第26話 【ACT三】神のために我はあり
イリヤ・シードロヴィチ・ツァレンコは困惑していた。彼は過激派特務員の代表格であった。
彼が尊敬する過激派指導者シーザーが毒殺未遂で入院し、その間の己の全権代理人として指名したのが、ドビエルと言う名の女であった、そこまでは良いのだが、このドビエルと言う女のやる事なす事が、イリヤには理解できないのだ。
「過激派との戦争は、一時中断としましょう」とドビエルはやや女にしては低い声で言う。イリヤは驚いた。
「何故ですか! 過激派のような異端者共を絶滅させる事は、我らが聖教機構強硬派の至上使命でしょう!」
「シーザーが回復しない内に戦争を継続しても、勝てる見込みはありませんから」
「勝った負けたの問題では無い、異端者共をこれ以上跳梁跋扈させる訳には行きません!」
「無駄に戦力を消耗する事こそ我らが神の最も望まれていない事ですよ?」
……と言う訳で、イリヤとドビエルは一事が万事、ソリが合わなかった。
イリヤが忠実な対象が強硬派の教義であって、シーザーそのものでは無かったと言うのも不運であった。シーザーはあくまでも強硬派教義の体現者、神に忠実なる尊敬すべき信徒の一人、それがイリヤの見方であった。他の強硬派特務員達はシーザーの権威と権力に仕えていたのに対し、彼だけは純粋に強硬派の唱える唯一神を信じていたから、シーザーに仕えていた、と言う事実が彼とドビエルと対立する都度に判明するにつれて、彼は部下からの忠誠も同僚からの信頼も己から失せていくのを感じた。
部下も同僚もドビエルの、シーザーから継承した権力と権威に仕える事をよしとしたのだ。
一般的に考えれば、イリヤの方こそ融通が利かなくて、部下や同僚の方が普通であろう。だがイリヤは運悪く理想主義者であった。そしてその理想のためにいつも戦ってきた。彼の理想とは、唯一神とその忠実な信徒の元、絶対的平等と永遠の平和であまねく統治された世界であった。
その理想は世俗の権威に、排斥される事になる。
「もうアンタは」と彼の部下であった女、スージー・マクラミッツが蔑んだ口調でイリヤに言った。他の同僚や部下達のいる、会議室の真ん中で、である。「修道院に入るべきだと思うがね。 アンタに付いていくと出世なんかほぼ見込めないし、もう誰もアンタを支持しても尊敬してもいない」
この侮辱に、イリヤは耐えた。
彼は聖教機構屈指の名門に生まれていた。それこそヴァレンシュタイン家と並ぶ、名門聖職者の家系の御曹司として生まれ育っていた。彼は幼い頃から神学を学び、そしてその教えに心酔していった。そのずば抜けた戦闘能力もさながら、彼がまだ少年であった頃から、『聖王』は彼の才覚を見出して非常に可愛がった。だから彼は、その聖王を殺したとされる万魔殿に対して宗教上の理由と個人的な理由で、激しい敵愾心を持っていた。その万魔殿と和平を結ぼうとする和平派など彼にとっては言語道断の存在であった。だから彼は強硬派の教義を熱烈に信じた。だが、彼の信仰心は現実にとっては邪魔なものでしかなかったのだ。それをイリヤは悟った。そうだな、修道院に入ろう、と彼は思った。もはや己の神への愛も信仰心も祈りも何もかも、この世界には必要とはされていないのだ。ただ――一つだけイリヤにとっては気になる事があった。和平派が現在、どちらかと言うと対過激派相手の戦争を決断しよう、と言う雰囲気である事は彼も知っていた。もしもそれが実行されたならば、己は、どうか、最前線で一兵卒として戦いたい。戦って、己の家柄に相応しく討死したい。それが己を可愛がってくれた聖王への恩返しであり、己の生き様を、信仰心を貫いた証であるような気がする。それまで、待とう。
イリヤは辞表を提出して、小さな田舎の教会の修道僧になった。彼ならばもっと華々しい司祭や司教と言った高位聖職者としての道もあったのだが、それは彼の信仰心が良しとしなかったのだ。
彼は毎日毎晩、熱烈に神に祈り、奉仕した。かつての敬虔な教徒の見本のような生活を送った。堕落と腐敗は彼の前から青ざめて立ち去り、ただ、一人の人間として神と向き合った。そうすると、彼の心は一点の曇りも無く澄み渡った。彼の心には神の声が聞こえていた。それは人間の言語では到底理解のできない啓示であったが、イリヤにはこう聞こえていた――人として、真っ当に生きなさい、と。
神よ。
人として真っ当に生きるにはどうすれば良いのですか。
簡単だよ。
愛しなさい。この世界の全ては儚いけれど、愛だけは違う。
愛とは何ですか、神よ。
受け入れる事、と一言に言ってしまえばちょっと雑な言い方だけれど、許す事、と言ったら君にも分かるだろうか。
己の敵をも愛せ、と言う事でしょうか。ですが私は――!
君は聖王が好きだった。名門の御曹司だからと言う理由では無く、君だからと言う理由で君を可愛がってくれたあの男の人を。だが、聖王を奪われた君の心にあるのは復讐心だ。それは、愛では無いよ。
……。
君がその復讐心を乗り越えられた時、君は本当に強くなる。
イリヤは薪を斧で割っていた。彼のいる修道院は文明の便利な生活を否定し、素朴な過去の暮らしを歓迎していた。今週に必要な分の薪を全て割り終えてしまうと、彼は額の汗をぬぐい、森の方を見て、
「誰だ!」と言った。
「……ここは、懐かしい所だな」森の中からベルトランが姿を見せた。「まだこんな所が、今にも残っていたのか」
「何の用だ!」
「その前に。 ……五人、だ」ベルトランはそう言って、背後から人の生首を取り出した。「イリヤ、貴様を殺すために放たれた刺客の人数だ。 どうやら強硬派は貴様を殺すつもりらしいぞ」
「それがどうした! 私は、神の敬虔な信徒として、喜んで殉教しよう!」
「……僕の生きていたあの時代にいたら、間違いなく聖人扱いだな」とベルトランは聞こえないように言って、「ボスからの命令だ。 貴様を味方に引き入れてこい、だとさ」
「断る! 私は、神は一人だけだと信じている! 和平派の教義など聞きたくも無い!」
「お前の信じる純粋な教義は素晴らしい。 ボスは、それは別に変える必要は無いと言った。 現にこの僕だって唯一神を信じている。 必要なのはお前のような力ある者が和平派特務員になる事だ、と勧誘に来た」
「断ると言っている! 私は、『護教者』イリヤ・シードロヴィチ・ツァレンコだ! 私はただ神にのみ従う!」
と叫ぶように言い、イリヤは背中をベルトランに向けた。
「……こんな信徒がまだこの今にも残っていたのか」やや驚きを含んだ声でベルトランは言った。「……なるほど。 ボスが『どうしても見殺しにするには惜しい』と言ったのも頷ける」
「あの女狐め! 異端者め! 私は異端者に首を垂れるなど断るぞ!」
「『イリヤちゃん、悪い事をしたらごめんなさいでしょ!』」
「!!!」
ベルトランの口から放たれた『誰か』の言葉に、イリヤは凍り付いた。がちがちに固まってから、錆び付いた歯車のように首を振り向かせる。
「聞いたぞ、全部。 お前も小さい頃はボスやヨハン様と一緒に寝ていたそうじゃないか。 そしてお前だけが一四才を過ぎても寝小便」
「言うなあああああああああああああああ!!!」
絶叫してイリヤはベルトランへ突進した、ベルトランはまるで闘牛士のごとく、それを華麗にかわして、
「何だ、言って欲しくなかったのか。 じゃあ言おう、お前の初恋の相手から聞いた事を全て。 ……何でも告白は玉砕どころか粉砕されたらしいな――『おねしょする人なんて絶対嫌!』と」
「だァまァれェええええええええええええええええ!!!!!」
イリヤの手に雷槌ミョルニルが出現した。それは稲妻をまとって放電している。
「案外お前が強硬派になった理由と言うのは、振られた失恋の反撃だったのかも知れないな。 さて、今お前はその異端者に首を垂れないと過去の恥ずかしい記憶を全て暴かれるぞ。 それは死ぬよりも辛い事じゃあないのかい?」
「ぐぬぬぬ……!!!」イリヤは歯噛みして、「た、たとえあの女狐がどんな姑息な手を使おうと、私の信仰心は岩のように揺るがぬぞ!」
「いや」とベルトランは首を横に振った。「先に姑息な手を使ったのは、ドビエルの方だった」
「お兄ちゃん!」ベルトランの背後から、イリヤと同じ金髪の少女が、泣きながらイリヤに駆け寄った。「お兄ちゃん、あのドビエルは人間じゃないよ!」
「イリーナ!」どうしてここに、とイリヤが言いかけた時だった。
「和平派特務員が武力介入してくれなかったら、みんなお家ごと焼き殺されていた! おじい様も、おばあ様も、犬のジーマも! 私達は強硬派の神様を信じていたのに、そんなもの、ただの建前だって……! あの人達はおかしい! 神様なんかちっとも信じていなくて、ただ、絶大な権力に酔っている! お兄ちゃんも騙されていたんだよ! あの人達は神様の信徒じゃない! ただの権力の亡者なの!」
「……」イリヤは、黙り込んだ。己が強硬派を追い出された理由を思い出して。
『アンタに付いていくと出世なんかほぼ見込めないし』
「それでも、私は……!」
神のために生きて死ぬ。それしか、彼には前に進む道が無いのだ。愚直と言えば愚直だし、頑迷と言えば頑迷であった。それでも彼は、自身の生き様を変える事など出来なかった。絶対に、出来なかった。ベルトランが言った。
「お前は本当に、中世に生きていたら生きながら聖人として敬われていただろうに。 ……お前の家族は和平派が保護する。 お前は、でも、もう、分かってはいるんだろう? 『それでも』と言ったのはお前が迷っているからだ。 お前も人間だからだ。 神のみが正しい。 だがその正しさはいつだって人間には正確には伝わらない。 だからお前は、ただ、祈れ。 己のためでもなく神のために祈れ。 そうすれば、きっと迷いは晴れるだろう。 『求めよ、さらば与えられん』……昔から人はそうして神と対話しようとしてきた。 迷っても、苦しんでも、どんな状況でも、だ。 神ありてこそ我あり。 お前もそうだ。 幸いボスからはこの任務の期限は定められていない。 いつでも良いし、いつまででも構わない。 じゃあ、僕とこの子は行く」
そしてベルトランはイリーナを連れて歩いて行く。
「……」イリヤは天を仰ぎ、それから深くうな垂れた。
その時、であった。
羽音と共に白いハトが彼の前に現れた。はっとイリヤはハトを見た。
彼が思わずそれに手を伸ばした直後、そのハトは天上へと舞い上がって行った。
驚くほど青い空に、白いハトが吸い込まれて行った……。
「待て!」
イリヤは、ベルトランらの後ろ姿に、思わずそう声をかけていた。
「大丈夫だって!」とエステバンは胸を張って言う。「結果なんかねつ造すれば良いんだ! シャマイムの人格を改造するだなんてクビにされたって僕ぁ断る! それは改悪と言うんだ! 第一そんな事をしたら僕ぁ特務員のみんなに袋叩きのケチョンケチョンの目さ! 大体何だ、事情を聞けばシャマイム達はなーんにもちーっともどーっこも悪くないじゃないか! 学院の生徒をみんな守ろうとしなかったアロンの馬鹿が全部全部全部悪いんだ!」
「それは推奨できない。 万が一露呈した場合のエステバンの危険度が、」と言いかけたシャマイムを遮って、ぴょんぴょんと跳ねまわりながらこのマッドサイエンティストは叫んだ。
「そーら見ろ! こんな自己犠牲的なまでの善人を悪人にしろだなんて! 命令の方が間違っている!」
だが、その時、ラボに入ってきた男がいた。アロンであった。
「おいエステバン」と命令口調でアロンは言った。
「何だよ!」エステバンは喧嘩腰に叫んだ。「僕ぁ今忙しいんだ! 出て行け!」
「どうせ貴様の事だ、手抜き処分をするだろうと思ってな。 適材を連れてきた」
そう言ったアロンの後ろから、シェオルが姿を見せる。
「はーい、シャマイムお兄様。 お久しぶりですわね! ちゃんと人格を改造して差し上げますわ!」
エステバンが青くなった。このシェオルは、聖教機構の和平派ではなく聖教機構の強硬派が所有している精神感応兵器だったからだ。
「アロン! アンタ、強硬派と繋がっていたのか!?」
「いいや。 このクソ兵器の人格を変える適材ならば、どこの誰でも良かっただけだ」アロンはにやにやと笑って言った。
「このゴミ野郎!」エステバンが喚いた。「アンタぁI・Cと同等だね! いいやI・C以下だ! だってI・Cは僕らに対して命令権なんざ持っていないもの! もしも僕にちょっぴりの権力があったらアロン、アンタを閉鎖監獄ヘルヘイムに真っ先にぶち込んでやったのにさ!」
「何だとう!?」アロンは激高した。「貴様はあの『一二勇将』の血を引いているからと、少し思い上がっているようだな!」
ぱちんとアロンが指を鳴らすと、ラボの扉が外からぶち壊されて、エインヘリヤルが登場する。
『アロン様、何ナリト、ゴ命令ヲ』
「アイツを殺れ」とアロンは片手の親指を下に向けた。
「!!!」エステバンが真っ青になった。本当に殺られると悟ったのだ。
「待て」と間に入ったのはシャマイムだった。「アロン、貴殿の目的は自分の人格改造だ。 エステバンの殺害はそれとは大きく乖離している。 早急に自分の人格改造を終え、ラボより退去する事を推奨する」
「シャマイム!」エステバンが切羽詰まった悲鳴を上げた。
腕っ節なんて全く無い、口だけの自分がアロンに喧嘩を売ったと言う愚かな状況で、シャマイムの性格を少しでも考えれば、シャマイムがこの行動を取るしかない事は分かりきっていたのに!
だが、もう手遅れであった。
「うふふふふ」シェオルがにっこりと微笑みながら、シャマイムの額に己の額を押し当てた。「シャ・マ・イ・ム・お・兄・様。 たっぷり変えて差し上げますわね!」
……赤ん坊の泣き声がする。
これは……産声?
誰の赤ん坊の産声だろう?
いや、これは……。
産まれる事無く殺された、わたしの、××××、の。
「俺自殺しようかなあ、シャマイムがシャマイムじゃなくなるなんて、俺、本当に死にたくなってきた」
和平派特務員会議は、末世的であった。セシルが思わずそう言った。
「直訴もダメ、減刑嘆願署名もダメ、ストライキもダメ、こうなったら反乱よ!」
ニナがヒステリックに叫び、双子の妹のフィオナにたしなめられる。
「……姉さん、それは、シャマイムが一番望まない事だよ」
「じゃあ、どうしろって言うのよ!」
「落ち着きたまえ。 きっとエステバンだって我々と同じ思いだ、きっと手抜き改悪にしてくれるに違いない」
ランドルフがそう言った時、通信が入った。モニターにわんわんと泣きじゃくっているエステバンが登場して、
『もう僕ぁ虫けらみたいにぶっ殺されるべきだあああああああ!!!』
「何があった!?」ベルトランが問い詰めるまでもなく、エステバンは事情を泣きじゃくりつつ話した。
……特務員達の間に、沈黙と、絶望が澱んだ。
そこに、
「シャマイムの改造、終わったかー?」
I・Cが酒の臭気を漂わせて登場する。足取りからして、相当飲んだらしい。
「貴様何をやっていた!」ベルトランが叱責した。「シャマイムの危機だと言うのにどこに行っていたんだ!」
「ん? フー・シャー死亡万歳!って事で酒場で飲んできたんだよ。 こんなに楽しい酒は久しぶりだったぜー」
「このゲス野郎!」ニナが声の限りに絶叫した。「フー・シャーを殺すしかなかったシャマイムの気持ちや、フー・シャーの奥さんの心情を考えなさいよ!」
「もう考えたって手遅れじゃないか? だって、死んだヤツは死んだんだし、シャマイムは人格改造されたんだしー、ぎゃはははははは!」
「I・C」ランドルフが殺意を剥き出しにしてI・Cに詰め寄った。あまりの気迫に他の特務員らが怯んだほどであった。「貴様は、シャマイムを、どう思っているのだね?」
「介護要員。 奴隷。 召使い。 だって実際そうじゃん」
ランドルフの手に、ぎらつく
「よろしいI・C、ならば私は貴様の首を刈る!」
「お、落ち着け、落ち着いてくれ、ランドルフさん!」セシルが必死にランドルフを止めた。「こんな屑、貴方が殺す価値も無い!」
I・Cは呆れた様子で言った。
「だからー。 ランドルフ、お前なら分かっているだろ? 俺は死ねないんだって。 無駄だって、無駄無駄。 それにしてもアレだ、シャマイム達も馬鹿だよなあ? 見殺しにすれば良かったんだ、学院の生徒なんざ。 アロンにへいへいと従っていれば良かったのに。 強いヤツには媚びる、弱いヤツには威張る、これが世界の常識だろうに。 あーあ、馬鹿は死ねば良いんだ」
「うわッ!」セシルが咄嗟に巨大な獣に変身し、必死にランドルフを押さえつけた。ランドルフがついに大鎌をぶん回して暴れそうになったからだ。
「止めるなセシル! あれだけ世話になっておきながら、シャマイムを見捨てるこの男だけは! 素っ首を刈らねばならない! 断じて赦せんのだ!」
温和なランドルフが咆哮した。誰もが怯えたが、I・Cだけは、
「まあ落ち着けよ、『死神』。 シャマイムなんかどうせ所詮は兵器なんだ、そんなに熱くなるなよ。 それともお前は、シャマイムの事が好きなのか?」
「生憎、和平派特務員の中でシャマイムが嫌いな者に出会った事が無いな、私は! ……セシル君、放してくれ、さもないと私は君も殺しそうだ」
「ランドルフさん、お、お、落ち着いて下さい! 俺は別に死んでも良いですが……かつてのシャマイムだったら、きっと、俺を殺したランドルフさんに対して怒るでしょう」
「……」
ランドルフはようやく大人しくなった。セシルは人形に戻ったが、腰を抜かしてへたり込んだ。
特務員が声も無く黙り込んでいると、ドアが開いた。
誰もがそちらを見て、いっせいに叫んだ。
「「シャマイム!」」
白い小型の人形兵器が歩いて入ってきたのである。
「シャマイム、大丈夫!? 大丈夫!?」
一番先に駆け寄ったニナに、シャマイムは言った。
「是。 自分に問題は無い。 自分は和平派所有
「……シャマイム!」思わず涙ぐんだフィオナに、シャマイムは言った。
「自分の人格プログラムの変更点は、以前と大差無い。 強いて変更点を挙げるならば、『効率性』の追求により忠実になり、『任務遂行』のために以前より適切な行動を取る事を第一優先事項と見なす点だ」
「良かった……シャマイム……」
誰かが、思わずそう呟いた。だが、この男だけは違った。
「……何嘘ついてんだ、シャマイム? お前からは俺への殺意だの敵意だのをひしひしと感じるぞ? まあ良いさ。 それで良いんだ。 お前は兵器、殺して破壊する、それが至上の存在理由だからな。 よし、シャマイム、酒買ってこい」
I・Cが、そう言ってのけたのだ!
この言葉に、今まで耐えに耐えていた特務員達が完膚無きまで、怒り狂う段階をぶち壊して、限界を突破するまでにキレた。
「……おい、止めるなよ、俺はこれからI・C限定の快楽殺人鬼になるんだからな」
そう、特務員の誰かが言い、
「私も!」
「僕も!」
「俺だって!」
次々と賛同者が出て、止める者は誰もいなかった。かつてだったならば止めたはずのシャマイムも、人格プログラムが改造されたために止めなかった。シャマイムは任務遂行のために特務員全体の総意と士気を、煮ても焼いても問題ないI・C個人の身の保安よりも重視したのだ。
「どうするコイツ、焼くか?」
「延々と水責めってのもアリだわ」
「電流で黒焦げにしてやりてえ」
「内臓えぐって痛めつけられるだけ痛めつけてやりたい」
「どうせ死なないんだから何したって良いよねー」
「おい、テメエら、」と言いかけたI・Cのこれからは、決定していた。「ちょ、おい、何を、」
「あら?」と外から煙が立ち上っているのを窓越しに見たマグダレニャンは何事だろうとランドルフに訊ねた。「嫌だわ、火事ですの?」
「いえ、単にI・Cを特務員が総出で焼いているだけです」
ランドルフがにこやかに答えた。マグダレニャンは納得して、微笑み、
「火の後始末だけはちゃんとするようにと伝えなさいな」
イリヤは聖典を読んでいた。彼は、任務時以外は、聖典かもしくはそれの注釈書を愛読していた。もうぼろぼろの聖典の文面に、彼はじっと目を落としている。
「あのう」とそんな彼に声をかけたのは、ローズマリーであった。イリヤはうっとうしそうに顔を上げる。「信じていれば、神様は私達を救って下さるの?」
「神は我々のために存在しない! 我々が神のために存在するのだ! 人間ごときが信仰心を代償に神へ救いなど求めるべきでは無い! 全て神の意のままに世界はあるべきなのだ!」
「凄い考え方ねえ……」ローズマリーは目を丸くして、「でも、それこそが、信じる、と言う事なのでしょうね。 イリヤさん、お邪魔をしてごめんなさいね」
「……」イリヤは答えない。もう彼は聖典に集中している。
『イリヤ。 今の君の年では少し難しいだろうが、君ならば本当の意味で神に仕える事が出来るんじゃないかと思ってね。 ほら、聖典のプレゼントだよ。 私にも出来なかった事を、君ならば間違いなく出来る。 私なんぞ「聖王」などと呼ばれているけれど、実際は世俗の権力に身も心も染まったただの人間だからね。 どうか君の、純粋で強い心が損なわれる事なく、否、損なわれても立ち上がる強さを持って、神に仕えて欲しい』
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