第14話 【ACT六】裏切りと戦いと
「ヤツが来たぞ」
「いよいよね」
『仕損じるなよ』
「……」爪が噛み切れなくなるほど短くなってしまったので、今のエンヴェルは指を噛みしめていた。血が出ていた。だが今の彼にとっては、その痛みすら全くどうでも良い事であった。
「……」セルゲイは、その痛ましい有様に、一瞬、言葉が出なかった。「……俺、ここへ行幸なさる女帝陛下に直訴してくるよ。 エンヴェルをここから出してくれって頼みに行く」
「良い」とエンヴェルは、言った。「姉上がこのままの状態であったら、余がここから出されようと何ら事態は変わらぬ」
「……」
「……余は、別に追放されても構わぬ。 冤罪でも構わぬ。 だが、姉上のみならず女帝陛下へも危害が加えられたならば……余は……!」
「……お前、本当に良いヤツだな」セルゲイはエンヴェルには聞こえないように、小声で言った。まるで自分に言い聞かせるかのようだった。「自分の事よりも大事な誰かを優先するんだ。 自分がどんな目に遭っても、構わないんだ。 だから俺達は自然とお前の側に寄って行った。 居心地が良いからだ。 だって、お前は本当に良いヤツだから。 お前は誰も拒まない。 お前は誰も否まない。 だから……俺は……俺は、」
そこで検非違使が面会時間の終わりを告げた。
「――なあ」
「どうしたの?」
「アイツの傍にいると、息がしやすいんだ。 みんなそうだ。 みんな、アイツの傍にいるのは、結局息がしやすいからなんだ」
「……何を言っているの?」
「たった独りぼっちの偏屈な俺を、アイツは本当に大事にしてくれる。 こんなにねじくれた俺をだぜ? だから、俺は――やっぱりアイツだけは裏切れない」
女帝がジュナイナ・ガルダイアへ御幸した。取り巻きの貴族達も下がらせて、ヴェールの中から昏々と眠るユナを見下ろす。
「お前は、私の大事な子。 まだ死ぬことはゆるさないわ」
そう言って彼女はユナの手に触れ――。
女帝達は、それから迎賓館に向かった。
――「うう、う」
低い呻き声。医者達が駆けつけてきて、驚愕に目を見張る。
生死の境をさ迷い、時が経つごとに生還が絶望視されていたユナが意識を取り戻していた。
「おい、クソ親父」
呼ばれて、クセルクセスははっとした表情でそちらを振り向いた。
脇腹を押さえて、セルゲイが人々がたむろする館の一階の柱に寄りかかっていた。クセルクセスは、ユナが意識を取り戻したという知らせを聞いて、この館に駆けつけたのだった。
「何です、馬鹿息子」
息子が相手なので、例のごとく傲慢な口調で彼は言った。
セルゲイは場違いにも煙草をくわえると、
「――『主戦派』の正体を教えてやるよ。 俺と、その他諸々と、俺の姉さんオデットだぜ」
「!?」クセルクセスの瞠目もよそに、彼は続けた。
「爆弾を仕掛けたのは姉さん、毒入り果実を送りつけたのは俺。 俺達の最初の目標は『枢密司主席の暗殺』、そして今の目的は『女帝の殺害』。 ――もうすぐ、万魔殿の『過激派』の軍隊が、ジュナイナ・ガルダイアめがけて押し寄せてくるぞ。 早く迎撃しないと――この街は芥子粒一つ残さず焦土と化す」
ずるずると、彼は柱にもたれつつ、その場にくずおれた。柱に赤い痕が付く――血だ!
「セルゲイ! お前というやつは! この馬鹿息子!」
クセルクセスは駆け寄って抱き起こした。彼は脇腹に深い傷を負っていた。クセルクセスの傍にいたJDが訊ねる。
「セルゲイ君、君はまさか――!」
「クソ親父、アンタは大嫌いだ。 でも、エンヴェル、アイツだけは――絶対に――どうしても、ははッ、裏切れなかった! すぐに釈放してやってくれ。 アイツだけは、アイツだけは――」
そこでセルゲイは気を失った。
すぐに手配がされた。だが、オデットの姿はどこにも見あたらなかった。おまけに、軍隊を出動させようとした面子は絶句した。銃弾や砲弾、燃料の類が、一切消え失せていたのである。これでは、いくら最新兵器が配備されているジュナイナ・ガルダイア海軍とて、何も出来ない。
そうこうしている内に万魔殿の『過激派』の軍隊――空軍と海軍が帝国の領海を侵して進軍してきたとの報告が入った。
釈放されたエンヴェルは、それを聞くとどこかに姿を消した。
そして――彼は、押し寄せてくる万魔殿の海軍艦隊の真ん前に、木っ葉のように小さな小型船に乗って立っていた。
「父上、母上――力をお貸し下され!」
彼はまっしぐらに船を海軍艦隊へと走らせながら、両腕を大きく振り上げた。その途端に、平穏だった海が、一気に荒れ狂った。巨大な渦を巻き起こると、次々と艦隊を呑みこんでいく。全てを怒濤と化して呑みこんでいく。『
――ジュナイナ・ガルダイアにいた貴族達の間に激震が走った。
これは、紛れも無い戦争だ。彼らはまず女帝を逃がそうとして必死になった。
だが、迎賓館にて、彼らに裏切り者たる主戦派の貴族達が襲いかかった。貴族同士の争いが起こった。同じ魔族同士の争いである。中々決着が着かなかった。クセルクセスは、その争いの真っ直中にいた。細身の剣を振るい、次々と裏切り者達を排除していく。それでも、敵の数は尽きなかった。どころか、徐々に、女帝を守ろうとする彼らは劣勢となっていく。情勢が不利と見たクセルクセスは叫んだ。
「私が
側近達は、その言葉に従った。
「馬鹿め、たった一人で我々と渡りあおうと言うのか!」
裏切り者の貴族達が襲いかかる――。
だが、クセルクセスは傲慢にも鼻で笑っただけだった。
「馬鹿が。 逆ですよ、私ただ一人でなくば、力が使えなかったのですよ」
いきなり、貴族達が、喉を掻きむしって苦しがった。――と、ばたばたと倒れていく。まるでその有り様は毒ガスを吸ったかのようであって――。
「『
「クセルクセス」
小さな声が、彼の背後から響いた。はっとクセルクセスは振り返ろうとして――背中を浅く刺された。振り返ったが、誰もいなかった。
だが、気配はする。光の屈折率を曲げて透明に見せているだけなのだ。
「『
彼の愛娘が、彼の命を狙っているのだ。
「窒息死するまでに、お前を殺してやります」
「馬鹿娘!」彼は大喝した。「その根性、叩き直してやります!」
彼の周囲以外の――部屋中に窒素が満たされていく。
大気が動く気配だけで、彼は攻撃を察知し、全て受け止めた。
「くう」やがて、苦しげな息が、聞こえた。「苦しい――」
がくりと膝が折れる気配。幻が解けて、そこには剣を手にした美女が姿を現す。
その髪を掴んで、クセルクセスは叫んだ。
「何故こんなことを――!」
無感情な声が響きわたったのは、その時だった。
「流石は『ハルトリャスの魔王』クセルクセス・イレナエウス――だが、お前もここまでだ」
迎賓館の入り口に、仮面の男が立っていた。巨大な両手剣を構えている。
「……貴様は誰だ?」
「メタトロン」と男は言った。「お前達の敵だ」
そして、彼めがけて
激しく打ち合う。腕前はほぼ互角だった。
だが、男が伸ばした手をクセルクセスは切ろうとして――剣が、蒸発した。
「な?!」
彼が驚きに目を見張った時である。
ばっさりと、彼は袈裟切りにされた。大量の血が吹きあがる。
「この世界は醜すぎる。 浄化が、必要だ。 ――満ちぬ欠月は無いのだ」
それを聞いたクセルクセスは、断末魔の中に、はっきりと驚きの色を見せた。
「な、何だと――!」
「叔父上!」
そこにエンヴェルが到着した。到着するなり彼は大喝した。
「貴様、誰だ!」
「――私達は、退散するとしようか」
仮面の男は、オデットを抱えて、姿をくらました。エンヴェルは血まみれの叔父に駆け寄る。
「叔父上、しっかり――! 海軍は止めました! 後は空軍だけです! どうぞ気を確かに!」
エンヴェルは叔父を抱きかかえて、泣きそうな声で言った。彼の能力でクセルクセスの体から流れる血は止まった。……だが、既に流れすぎていた。
「エ、エンヴェル――後を、頼みます。 オデットを、どうか――あの男が、生きているのですよ」
そこで、クセルクセスの目が何もない虚空を見つめて、彼は微笑みを浮かべた。
「ああ、何だ、二人とも、そこにいたのですね――」
その手が、宙を掴んで、落ちた。
既に空軍の押し寄せる不気味な気配がジュナイナ・ガルダイア全域に満ちていた。広がる海の上の青い空に、黒い点々とした列が見えている。
迎賓館から必死の思いで逃げ出した女帝達の一行を見送り、JDとオットーの二人は街道の上にいた。空爆されると言う情報を知ってしまったジュナイナ・ガルダイアの人々が恐慌状態に陥って、泣き叫んだり怒鳴ったりしている声があちこちからしていた。彼らも逃げようと必死になっていたが、時間がそれを許さなかった。JDは言う。
「オットーさん。 僕は今ほど健康になりたいと思ったことはない。 健康ならば、僕も戦うのに――」
「――」オットーは重い口を開いた。「俺の血が欲しいか。 『癒しの血』を持つ魔女の息子達である俺の血が」
『癒しの血』さえあれば、魔族の『飢え』は治まるのだった。
魔女の息子達であるオットーの青い血を飲めば、飢えが原因であるJDの病も、きっと治るだろう。
「ええ、どうか――どうか、下さい」
JDは小さな手でオットーの手を握った。オットーはひざまずくと、自らの首筋を差し出した。そこに、JDは吸い付き、小さな牙を立てた。――ぷっつりと浮かんだ青い血玉を、JDは赤い唇で吸い、舌で舐めた。ごくんと喉が鳴った。
「ありがとう、オットーさん。 お礼に――僕の戦いをお見せしましょう」
次の瞬間、JDの内部に封じられていた亜空間が幾つも展開された。光が放たれる。オットーは目がくらんで思わず目を覆った。
光が止んで、彼が目を指の間から覗かせると――彼は驚愕した。
竜。古代の伝承そっくりの巨大な姿が、彼の目の前で滞空していたのである。
『これが僕の――ド・ドラグーン家の真実の姿である竜。 僕は
「お前は――」
オットーは何か言おうとしたが、言葉が出なかった。それほど目の前の存在は大きかった。かつての、太古の昔に人々も唯一神をも圧倒した魔神達の名残が、今、再び現れたかのようだった。
『お乗りなさい。 ――いざ、戦いへ!』
迎撃能力が無力化されていると知って、無差別爆撃にやって来た万魔殿の空軍は、いきなりレーダー上に現れた巨大な影に目を見張った。
それはすぐに可視の存在となる。
彼らは度肝を抜かれた。化け物。怪物。竜。何が何だかよく分からないが、巨大な何かが襲ってきたのである。それは口から荷電粒子砲のような光線を吐き、その光線は展開された
彼らは、やむを得ず撤退した。
――海岸の砂浜に降り立った竜は、小さな、けれどとてつもなく偉大な男へと姿を変えた。
「お前は――何のために戦う」
オットーは、ようやくそれだけ言えた。
「この世界を――女帝陛下を護るために」
男は胸に手を当てると、そう答えた。
「俺は――」
声が、出なかった。戦って戦って、その果てに何があるかも知らずに戦って――己はどこへ行くのだろう。
全てを抱擁するかのような優しい笑みを、JDは浮かべた。
「貴方には貴方の理由がある。 それでいいのですよ」
「お館様!」どうして、どうやって見つけたのだろうか、ソーゼが駆け寄ってくる。「あわわわわ、お召し物は?!」
「ああ」と恥ずかしそうな顔をして、JDは苦笑した。「破れてしまいました」
「こ、これをどうぞ!」ソーゼはタオルを差し出した。
「ああ、ありがとう」
JDがそれを身にまとった時だった。
「オットー」急に、地を這うような低い声でソーゼが言った。俯いていた。「貴様があの時、是と答えて我々の仲間に入ってさえいれば――こんなことにはならなかったものを」
「!?」オットーは一瞬訳が分からなくて、固まった。
「どうしたのです、ソーゼ――ッ!?」
全ての答えの代わりに、JDの胸に、ナイフの切っ先がずぶりと生えた。
「――JD!!」
オットーは絶叫して駆け寄った。
ソーゼは憎々しげな声で、ナイフを引き抜き、逃げだしながらこう叫んだ。
「俺だってこの人は殺したくなかったんだ!」
JDの小さな体が、砂浜に倒れる。
オットーは半狂乱でその体を抱き起こした。
「しっかりしろ、JD! 死ぬんじゃない! JD! JD!」
「――」
JDの顔に、全てを悟ったかのように、大きな虚無の微笑みが広がった。その瞳には、まるで砕け散りそうなくらいに青い空と――今にも泣きだしそうな青い青年が映っていた。良かった、と彼は思う。この腕の中で死ねるのならば。
「ああ、青い」
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