第9話 【ACT一】出会いの不可思議

 誰かに、遠くから呼ばれている。

「もし、もし――」

何だ。うるさい。放っておいてくれ。

「貴方はもう十分に眠りました。 そろそろ、起きる頃ですよ」

嫌だ。俺は眠りたい。

「そうおっしゃらずに。 ――さあ、お目覚めなさい」

 ――声の通りに、目が覚めた。広いが簡素な一室。彼は奥の寝台に寝かされていた。

枕元には、車椅子の少女が一人――実は少女どころか彼より遥かに年上の男だったのだが――座っていて、彼はじっと覗き込まれていた。

「こんにちは、オットー・フォン・ホーエンフルトさん」

車椅子の男はそう言って、にっこりと笑った。

「き、貴様は誰だ――!?」

「僕はJDジェラルディーン。 『帝国セントラル』のしがない一貴族ですよ。 貴方が漂流していた所を、僕の義理の息子が拾ったのです」

「ここは、どこだ」

「商都ジュナイナ・ガルダイア。 帝国の、異国との貿易を一手に司る煌びやかな街ですよ」

「――」彼は起きあがろうとして激痛にうめいた。ばっさりと斬られた傷跡が疼く。思い出した、彼は盟友を殺した政敵との戦いに敗れて――船から転落したのだった。「俺は、何日寝ていた」

「かれこれ一週間ほど。 そろそろだろうな、と思いまして、今日起こしたのですよ」

「礼を言う。 だが――何故助けた? どうせすぐに追い出すつもりだろうが」

彼の名を知っていると言うことは、つまり彼が万魔殿の幹部である事をも知っていると言うことであり――普段の帝国であったら、関わり合いになるのを嫌がって彼を放棄するはずだ。

「怪我人を、追い出すような真似はしませんよ」おっとりとした声でJDは言った。「それに――個人的に興味がありまして」

「俺の何に興味がある」

万魔殿パンテオンの『高貴なる血ブルーブラッド』の方と、もう一度お会いしたいと思っていたのですよ」

「もう一度?」

「僕は貴方の御父君とお会いしたことがありまして――それ以来、気になっていたのです」

「――俺の親父を知っているのか!」

「ええ、ほんの少し」

JDは少し笑って、オットーの手を取った。小さな、温かい手だった。

「ですので、しばらく御逗留下さいな」


 JDはそれから毎日のように終日オットーの部屋に押しかけた。そして、彼と雑談をしていくのだった。JDはとても話題が豊富だった。政治、経済、娯楽――帝国外の知識にも意外に長けていた。何日かして、オットーは疑惑を抱く。

「何故そんなに知っている? ――帝国は自ら外に出ようとはしないはずだ」

魔族が人を治める万魔殿と、人が魔族を治める聖教機構ヴァルハルラの争いを、無視しているのだと思っていた。同じ魔族が治める組織同士なのに、万魔殿の援助もせず、ただ自分が肥え太っていくだけなのだと――。万魔殿では、帝国の支配層である魔族――貴族のことを、肥え太ったブタと呼ぶ者すらいた。

「僕は昔から虚弱で引きこもりがちで、本を読むのが癖だったんです。 外のことを知りたいあまりに、帝国外のことも知りました。 ――娯楽は、悪友から教わったんですよ。 と言っても話だけですが」

「……どうして帝国は戦おうとしない? 帝国が本気で動けば、聖教機構など木っ端微塵に出来るだろう?」

オットーも聞いたことがあるのだ。過去に何度か、帝国は聖教機構を追いつめたと言う話を。

「我らが主、女帝陛下は、争いを望まれていないのです」

そう言って、JDは窓の外を見た。ところどころに緑の点在する白亜の街並みが、青い海に映えている。

「だから――陛下の臣民たる僕らも、余程の事がない限り、戦うことは出来ないのです」

「それで内側でぶくぶくと肥え太っていくと言う訳か」

オットーは皮肉を言った。JDは首を横に振り、

「もしよろしければ、これから街に出かけませんか?」と言った。

「別に構わないが――」

既に、起きあがって歩くくらいのことはできる。

「では、行きましょう」

 怪我人と電動車椅子なので、歩みは非常にゆっくりしたものだった。

彼らは白い街の間を通りすぎていく。国際貿易港の大都市と言うだけあって、様々な人種の人々でごった返していた。

「あれは何だ?」

オットーは見なれぬ建物を見て、JDに訊ねた。消毒アルコールの臭いが漂う、医療施設のような建物だった。だが、別に怪我人や病人が出入りしている風もない。JDは、ああ、と合点がいった顔をして、

「ああ、あれは採体局ですよ。 我々貴族、すなわち魔族は、人間を食べずには生きてはいけない。 しかし人間である平民を直に食べるなどけしからん。 そこで報酬と引き換えに体の一部を提供してもらっているのです。 採った人体は加工して、我々の口に入っているのです。 合成肉が出来る以前からの慣習でして、今も続いているのです」

「おぞましいな」オットーは吐き捨てた。

「何の。 採ると言っても日常生活には差し支えない部分ですし――提供するか否かは平民の自由意志にまかせてあるのです」

「――万魔殿の、永遠に『飢え』を封じる術をお前達は知りたくないのか?」

それを、オットーは知っていた。

「僕は知っておりますが――知らなくても十分にやっていけますので」

JDはにっこりと笑った。オットーは黙った。

やがて、彼らは白亜の巨大な館に辿りついた。大勢の人々が働いていて、警護の人間も数多くいたが、誰もがJDの顔を見るとそのまま通した。JDは絢爛豪華な館を奥に進み、ある扉の前で止まった。

「少々、覚悟して下さいね」ため息を吐きながら、彼は言った。

「?」オットーは不思議そうな顔をする。

「この館の主がここにはいます、ですが――かなりの偏屈者でして。 性格破綻者寸前なのですよ。 少なくとも、人格者ではありません」

「面白そうじゃないか」

JDは、首を振って、

「いえ――おそらく貴方の予想を上回るでしょう」

とん、とん、とん――と扉を叩く。

「どうぞ」

扉が自動で開かれた。

部屋に一歩入った途端、オットーは目を瞬かせた。目がくらんだのだ。豪奢。瀟洒。そういう煌びやかで眩い単語が頭をちらつく。そういう一室だった。世界中の珍品や贅沢品が結集しているようだった。天井から床一面まで、部屋の主の豪華絢爛な好物が置かれているのだ。

「おや、誰かと思えばJDではありませんか」

部屋の中央。けばけばしいくらいの華美そのものの執務卓に、組んだ細い足を乗せながら、女のような顔をした青年が言った。光り輝くブロンドの髪が、腰の辺りまでうねりながら伝わっている。

XXクセルクセス、貴方も行儀が悪い。 客人の前ですよ、少しは整えたらいかがです」JDがとがめるように言った。

「自然体で歓迎するのが私の慣わしでしてな」

「要はきっちり・かっちり・ばっちりしたくないだけでしょう」

「ふん」青年は鼻で笑うと、「ところでそちらの若造は誰です」

若造呼ばわりされて、オットーはかっとなった。素早くJDが彼の手を掴んでいなければ、青年の胸倉を掴んでいただろう。JDがため息をついて、

「オットー・フォン・ホーエンフルトさんですよ」

青年はもう一度鼻で彼を笑って、

「あああの。 万魔殿のケツの青い青二才。 聞いたことがあります」

ますます彼は激昂した。JDの手が、固く握りしめてさえいなかったら、己の怪我の状態も無視して殴り飛ばしていただろう。

「それを言うなら、貴方なぞ、老いぼれ爺の古狸でしょう」

「うるさい。 このクセルクセス・イレナエウス、心はいつまでも二五歳のままです」

その名はオットーも聞いたことがあった。帝国きっての名財相で、政治家で、軍人だと。ジュナイナ・ガルダイアの太守で海軍提督だった時に、かつて空前絶後の繁栄を誇ったクリスタニア王国との二度のハルトリャス海戦を戦い、見事勝利に導いた。故に、通称『ハルトリャスの魔王』。

「! ――お前が、あのクセルクセスか!」

本者だとしたら、既に三〇〇歳に近いはずだ。

「気付くのが遅い。 これだから若造は嫌いです」

JDがたしなめるように言った。「XX、貴方だって昔は若造だったでしょう。 全く女ったらしの癖に言うことが大言じみている」

「女の神秘を極めて何が悪いのです。 ――それに、私は生憎やもめだ」と、ぎろりと睨まれて、何故だか分からず、オットーは戸惑った。憎悪が混じった、凄まじい視線だった。幾度も死線をくぐり抜けてきた彼が怯んだほどだった。

「……どうして俺を睨む?」

「――『フォン・ホーエンフルト』がゆえですよ」

さっぱりオットーには意味が分からないでいた所に、JDが口を入れた。

「彼をジュナイナ・ガルダイアにもうしばらく滞在させたいのですが、構いませんね?」

「構いません」ふっと視線をそらして、クセルクセスは言った。

「良かった。 ――では、これで」

 「とんでもない男だったでしょう」

部屋を出ると、JDはため息を吐きながら言った。

「傲慢で我が侭でナルシスト。 才能と裁量はあるのですが、性格と女癖が全て邪魔をしている。 実力はあるのに枢密司主席になれなかったのは、主にその所為なんですよ」

「どうして俺は睨まれたんだ?」

「あの男は万魔殿が大嫌いなので――その所為かと。 全く、万魔殿の中にだって貴方のように話せる人がいると言うのに――」

「それは貴様達の買いかぶりだ。 俺は、絶対に、貴様達と分かりあえるとは思っていない」

「どうしてですか?」

「どうしてと言われても――」

異なる組織。異なる境遇。永遠に交わらないものだと思っていた。

「僕は人と話したいのです。 必ず、分かり合える時が来ると信じていますから」

「――それは単なる自己満足に過ぎない。 俺達は決して分かり合えない」

同じ魔族だが、隔てる溝はあまりにも深すぎる。

「――でも。 それでも。 僕は信じているのです」

JDは、まだオットーの手を握りしめながら言った。

 その夜のことだった。オットーは寝ていたが、どこかで苦しげなうめき声が聞こえたために飛び起きた。部屋を出て、人気のない館を彷徨う。ある一室から、その声は聞こえた。

こっそりと忍び入ると、天蓋付きの寝台の上で、JDが苦悶していた。胸を押さえて、喘いでいる。

「――大丈夫か!?」

近付くと、いきなりしがみつかれた。彼の腕の中で、JDはぜいぜいと呼吸もままならぬほど喘いでいたが――いきなり、糸が切れた人形のように静かになった。オットーはぎょっとして確かめると、彼はちゃんと息をしていた。眠っていた。

オットーは彼を寝かせると、そっとその部屋を後にした。

 翌日、JDは何も言わなかった。それでオットーも何も言わなかった。

 その日は、さ迷い出たくなるくらい良い夜だった。無性に外を歩きたい衝動にかられて、オットーはJDに告げずに置き手紙だけ残して、館を抜け出した。

しばらく歩いていると、前方からふらふらと歩いてくる大きな男を見つけた。身なりこそ良いものの、有り様はまるで廃人のようで、目の焦点がどこにも合っていない。オットーに敵意や害意は抱いていないようだが……。

「済まぬが――エリシャを存ぜぬか?」

その男は、やや古式な物言いで、オットーにそう訊ねた。

「いや、知らないが――」

「おかしいのう、さっきまで傍におったのに――いきなり消えてしもうたのじゃ」

そう言うと、またふらふらと歩いていく。

オットーはそれを見送って、一体何だろうと首を傾げた。

また歩いていくと、今度は墓地の前でクセルクセスと遭遇した。覆面をしていたが、長いブロンドの髪ですぐに誰と知れた。

「あ、若造」向こうから、声を掛けてきた。

「何だ、古狸」若造呼ばわりされた不快感も露わに、オットーは言い返す。

「かような夜更けに何の用です」

「あまりに良い夜だから――出たくなって出てきた。 貴様は?」

「クセルクセス」唐突にそう言った。

「は?」

「貴様、ではない。 私には名前があるのです。 私はただ今花盗人をやっています」

つまり、女の所に出かけると言うのだ。墓場の前でよく言ったものだとオットーは呆れた。

「お気楽なものだな」

「ふん。 これでも命がけなのですよ」

これ以上の言い争いは不毛だとオットーは思い、訊ねてみた。

「さっき、身なりの良い大きな男がエリシャを知らないかと訊ねてきたが――心当たりは無いか?」

クセルクセスが、黙った。黙ってから、言った。

「――それは私の義理兄です。 姉を――妻を亡くしてから、少々おかしくなってしまったのですよ。 詳しい事情はJDに聞きなさい。 私は話したくない。 そう言えば、JDは元気でしたか?」

「夜、苦しがっていたが――一体どうしたんだ?」

「彼はもうじき死にます。 精々生きて後数ヶ月でしょう」

「! ――何故だ!?」

「彼は生まれついての体質的にのですよ。 魔族は人体を食べねば生きていけないのに、今まで生きてこられたのが奇跡のようなものです。 それなのに彼は一〇年前の『凶竜の禍』の際に帝国を背負った。 自らの寿命を削って。 その報いが今来ていると言う訳です」

凶竜の禍。これも聞いたことがあった、帝国の帝都シャングリラが巨大なドラゴンに襲われて壊滅寸前までに陥った事件だと。だが、それよりも気になる発言があった。

「帝国を、背負った?」

「ああ、彼はやはり話していなかったですね。 謙遜もあそこまで行くと病的だ」クセルクセスは納得したかのように頷くと、言った。「臨時とは言え。 つまり女帝陛下の次に偉かった男なのですよ、彼は」


 翌日、オットーはJDを問い詰めた。

「お前は、何故話さなかった? 自分が帝国の頂点に立った男だと――」

「あ、その言い方は違います。 あくまでも帝国の頂点は女帝陛下、僕はその臣下に過ぎません。 話さなかったのは――貴方との距離を生みたくなかったからです。 貴方と友達になりたかった」

「友達……?」

「そう、友達です」

「別に貴様なんかと――」

「では、書き置きを残してくれたのは何故ですか? 別に無断で出かけても、良かったものを」

「そ、それは――」

答えられなかった。ふふ、とJDは笑って、

「ようやくなれましたね」

と言った。その笑顔には、もうすぐ死ぬと言うのに何のかげりも無かった。

「――友達、か」

オットーには、戦友なら大勢いた。だが、誰もが聖教機構との戦争で傷つき、死んでいった。盟友もいた。だが、彼らも似たような末路を辿り――オットーは支持者こそいたものの、基本的に一人だった。それを寂しいと思うこともなかった。彼には、かけがえのない家族がいたからだ。

「悪くはないでしょう?」

JDは言う。オットーは少し黙ってから、

「お前は死ぬことが怖くないのか」

「ああ、XXが言ったのですね。 本当にお喋りが好きな男だ」JDはまた、穏やかに笑って、「――実は怖いです。 僕の病は人間を食べる魔族である限り不治の病だ。 死にかけたことも何度もあります。 でも、六〇年も何だかんだで生きていれば諦めも根性も付くものです。 それに――死んで女帝陛下のお膝元に行けるのなら、怖くありません」

「女帝陛下……」

それは、帝国の民が崇める、唯一の現人神だとオットーは聞いていた。

「我らが太母メム・アレフにしてこの国の絶対君主。 我々貴族や平民は、死ぬと女帝陛下の治める別の国に行くのだそうです。 この世ではない国に。 そこには、四苦八苦もなく永久に平和が続く国だそうで――どうです、貴方も行ってみませんか?」

「俺は、いい。 俺はこの世で戦い抜いてやる」

戦って戦って、その果てに何があるのかも分からないまま、戦ってやると決めたのだ。

「御父君が殺されたからですか」JDは悲しそうな声で言った。

「――」オットーは答えない。

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