第12話 【ACT四】汚名を晴らすために

 父親の葬儀に出向いた帝国の枢密司主席の命が危ない。そのニュースはジュナイナ・ガルダイアから直ちに帝都へと伝わり、大騒ぎになった。

犯人は――暗殺を狙った首謀者は誰だという話で、持ちきりになった。

真っ先に疑われたのは、葬祭場の準備を調え、そして政治的に対立していたエンヴェルであった。葬祭場に出入りしていた他の者には、何ら殺す利点も、隙も、何より動機が無かったのだった。オットーも一度は疑われたが、その日はJDの館にずっといたことがJD本人の口によって証明された。

「余は姉上を狙ってなどおらん!」

エンヴェルは叫んだ。他の親族達も――特にクセルクセスが彼を庇った。

「あの馬鹿な甥にユナを殺すことなど出来ない」

彼らの言い分はそうだった。だが、帝都の貴族達にはそれが親族に罪を着せたくないだけの、言い訳に聞こえた。

「エンヴェルの部下が暴走して――」

と言う疑惑もあった。だが、部下達は口を揃えて、

「大将の不利になるような真似を自分達がするものか!」

と叫んだ。どの道、部下の責任は主の責任であったから、エンヴェルへの疑いは増す一方だった。

エンヴェルは帝都から派遣された検非違使達の監視下に置かれた。

本来なら拘束されて帝都へと護送されるはずだったのだが、大御所クセルクセスの制止により、それで済んだのだった。

だが、彼の無実を証明する手段は、無かった。


 「――何ですと!?」

ユナ暗殺未遂の報を聞いたJDは、絶対安静だと言うのに起きあがって、出かける仕度を始めようとした。

「ダメだ、起きあがるな!」

オットーは慌てて止めたが、止める前にJDの体はへたへたとその場にうずくまってしまった。

「ああ――健康になりたい」

悲しそうに呟く彼を寝台へと寝かせて、オットーは訊ねた。

「俺に出来ることはあるか」

JDはすがるような目でオットーを見つめて、言った。

「XXを――呼んできてくれませんか」

 クセルクセスは苛々と不安の頂点にいた。

賢くて可愛い姪っ子の命は危ういし、馬鹿で可愛い甥っ子にはその殺害未遂嫌疑がかかっている。犯人探しに躍起になっているものの、証拠は無いに等しい。爆弾や起爆装置は異国のもので――帝都ならまだしも、ここジュナイナ・ガルダイアでは誰でもその気になれば(それなりの金さえあれば)闇のルートから手に入れられるものだった。彼は全力で闇のルートを地道に追っているが、ルートがルートなだけに、納得の行く成果が得られるとはとても思えない。それに、直に異国で買ってきた可能性もある。そちらの方も主に貴族や平民の渡航記録から追っているが、その記録の先頭にいるのも、彼の馬鹿で可愛い末の甥っ子だった。何と行くことが禁じられている享楽と賭博の島、ウトガルドへ行ったのだという。俺の所為だ、とそれを知ったセルゲイは青ざめ、仲間達からまた袋だたきに遭った。仲間達も必死に「大将」の嫌疑を晴らすため捜査しているのだが、得られる証拠はどれも大将の不利になるものばかりだった。

クセルクセスと情報を共有するために開かれた会議は、暗鬱とした結末に終わった。

一同が声も無く沈黙していた時である。クセルクセスの部下の一人が、彼にオットーの来訪と来意を告げたのは。

 「僕が思うに、彼は犯人ではありません」

寝台に寝ながら、JDは言った。

「当たり前です。 JD、貴方もあの子を養子にしたくらいなのだから、あの子の性格はわきまえているはず。 実の姉の暗殺など出来るはずがありません」

呼ばれて駆けつけてきたクセルクセスは、ぼさぼさのブロンドの髪を振り乱して、叫ぶように言った。

「ええ。 僕が思うに、帝国はちょっと妙なのです」

JDは頷いて、いきなり話題を変えた。クセルクセスは何のことやら分からずに、黙って話を聞くことにした。

「国や組織というものは、その時代に応じて形態を変えていくものであるはず。 なのに、帝国は、ここしばらく何一つ変わった様子を見せていない」

「それは、平和であるからではないのか――?」

オットーが訊ねた。JDは首を振り、

「オットーさん、万魔殿は穏健派と過激派の真二つに分かれているそうですね。 意見が異なっているが故に、同じ組織でも分裂しているという」

「それは、そうだが――」

分裂して、激突している。

JDが何を言いたいのか分からず、彼も黙った。

「聖教機構も同じです。 和平派と強硬派に分裂している。 でしたら、同じく組織である帝国も、二つに分かれていてもおかしくはないと思いませんか? しかし、帝国は女帝陛下の元、一つに団結している――今現在、表向きは」

「!」クセルクセスが形相を変えた。「まさか、JD、貴方は――」

「ええ」とJDは頷いた。「僕は、この事件の首謀者は、帝国の『主戦派』――と今は仮に名付けておきますが――ではないかと思うのです」


 『運は――我らに味方しなかったな。 暗殺は出来なかった』

 「でも、大混乱を起こすのには成功したわ」

 「大混乱に決まっているさ。 何しろ現枢密司主席の暗殺未遂だ」

 『気を付けろ。 連中は本気で犯人を捜している』

 「犯人が誰なのかさえ、分かってはいないでしょうけどね」

 「――おそらく、な」


 「余は――余は」

エンヴェルは爪をかじった。爪に痛みが走る都度、無惨な姉の有り様が頭に浮かんできて、とても寝られたものではなかった。

「絶対に――姉上を殺そうなどとは、しておらん」

何百回、そう言っただろう。だが彼は推定有罪だった。限りなく黒に近い灰色だった。実父の葬儀の場で姉を殺そうとした極悪人。それが今の彼に付いている肩書きだった。

聞き飽きた、とでも言いたげに、傍らの椅子に腰かける検非違使が欠伸をした。

「分かっている」

超強化ガラス越しにセルゲイは頷いた。

「俺達の誰もが、アンタの無罪を確信している。 誰一人、アンタが犯人だなんてこれっぽっちも思っちゃいない」

「何故姉上が狙われたのじゃ!?」

エンヴェルは叫んだ。彼は狂乱する一歩手前であった。

「分からない。 とにかくエンヴェル、大将のアンタはしっかりしていろ。 必ず俺達が無罪を証明してやるから――」

「頼む」

主の細い声に、セルゲイは今すぐガラス窓をぶち破って抱きしめたい衝動に駆られた。だが、平民と同程度の身体能力しか持たない彼には、貴族でさえ破れない超強化ガラスを破るのは、とても出来ない所業だった。

「それよりエンヴェル、何か食べられそうか? ――すっかり痩せちまって」

「無理じゃ」彼はうなだれて首を振った。

セルゲイは、そうか、と頷いて、

「じゃ、また来るからな――」

名残を惜しみながら、帰ることにした。

「ああ」エンヴェルは顔を上げようともしなかった。

それからしばらく経った時である。

「クセルクセス様からの差し入れだとよ――」検非違使の一人が、甘い果実の詰まった籠を持ってきた。「全くこれだからお坊ちゃまは」

「要らぬ。 お主らで勝手に食べるがいい」

がりがりと狂騒的に爪をかじりながら、エンヴェルは言った。彼はこの数日、水以外の何も口にしていなかった。人間なら身も心も疲弊したであろうが、彼は貴族――魔族なのでさほど消耗していなかった。精神的にはともかく、肉体的にはそれほど。

「それじゃお言葉に甘えて――」

検非違使達は、果物を食べ始めた。それから五分も立たない内に、彼らは血を吐いて倒れた。果物に魔族にも効く猛毒が入れてあったのである。

だが混入してあった毒は微量であったために、彼らは一命を取り留めた。クセルクセスが一族の名誉のために不祥事を犯した身内の処分を自らの手で下したのだろうと検非違使達は思ったが、それでも念のために、と事情を聞かれたクセルクセスは仰天した。彼は捜査に手一杯で、甥っ子への差し入れまでは気が回らなかったからである。他の親族達にもこっそり事情を聞いたが、誰一人として送った者はいなかった。

だが、これで彼にも確信できた。JDの話を聞いてから、まだ半信半疑だったのだが――間違いなく、何者かが、今度はエンヴェルの命を狙っているのだ。

「『主戦派』――ですか。 よろしい、かかってくるがいい!」


 クセルクセスとの二度目の会議で、エンヴェルの部下達は、『主戦派』の存在を知った。今度はJDも出席していて、部屋の隅で車椅子に座っていた。

「とにかく正体は分からないが、枢密司主席だけでなく大将の命を狙っているヤツがいると――!」

若者達は殺気立った。もしその場に『主戦派』が出てくれば、彼らは何の躊躇いもなく血祭りに上げていただろう。それほどだった。エンヴェル自身はあまり賢い男ではなかったが、部下達からは女帝の次に慕われていた。

「誰が敵か分かりませんので――この事はくれぐれも内密に」

クセルクセスに向けて、彼ら一同は頷いてみせた。

 「それにしても」

と会議が終わって、クセルクセスは若者達が駆け出していくのを見送りながら、呟いた。

「一体誰が――『主戦派』なのやら。 まさかJD、貴方ではありますまいな?」

「僕が裏切る場合は、先に女帝陛下に報告をいたします。 XX、貴方は?」

「私はあの女からびんたを食らいそうな真似はしませんよ」

「こら」とJDは言った。「女帝陛下をあの女などと――」

「貴方と私の間だけですよ」

「全く、この悪友は……」

XXは笑った。そして、久しぶりに笑ったと思った。

そこに、

「お父様、お疲れでしょうから、お飲み物をお持ちいたしましたわ」

オデットが二人分の飲み物を持ってやって来た。

XXは完全にめろめろになって、いつもの高慢さは失せてしまい、

「おや、有り難う。 毒などは入っていないでしょうな?」

「まあお父様ったら、いやらしい!」オデットは笑う。

その時だった。オットーが、何の気配もさせずに、部屋に転位して出現したのは。それが彼の、魔族としての特殊能力であった。

「JD、医者が心配している、早く帰って寝た方が――」

そこで彼は、凍りついているクセルクセスの、傍らの美女を見て――何か、運命的なものを感じた。それは軽く感電したかのような感覚だった。言うに言えない、初めての感触だった。向こうもそれは同じだったようで――彼女も、がちゃん、と二人分の飲み物の器を床に落として、こぼした。

「貴方は」

「君は」

と訊ねかけた所で、クセルクセスが動いた。神速の動きで、美女を抱えて、部屋から飛び出す。

「あ――待ってくれ!」オットーが後を追った時には、彼らの姿は消えていた。

 「オデット」

息を荒くしたクセルクセスが、館の裏で、ようやく彼女を降ろした。降ろされるなり、彼女は言った。

「お父様、一体何なの――あの男は!?」

クセルクセスの顔には、隠しきれない動揺が現れていた。

「オットーとか言う万魔殿のならず者です。 絶対に近付いてはなりません。 貴方が害されてしまいます。 オデット、いいですね?!」

「え、ええ――」

彼女は、クセルクセスの気迫に負けて、頷いた。

 「彼女は、彼の一人娘のオデット嬢ですよ。 ――どうされたのですか?」

さっぱり事態がのみ込めないと言った表情のJDが、訊ねた。

「いや、何でもない」

オットーは首を振った。そして内心で、こっそりと、この痺れるような感覚は一体何だろう、と思った。


 『計画に変更が必要だ。 あのオットーが生きている。 計画に気付かれた場合、重大な障害となる可能性がある。 海の藻屑としたつもりが、まだ生きていたか』

 「こちらの味方にすることは出来ないか?」

 『――失敗した場合に備えて、消去する準備を調えておかねばなるまい』

 「適材がいるわ」


 「おかえりなさいませ!」

帰宅したJDらを出迎えたのは、両手に皿を一杯抱えて歩いてくる召使ソーゼの笑顔だった。

「お館様、先にお食事にされますか、お風呂にされますか?」

JDの顔がはっきりと引きつった。

「いえ、その、それより――止まりなさい!」

遅かった。ソーゼは、自らの足に足を引っかけて転倒した。

オットーとJDは目を覆った。

がらがらがっしゃーん。

恐る恐る開くと、皿の無惨な死体が床一面に転がっていた。

「あああああああああああああああああああああああ!」

ソーゼが顔色を変えて、絶叫を上げる。丸かった皿が何枚も見事に割れてしまっていた。

「――ああ、月よ、お前が満月であった夜はげに短きや」

JDはため息をつきながら言った。何かの詩句の一節のようであった。

「もももも申し訳ありません!」

土下座して謝る召使いを叱れず、JDはいいんですよ、と逆に慰めた。

このソーゼという召使いは、性質こそ真面目で素直だったが、ドジと間抜けの頂点にいるような若者であった。皿を割り、壷を割り、絵を台無しにした。掃除をしていたら書斎の棚に激突し、分厚く重たい本の下敷きになって死にかけたこともあった。

「元から高級品は無いので大した損害では無いのですけれど――とても怖ろしくて書斎と倉庫には入れられませんね。 ――いいですか、決して入ってはなりませんよ」

食事の給仕を務めながら、ソーゼはしょげかえった表情で、

「……はい」

と神妙に頷いた。

「絶対に、入りません」

「よろしい」

JDも頷いた。

だから、オットーは皿を抱えて階段を登ってくるソーゼを見た時、血相を変えたのである。彼の脳内では、無惨に砕け散った皿の姿が再生されていた。

「だ、大丈夫か!?」

「今度こそ落としません、オットー様!」

にっこりと彼は笑った。えくぼが出来た。

「そ、そうか――それなら、いい」

「オットー様もお優しいですね」ソーゼはにこにこしている。「僕、こんな有り様なので、幾つものお屋敷を首になって――ここが初めてなんですよ、こんなに長く雇っていただいたのは」

だろうな、とオットーは思った。誰だって皿も壺も絵画も惜しいだろう。

「JDに感謝しろ」

「はい、勿論です! でも――あのう」

急に彼は落ち込んだ様子で言った。

「お館様のお先が長くない――と言うのは本当ですか?」

彼は、心底死なないで欲しいと言いたげな不安な表情だった。それは雇ってもらえなくなるからではなく、JDを人格者として慕っているからだった。

「……お前は、仕事を失敗しないよう頑張れ。 そうすればJDの心労も減って、少しくらいは長生きするかも知れない」

ぴしっとソーゼの顔が引き締まる。

「は、はいッ!」

元気よく、そう言った。

「ところで」とオットーは訊ねた。「この館に武器庫のようなものはあるか。 刀剣が欲しい」

ぎょっとしたような目でソーゼはオットーを見つめた。

「ま、まさかそれでお館様を――」

「体が鈍ってきたから鍛えたいだけだ」

じろじろとソーゼはオットーを見て、

「――太られた様には見えませんが」

「太る前に何とかしたいんだ。 頼む」

「――お、お教えしますが、絶対にこの館の中では振りまわさないで下さいね! 後、ちゃんとお館様の許可も取って下さいよ!」

 JDは快く許した。

「どうぞどうぞ。 どうせ僕は使いませんので。 お好きなものをお持ちなさいな」

武器庫に入って、ほうとオットーはため息をついた。

古今東西のありとあらゆる武器が備えられていたのだった。銃から、剣まで揃っている。初めて見た兵器らしきものもあった。

「僕の父のコレクションです」

「凄いな」

「父は、戦争は嫌いでしたけれど、武器が好きだったのです。 戦争は醜いが、武器は美しいと」

「同感だ」

オットーは片刃の長刀を手にして、頷いた。

これがいい。気に入った。

「この世界は醜いですけれど――地に埋まる宝石のように、掘り求めれば美しいものもあるのですよ。 決して諦めなければ、いずれ辿り着ける。 いえ、諦めないという覚悟こそ、美しいのです」

JDは呟いた。その言葉は、いやにオットーの心に残った。

「似たような言葉を聞いたことがある――『足掻くことを諦めたら、そこで全てがお終いになるのだ』と」

「この世界は広いですから」JDは、ふふ、と笑った。「きっとその人も――生きることを諦めていないに違いない」


 その夜も、また美しい夜だった。誰もが寝静まった深更、オットーは手紙一つを残して出かけた。帯剣していた。

街を歩き、彼は、いつしか墓地まで辿りついていた。

「――そろそろ、姿を見せてもいいんじゃないか?」

ゆらり、と彼の目の前が揺らいだかと思うと、深々とフードを被った人影が姿を現した。

「お前は、誰だ?」

『――この世界が醜いと思わないか』

変声器を使っているのか、奇妙なしゃがれ声でその人影は言った。

「醜い? もちろんそう思っているとも」

オットーは答える。この果てしない戦争ばかりが繰り返される世界が、醜くないはずがない。腐って歪んで醜い有り様である事は良く承知している。

『美しい世界を作りたくはないか』

「出来るものならな。 だが俺達はこの世界で足掻くしか無いんだ」

戦って、戦い抜くしか無いのだ。

『美しい世界を作る術がある。 ――知りたくは無いか?』

彼の好奇心が刺激された。

「――知りたい。 だが――その前に訊こう。 お前は誰で、何が目的なんだ? どうして俺の後を付けた?」

『我々に協力して欲しい。 決して、君の損にはならない。 むしろ君のためになることだ。 ――美しい世界に、君も住みたいだろう?』

「住みたいが、俺の手は血で汚れている。 それでも許してもらえるのか?」

『我々に協力すれば、罪は全て浄化されるだろう。 私としては、君に是非協力して欲しい』

「俺が嫌だと言ったら?」

『――貴様は報いを受けるだろう』

背後で、気配がした。それも複数。オットーは言葉を選びながら言った。

「――この世界が醜いというヤツは、この世界で足掻くことを諦めたヤツだ。 諦めた負け犬に協力する理由はない」

『――そうか。 私としては、非常に残念だ』

人影が、揺らめいたかと思うと消える。同時に彼は背後から襲われた。

だが、その時には彼は既に転位している。背後を取った。長刀を一閃させると、凄まじい切れ味のそれは、襲撃者達をすっぱりと真二つにした。

「凄い切れ味だ」彼は呟いて刃を振り回した。

残り一人となった襲撃者はナイフを構えた。オットーも長刀を構える。緊迫した空気が流れる。襲撃者が、動いた。オットーは流れるように長刀を動かした。だが、肉を打つ感触はあったものの――弾かれる。どうやら刃が効かない装備をしているようだった。

ならば、峰打ちで肉と骨を砕くまで。彼は長刀を持ち変える。その隙を縫って襲撃者はナイフを繰り出す。彼の頬を掠めた。青い血が流れる。続けて繰り出された鋭い蹴りを、彼は近距離転位してかわす。

転位した直後に、男の胸を蹴った。男はのけ反る。だが、そのままバク転した。その靴先からもナイフが現れ、オットーの胸部を浅く切り裂いた。彼は舌打ちする。

「ちッ――なッ?!」

だが、次の瞬間、彼の体は硬直した。ナイフには暗殺者が使う猛毒が塗られていたのである。それが、効き始めたのだった。

襲撃者は、素早く駆け寄ってくる。オットーの体には力が入らなくなって、前のめりに倒れた。両手をつくが――体が痺れて立ち上がれない。意識が点滅を始め、長刀が手から離れる。ナイフが振り下ろされ――。

「何をしている!」

辺りを打つような声が響いた。花束を持ったクセルクセスが、墓地の入り口に立っていた。

「!」

襲撃者は、逃げ出した。クセルクセスが走り寄ってくる足音を聞きながら、オットーは意識を失った。


 ――ぽかりと額を打たれて、彼は転倒した。

「ほらほら、どうした、かかって来ないか」

は、木刀を振った。

 (ああ、これは、俺が幼い頃の一光景)

「――勿論だッ!」

彼は木刀を掴んで、立ちあがる。

そして彼女の背後に転位した。だが、ひらりとかわされて、今度は背中を打たれる。彼はまた転倒した。

「ううッ――!」

「お前の攻撃はとにかく背後を狙おうとするから読めてしまう。 たまには奇策も必要だぞ?」

「――う、るさい!」

彼は彼女の頭上に転位して、襲いかかった。

「くらえ!」

だが攻撃は空を斬り、ぽかりとまた頭を打たれる。

「まだまだ甘い」

彼女の厳しい言葉が降ってくる。

 (俺は、いつも彼女に勝てなくて)

「裏の裏をかく奇策が必要だ、オットー坊や」

「坊やじゃないやい! いつもいつも子供扱いしやがって!」

「じゃあ、次の稽古までには考えておくんだ、オットー」

彼女はくるりと背中を翻すと、去っていった。

彼は歯軋りしながらそれを見送って――。

 (その背中を越えたくて、いつも足掻いていた)

 (あの頃から俺は、どれだけ成長できただろう)

 (俺は――)

 (――)


 「オットー!」


 その声で、覚醒した。

彼は医療器具に取り囲まれて、寝台の上で寝ていた。

「ごあ、あ――」

舌がもつれて、よく喋れないと思ったら、口に医療器具が突っこまれていた。彼は邪魔になってそれを取ろうと片手を上げたが、その手が握られた。小さな温かい手に。

「良かった……! 医者の話では、目覚めるか否か五分五分と言うことだったのですよ」

(――JD!)

彼はもう片方の手で医療器具を取ると、彼に問うた。

「お、俺を襲った連中は!?」

「分かりません。 おそらく帝国外の連中でしょう。 見た事の無い顔だった上に、最後の一人をXXが追ったのですが、行方をくらましたそうです」

「首謀者がいる。 美しい世界に住みたくはないかと――俺に協力するよう持ちかけた」

「そう、ですか――万魔殿の貴方に助力を請い、失敗して命を狙うとは――」

「『主戦派』とか言ったな? もし事実だとすれば――俺の敵でもある」

「何故ですか?」

「万魔殿でも過激派は、穏健派の『』の――俺の敵だからだ」

「オットーさん……。 何も貴方が関わる必要は無いのですよ」

JDは彼から目をそらした。

「もう十分に関わっている。 それに、友達だろう?」

JDの手を握りかえして、オットーは言った。


 「説得に失敗。 暗殺にも失敗。 失敗だらけだ」

 「貴様が提案したんだろうに!」

 『言い争うな。 計画は、依然順調だ』


 ジュナイナ・ガルダイアで生死の境を彷徨っているユナの見舞いに行くと女帝が言い出した。これは誰にも予測出来ていた。自分にもっとも近しい側近が死にかけているのである。太母として、見舞わぬことなど出来ないだろう。だが、隠密に行きたいと彼女が言った時、クセルクセス達は全力で彼女を止めた。

『まだ、ユナを狙った犯人も捕まっておらぬのです!』

立体映像として宮中に現れたクセルクセスは、血相を変えていた。

『隠密に行かれては、陛下のお命も危ういかも知れません』

「ですが、ユナを早く見まいたいのです」

『出来る限り迅速に準備を進めますので――どうかお待ちを!』

「では、遅くとも今日中に出立しますがよろしいですか?」

『そ、それは――』

幾ら何でも早過ぎる。準備も何も、間に合わない。

高官や側近達が揃って止めたが、彼女は頑として、

「我が侭だと思うでしょうが――一刻も早くユナにあいたいのですよ」

『陛下――』

弱々しい、消え入りそうな声が聞こえたのは、その時だった。

「JD――」

立体映像で、車椅子のJDが登場する。

『どうか、何とぞ、お待ち下さい。 陛下のお命に差し障りがあっては、ユナも堪らないでしょう――』そこで、ごぼっと彼は血を吐いた。側近達や居並ぶ貴族達が硬直した。彼の病状は重いと言う情報を得ていたが、ここまでとは。彼は苦しい息の下、言った。『――どうぞ、お願い申しあげます』

「――では、三日」女帝が渋々といった感じで、言葉を発するには、「三日、まちましょう」

側近達や貴族達の間に、ほっとしたような空気が流れた。

 「JD」クセルクセスは、緊急御前会議が終わった後、心底やれやれと言った感じで、呟いた。「私は陛下をあの女呼ばわりしましたが――貴方はそれ以上だ。 とは何事ですか」

「まあ、こうでもしなければ陛下は留まってくれなかったでしょう」JDは口元を拭いながら、少し笑って言った。「それにしてもトマトジュースと言うのは、いばかりであまり美味しくないですね。 ソーゼに作らせたのがいけなかったのでしょうか?」


 クセルクセスの弱点は娘オデットである。それこそ掌中の珠、目に入れても痛くない、溺愛している――と言っても言い足りぬほど、とにかく甘い。彼女のその美貌から結婚の申し込みは殺到していたが、鬼舅と化したクセルクセスによって片端から吟味され、はね除けられていた。もし彼女が恋人を連れてきたら、彼は馬鹿高いプライドも地べたに叩きつけておいおいと泣くだろう。

「ねえお父様」

と彼女がやって来ると、彼はいつもの驕慢っぷりはどこへやら、

「どうしたのです、オデット」

でれでれでれでれし始める。原形を留めないほどに。

「早くユナ様を殺そうとした犯人は捕まらないかしら」

「今必死に捜索しております、もう少しお待ちなさい」

「女帝陛下が御幸の前に、何としても捕まえなければ――私にも是非手伝わせて下さいな」

「気持ちは大変嬉しい。 ですがオデット、申し訳ないことに貴方の出来ることは今は無いのです」

「もうお父様ったら、私をまだ子供扱いしていらっしゃる――」

オデットは不機嫌そうに頬を膨らませる。

クセルクセスはふと顔をあらためて、

「貴方はいつまで経っても私の大事な娘ですよ――フリージアの形見です」

「お母様は――私を産んですぐに亡くなってしまったのですよね。 でも、サーシャが本当に良くしてくれた。 セルゲイもいて――あの子は捻くれたまま育ってしまったけれど」

「サーシャの事では、私は貴方がたに謝らなければならない。 凶竜の禍の騒ぎで、彼女の葬儀にも出られなかった」

彼女は涙を浮かべて、

「いいえ、あれはお父様の所為ではありませんわ――」

そのまま、涙をこらえるふりをしてクセルクセスの部屋から出ると、彼女はぼそりと呟いた。

「お前を、私は一生恨んでやると決めたのよ!」

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