第37話 【ACT一】帝国(セントラル)の思惑

 「……いかにして和平派と穏健派に手を組ませるか、ですか」帝国枢密司主席ユナ・イレナエウスは彼女らの唯一絶対君主『女帝』の御言葉を聞いて、少し考え込んだ。「『ノアの箱舟』では共闘させる事に成功しましたが、まだ彼らの中には違和感が残っているようです。 帝国議会にて、彼らに同盟を締結させ、そしてそれを恒久和平条約に昇華させるためには、我らが帝国のどのような発案と駆け引きが適切か、検討します」

『「帝国」だけではできませんよ』と御簾の向こうで、女帝が言葉を発した。

すると『女帝』と唯一言葉を自由に交わせる『枢密司御前会議』の議席に座る一人、蔵相エレメンティアラがはっとした顔をして、

「陛下、まさか『ネオ・クリスタニア』を!?」

『それもあります。 ですが、ウトガルドやヴァナヘイムも交えた方が、成功率はあがるでしょう』

「……陛下」外相のヴォールヴィルが重々しく言った。「我々の敵は過激派と強硬派、今やそれは明確な事実でございます。 ですが、陛下、何も彼奴らを殲滅するにあたってはこのような画策をせずとも、今の我々の軍事総力で十分ではございませぬか?」

『……恐るべき者が蘇ろうとしているのです』女帝は、言った。『この世界の破壊者、絶滅者。 やがてきたる希望と天上世界を潰そうとする者。 彼が蘇ったあかつきには、世界の全てを巻き込んだ最終戦争ハルマゲドンがおきるでしょう。 それに勝たねば、我々に、この世界に、明日はないのです』

「「そ、それは何者なのですか!?」」

枢密司達が次々と訊ねたが、返答は、まだ、無かった。


 亡都クリスタニアン。この滅んだ都は、かつてはクリスタニア王国と言う世界勢力の一つに君臨した国の、首都であった。かつては百万の夜景を見下ろした摩天楼クリスタニアン・タワーは、今は廃墟となって、世界で最も治安の悪い地域の一つになり果ててしまったこの都を、静かに見下ろしている。クリスタニア王国の最盛期に王座に腰掛けた王、クレーマンス七世の慕廟だけが、どうしてか、今でも略奪や破壊を免れて、在りし日の繁栄の名残を伝えている。

 「……懐かしい、な」アルビオンの退役将校で、今では王太子の教育係となっている老人ハリー・マグワイガー・エルンストウッドは、ぽつりと慕廟のすぐ側にある一二の墓を見て呟いた。「私は一度もヤツには勝てなかった。 だがヤツは私をたった一人、あの時は理解してくれた……」

「ロンディニウム無血陥落の時ですね、サー・エルンストウッド」王太子エドワードが言った。「あの時はロンディニウムが陥落するまで貴方は酷い言われようだったと聞きました。 陥落したらしたで、それは貴方の所為だとお爺様もみんなも責任を押し付けようとしたと」

「……ええ、そうです、殿下。 けれどあの時、ヤツだけが、クリスタニアのオリエルだけが真っ向から言ってくれたのです。 『貴方は強かった、あの極限の飢餓の中で軍を率いて突撃するなど他の男には不可能だ』……地に落ちた私の名誉も誇りも、敵だったオリエルだけが全て理解してくれて庇ってくれた。 皮肉な物言いと思われるかも知れませんが、私はヤツがアルビオンの敵で良かったと今でも思っています」

「……敵だけが真に己を理解してくれる、ですか」エドワードは感慨深げに言った。「そうですね、その意味では、我々も、相互を理解していたのかも知れませんね」

彼らが振り返ると、そこには、列強諸国の国王や女王、もしくは次期王位継承者、あるいは首相クラスの人間が揃っている。更に絶対的中立勢力である傭兵都市ヴァナヘイムの参謀と、ウトガルド島の使いが来ていた。そして――もう一人、

「では、参りましょうか」と言った、帝国の使者ジャスミン・レーが立っていた。


 彼らは帝国の所有する空中戦艦デ・ダナーンに乗った。

「当座の利害対立を捨てて、一つの目的のために列強諸国全てが同盟を組み、世界勢力の一つとなる」

その同盟の名が『ネオ・クリスタニア』であった。

会合は順調すぎるくらいに進んだ、と言うのも対立が少しでも起きると、帝国の使者が言うのだ、

「我らが女帝陛下は『ネオ・クリスタニア』の成立を心より望まれております」

『帝国』。かつて最盛期のクリスタニア王国と二度戦い、二度とも勝った、最強の世界勢力である。そこの支配者が女帝であった。彼女の心証を悪くしては、と多少の不利益や不満を列強諸国各位は我慢して飲み込むのだった。

「何故……」ふと、アルビオン代表のエドワード王太子が言った。「何故、帝国は、『ネオ・クリスタニア』の成立を望み、しかも支援して下さるのですか? 確かに我々は帝国と同じく万魔殿過激派・聖教機構強硬派と敵対する事を決断しています、ですが――新たなる世界勢力の出現と言うのは、必ずしも帝国にとっては喜ばしい事だとは思えないのです」

「『最も恐るべき者、最も歓迎すべからざる者が蘇ろうとしている』、女帝陛下はそうのたまわれたそうです。 『彼』が蘇ったあかつきには、世界戦争が起きるのだそうです。 それに勝たねばこの世界には未来が無い、とまで陛下はおっしゃったと聞きました。 よって今の内に帝国の味方、少なくとも当分は帝国に敵対しない勢力を増やしておく事は、そのご意志に適われているのです」

「……何者ですか、その『彼』とは!」アルバイシン国王イグナティウス八世らも青ざめた。「帝国がそこまで危険視する存在とは、一体――!?」

「……陛下は、まだ、その名はおっしゃらなかったそうです。 いえ」帝国の使者は美しい顔にわずかな困惑を浮かべて、「恐らく、女帝陛下ですらお口にするのをはばかられる、それほどの存在なのでしょう」

「「……」」

沈黙が、過ぎた。


 「ものの見事に帝国に出し抜かれましたわね」と聖教機構和平派幹部マグダレニャンが言った。「ノアの箱舟でこちらと万魔殿穏健派を共闘させた直後に、『ネオ・クリスタニア』をウトガルドやヴァナヘイムに承認させて、成立させられてしまうなど……」

「マグダレニャン様、その『ネオ・クリスタニア』より聖教機構との同盟締結の打診が来ております。 当分は、こちらの敵では無い、そう言いたいのでしょうか……」秘書のランドルフが困った顔をしている。

「帝国などが背後にいるとなると、こちらも下手な動きが出来ない、それを知っての事でしょうね……」マグダレニャンは嘆息した。

「すげえネーミングセンス!」I・Cだけがゲラゲラと笑っている。「『ネオ・クリスタニア』だとよ! やっぱり連中、クリスタニア王国の事が忘れられないのか、まあ無理も無いよな、クリスタニアで立憲君主制が成立さえしていれば、聖王だって今頃はそこの重鎮になっていたし、大帝だって大帝と呼ばれはしなかっただろうさ。 ……歴史を変えたのはいつだって運命、つまりは破壊と創造の到来だ。 未練がましくいつまでも破壊された過去の栄光に惹かれるのも、もはや人の性だなあ」

「貴様が人の事を言えるのですか?」マグダレニャンが睨んだ。「彼女との過去から目をそらし続けてきた、貴様が?」

「今なら言える、かも知れないから俺は言っている。 あれだなあ、記憶の忘却も美化も出来ないってのは、わりと辛いな。 だがもう俺はあった事をそのまま見つめている。 今も、これからも。 まあ人の事を言える資格は無いかも知れんが、俺の性格上言いたくなるのは仕方ないのさ」

「……今の彼女はどう思っているのですか」

「アイツの性格上、誰かを憎み続けるなんて事が出来ると思うか? 今のアイツは『悲しい』と思っている。 アイツは激烈な憎悪でどうしようもない悲しみを覆い隠していた。 それに共感されてしまっては、アイツは憎めないのさ。 アイツはもう、ただただ、悲しいんだよ」

「貴様の所為で悲しがっている彼女をよくもまあ放置できますこと!」

「……」I・Cは困った顔をした。「慰めや労りの言葉なんて俺には無いんだよ」

「だからまた逃げているのですね」

「だって下手に近づいてアイツの地雷また踏みたくねーんだもん、俺」

ついにマグダレニャンの形相が変わった。ランドルフに、

「あの自己愛が狂った自己中心主義者のそっ首を刎ねなさい!」

「……喜んで、お嬢様」ランドルフが大鎌を握った。「ヤツの首を刈りましょう!」

「このキチガイ共が!」そう叫んでI・Cは部屋から逃げ出した――ところで、部屋に入ろうとノックをする、その体勢でいたシャマイムに激突した。

「!!? ぎゃあ、シャマイムだ!」I・Cは腰を抜かして絶叫した。「ぎゃああああああ!」

「I・C、その発言の意図を自分は理解しかねる」シャマイムは冷静に言った。

そこに、

「おい、あのクソ野郎がいやに騒がしいが何が――?」

「シャマイムが何かって言っていたわよ、どうしたのかしら?」

「どうせあのゴミが何かやって、それをシャマイムが注意したか何かだろう、シャマイムの増援に行くぞ!」

悲鳴を聞きつけた特務員が数名、やって来た。

「シャマイム、大丈夫か!?」

「何ならコイツをまた焼く? 喜んで手を貸すわよ」

「おいI・C、シャマイムに今度は何をした!」

「どうして俺の心配を誰もしないんだ!」I・Cが怒鳴った。

「「あ? 何が悲しくて貴様の心配をしなきゃいけない」」

異口同音に彼らは答えて、シャマイムに訊ねた。

「シャマイム、今度は何をされたの、大丈夫?」

「自分は何もされてはいない、心配は無用だ」そう答えたシャマイムに、部屋から出てきたランドルフがにこやかに話しかけた。

「シャマイム、大丈夫かね、いや済まないね、ボスからI・Cの首を切断しろとご命令があったんだ。 なのにコイツが逃げ出して、いやはや本当に失礼した」

「了解した。 ボスからの命令を現在の至上任務と認定、ランドルフを支援する」

シャマイムがそう言い終える前に、

「あっ、ランドルフさん、それならどうか手伝わせてちょうだい!」

「俺も俺も!」

「I・Cを押さえつけるぞ!」

他の特務員達がI・Cに襲いかかった。


 「ところでシャマイム、どんな用事があったんだね?」とランドルフが訊ねた。シャマイムは答えて、

「受付で現在、不審者三名が騒擾そうじょうを起こしている。 ボスに会わせろ、とアポイントメント無く要求している。 警備員が施設外に連れ出そうとしているが、頑強に抵抗し、そのためにエントランスは大混乱に陥っている」

『不審者とは言ってくれるな』

いきなり、であった。ランドルフ達の背後に、美青年が出現した。シャマイム達が攻撃態勢を取ったが、青年は両手を挙げて、

『何、攻撃に来たのでは無いのだ、是非面会してくれ。 その方がお互いのためなのだから』

「お前、アスモデウスだな」I・Cが己の首を手にぶら下げて、懐かしそうに言った。「そうか、向こうはそう来たか。 これはかなり面白い事になるぞ」

言うなりI・Cは姿を消した。それと時を同じくして、美青年も消えた……。

直後、通信端末が鳴り響いた。エントランスで怪しい人物三名を追い出そうと苦闘していた者の一人、セシルからの緊急通報であった。

『大変だ!!!!』

「何がどう大変なのかね、セシル君!?」ランドルフが問い詰める。

『もう少しで不審者連中を外に追い出せたのに、I・Cのクソ野郎が何か連中に話しかけたかと思うと、俺達をブッ飛ばして連中ごとボスの所へ直通するエレベーターに向かったんです! あ、乗った、警備員を殴り飛ばして乗りやがった! ランドルフさん、これはもう!』

「分かった、現在自由行動を取っている全特務員に緊急招集命令を出そう、ボスが危ない!」


 「ぎゃはははは、何だか知らんがやたら物々しいな!」

エレベーターが開くなり、I・Cは爆笑した。ずらりと特務員が廊下の両脇に並んでいた、その光景を見て、である。彼の背後にはフードで顔を隠した人物が三名、一人は小柄、残る二人は細身だが背の高い体形をしていた。

「……危険、では無いが、安心は出来ないな」グゼがぼそりと呟いた。

「そいつらアンタの知り合いなの!?」険しい声でニナが問い詰めたが、

「知り合いじゃないけれど知っているんだ」ふざけた返答しか来なかった。

「……誰なの?」フィオナが言った。

すると、

「世界の運命をこれから変える連中」と、再度ふざけた答えが……。

 その物々しい通路を過ぎて、彼がマグダレニャンの執務室の扉を開けると、中にも特務員がぎっしりと詰め寄せていた。

「よう、ボス。 世界一面白い連中を連れて来たぜ」

「氏素性も名乗らずアポも取らない不審者をそう呼ぶのは、貴方だけですわ」マグダレニャンはきっぱりと言って、「貴方がたは一体何者ですか、敵ですか、それとも――」

「私が貴様らの敵だったならば、ここにいる全員を既に焼き殺している」小柄な人物が冷たい声で言った。

ベルトランが血相を変えた。「貴様、まさか!」

その人物はフードを取った。黒髪の、少女が顔を見せた。

「私はジャンヌ=ヴァルプルギス。 万魔殿穏健派首領、『三人の魔女』の一人だ」


 真っ先に動いたのはベルトランであった。神速で『糸』を操り、少女の体を切断する――はずが、糸は途中で落ちた。

『おお、これはこれはアスモデウス殿、ご息災で何より』ベルトランを操る悪魔、ムールムールが現れて、きちんと一礼した。『躾けのなっていないワンコで失礼しましたですぞ』

『いやいや、ムールムール殿、失敬、ムールムールちゃん、この男を躾けるのはさぞかし骨折りであったであろう』先ほどの美青年が登場して、優雅に返礼した。

「……あの異端審問官。 どうしてここにいる?」魔女が嫌そうな顔をした。アスモデウスが答えて、

『このムールムールちゃんの力はな、ヴァルプよ、死人召喚術ネクロマンシーなのだ』

「この魔女だけは殺す、邪魔をするな、悪魔!」ベルトランが吼えた。

「お、落ち着いて、くくくく下さい!」アズチェーナが怯えつつ、「な、何が昔あったんですか!?」

「僕はこの魔女に殺されたんだ!」

「そうだ、私が殺した」魔女は素直に認める。「散々あの時も拷問されて、焚刑にされかけた所を逃げた後だったからな、殺さなければ殺されると思った」

「えっ」アズチェーナがドン引きした。「ご、ごごごご、拷問? べ、ベルトランさん、そ、そ、そ、そう言う趣味だったんですか!?」

「あの頃は魔族は殺すのが当然だった。 趣味も何もあるか! 拷問なんか日常茶飯事だった!」ベルトランは殺意に燃えている。

それを聞いた者の内、I・C以外はドン引きした。

「お、おい、ベルトラン、お前は日常茶飯事的にこんな女の子を拷問していたのか」エッボが後ずさりつつ言う。「それは、ちょっと……真似したくない日常茶飯事だな」

「でも拷問って楽しいじゃん。 俺は大歓迎したい日常茶飯事だな」I・Cが平然と言った。「それで何の用でここに来たんだ、穏健派の御一行?」

「『ネオ・クリスタニア』が帝国の主導のおかげで成立してしまったのは、もうご存じのはずだ」

そう言いつつ次にフードを取ったのは、怜悧で理性的な顔をした男だった。ロットバルド・『ジュワユーズ』・オリヴィエ。穏健派の頭脳と言われ、かつては大帝の懐刀と呼ばれた男である。

「そしてその『ネオ・クリスタニア』が、私達と貴方がたに対して対過激派・強硬派同盟を締結しようとしている事も」

「……それが何か?」マグダレニャンは言った。

「かつて大帝と聖王は旧い約束を果たそうとした。 恒久和平条約の締結だ。 そしてその二人は死んだはずだった。 だが、大帝は無理やりに大天使により生かされていた。 大天使達の活動はもはや看過不能な段階に達している。 彼奴らは二人の遺志をも徹底的に邪魔したいようだ。 ならば二人の遺志を受け継ぐ我々にも、新たなる約束を結ぶ時が来た、と私達は思った。 貴方ならばもはや今の世界情勢は完全に見えているだろう。 大天使達のこれ以上の行動を阻止するためには早いに越した事は無いと我々は判断し、そして今ここにいる、と言う訳だ」

「……直ちに一三幹部を招集し、一時間以内にお返事いたしますわ。 それまでどうぞ、おくつろぎ下さいな」

マグダレニャンはそう言って、ランドルフを連れてすぐさま部屋から出て行った。

「で、御一行の三人目は……もう気配で分かるな」I・Cは彼に目を向けた。「こんな殺伐とした気配を漂わせやがって、ついこの前はただの青二才だったのに。 何があったのかは知らんが、突き刺すように感じるぜ、お前さんからの殺意をな。 殺したいのは誰だ? いや、違う、俺達の中の誰かなら、とうの昔に殺しているな」

「大帝だ。 俺は、ヤツを必ず殺す」それだけ言って、人物は黙る。

「……そうか。 聖王も同じだ。 可哀相に、大帝だって良いヤツだったのに、大天使なんて腐れ外道に体を奪われてさ。 ……メタトロンの特技は洗脳だ。 『神の歌声』でどいつもこいつも洗脳しやがる。 その最たる例がこないだ壊滅した強制執行部隊だ。 ヤツが口を開いたら注意しろ。 ヤツの言葉は脳みそに入り込んで呪詛のようにじわりじわりと腐食する。 だが、まあ、もうお前さんには効かんだろうな。 だってお前さんには、もう無いんだろう? 怖いくらいに感じるぜ、その虚無感。 お前さんにはヤツをぶち殺す以外にもう何も無いんだろう? 虚無感に体も心も食い尽くされて、でも、お前さんにはまだ意志が、恐ろしいほどの意志がある。 ま、頑張れよ、大帝だってどーせならお前さんにぶっ殺されたいはずだしなー」

「……」何も言わない。それでI・Cは話しかける相手を変えた。

「ようロットバルド、ざっと一〇数年ぶりだな。 石橋を叩いて叩いて叩き壊してから渡る主義のお前さんがここに来るなんて、何つー笑える話だ、おい、何がお前さんをそこまで駆り立てた?」

「私が、行くと言った」ヴァルプが言った。「そうしたら彼も付いていく、と」

「見上げた忠犬っぷりだなあ、ロットバルド。 ああそうか、お前さんは、大帝の事が大好きだったもんな、その夢を叶えるためには、己の身の危険だの手段だの知った事か、と? 全く変なのに慕われて、大帝も大抵だな、ぎゃはははは!」

「あの人を愚弄するつもりか」とロットバルドは滅多に無く感情的に言った。ヴァルプが驚いた顔をする。彼女は数年ぶりにこの男が感情的になったのを目撃したのだ。

「違う違う、俺だってあの男は嫌いじゃなかった。 俺とあの男とはクリスタニアが滅びる前からの付き合いだ。 あの男、俺を枕に六時間爆睡しやがったからなあ」

「違う。 あの人は貴様なんかと、」

「あ、いや、だーかーら、お前が想像したのとは全く別なんだって。 ほれ」とI・Cは黒い子ヤギに姿を変えた。『この可愛い俺様を枕にして、野郎、六時間ぐーすか爆睡したんだ。 酷かったんだぜ、動物虐待だろ? ところでお前、「貴様なんかと」って言ったな。 それはつまり、お前とはそう言う仲だった、って事か。 んまー奥様、これは素敵なスキャンダルでしてよ! まあでも無理も無いよな、アイツ、クリスタニアの凋落時に、一番愛していた女をぶっ殺されちゃったからな。 誰だって誰かから愛されたいし、誰かを愛したいんだ。 で、その代替品としてお前を選んだ。 代替品でも構わなかった、お前はただ大帝を愛したくて大帝から愛されたかった。 そうなんだろう?』

「……」

『あ、似てるわ。 その目、アイツが一番愛していた女がブチ切れた時と同じ目だわ。 おっかねえの何の。 おいおい一々ブチ切れんなよ、こーんな可愛い動物相手に。 そうかー、やああああああっと俺にも分かったよ。 どうしてお前さんが危険な上にとにかく嫌われる憎まれ役をいつも買って出ていたのか。 愛だなー愛だったんだなー。 愛ゆえに。 全ては愛ゆえに。 未来永劫続くどんな苦痛にも耐えると決めた、か。 偉いなー、特別に褒めてやる。 ありがたく思えよ』

「I・C、それ以上の侮辱は現在の状況を考慮した場合、一切不必要だ」

シャマイムが、入れたての紅茶のカップを三つ、トレイに乗せて、やって来た。

『え、褒めたのに何で侮辱なんだよ?』I・Cは真顔で言った。『ところで、おい、酒は? 持って来てねえのかよ、気が利かねえな、このポンコツが!』

シャマイムがトレイを放り投げた。直後シャマイムは二丁拳銃サラピスを構えている。銃声が鳴り響いた。そしてシャマイムは、落ちてきたトレイを、紅茶の一滴も漏らさずに受け止めた。

「「良くやったシャマイム!!!」」

わあっと歓声が特務員から次々に上がった。

「そうだシャマイム、それで良いんだ!」

「こんなクソ野郎、射殺して大正解よ!」

『ぐ、ご……』

ハチの巣にされて呻いている子ヤギは放置して、シャマイムはヴァルプにトレイを差し出す。

「不純物の一切混入していない、純粋な紅茶だ」と言って。

「そうか、いただく」ヴァルプはティーカップを手にして、紅茶を飲んだ。そして、眉をしかめて、「……いやに美味いな」と呟いた。

『お前ら動物虐待見逃して平気なのかよ!!!』

子ヤギが叫ぶが、誰も相手にしない。

「ヴァルプ様、それほど美味なのですか?」ロットバルドが言った。

「気になるならお前も飲め」

「ええ」と飲んで、ロットバルドも眉をしかめた。「言っては悪いのですが、あの『お茶会』で飲んだものより圧倒的に……」

「あれで飲まされるもののほとんどはヘカーテとルーナの『魔女の釜』の産物だからな」

「……そんな劇物を私達は今まで……」

「そして、恐らくはこれからも、だ」

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