第27話 【ACT四】蛇(オロチ)

 「我ながら恐ろしい速度の回復力だな……」単に、美男子、と言うにはあまりにも色気があって、女性と言う女性が一目見ただけで人生を破滅させてまでの恋をしそうな男が、ふと寝台の上で半身を起き上がらせて呟いた。「半年は寝たきりだと思ったんだが」

あんちゃーん」その隣でへそを出して引っくり返って寝ていた青年が、ごろりと寝返りを打った。にこっと彼が笑うとえくぼが出来て、「腹減った。 おみおつけ作ってー。 あのね、夕顔買って来たんだ、夕顔のおみおつけ欲しい!」

「こら、お前、いつの間に俺の隣で寝ていた。 もう大人だろうに一人で寝られないのか」

「えへへへへ、良いじゃんか、ね?」

あまりにも無邪気な笑顔に、男は怒れなかった。

「全く。 夕顔だな、分かった、作ってやる」

それが己のリハビリも兼ねていると知っているので、男はゆっくりと壁伝いに歩き、台所に行った。包丁を手にして、それを水で洗い、ざくりと、洗われて桶の中でぴかぴかと輝いていた夕顔を真っ二つにする。

「……宗世そうぜ」とそこで彼は振り返らずに調理を続けつつ、訊ねた。「俺の体をどうやって治した?」

「んっとね、今の『六道りくどう』にはね、癒しの術を持った暗殺者……暗殺はしていないから暗殺者じゃないけれど、そんな人がいるんだ」背後の青年は言った。

「人に己の命を与えすぎて死んだ伊世いよのように、か。 俺はそれだったらお断りだ」

彼の妹は、それで死んだ。

「ううん、そうじゃない、『人から命を少し吸収して、それを集めて怪我を癒す力』なんだ。 それで兄ちゃんの場合は六道のみんなが少しずつ命を出し合って治したんだよ。 だから心配要らないよ。 知っていると思うけれど、みんな多少命を吸われたくらいじゃくたばらない連中ばっかりだからさ」と青年はにこにこしている。「みんな喜んでいるよ、兄ちゃんが帰ってきたって」

「……俺はあんなに殺したんだぞ」

彼は数年前、とある理由で六道を裏切って、大勢の同胞を殺害したのだ。

「でも兄ちゃんがあえて悪人にならなきゃ、斎世ときよが皆殺しにしていたでしょ。 みんな知っているよ。 だから兄ちゃんは恨まれてなんかいない」

「そうか。 だが」と男はそこでやっと振り返った。「今のこのナラ・ヤマタイカは何かがおかしいな。 過激派の支配下には入ったとは聞いていたが、何が起きている?」

六道の根拠地は小さな島国ナラ・ヤマタイカであった。男や青年の故郷も、ナラ・ヤマタイカであった。それが数年前、王の交代と共に、過激派の支配下に入ったのだ。

「……」青年の顔に重苦しい表情が浮かんだ。「今のナラ・ヤマタイカの支配者のスサノオ大王は知っているね?」

「暴君なのか、噂以上の」

「狂君さ」青年は吐き捨てるように言った。「趣味が何の罪もない民衆の虐殺で、しかも残虐なやり方を好むんだ。 反対勢力の指導者や仲間達は俺達六道が暗殺させられた」

「それは酷いな。 だが、だったらどうしてお前達が暗殺しないんだ?」

「『梟の眼ストリクス』さ」青年は悔しそうに言った。「ヤツはそれをいつも身に着けていて、それは『使用者が油断しない限りほぼ全ての攻撃を受け付けない』と言う『遺物』なんだ」

「ほぼ全ての?」

「流石に核ミサイルとかは通用するみたいだけれど、俺達がそんなもの持っている訳が無いじゃん。 それでお手上げなんだ……」

「そうか……」男は、悲しそうな顔をしている青年に言った。「みんなにそろそろ会いたい。 良いか?」

青年の顔が輝いて、「誰が悪いなんて言うもんか!」


 男にとって懐かしい顔ぶれが揃っていた。かつての友達、かつての先輩、かつての後輩、そして、新顔。大人から子供まで。

「よう」と洒落た格好の男が松葉づえの彼の頭を小突いた。「俺の事忘れてなんかいないよな?」

啓世けいせ」男は苦笑まじりに呼んだ。「あの時お前を殺さないように苦労した事はちゃんと覚えている」

「痛かったぞ」

「すまない」

「おにいちゃん、このかっこいいひと、おなまえ、なに?」幼い少女が啓世の背後から顔を出す。「このまえ、おけがをなおしてあげたときから、きになっていたの」

「ああ、コイツは――」と啓世が言いかけたのを遮って、男は言った。

「俺は求世ぐぜだ。 君が俺の怪我を治してくれたのか、ありがとう」

「!!!」少女の顔が一瞬で赤く染まって、逃げ出してしまった。

「……」求世の顔が真っ青になった。

「ど、どうしたの兄ちゃん!?」宗世が訊ねると、

「俺は、女から恋愛感情もしくはそれに近しい感情を持たれると、必ず不幸な目に遭うんだ!」悲鳴のように求世は叫んだ。

「相変わらずの色男だな」啓世が呆れたように言った。「おーい、市世いちよ、戻ってこい、お前の彼氏が嘆き悲しむぞー」

「あの年でもう彼氏がいるのか」ほっとした顔をする求世に、啓世は首を横に振り、

「『おおきくなったらけっこんしようね!』だ。 おままごとも良い所だ。 お前、そのおままごとをぶち壊すなよ?」

「俺から意図してぶち壊した事なんてほとんど無いんだ! 俺は嫌だと言っているのに女の方から暴走を始めて勝手にぶち壊してくれるんだ!」求世は半泣きである。

「まあまあ」なだめたのは宗世だった。「兄ちゃん、泣かない泣かない。 今夜は宴会だぜ! 兄ちゃんの帰還祝いだ!」


 「俺は男だけしかいない世界に行きたい」宴もたけなわ、ふと求世は口にした。「それか去勢して男では無くなりたい」

「んぁにふざけたことをぬかしてんでィてめェ!」酔っぱらって出来上がった啓世が絡んできた。「酔っぱらって前後の見境も無くなったかァ!?」

「俺は酒は酔わないように飲む事にしている。 本当に汚い飲み方をする男がいてな……そいつが反面教師だ」

「ってか、兄ちゃん、兄ちゃんってうわばみじゃーん。 を通り越してじゃーん。 そもそもー、酔った事ってあるのー?」宗世が言った。

「そう言えば一度も無いな。 おい、宗世、お前ももうへべれけだな……」

「だってー、兄ちゃんが帰ってきたんだもーん!」

「良い年こいて俺の膝枕で寝るんじゃない!」

「やだー、やだー……ぐー」

また彼の弟はへそを出して寝てしまった。求世は嘆息した。

「お前達も全く、変わっていないな……」

そこで求世ははっとした。宗世が目を開けた。啓世が、全ての六道の暗殺者が、宴の雰囲気を失った。

「誰だ?」求世は、宴の間の障子の向こうに声をかけた。

「……やはり、『六道』は、鋭いですね」

その声の後、すぐに障子が開いて、少年が姿を見せた。

「貴方は!」古参の暗殺者が驚いたように、「ウマヤトノミコ!」

「ミコ、と言うと、ナラ・ヤマタイカの王族の一人か……」求世は呟いてから、「誰の暗殺依頼だ?」

少年はその場に正座した。そして、一同を見据えて、言った。

「率直に言いましょう。 スサノオを殺していただきたい」

「……それは、無理だ。 ヤツを殺せるものなら、私達とてとうの昔に殺している」誰かが悔しそうに答えた。

「僕は、もはやヤツのこれ以上の暴虐を看過できない。 あなた方に口封じされる危険性も覚悟の上でここに来ました。 どうか、お願いしたい!」

「……」求世は少し考えた。それから、口にした。「俺がやってみよう」

「!?」宗世が血相を変え、啓世は顔から血の気を完全に失った。

「俺は、今から六道を辞める。 無関係だ。 もしも失敗してスサノオに捕まり、お前達の前に引きずり出されたとしても、『誰だコイツは』と言う顔をしてくれ」

「嫌だ!」宗世が絶叫した。

「何、心配するな。 俺の力を忘れたのか。 俺は狙った標的は必ず殺してきた。 それに、」求世はウマヤトノミコを見て、「相手が男なら俺はどうと言う事は無い」


 夜中に宮殿にスサノオ大王の命を狙いに来た男が潜入し、失敗して捕まった。その情報は直ちにスサノオ大王の所に届き、残忍性ではナラ・ヤマタイカ一とも呼べるこの男は、どんな処刑法で殺そうかとうきうきしつつ、その男の面を見に行った。

そして、驚く。否、彼だけでなく、彼の周りにいた寵臣も寵姫も誰もが驚いた。

夜のかがり火に照らされ、鎖で縛られて青あざを顔に作っていたとは言え、これほどの美男を見たのは、彼らの人生で初めてであったからである。

「これは……」と寵姫のウズメノキミがため息をついた。それほど、妖しく美しい、悩ましいまでの色香と魅力を持っている男である。

「どうして余を殺しに来た?」

スサノオが訊ねると、男は噛みつくように、

「貴様が俺の恋人も殺したからだ!」

「スサノオ大王、これは……」寵臣にして奸臣のサルタヒコが囁くと、勿論だと彼は頷いた。

「これは殺すには惜しいな。 しばらく牢に放り込んで、洗脳してしまえ。 俺の愛人の一人にしてやろう。 こんな美男、次が見つかるかは永遠に分からん」

それで、男は、牢屋に一人放り込まれて、薬だの機械だのによる洗脳を受ける事になった。


 ウズメノキミは堪らなかった。もう、体が、あの男を見た瞬間から熱を持って、どうしようもなかった。愛欲、思慕、熱情、情動。そう言ったねっとりとしてどろどろとしたものが、彼女にまるで悪魔のように取り憑き、彼女の心身を完全に支配していた。

彼女は、真夜中に、ひっそりと、牢屋への道を歩いている。

牢番に金を握らせて、彼女はあの男のいる独牢に入った。

男は鎖に繋がれて、寝ていた。その寝顔を見た瞬間、彼女は、我を忘れた。美しい。妖しい。狂おしいまでに女を惹きつける。

「ああ……!」

ウズメノキミは、衣をはだけると、男に枝垂れかかった。

……牢番は、女の軽い悲鳴が牢の奥で聞こえたので、振り返りもせずに、

(ったくあの色情狂め)と思った。(それにしてもあの男も幸運なんだか不運なんだか分からんな。 あんな色男に生まれたがために、ウズメノキミに夜這いされて、でもこれから洗脳されちまうんだから。 まあ、俺には関係ない事だ)

それからしばらくして、ウズメノキミが、妖しい笑みをたたえて、牢から出てきた。牢番は何も見なかったふりをした。

ウズメノキミは誰もいない所へ行くと、男の声で不意に呟いた。

「向こうから来なくても、俺は勝手に牢から脱出して隙を狙うつもりだったんだが……まあ丁度良い。 さて、るか」


 スサノオ大王は寵姫の一人、コノハナサクヤノキミと戯れていた。淫らな戯れであった。彼は今、完全に油断していた。王族の中で彼に逆らう者は粛正させた。それに彼には『梟の目』がある。おまけに彼は今や、万魔殿過激派の中でも重鎮であった。独裁者が一番恐れるべきなのは、己の油断であるのに。

「あれあれ、恥ずかしゅうございます」裸にされて、コノハナサクヤノキミは笑う。

「何が恥ずかしいのだ、うん?」

「まあ酷いお方!」

そこに、ウズメノキミが乱入して来た、と言っても彼女もかなりいやらしい格好で、邪魔をするために入ってきたのでは無い事は一目でスサノオにも分かった。

「どうした?」と彼は訊ねた。するとウズメノキミは目に涙をためて、

「独り寝がどうにもさみしくて……」

スサノオはぞっとした、と言うのも、いつになく彼女が妖艶であったからだ。

「……全く仕方の無い。 そうだ、二人で俺の相手をしろ! たまには趣向を変えてと言うのも悪くは無い。 さあ、来い、ウズメ、こっちに来い」

「はい」とウズメノキミはまるで流れるような動きでスサノオに擦り寄る。負けじとコノハナサクヤノキミもスサノオに寵愛を求めた。その次の瞬間であった。

「あれ」とウズメノキミの腕がすうっと横に動き、コノハナサクヤノキミの首に触れた。コノハナサクヤノキミが昏倒した。スサノオがはっとした瞬間には、彼の首には腰ひもが巻き付き、ぎりぎりと締め上げている。抵抗する前に、彼の体から力が抜けた。あっと言う間に、意識がぼやけていく。

「おい」と男の声が、もうろうとするスサノオの意識の遠くから聞こえた。「これだけは冥途の土産に教えてやる。 『殺した者は殺される』、だ」


 ……あっさりと求世は朝には六道の元へ帰ってきた。帰ってくるなり、

「腹が減った」と言った。

「兄ちゃん、大丈夫なの!?」

宗世が血相を変えて訊ねたが、返事は、

「大丈夫だから、とにかく何か食べさせてくれ」だった。

茶漬けをがつがつと食べ終えると、求世は、

「スサノオを殺してきたぞ」と言った。

「ど、どうやって!?」と叫んだ啓世に、うるさいぞとたしなめてから、

「わざと捕まったふりをして宮殿に侵入し、ヤツの愛人の一人に変装した。 一番手間取るだろうと思った脱獄が、予想以上に上手く行き過ぎて怖かったくらいだ。 しかし、何で俺はモテるんだ?」

啓世は殺意を抱いた。それで求世に殴りかかったが、宗世に止められた。

「落ち着いて! 流石兄ちゃんだ! 凄いや!」宗世は目を輝かせている。

「テーメーエーはー!」啓世は額に青筋を浮かべている。「気付け馬鹿!」

「だから、何に気付けば良いのか具体的に教えてくれないか」

「こンの野郎、殺す!」啓世は暴れたが、宗世が羽交い絞めにして、

「まあまあ! 結果が良ければ、ねえ?」

求世はしばらく黙っていたが、とうとう口に出した。

「これでまた、世界の情勢も変わるだろう。 六道のお前達は、これからどうありたい? やはり、この小さなナラ・ヤマタイカの島国にずっと引きこもっていたいか?」

その時、足音がして、暗殺者達は身構えたが、障子を開けて現れたのはウマヤトノミコであった。顔を紅潮させて、

「よくぞあの暴君を殺してくれました! 次のナラ・ヤマタイカの王位は僕がどんな手段を使ってでも奪い取ります。 いえ、もう手は打ってあるので、確定事項です。 そこで、六道の貴方がたには、僕の親衛隊になっていただきたいのです」

「良かったな」と求世は言った。「もうは暗殺者じゃなくなる。 腐れ金のために人を殺さなくても良くなる。 正々堂々と日の当たる場所で生きられる。 良いことずくめだ。 良かったな」

「な、何だよ、それじゃテメエ、まるで――」自分だけはそれに該当しない、と言っているようなものではないか。啓世は目を丸くした。

「いや、な」求世は悟った顔で言った。「俺の迎えが来たんだ」

不意に、気配も暗殺者達に感じさせずに、双子の姉妹がそこに登場した。誰もがまた身構えたが、グゼだけは違った。

「ニナとフィオナか。 ……いずれここまで、たどり着くだろうと思っていた」

「グゼ」とニナは言った。「帰ろう、グゼ」

「……ボスが待っている」とフィオナは言った。

「ああ」とグゼは頷いて、ゆっくりと立ち上がった。

「待って!」と叫んだ宗世に、彼の兄は苦笑気味に、寂しそうに言った。

「――どうか元気でな、宗世、みんな」


 ナラ・ヤマタイカは小さな島国であったから、グゼらは船に乗って、出航を待つ。

「まさかアンタが単身でスサノオを殺っちゃうなんてね……」ニナは呟いた。「これはもしかしたら、ヘルヘイム送りは免れるかも。 だって過激派の重鎮を殺したんだもの。 功罪が打ち消しあって、ゼロになるかも知れない」

「いや、俺は別に女がいない所なら、ヘルヘイムでも全然……あ、ヘルヘイムにはあの女がいたな!」グゼは頭を抱えた。「俺はあの女が大嫌いなんだ!」

「……そんなグゼに悪報。 その女は、今、特別に仮釈放されて、特務員として活動しているの」とフィオナが言った途端にグゼは発作的に船から飛び降りようとした。勿論双子により押さえつけられて、足掻いても無駄だと知ったグゼはしくしくと泣きだした。泣きながら、喚いた。

「俺はあの女が生理的に、物理的に駄目なんだ……! 俺はヘルヘイムに入る! どうか入れてくれ! あの女がいる場所に俺はいたくない!」

「……女性恐怖症もここまで来ると……」ニナがやや引いた様子で言った。

「……うん。 姉さん、ある意味立派だね……」フィオナが頷く。

その双子が、ブッ飛ばされて、船室の壁面に着地し、何事だと顔を引き締めた。

「テメエら兄ちゃんに何してんだあああああああああああああ!」

泣きじゃくるグゼを抱きかかえて、宗世が鬼の形相でそう怒鳴った。

「宗世……!」グゼは弟にしがみついて本格的に泣き出した。「俺は女のいない世界に行きたい! どうして俺には徹底的なまでに女難の相があるんだ!」

「おいテメエら」宗世はナイフを両手に構えた。声が一気にトーンを落とし、「俺の兄ちゃんに何をした」

「あ、あのね、君」とニナが一生懸命に説明する。「ちょっと誤解しているみたいだから、落ち着いて話を聞いてほしいんだけれど」

フィオナが続けて、「……冷静になって。 私達は入水自殺しようとしたグゼを、止めただけなの」

宗世は構わずに二人を殺そうとしたが、既にノイローゼ気味の兄がまるで子供のようにしがみついていたので上手く出来なかった。

「俺は女が嫌いだ! どうして女は俺からささやかな幸せを奪うんだ! 平穏な生活をぶち壊しにしてくれるんだ! 俺は本当に何もしていないんだ! なのにストーキングしてきて、俺が一日何回トイレに行って大小どちらをしたかまで見ているんだ!」

「おーい」と船室の戸が開いて、啓世が登場し、眼前の修羅場に唖然とする。「何じゃあこりゃあ!?」

「あ、啓世さん」宗世は無感情に言った。「コイツら、兄ちゃんを虐めたんだ。 殺して」

「待て待て。 このクソ色男は昔から女運が最悪だったから、何か誤解があるのかもしれねェぞ。 おい!」と啓世はグゼを蹴った。「泣いていねェで説明しろ!」

「あ」蹴られてようやくグゼは我に返った。いつもの冷静な彼に戻った。「……。 啓世に宗世、どうしてここにいる?」

「いや、権力者の親衛隊だなんぞ俺ァ性に合わねえから、宗世と抜けてきただけさァ」

と言った啓世に同調して、宗世も、

「うん、俺も兄ちゃんに付いていく!」

「良いのか……?」グゼは驚いた。「六道は勝手に抜けたお前達を殺そうとする。 それでも良いのか!?」

「いや、それがなァ」と啓世は振り返った。グゼははっとした。船にどやどやと乗り込んでくる足音が聞こえたからである。「みんなのほとんどが、お前に付いていくってさ。 ――もう、この国は駄目だ。 スサノオの改革だの革命だのでぐちゃぐちゃで、しかもぐちゃぐちゃなだけならまだしも、未来を担うべき若者の大半を俺達に殺させた。 老害が威張り腐って、希望なんざァどこにも無い。 この国にはもう、未来が無いんだ。 俺ァ、泥船にいつまでもしがみついていたくはねェよ。 ナラ・ヤマタイカは本当に俺達のたった一つの故郷だと思っている。 でもな、今のナラ・ヤマタイカは俺達が愛して慕ったあのナラ・ヤマタイカじゃあねェんだ。 もしも俺らが戻る気になった時は、そうだなァ、取りあえず老害共が死んで、万魔殿の過激派なんぞとは手を切った時、だろうなァ」

「……分かった。 好きにしろ」

グゼがそう言うと、啓世はにやっと笑って、

「あたぼうよ!」

つん、つん、とグゼは背中をつつかれた。振り返れば、双子が瓜二つの顔に瓜二つの表情を浮かべて、それぞれこう言った。

「グゼ、アンタは」

「……正真正銘のモテ男、だね」


 「きゃあ」とローズマリーは顔を赤らめて恥らいの表情を浮かべる。「グゼさんが戻ってくるだなんて……私、嬉しいですわ!」

「キモい」と言ったのはI・Cでは無くセシルだった。「お前、またストーキングするつもりだな。 グゼがトイレに一日何回行こうが、そこで何をしようが、お前とは一切関係が無いじゃないか」

「だって」きゅうっと手を合わせてにっこりと微笑み、ローズマリーは言った。「あの人の全てを知りたいんですもの、私」

(おい)と過去のローズマリーのグゼのストーキング行為を知らないベルトランが、シャマイムに小声で訊ねた。(何をコイツはグゼにやったんだ)

(二四時間体制でのグゼの監視、二四時間体制でのグゼの行動行為の全把握、具体的にはグゼの排泄行為の回数まで計上していた、また二四時間体制でのグゼの交友関係並びに会話の盗聴、具体的には)

空気の読めるシャマイムは小声で答えたが、ベルトランはその返答内容にぞっとし、それ以上聞きたくなくて、こう呟いた。

(それは、ノイローゼで入院もしたくなるな……)

(ベルトラン、ローズマリーの偏執性には警戒する事を強く推奨する。 グゼは一度敵対勢力に捕まり、苛烈な拷問を一週間連続で受けた事もあるが、その際には大した精神的負傷は負っていなかった。 だがローズマリーに粘着された際は三日で完全なノイローゼに陥り、入院した)

(……ヤツが時々真面目な顔をして全女性に世界から消えてくれと呟いていたのは、その所為もあるのか……そう言えば、何でニナとフィオナはグゼから警戒されていないんだ?)

(ニナとフィオナは同性愛者だ。 グゼはグゼ自身を完全に性的対象としない女性は『女性』と認識しない傾向にある)

(なるほど……)

 その間、アロンは目を嫌な意味でぎらつかせて、特務員の机の端にいるイリヤを睨んでいた。イリヤはそんな視線には全く構わずに、あの聖典を読んでいる。

 家門の格で言えば、イリヤの家とヴァレンシュタイン家はほぼ同格であり、しかも現役の当主である分、イリヤの方がアロンよりは和平派幹部に良く見られるだろう。そう考えると、アロンは嫉妬心と、わざと特務員の中にイリヤを加えたマグダレニャンの意図を察して、腹立たしくなるのだ。イリヤは即ち、アロンへの抑止力なのである。イリヤならばアロンに真っ向から反対出来て、しかもそれで咎められると言う事態にはならない。何故ならシャマイムやアズチェーナの場合と違って、イリヤは由緒正しき高貴な名門の血を引いているからである。

(あの女狐め!)アロンは視線に殺意を交えながら、イリヤを睨みつつ思う。(俺の勝手にさせないつもりだな。 何と言う権力欲と独占欲の権化だ、それでも一三幹部の一人か! しかも強硬派のイリヤを転身させるなど、ふざけている!)

自分の横暴は棚に上げて、アロンはそう思うのだった……。


 「グゼが……そうですか、分かりましたわ。 あのスサノオを単身で暗殺するとは……グゼは本当に女さえ絡まなければ優秀ですわねえ」マグダレニャンは驚くと同時に、納得した。

「グゼ君は、ヘルヘイムに収監してもどうと言う事は無いでしょう。 むしろ罰を与えるには、ローズマリーと一緒の今の環境下に置いた方が……」

ランドルフは、そう言った。グゼが耳にしたならばその場で舌を噛み切りそうな事を、である。

「ですわね。 下手にヘルヘイムに入れたならば、最悪グゼはヘルヘイムからアズチェーナを抱えて脱獄しかねませんもの」

それにマグダレニャンも賛成した。

「それに……グゼのおかげと言うべきか、過激派の力が弱まったのは事実です。 もうじき開かれる和平派幹部総会での対過激派総戦力戦の決議……今が好機ですわ」

「ええ」とランドルフは、しっかりと頷いた。


 「ヨハン様」

「え、エステバン、ええと、その……」

ためらいがちなヨハンの、ひょろひょろの肩をがっと両手で掴み、この狂科学者は叫んだ。

「やりましょう! これが成功すれば、ヨハン様は世界最強の武人になれるんですよ!」

「で、でも、ヴァルキュリーズが……」とヨハンはおどおどと言った。「理論的に可能なのは、わ、分かるんだけれど……『戦女神計画』……ヴァルキュリーズの人格プログラムとオリハルコンの機体を合体させて、あ、新しい、全く新しい兵器にしようだなんて……ぼ、僕……」

ラボのモニターに若い女の顔が映った。

『マスター、私達は、マスターの力になりたいのです。 そのためならば、どのような形になっても構いません。 必ず、実験には成功してみせます』

「ブリュンヒルデ……」ヨハンは泣き出しそうな声で彼女に向かって言った。「ぼ、僕、馬鹿にされても、無力だの無能だの、罵られても、よ、良いよ、友達が、い、いなくなる方が嫌だ!」

『マスターは己の才能に気付くべきです。 それに、私達は、いつも、いつまでもマスターのお側におります。 ……どうか、お強くなって下さい』

「う、うう……」

ヨハンは涙目で黙り込んだ。そして、頷いた。

「良いですねヨハン様! 行きますよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

エステバンが絶叫し、スイッチを押した。それはラボのど真ん中に設置されていた天馬に跨る銀色の戦女神に、周囲の機器から駆動エネルギー、対人操作人工知能プログラムなどを同時に送り込む。まばゆい光がラボに満ち溢れ、ヨハンもエステバンも目を覆った、直後。

光が止んだ。

「あ、あああああああああああああああ!」

ヨハンが絶叫して、駆け寄った。彼の視線の先には――、

「銀色の卵!? そんな馬鹿な!? こんな失敗なんか起こるはずが――!」

エステバンが青くなって叫んだが、もうヨハンには聞こえていなかった。

小さな銀色の卵を抱きしめて、ヨハンはわあわあと泣き出した。

「ブリュンヒルデ、ゲルヒルデ、オルトリンデ、ヴァルトラウテ、シュヴェルトラウテ、ヘルムヴィーゲ、ジークルーネ、グリムゲルデ、ロスヴァイゼ、ああ、あああああああ!!!」

『ます、たー……』

ヨハンは泣き止んだ。卵から、小さな声が聞こえたからである。それは彼の大事な友達、アンドロイド・ヴァルキュリーズの声であった。

「みんな!? みんな、そこにいるの!?」

返事は無い。けれど、気配がする。彼の友達の気配がするのだ!

 ヨハンは、その卵をいつも懐に抱えて、温める事にした。

その卵がいつか孵化して、彼の友達が帰ってきてくれる、そんな予感がして。


 「よう馬鹿のヨハン」とアロンは廊下ですれ違った従弟に声をかけた。「実験、大失敗だったんだって? 実にお前らしい結果だな! ぎゃははははははは!」

「……」ヨハンはうな垂れて、何も言えない、言った所で倍に言い返されるのだ。

「お前って本当にダメ人間だな。 生きている価値、あるのか? 女の腐ったみたいな気持ち悪い分際で、よくもまあ『ヴィルヘルム・ヴァレンシュタイン』を名乗れるもんだよ、全く。 お前なんか人間失格だ。 お前なんかゴミだ。 お前のお父様もお母様もお前を作った事、絶対後悔しているぜ。 マジでお前の親は可哀相だ。 うわ、泣いた、キメエ! ぎゃははははははははは!」

言い返せない。全て事実だからだ。そうヨハンは信じ込んでいた。

それでも、どうして、涙が流れるのだろうか。

「お前なんかヴァレンシュタイン家の恥さらしだ。 これだけは覚えとけ。 お前よりも俺様の方が『ヴィルヘルム・ヴァレンシュタイン』に相応しい」

言いたい放題言って、アロンは立ち去った。

ヨハンは、廊下の突き当りのトイレの個室に引きこもって泣いた。

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