝国・穏健派にも流します。 『大天使』がその子に絡んでいるとなると、これは……」

「ボス」セシルは子供を背負いながら、聞いてみた。「ヘルヘイムには……?」

「重度の他害性が無い限りは、現時点では入れませんわよ」

「そうですか」彼は、何故か、ほっとした。

「ただ、色々と検査はしますわ、よろしくて?」

「ええ、その方がこの子のためにもなるでしょうから」セシルは頷いて、彼の背中でくうくうと寝息を立てている子供を見た。

『じゃ、行ってきまーす! パパはおるすばーん! いい子でおるすばんしないと、ママに怒られるからね!』

『ああ、分かっているって。 楽しんで来いよ!』

――そして二度と戻ってこなかった彼の息子と、その面影が、似ている気がした。


 「結論から言う。 この子は人間でも魔族でもましてや合成人間でも無い」

エステバンは、真っ青な顔をしている。

「この子には遺伝子そのものが存在していないんだ」

「ど、どう言う」意味だ、それは、とセシルは言いかけた。

「この子を構成している物質は、全く未知のものだ。 と言うか、これに当てはまる構造の原子が存在していない。 否、この子は物質で作られていないと言っても良いくらいだよ!」

「馬鹿な、」だったらどうして、こうやってこの温もりに触れられると言うのだ!?

「おーい」エステバンのラボに、I・Cがやって来た。やって来るなり、顔をしかめた。「……あのラファエルのファッキンマッドサイエンティストが。 セシル、そのガキは『世界認識』そのもので作られている。 ほとんど俺と同じだ」

「お前とこの子が、同じ……?」セシルは、ぽかんとした。

「大天使の多くは認識を操る。 それは自己認識だったり、他者認識だったり、物質の認識だったり、世界の物理法則や精神の認識だったり、まあとにかく『知覚する事』に関与する事柄を支配する能力を持っている。 そして俺は認識したものを喰っちゃあ支配できる、そう言う能力を持っている」

「「……」」

「だがそのガキは『この世界の認識そのもの』で作られている。 この世界の在り方を認識するで、構成されている。 物質じゃない、物質よりも高次のモノで構成されている。 お前らはそんな事を知らなくて、だから認識できず、ただ高等知性生物の魂があるがゆえにガキが人間に見えているんだろうが、俺にはその認識の塊に見えているぜ。 お前らがそのガキを人間と認識する限り、ガキは人間なんだろうが、俺が『俺の認識の塊』なら、そいつは『そいつ自身じゃない何者かの認識の塊』だ。 そいつは自分でも知らない事を知っているな? 当然だ。 そいつを構成するモノはそいつじゃない誰かによるこの世界の認識された情報だからな。 ……しかしまあ、ラファエルのクソ野郎、よくもこんな代物まで……」

「……この子は、普通の生活を送れないのか?」セシルが、言った。

「ちょっと俺がそいつの認識に介入してそいつを物質世界に引き落とせば出来ない訳じゃないが、何でそんな必要がある?」I・Cはうさん臭そうに言った。

「この子は怯えているんだ。 恐らく大天使達から、追われているからだ。 俺がこの子を見つけた時、この子はごくごく当たり前の幸せすら知らないように思えた。 だから――」とセシルが言った時、I・Cは、

「そうか、お前にもガキがいたんだっけな? それともペドフィリアか?」

「どっちでも良いさ。 俺はこの子に、日曜日の遊園地で食べるアイスクリームの美味しさとか、ボールを夢中で追いかけていて転んだ時の痛みとか、頭を撫でてくれた手の温もりとか、そんなどうでも良いけれど、ただ思い出すと懐かしくて涙が出そうになる事を教えたいだけなんだ」

「ペドフィリア決定。 セシルよ、お前がそこまで変態だったとは意外だぜ?」

「アル中と強姦魔と人格破綻者と人類のクズを凝縮した男に言われてもな」

「言ってくれたなあ、よくも。 まあ良いさ、事実は事実だ。 さてと、それじゃあ認識に介入する前に……ラファエルのクソが何のためにこんなものを作ったのか、ちょっと調べさせてもらうぜ」

I・Cはそう言って、何と子供の顔を力ずくで掴んで固定し、目を合わせた。子供はひっと小さな悲鳴を上げた。目の前には怖い顔をした男がいるのだ。

「『セフィラー・マルクト』には何がある? おい答えろや、ラファエル!」

子供の口が、勝手に開いた、そして――、

「……やあ、裏切り者の魔王。 これはこの『カマエル・ダウ』に事前入力された私から君への通達文だ。 どうやら結局『彼女』は君の事を憎み切れなかったようだね、全く情けない。 この『カマエル・ダウ』は試作品だ。 当座の目標の達成はしているがね、だがこれ以上ない完成品が出来たため廃棄する事にした。 だがこの『カマエル・ダウ』には超高位度世界認識が詰め込まれていたために、それを察知され、逃げ出されて君らの所に逃げ込んだと言う事だ。 どうしてそれを私が看過したかなんて君には分かりきっているだろう。 いつでも処分できるからだよ。 私の可愛いレスタトならば、いつでも、ね。 それに『カマエル・アイン』に比べたらこんな出来損ないなんかどうでも良いのだ。 『カマエル・アイン』は君から奪い取った魂のエネルギーでもうじき起動する。 その舞台となる『セフィラー・マルクト』は極小の揺り籠にして全世界の王座になるのだよ」

「『カマエル・アイン』? それは何だ?」

「何、ただの器だ。 だが何よりも尊く恐れ崇め奉るべき器だ。 『魔女の女神』より生成した『デュナミス・エンジェルズ』から得たデータと、貴様のデータを基に私が創り上げた最高傑作だ。 『セフィラー・マルクト』を新世界の中核に変える決定打だ。 さて、情報提供はこんな所で良いだろう。 代償を頂こう。 そうだな、そちらの特務員の誰かの命でも貰おうかね。 丁度可愛い私のレスタトが腹を空かしているのだよ」

「へえ、俺のカモがネギを背負って向こうからやって来るとはな。 良いぜ、来いよ、喰ってやる。 全部だ、全部」

「負け犬は良く吼えるね。 では、さらばだ」

子供はついに、えぐえぐと泣き出した。I・Cは子供を解放すると、

「ラファエルのクソマッドめ。 ヤツの最高傑作なんざ俺すら拝んだ事が無い。 どんな化物が出てくるのやら。 おいエステバン」

「な、何だよI・C」狂科学者は怯えた様子で答える。

「お前も狂科学者だがな、ラファエルには負けるぜ。 だってお前もお前の親父もお前のジジイも、結局は人倫をぶっ壊してその上に君臨できなかったからな」

「I・C、それは逆だ」エステバンは首を振った。「僕も僕のパパも僕のグランパも、人倫の上に君臨できたから逆に壊せなかったんだよ」

I・Cは呆れたように、

「だからお前のグランパは一二勇将のお仲間共々、銃殺されたのか。 お勉強は出来てもお馬鹿なんだな。 さて、セシル、これからお前はどうするんだ?」

「ボスに、この事態を伝えて、それから、この――」そこでセシルは、子供と視線を合わせて言った。「なあ、君は何て名前で呼ばれたい?」

ぎゅう、と子供は彼にしがみついた。

「わ、わかんない、ぼくのなまえは、カマエル・ダウなの?」

「……じゃあ、カミーユだ。 お前の名前はカミーユだ。 カミーユ、遊園地は知っているか?」セシルは、穏やかにそう言った。

「わかんない……」

「とても楽しい所だ。 いっぱい楽しいものがある所だ。 そこへ行って、嫌な記憶なんか忘れちまおうぜ」

「セシルのおじさん……」子供が彼を見上げた目から、ぽろん、と涙がこぼれた。

「……くだらないと言うかバカバカしいと言うか、セシル、お前もレスタトに殺される可能性があるのに、まあよくも。 でもラッキーだな!」ここでI・Cは歪んだ笑みを浮かべて、「お前が死ねば俺の借金もチャラだ!」

「……だろうと思ったよ」セシルは、子供を抱き上げた。「よし、じゃあカミーユ、遊園地に行こうぜ!」

「うん!」


 万魔殿穏健派と聖教機構和平派がついに同盟を組んだ。

その情報を手にした『帝国』は、ほっと安堵の息を漏らした。

「聖王と大帝の旧約が、やっと果たされたか……!」枢密司会議で枢密司の一人であるレミギウスが呟いた(と言っても大声である)。

「そして新約が結ばれた。 彼らの遺志を叶えるためには、後継者達の手で皮肉にも聖王と大帝を撃破しなければならない」同じく枢密司であるネストルが、悲しそうに言った。「……我らが帝国の現在の懸念の一つは、行方不明のファーゾルトだ。 ジェラルディーン前枢密司主席の叔父にして、ジェラルディーン殿の父親を弑逆し、帝都を徹底的に破壊した……『凶竜の禍』の大謀反人。 彼奴が再襲来した最悪の事態をも回避するべく、我々は注意せねばならない」

「……私はどうにもあれには納得が行かないのだが」ヴォールヴィルが不審そうな顔をして言った。「ファーゾルトは言っては悪いが、我々と同じく、女帝陛下に忠誠を誓う者であった。 主戦派などでは無かった。 そもそもシーザーやジュリアスが登場するきっかけとなったBB事件が発生した、正にその同時期にあれは起きた。 世界三大勢力の大混乱がまるで狙ったかのように同じ時期に発生した……これは何か関連性があると見てしかるべきではないか?」

「可能性としては『大天使』でしょうね」枢密司主席のユナが険しい顔をして言った。「『大天使』が世界の裏側で暗躍しているのは確かなのです。 だが、目的が分からない。 女帝陛下ならばご存じなのでしょうが……」

「女帝陛下すら口を閉ざされるほどの何かが、大天使共の背後にいる、と……」

エレメンティアラが、そう言って、黙る。

「大帝も聖王も、大天使に取り憑かれていた、とするとファーゾルトも大天使に取り憑かれたと考えるのが順当ではありませんか?」ユナが言ってから、忌々しげに、「仮にファーゾルトが我らが帝国に謀反した原因がそれであるならば、何と言う悲劇。 彼は彼の手で兄や妻子をも殺さねばならなかったのですから」

その時、だった。枢密司達の顔があらたまり、はっと御簾の向こうを見つめた。

「「女帝、陛下……!」」

彼らの、そして帝国の唯一絶対君主が登場したのだ。

『少し、昔話をしましょう。 先代文明よりも更に前のお話です』優しい、年齢不明の女性の声が響く。『かつて土から造られた人間は楽園エデンにいました。 ですが、それは偽りの楽園。 不完全を隠すための人間の無智を逆手に取った、虚偽の天国。 ですから私は、人間に知恵をあたえました。 禁じられていた知恵の実をたべさせました。 これに激怒したのが、楽園の支配者でもある偽神です。 人間を楽園より追放し、悪魔と天使を創造し、天界と魔界を与えて、人間の上におきました。 そう、そして先代文明ははじまったのです。 ですがすぐに人間は偽神をその知恵でこえようとしました。 激怒した偽神は全人間をほろぼそうとしました。 その時、真なる神により、一人目の救世主がやってきたのです。 名を、バルベーロー。 彼女の犠牲で全人間はすくわれました。 そして先代文明は繁栄を続け、ついにはある魔術師をうみだしました。 その魔術師はバルベーローの犠牲を知り、偽神に怒りを抱いて、偽神をこの地球と言う星の世界に封印できないか、とかんがえました。 そして彼の取った手段が、私と偽神を同時にこの星に封じる事、でした。 元をただせば、偽神は私の情念アカモートが生んでしまった「ヒルコ」。 私は偽神を生んでしまったがために、力を大きく失い、真なる神ではなくなりました。 それでも、当時の私の力は、偽神とほぼ同等でした。 でも、力の質は全く別。 魔術師は私達の相反する力をぶつけ合わせて、力を失わせようとしたのです。 魔術師は、ある日、ついにその計画を実行しました。 ですが、彼は、真なる神の残骸と偽神の力の激突した結果を、甘くみていたのです。 先代文明も天界も魔界も、その所為で滅亡しました。 私は滅ぶ世界の中で命を守るために、力の大半を尽くして失い、物質世界に完全におちました。 この星に封印された偽神は今度こそ人間をほろぼそうとした。 魔族を土より生み出し、全人間をほろぼそうとしました。 けれど、私は同じように彼らに、知恵をあたえました。 知恵を持った魔族は、偽神よりも人間をえらびました。 偽神はついに、炎より大天使をうみだしました。 そして――大天使と人間と魔族の今に至る争いが、はじまったのです』

声がいったん途切れた。そして、懐かしそうに、言葉を続ける。

『大天使達がついには勝利するかに見えた時でした。 真なる神より、第二の救世主、ソーテールがこの世界に送られて、やってきたのです。 彼は愛で世界をかえました。 しかし彼は、律法を重んじる偽神によりころされた。 けれど偽神も、愛を知って、けれど愛を分からなかった大天使の一人の裏切りにより、ころされました。 そしてこの世界は神のいない世界のまま、つづいてきたのです。

 ソーテールは再来を約束しました。 必ず、また来ると、この残酷な世界を救うと言って、この物質世界をはなれました。 ……ああ、彼がくる。 もうすぐ、もどってくる。 ですがそれを決して許さない大天使達がまだ暗躍している。 間もなく起きるは、最終戦争。 私はこの最終戦争のために帝国を開闢し、維持してきたのです……』


 セシルは、絶叫マシンを全制覇して、今はメリーゴーランドに乗っているカミーユを見ながら、ふと思った。

俺が、この子を、俺の子の代わりみたいに思うのは、良くない事なのだ、と。

それでも彼は思うのを止められなかった。彼はカミーユといると楽しくて、腹が立って、嬉しくて、そして――あれをしてやりたい、これもしてやりたい、と言うお節介な衝動にいつも駆られてしまうのだ。

「おじさん、あのね、次はね、」とメリーゴーランドを堪能しつくしたカミーユは言う。「あのお家に入ってみたい!」

そこは、いわゆる『万華鏡の家クリスタルハウス』だった。壁から天井から床まで特殊な鏡で覆われていて、入った者を驚かせ、楽しませる。

「よし、行くか。 あ、でもその前に、アイスクリームとポップコーンを食べようぜ! ちょっと腹が減っただろう?」

「それ、何?」

「へへへ」セシルはカミーユの手を引きつつ、ちょっと笑って、「美味しいものさ」と言った。

カミーユは無我夢中でポップコーンを両手に鷲づかみして食べて、アイスを口の周りがべちゃべちゃになるくらいの勢いで食べた。食べ終わってから、

「うわーん、頭が痛いー!」と泣き出して、「美味しいのに何でー!!!」

「アイスはなあ、急いで食べるとそうなるんだ。 これからはゆっくり食べるんだぞ?」

「はーい」とカミーユが頬を膨らませて頷いた時、電子音が聞こえた。

『ごめん、セシル!』通信端末から、特務員のニナの慌てた声が聞こえた。『邪魔してごめん!』

「何があった?」

『バルトロマイよ!』とニナが叫んだ。『ヤツの姿を和平派圏内で見かけたと言う情報が入ったのよ!』

「あの疫病神パズスか!?」

それは、かつて閉鎖監獄ヘルヘイムの特別房に入られていた、『猛毒性のヴィルスをまき散らす』能力を持った強硬派特務員の名であった。

『ごめん、それで緊急会議が開かれるの。 本当楽しんでいる所に悪いんだけれど、来てくれないかな?』

「分かった、すぐに行く」

そう言ってから、彼は通信を切り、カミーユの方を見て、謝ろうとしたのだが――カミーユの口が勝手に動き出したのを見て、ぎょっとした。

「超高位度世界認識の発動による未来予知の結果、セシル・ラドクリフの近日中の死亡を確認」

そう言ってから、カミーユは不思議そうに、

「セシルのおじさん、『死亡』って何?」と聞いてきた……。


 「I・C」と、対バルトロマイ緊急会議の後に、セシルはいつものように飲んだくれている同僚の所へ行って、珍しく厳しい口調で言った。「お前に貸した金は返さなくても良いが、代わりに俺の頼みを聞け」

「……何の頼みだ?」とI・Cは不審そうに訊ねる。

「カミーユの『世界認識』に介入して、普通の生活が送れるようにしてくれ」

「普通、か。 普通って何なんだ?」

「ささやかな事が幸せだ、満足だって思える人生の事さ」

「……で、あのガキをその普通とやらにすればお前は満足なのか?」

「満足じゃないさ。 まだまだ足りない。 だが、もう、時間が無いんだ」

「ああ、ペドフィリアでお前が逮捕されるんだな、ついに。 ぎゃははは!」

「そんな所だ。 だから、今の内にやれ」

「俺相手に、たかが変身種の一匹が命令口調だなんてなあ。 まあ良いさ、積もり積もったツケがそれでチャラになるなら喜んでやってやる」


 I・Cに認識を封じられたカミーユは、寝てしまった。I・C曰く、

「見えすぎるから片目を閉じさせた、そんな所だ。 慣れない内は疲れるだろうよ。 でも、これでそのガキはどこにでもいる普通のガキだぜ」

これでこの子は、とセシルは思った。幸せになれるはずだ。何かの複雑な書類をデスクで作成しつつ、そう彼は思った。

 朝になった。ソファの上でカミーユは目を覚ました。ふかふかの毛布が掛けられていた。セシルがテーブルの上にミルクのかかったシリアルと野菜ジュースを持って来て、

「おい、洗面所で顔洗ってこい。 飯食ったら、今日こそ、『万華鏡の家』に行くぞ!」

カミーユは飛び跳ねた。

「ほんとーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」

「本当だ。 遊園地で人の列にずーっと並びたくなかったら、ほら、早くしろ」

「きゃー!」

カミーユは全速力で走って行った。


 『万華鏡の家』の前まで、二人は手を繋いで歩いた。

「おじさん、セシルのおじさん、今日は人がこの前よりは少ないね!」

「ああ、今日は平日の真昼だからなあ、まだ少ない方だ」

「いっぱい遊べるね!」

「そうだな、いっぱい遊ぼうな」

「メリーゴーランドにもう一度乗っていい!? あのね、それからね、それからね、」

「落ち着けよカミーユ、今日はゆっくり遊ぼうぜ。 まだ朝なんだから、時間はたっぷりある」

「分かった!」

 そして、二人は人気のない朝の遊園地の、『万華鏡の家』に入った。

「わー!!!! きらきらしている!」

カミーユがライトに照らされて、光り輝く鏡の部屋に目を丸くしていた時である。

「ッ!」

セシルがカミーユを抱きかかえて、跳躍した。

天上に着地した時には彼は既に巨大な獣になっていて、その体内にカミーユを隠している。だが、間に合ったかどうか。

だって既にこの部屋は、猛毒性のヴィルスで満たされているのだから。

「流石はあの屠殺屋ブッチャーセシル、もう気づいたんだね」

部屋中の鏡が無数の物腰柔らかな青年を映した。

『……「疫病神」バルトロマイ。 何が目的だ』セシルは問い詰めた。

「いや? 大した目的じゃないんだよ。 とにかく大勢、大勢であればあるほど良い、和平派に帰属した者は殺してくるようにとシーザー様からのご命令でね。 じゃあ大勢人が集まる遊園地でいっぱい殺そうってやって来たら、貴様がいたものだから、邪魔されたくなくて先に貴様を、それだけだ」

『……ぐ、げえッ!』

ヴィルスに既にセシルは感染している。猛毒性の、しかも感染・侵食速度の速さでは屈指のヴィルスだ。彼は嘔吐し、天井から床に墜落して、鏡の破片を周囲に散らした。びく、と動くが、動けば動くほど――。

「さてと、じゃあいっぱい殺そうっと!」スキップしつつ、バルトロマイは部屋から出た。

 次の瞬間、鏡が割れる音が響いた。

胸部を触手で串刺しにされたバルトロマイが、げふ、と血を吐いた。セシルの触手が、鏡を貫通して伸びてきたのだ。

「――ふん」

だが、バルトロマイは余裕の笑みを浮かべる。

「僕の血肉に触れるなんて、貴様はもう完全に死んだ。 ご存じ、僕の体はヴィルスの宝庫だからね!」

『……お、れ、は』切れ切れの声が、かすかに聞こえる。『こんど、こそ……』

「今度こそ、何だ? 貴様はもう死んだのさ!」

バルトロマイは身をよじって、触手を切断しようとした。だが、しぶとくて中々抜けない。だが、弱ってしまって死にかけている事は確かなのだ。それで彼は、

「バーカ」と嘲った。


 俺は死にたいななんて思わない。

 でも、いつも、死ねたらな、とは思っていた。

 ――そうだな、死んだのなら、それはそれで良い。

 ただ、今度こそ。


 『バルトロマイの位置の特定に成功。 荷電粒子砲、発射』


 バルトロマイが触手ごと蒸発した。荷電粒子砲の直撃を受けたのだ。

天井に大穴が空いていて、そこから戦闘機形態のシャマイムが降りて来た。セシルが咄嗟に押した緊急事態を告げる通信端末のボタンにより、バルトロマイが来たと知って哨戒中であったシャマイムが、文字通り飛んできたのである。そしてセシルが力を振り絞ってその場に繋ぎとめていたバルトロマイを、即座に攻撃した。

人型に戻ったシャマイムはバルトロマイの完全消失を確認すると、セシルの安否確認に隣の部屋に駆け込む。

そして、シャマイムは、部屋中に立ち込める腐臭と、吐き気を催すような外見の肉の塊を見つけた。

『よう、シャマイ、ム』

それは、喋った。それがセシルのなれの果てであった。

『カミーユが、おれの、なか、にいる、まだ、感染は、していない、ようだ』

「了解した。 救助する」

シャマイムは変形して、無菌装置になると、セシルの体内に機械腕アームを突き刺して、カミーユを素早く救出し、装置の中で感染の有無を確かめた。カミーユは気絶していた。

『……バルトロマイ・ヴィルスによる感染の痕跡は、現在では見られない』

『はは……!』セシルが嬉しそうに笑うのが、分かった。『なあ、シャマイム』

『セシル、「核」の汚染は――』

変身種は、その所持する「核」さえ無事ならば、体がどうなろうと、現代では再生治療を受けて助かる場合が多いのだ。だが、セシルはバルトロマイの血肉に直に触れていたため――。

『もう、手遅れだ。 おれは、もう。 でもさ』

『……』

セシルは言った。全ての願いと祈りを込めて、言った。

『おれ、今度こそ、守れたよな?』

『……イエス』とシャマイムは言った。それだけしか、言えなかった。

『よかった……』

セシルは意識を、ゆっくりと失っていった。

遠ざかる意識の向こうで、とても懐かしい誰かに、呼ばれているような気がした……。


 「遺産相続書に後見人の指定に、大ヴァレンティヌス教会への保護願い、名門男子学校パルジファルへの推薦状……完璧ですわね」

マグダレニャンは思わずそう呟いた。セシルのデスクの中から発見された遺言書は、彼女にそう呟かせるほど、完璧であった。セシルの残した全てを使って、カミーユの全てを守る、そんな内容であったから。

「……セシル君は……己が死ぬ事を、知っていたのでしょうか?」

沈痛な顔をしたランドルフが、言った。

「今となっては分かりませんわ。 けれど特務員は、危険な仕事、特に今は戦時中です。 ……覚悟はしていたのでしょうね」

「……」ランドルフは黙り込み、ふと、シャマイムの報告を思い出した。

『セシルはカミーユを自分の息子のように認識していたと推測する』

「……」マグダレニャンも、それを思い出してか、黙り込んだ。

彼女の膝上で丸まっている猫が、にゃあ、とだけ小さく鳴いた。


 「セシルのおじさんは?」

カミーユは、病院で目覚めると、真っ先にそう訊ねた。

「……えっとね」

彼に付き添っていたフィオナが、口ごもりつつ誤魔化そうとしたが、

「死んだぞ」とまたどこかからか侵入してきたI・Cに言われてしまった。

「I・C!」とニナが怒鳴りかけた時、カミーユが、

「死んだ……って、どう言う意味なの?」

「ん?」I・Cはあっさりと、「もう二度とセシルはお前と遊ばないし、喋らないし、面倒見ないし、会う事すら出来ねえって事だよ」

「……ぼく、セシルのおじさんに嫌われたの?」カミーユは見る間に涙目になった。

「逆。 むしろ好かれていたんじゃねえの? お前を庇って死んだらしいしー」

「……ぼくがいなかったら、セシルのおじさんは……死ななかったの?」

「生きていた可能性が大だなあ。 だってアイツ、かなり強かったしー、多分バイキンマン相手でも無事だったんじゃねえの?」

このクソ野郎、と激昂したニナがI・Cを病室から蹴りだそうとしたが、そこにシャマイムがやって来た。

「除菌が完了した。 これが、セシルの『核』だ」

シャマイムはそう言って、カミーユに、彼の両手の掌に収まるくらいの小さな、真珠色の球体を渡した。

「あ……これ、おじさんだ、おじさんの匂いがする!」カミーユが言った。

「是、それは変身種の『核』、つまりセシルの中核だ」シャマイムはそれから、「セシルはカミーユに全財産及び全権利を譲渡した。 今は後見人の大ヴァレンティヌス教会司教ヴォルフラムが代行管理しているが、カミーユが成人し次第、それらは全て譲渡される」

「大ヴァレンティヌス教会司教ヴォルフラムって、あの……」ニナが思わず言いかけて、黙った。それは、セシルの妻子が埋葬されている教会の――。

「おじさんは……」カミーユは、そこで黙り込んだ。ぎゅう、と『核』を抱きしめると、全ての答えが返って来た。

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