第17話 【ACT?】彼らは出逢う

 いわゆる大学に相当する帝立勧学院を卒業したばかりの一六歳のセルゲイは、就職するでもなくふらふらとジュナイナ・ガルダイアの父親の元で暮らしていた。父親はどちらかというと彼に無関心気味であった。もっとも父親のことを嫌っていた彼には、どうでもいいことであったが。

 することもなく、彼は毎日のように遊び歩いていた。

 そんなある日のことである。彼は前方からうおーんうおーんと泣きながら歩いてくる人影を見つけて、何だろうと思った。いい年をした――彼と近い年頃であろう――少年が、びーびー泣きながら歩いてくるのだった。体格の良い少年だった。何じゃこりゃと彼は思い、立ち止まってそれを見つめた。泣いている少年を街の人々は生温かい、やや冷めた眼差しで見送る。――と、同じ年頃の少年達の一団がやって来て、彼を取り囲んだ。

「大将、剣術の稽古で撲たれたからって、泣かないで下さい!」

「しっかりするんです、大将!」

口々に励ましながら、一団は少年を連れてどこかへ行ってしまった。

 セルゲイはその夜久しぶりに父親と口を利いた。実に二週間ぶりのことだった。父親はジュナイナ・ガルダイア太守も兼ねており、ジュナイナ・ガルダイアの色々な情報に精通していた。

「今日、泣きながら歩いてきたいい年こいたガキ(彼は相手を少々見下す癖があった)がいたんだけど、ガキの一団に連れられていった。 ありゃ一体何だ?」

はーっと深いため息を父親はついた。そして、

「それは貴方の従兄、エンヴェルです。 我らが一族の中で一番に出来が悪くて、誰もが処遇に困っているのです。 要するにとびきりの馬鹿者なのですよ」

「ふーん。 その割には仲間がいたけどな」

「妙に若者に人気はあるのですけれどね――」

 翌日、同じ時間帯に彼が同じ街道を歩いていると、またびーびー泣きながらエンヴェルが歩いてきた。彼は興味を持って、話しかけてみた。

「おい。 俺はお前の従弟のセルゲイだが、どうしてそんなに泣いているんだ?」

「け、剣術の稽古でまた負けたのじゃ……うおーんうおーん」

「向上心で泣いているなら、別にいいけどさ。 負けて悔しかったのかい?」

「違う。 先生は、余が負けると、必ずこう言うのじゃ――『御母堂があの世で泣いていらっしゃるでしょうな』と。 余は母上を泣かせてしまったのじゃ……うおーんうおーん」

「ソイツはひでえ教師だなぁ。 アンタが泣くからアンタの母さんも泣く、普通はそうじゃないのかい?」

「!」

ぴたりと彼は泣き止んで、驚いたようにセルゲイを見つめた。

「余が泣くから母上も泣く……?」

「そうそう。 うるさいから、びーびー泣きながら街を歩くのは止せよ」

「分かった」エンヴェルは殊勝に頷いた。「これから余は泣かぬ」

 宣言通り、翌日エンヴェルはたんこぶと痣だらけになりながらも涙をこらえて街を歩いていた。彼はいつものごとく、一団に慰められながら取り囲まれていた。セルゲイは驚く。

「ちょ、お前、どうしたんだよ!?」

エンヴェルは生傷だらけであった。

「何故泣かぬと先生に責められた……だが余は泣かなかったぞ」

泣かなかったから――教師の気が済むまで暴行されたらしい。

「待てよ、そいつ教師としておかしいぞ!?」

周囲の人間達が、やっとそれを言ってくれたかと言いたげな顔をして、いっせいに頷いた。

「おかしい?」きょとんとした顔で――おそらく育ちが良すぎて人を疑ったことなど無いのだろう――エンヴェルは訊ねた。「どこがおかしいのじゃ?」

「その教師はアンタを泣かせたいがためにアンタの剣術の稽古をしているみたいじゃねえか! それって、おかしいだろ?!」

「そ、そうなのか?!」

「そうだよ! 親に言って、教師を変えてもらえ!」

急に寂しそうな顔を、らしくもなくエンヴェルは浮かべた。

「――父上は、母上が亡くなって以来、少々おかしくなってしもうたのじゃ。 いつもいつも母上の幻を追い求めておる」

「じゃ、俺の親父に言えよ! 必ず変えてくれるから!」

「本当か?!」

 セルゲイ達は、一緒に彼の父親の元に行った。

事情を聞くと父親は顔をしかめ、

「よろしいでしょう、私の方から断っておきます。 また別の先生を探しましょう」

と言ってくれた。

 「ありがとう」エンヴェルはそう言って彼の手を握った。

「いや、いいって、別に」

何だかこそばゆい気持ちになってきて、彼は笑ってごまかした。

この少年は馬鹿だが、何故か人を惹きつける。

不意に、ではあったが、コイツの下で働けたらいいな――と彼は思った。コイツのためなら、おそらく命だって惜しくはないだろう。

それほどに、天性のカリスマ性というか、魅力があるのだった。

彼らは、手を振り合って名残惜しくも別れた。

 その夜のことである。エンヴェルの元に全身酷い傷だらけになった少年が駆けつけてきたのは。

「大将、ごめんなさい、ごめんなさい――」

と、彼はエンヴェルを見るなりその場に泣き崩れた。

「何があったのじゃ!?」

「あの教師が――更迭させられた原因を白状しろと、襲いかかってきて――」

命を脅かされた少年は、無理やりに喋らされたのだ。セルゲイが言い出しっぺであり、更迭の原因であることを。話し終えるなり、少年は気絶した。慌てて館の者が介抱する中――、

「何じゃと!? セルゲイが危ない!」

彼は剣を掴むと、駆け出した。

 セルゲイは、その夜は何だか眠れなくて、館の周りを散歩していた。父親は例のごとく花盗人に出かけているし――全くお気楽なものだぜ、と彼はため息を吐いた。その時である。

「お前がセルゲイか――」

怨みがこもった低い声がかけられた。

「ん、お前は誰だ?」

振り返ると、剣を抜刀した中年の男が、凄まじい形相で彼を睨んでいた。

「貴様の所為で――俺は失職したのだぞ! お前の父親の所為で、もうこのジュナイナ・ガルダイアでは仕事も出来ん! もう俺はお終いだ! だから――せめてその前に貴様を殺してやる!」

マズい。彼の背中に冷や汗が浮かんだ。せめて館の中なら警護の者がいるのだが――彼は高い塀の外にいた。悲鳴を上げても、駆けつけてくる前に彼は始末されてしまうだろう。相手は捨て身になっているのだ。彼はじりじりと塀の間際まで追いつめられ――男が剣を振りかざした時だった。

「やああああああああああああああああ!」

気合いの声と共に、誰かが走り寄ってきた。その人影は輝く刃を閃かせ、彼と男の間に割ってはいる。

「あ、アンタ――!」セルゲイは驚いた。

エンヴェルだった。男の顔に、嘲りの表情が浮かぶ。今まで一度もエンヴェルは男に勝てていなかった。

「馬鹿が。 お前が俺に勝てる訳も無かろうに!」

「そちのやろうとしている事は、許されぬ事じゃ! 成敗してくれる!」

二人は相対し――瞬間、交差した。

ごぶ、と血を吐いた。

「何故、負けるのだ――」

そう言って男は、ぐらりと倒れた。

「怪我は無いか!?」

「おかげ様で――何とか無事だぜ」

「良かった――」

いきなり抱きしめられて、彼は慌てふためいた。

「な、何だよ、暑苦しいじゃねえか!」

「間に合って本当に良かった――」

無邪気に、エンヴェルは安堵したように言うのだった。


 それまで就職する気配のしの字も見せていなかった息子が、その気になったと言うので、父親は驚いた。彼の息子はその少々変わった出自のために身分は平民だが、能力があるので、その気になれば平民の最高位にまで上れるだろう。

「それでは帝都に戻るのですね?」

「いや、ここがいい」息子の予想外の返事に、彼は驚く。「エンヴェルの下に就きたい」

「――また、何と」彼は軽い頭痛がした。しかし息子の希望だ、無理やりに帝都へと送り返すことも出来なかった。「仕方ない――いいでしょう」

それを聞いた息子は、久しぶりに彼の前で子供のように笑った。

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