第7話 【ACT七】邂逅

 レット・アーヴィングの根城は、享楽と賭博の不夜城、ウトガルド島である。ここで彼は情報を収集していた。金の集まる所には、人と物――情報も集まるのだ。彼はウトガルド島のカジノで活躍しつつ、金しか価値の無い世界で生きていた。金だけがここでは意味がある。ここでは金さえあればどんな快楽でも得られたし、金が無くなればそれは死を意味していた。

レット・アーヴィングは凄腕の賭博師かつ、ウトガルド島王の最側近でもあった。だから、彼はいつも命を狙われていた。唯一、金無しにウトガルド島王に言う事を聞かせてやれる切り札が、彼であったからだ。そのためレットはいつも移動する時に護衛を必要としていた。

「ごめんね、シャマイム」とレットは温厚な青年のはりぼてをかぶって言う。いざギャンブルとなった時に、幾人、幾十人を破滅させてきた恐ろしい姿は全く見せないで、「僕は一人で出歩いたらすぐ殺されてしまうからね、どうしてもシャマイムみたいな安心できる人が側にいないと、故郷ふるさとに帰る事すら出来ないんだ」

「自分は人間ではない、兵器だ」

「謙虚だねえ」とレットはしみじみと言う。「シャマイムみたいな人は、そもそもギャンブルをやろうと言う思考が無いんだ。 地道に貯めていく、その大切さと美徳を持っているからね。 ああ、僕がつぶしてきた連中とは根幹から違う。 きっとシャマイムみたいな人がついうっかりウトガルド島に来たら、僕は痛恨の一撃を与えて、二度と来させないようにするよ。 シャマイムみたいな人を地上から減らすなんてとんでもない悪行だからね。 ……逆に」

「俺みたいなクソッタレが来たら身ぐるみ引っぺがしてボコボコにしてケツ毛までむしるつもりなんだろう?」I・Cがレットよりも先に言った。

「良く分かっているじゃん。 要は僕が誰に対して何をするとどう罪悪感を抱くかと言う話さ」レットはウトガルド島へ行く豪華客船サン・リディ号の船室の窓から海と空を見て、「ああ、この天気じゃまた降るだろうなあ」と言った。

「……ちなみにグゼとかニナとかフィオナとかセシル辺りじゃどうなんだ?」I・Cが訊ねた。

「グゼはね、多分僕をやり返すと思う。 まー、でもグゼが僕と対戦するなんて事はまず起きないよ。 グゼはギャンブルよりも弟妹に飢えているからさ。 グゼを殺したかったら『お兄ちゃん』と言えば良いのだし。 ニナは多分三回賭けて失敗したら潔く諦める。 フィオナもそうだ。 セシルは一回でも失敗したらうんざりして止めるね、間違いなく。 フー・シャーは奥さんのケツに完全に敷かれているからギャンブルが出来ない。 アズチェーナは……」

「ああもう分かった!」I・Cが不愉快そうに怒鳴って、レットを黙らせた。「俺はバーに行く。 シャマイム、お前にレットは任せた。 何か起きたら安全な場所まで連れて行け。 俺の邪魔をするなよ?」

「了解した」とシャマイムはよくある事なので素直に承諾した。


 I・Cは船室を出て廊下を歩き、バーに向かった。その後姿を驚愕の目で見ている青年がいた。

「……ま、まさかこの船で行き会うとは……!」

オットーであった。彼もバーまで行こうとしたのだが、来た道を慌てて戻り始めた。

一等船室にたどり着くと、彼はドアをノックして、名乗った。すぐにドアは開いた。

「ちょっと、話がある」オットーは興奮した口調で言った。

「どうした?」ソファに腰かけながら、万魔殿穏健派幹部アルセナールは訊ねた。その外見は優男だが、シラノと同様に実年齢はオットーとは比べ物にならない。種族にもよるが、魔族は人間よりもはるかに長生きするのだ。

「先程、聖教機構のヤツらと遭遇した。 帝国の領海を通りすぎるまで、外出は控えた方がいい」

ここは既に彼らの勢力圏内ではなかった。そんな場所で争いを起こせば、最悪、外交問題にまで発展するだろう。

「分かった。 では――折角の好機が台無しだな」

「折角の好機?」

「先程、確かめた。 この船にはジュリアスが単独で乗っている」

「何だと?!」

二人の間でジュリアスと言えば、過激派の首領であるジュリアスしかいない。彼らの政敵、いや、宿敵であった。

「――どうする、オットーよ」アルセナールは彼に身を寄せて囁いた。

「『彼女達』のためにも、ジュリアスだけは倒したい……!」

「二人で、やるか」

ああ、と言いかけたがオットーはそこで踏み止まった。

「……いや、ここで争えば、『彼女達』を結局困らせてしまう」

万が一。万が一戦って、負けた場合に、彼らが残された者へかける迷惑はとんでもないものになる。

「オットー」アルセナールの声には、失望がありありと見えていた。「そうか、分かったよ」そう言い捨てて、彼は船室を出た。

オットーには、その意気消沈した背中に掛ける言葉がなかった。

アルセナールは扉が閉まると、こう呟いた。

「お前には失望した。 私達の中で誰よりも『彼女達』から愛されているのに――何故、今立ちすくむ。 良い、私一人でやろう!」


 I・Cはバーに入った途端に奇妙な懐かしさを感じたが、何故だろうと思うよりも酒への欲が勝って、彼はすぐに忘れてしまった。

カウンター席の、たまたま仮面をかぶった男の隣が空いていたので、そこに座る。待ちかねていた酒を一杯飲んで、I・Cが大きく息を吐いた時、

「お客さん」静かな口調で、仮面の男が言った。「ウトガルド島へ遊びに行かれるのかい?」

「まあな、そんな感じだ。 あんたもそうかい?」

「享楽は全て虚しい。 だからこそ刹那に輝くのだ」

「――言っている意味がよく分からねえんだが」

I・Cは奇妙な顔をした。何かが、酷く懐かしいのだ。だが、どうしてだろう?

「理解も共感も求めてはいない。 ただ私が発言して、貴方はそれを聞いただけだ。 ただすれ違っただけ――運命の一断片だ」

「そうか、そうかい」

I・Cはそれ以上相手にせず、酒をただ飲んだ。

ふっ――と気配が近寄ってきて、彼は横目でそちらを見た。

優男が仮面の男に、近付いていた。I・Cは酒を吹きそうになった。何故ならその優男は、あの、穏健派幹部のアルセナールであったからだ!まだI・Cの存在には気付かれていない。否、今のアルセナールの攻撃目標は――!

「ジュリアスだな」とアルセナールは言った。

「名は全て虚実に付けられた言葉だ」とジュリアスは言った。

アルセナールの瞳孔が開く。

「その命、頂戴する」

空間が、炸裂した。I・Cは吹き飛ばされて壁に激突する。

〇距離で生み出された衝撃波の仕業だった。

「――ま、マジか!?」I・Cは思わず言った。

彼らの目の前では――熾烈な魔族の戦いが繰り広げられていた。

背中に羽根を生やし、次々と衝撃波を生みだしては攻撃するアルセナールと、両手剣をどこかから引き出して対峙する仮面の男。天井と壁と床が無惨に切り裂かれて、屋上と海と船室が覗いた。間もなく雨が降り出すだろう、重たい天候だった。船客達が悲鳴を上げて我先に逃げている。

「……アルセナール・ド・フロランタン! おまけにジュリアスだと!?」

I・Cは言うと同時に通信機をシャマイムに繋げて、

「今バーで万魔殿穏健派と過激派の幹部同士がドンパチやっていやがる。 絶対に近付くな!」

『了解した』

――激烈な争いに、だが、とうとう終止符が打たれたかに見えた。

一度に複数放たれた衝撃波が、仮面の男の胴体に命中したのだった。血が――青い血だった――吹きあがる。男は、両手剣を手放して倒れた。

「……青い血だと!?」

アルセナールは目を見張る。

「いや、まさか、そんなはずは――!」

「偶然とは、概して必然へと変わりゆくものだ」

むくりと仮面の男が起きあがった。傷口は、しゅうしゅうと音を立てて塞がっていく。両手剣を再び手にすると、まっしぐらにアルセナールめがけて突貫した。

襲いくる衝撃波を並はずれた身体能力でかわしながら、男は彼に肉迫して、ぐっと手刀を突きだす。アルセナールはそれを左へかわした――のに、右腕が肩から消失した。

「な!?」

この力は、まさか。アルセナールが最悪の予想に到った時、だった。

「アルセナール! 俺はここだ!」

オットーが大剣を片手に飛びこんできた。アルセナールはそちらを振り向いた。

「オットー! お前はやはり来てくれたか――!」

それが、彼の最後の台詞だった。しゅう、と一抹の粉じんも残さず、万魔殿穏健派幹部アルセナール・ド・フロランタンはこの世から消失した。

「ッ!?」

雨が、降り始めた。

「――若き戦士よ、お前も戦うのか?」

仮面の男は、両手剣を構えた。

「止めるつもりで来たが、アルセナールの仇だ!」オットーは、襲い掛かった。

両者は、激しく打ち合った。斬られた雨が飛び散り、金属音が響く。両者の腕前はほぼ互角だった。互角がゆえに――中々決着が付かなかった。

ガキン、と音を立てて剣が弾きあう。その瞬間、オットーは転位した。背後を取る。剣を振り下ろした時だった――仮面の男に触れる雨が、じゅう、と蒸発したのを見たのは。何だと、とオットーは目を見張り、

「ッ!」

咄嗟に、飛びすさる。そこを大きくなぎ払われて、オットーの膝から青い血が吹き出した。オットーは切り裂かれた壁まで飛び、切れ目の壁にしがみついた。

「くッ――貴様の能力は、一体何だ!?」

オットーは瞬間転位しようとしたが、それよりも仮面の男の方が速かった。

「形ある物は、いずれ全て壊れる――」

間合いを一気に詰めた仮面の男の一閃が、オットーの体を深々と切り裂いた。

壁から手が離れ、彼の体が海に投げ出される。――遠くで、水音がした。

 「テメエ、一体何者だ!?」

万魔殿の幹部二人を圧倒したジュリアスに、I・Cは怒鳴った。いくらなんでも、過激派の首領とは言え、穏健派の幹部二人をあっと言う間に撃破してしまうなど、強すぎるではないか。

「私は――私であって私ではない」

「じゃあ聞く。 俺の味方か、敵か?」

彼は、男の前に立った。

「――敵、だろうな」

I・Cは、もうためらわなかった。

「――『サタン発動』!」

I・Cが闇と化した。闇は爆発的に質量を増して、仮面の男へと迫る。しかし闇は男に触れると次々と分解されていく。だが雨の一滴が男の肌を打った。そこに闇が食らいつき――肉を引きちぎった。

「! ――貴様、『メタトロン』だな!?」

いつの間にか、どこから出現したのだろう、黒い翼を生やした幼女が、叫んだ。

「そう言う貴様は裏切り者の『サタナエル』、いや『サタン』か――ここは不利だ、私が引こう」

ばっと飛び上がり、仮面の男は天井の切れ目から姿を消した。

「くッ――!」

闇はその後を追いかけたが、もう誰もそこにはいなかった。

 雨だけが、全てを押し流すように降っていた。

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