第15話 【ACT七】滅竜

 様々な種族がある魔族の中でも、『竜』はその筆頭に立てるくらいの戦闘能力を持つ。古代、異教の神々が存在した時、竜は必ずと言って良いほどその神々の中にいて、主に軍神、武神として人々に崇め奉られていた。単騎で万軍に値するほどの戦闘能力を所持しているのだ。

だが、竜には、致命的な弱点があった。生殖能力が低かったのである。

竜の場合、母親が竜でなければその絶大な能力は継承されない上に、生殖能力が低くて中々子供を孕むのが難しかった。父親が竜であっただけでは、竜の子供は生まれないのである。出産で母子共々死んでしまう事態も良く起きた。だから、竜はゆっくりと滅びていったのである。

魔族が人を総べる国、古代から存在し続ける「帝国」でさえ、竜は滅亡しようとしていた。

 JDの母親は彼を産んだために死んだ。それまでに何度も流産を繰り返し、精神も肉体も滅茶苦茶になって、その挙句に死んだ。これで生まれたのが女であればまだ救いようもあったであろう。だがJDは生まれついて男であったし、生まれ持った難病の所為でいつ死ぬか分からないと医者が暗い顔で宣告しなければならないほどの虚弱児であった。

JDの父親は絶望した。するなと言う方が無理であった。彼の伴侶が失われたのはJDの所為なのだ。竜の血脈を残せず、おまけに病んだ体を持っている不具の子の所為で彼の妻は死んだのだ。JDの父親は憎悪を抱いた。しかし彼は辛うじて理性でそれを抑圧し、虐待しないためにJDを己の弟の所へやった。

JDは聡い子であった。体の健康も愛してくれる両親も無くした代わりに賢さを得たかのようだった。叔父からも厄介者扱いを受けても、親族からも腫れ物に触るような扱いを受けても、耐えた。しかし彼は内心では悲しかったし、何よりさびしかった。彼は自分が長生きできない事を幼くして悟っていた。三日に一回は血反吐を吐いて医者が駆けつける、と言う生活なのだ。長生きして魔族の天寿を全うする事は、到底出来ないだろう。

せめて、と彼はたった一つだけ願った。せめて死ぬ時だけは独りで死にたくない。誰か側にいて欲しい。

彼が成人するが早いか叔父は彼を家から追い出した。彼は独り暮らしを始めた。彼は本を読んだ。ありとあらゆる本を読んだ。本の世界にいる時だけ、彼は独りでは無かった。けれどそれは夢のようなもので、はっと気付いて目覚めると彼は一人ぼっちでこの世界にいるのだった。彼は泣きたかったけれど、涙は出なかった。

どうやったら死ぬ時に独りきり、と言う事態を避けられるだろう。彼はそればかりを考えて生きていた。

カール・フォン・ホーエンフルト――「大帝」が帝都シャングリラへやって来た事が、彼のそんな人生の転機になった。

出会いは突然すぎた。真夜中にJDが本の世界に寝台の上でひたっていたら、窓から(地上三階)ひょいっと男が入ってきたのである。

「こんばんはー」と男は呑気な声で言った。酷く青い目をしていた。「いきなりでごめんよ、道に迷ったんだが、どうやったら迎賓館まで戻れるんだ?」

「……貴方は誰ですか?」とJDは警戒しつつ言って、すぐに気付いた。今迎賓館でもてなされている人物と言えば、帝都で今もっとも話題となっているあの一人しかいない。「まさか……!」

「うん、そのまさか。 帝都に来たのは初めてなんで、あっちこっち行きたくて抜け出してきたんだが、ものの見事に道に迷ったんだ……」

「……………………」

JDはまじまじとその男を見つめた。万魔殿にて、否、世界中からも「大帝」と呼ばれた男が目の前にいるのである。不思議な男であった。何が、とは明言できないのだが、不思議と魅力的なのだ。カリスマ性があるとでも言えば良いのだろうか。美形でも無いのにいつの間にか見とれてしまう。

「帝都はやっぱり広いなあ。 おまけに綺麗だ。 俺のヤンデレな姉貴も一度来た事があるって言っていたが、やっぱり素敵な都だぜ」

「……」まだJDがぼうっとしていると、男は続けて言う。

「そういや、君は? 名前をうかがっても良い?」

「……JD、です」

「あれ」と男は不思議そうな顔をして、「君は女の子なの?」

「いえ……父は、女の子が欲しかったので……」

「……そうかそうか。 色々と辛い事もあっただろうが、生きろよ。 生きるって事は大切な事だ。 生きてさえいれば、機会はあるんだから」

こんな優しい言葉をかけられたのは、JDの人生で初めてだった。

「僕は……!」彼は思わずぶちまけてしまっていた。自分の出自、差別、冷遇、そして独りぼっちの悲しみを。

「大帝」はうんうんと頷きながら、JDがぶちまけた全てを聞いた。それから言う、「よく我慢したなあ。 でも、もう、泣いても良いんだぜ?」

……JDが落ち着いた後、彼は言った。

「そうか、そうか。 なあ、気分転換にジュナイナ・ガルダイアとか別の都市に行ったらどうだ? お前さんの人生はお前さんのものだから、お前さんの決めたように生きるべきだ。 耐えるだけが人生じゃないんだぜ」

「……そう、ですね」JDはそこで頭を撫でられた。その温もりに、彼はまた取り乱しそうになる。けれど彼は構わずに取り乱すがままにした。泣いて、泣いて、それからやっとまた落ち着いた。「すみません、ありがとう」

「良いんだ良いんだ」彼は笑って、「じゃあな」と窓から飛び降りようとした。JDは慌ててその背中に、

「まだ道をお教えしていませんよ!」と叫びかけた。

「あ」「大帝」はきまり悪そうにして振り返る、「……そうだった」

JDは道を教えた後、こう言った。

「もし良かったら、もう一度お会いできませんか?」

「おう、良いぜ!」と「大帝」は笑顔で頷いた。

 JDはジュナイナ・ガルダイアに転居した。彼はそこで人生初めての友達を得た。XXと言う悪友を得た。

この頃、JDは初めて、己の人生にちっぽけで下らないが、嘘偽り無い希望を見出していた。

もう一度あの人に会おう。会って、お礼を言うのだ。

 だが、凶竜の禍が起きた。彼の叔父が、竜である彼が、いきなり暴れだして、帝宮はすんでの所で守れたものの、帝都の首都機能が徹底的に破壊されたのだ。JDが臨時とは言え枢密司主席になったのは、その時には彼しかなれる人材がいなかったからである。帝都にいたほとんどの貴族や平民が、死ぬか、重傷を負っていた。JDはよく働いた。お前の叔父の所為で、と人々が恨み言を言うのを黙って聞いた。その罵詈雑言を聞いたXXの方が『お黙りなさい!』と怒鳴るほど、JDは悪しざまに言われた。JDは文字通り自分の寿命を削って、最短期間で帝都を復興させた。彼はそれを確認すると、辞任して、またジュナイナ・ガルダイアに戻った。戻ってからの彼は、半分死人だった。彼の体はもう、無理をしたために、持たなかったのだ。

JDは、もう己はいつ死んでも良い、とぼんやりと思っていた。ただ、死ぬ前にもう一度だけ、あの人に会ってみたい、と思っていた。あの人にありがとうと言えずに一人ぼっちで死ぬ事だけは嫌だったのだ。

そんな彼のささやかな最後の希望は、凶竜の禍とほぼ同時期に発生した『BBブルーブラッド事件』で完全についえる事となる。

「聖王」と「大帝」が聖教機構と万魔殿の数世紀間にわたる長い長い世界戦争を終わらせようとして、けれど両者が同時に行方不明になった一大事。

JDは、それでも、耐えた。彼は凶竜の禍で死んだ父と、帝都を破壊できるだけ破壊して行方をくらませた叔父の家督を継いで、養子をもらった。たとえ人は希望を失おうとも、未来を潰されようとも、先にも後にも絶望しか見いだせない人生だとしても、ただ一つ、己の魂の高潔さと高貴さを失ってはならないと彼は知っていたからだ。

その養子が、ある日いきなり「大帝」の息子を海で拾ってきたのである。JDは、「大帝」が約束を果たしてくれたのだ、と思った。同時に、もはや末期的であった己の病状を考えて、JDは人生初めてのワガママを思いついた。せめて死ぬ時だけは一人ぼっちは嫌だ。彼に側にいて欲しい。あの「大帝」とそっくりの青い目を見つめて、JDは思うのだった。それくらい、許されるだろう、と。


――ぼんやりと霧散して虚ろになっていく意識を繋ぎ止めようと、己の名を半泣きで呼ぶ声がする、JDはこれで良かったのだと思う。『俺だってこの人は殺したくなかったんだ』、そうか、自分は殺したくない存在だったのか。良かった、自分はそう言う人間として生きてこられたのか。

ならば、もう、それで十分だ。

砕け散りそうなくらいに青い空と、相も変わらず青い瞳を最期に見つめて、JDは微笑む。己が幸せの中、孤独のままではなく死ねる事を知って。

「ああ、青い」

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