第4話 【ACT四】アーレツ

 他にはどうしようも無かったのだ。ソニアはその白くて細い手には不釣合いな重火器を手にして、思う。こうする他には手段が無かったのだ、と。

「ソニア姉ちゃん」とまだ幼い少年が言った。彼もまた物騒なライフルを握っている。「シラノおじさんを、必ず取り戻そうね!」

「ええ」とソニアは頷いて、ふとオットーの顔を思い浮かべた。彼は知ったが最後、きっと自分達のこの行動を必ずや阻止しようとするだろう。だって彼女達がこれから起こそうと言う出来事は、彼女達を破滅に導くとんでもないものだからだ。自殺行為に等しいからだ。否、自殺よりも苦しく辛いものなのだ。……それが分かっていても、とソニアは唇を噛みしめて思う。それでも私は、私達は、シラノおじさんを取り戻したい!


 「……羨ましいな」とグゼは病院のベッドの上で呟いた。「俺の方もそんな楽しい仕事だったら……な」

「どんな仕事だったんだ……あ、機密事項か?」グゼの見舞いに来たセシルは訊ねようとして、止めた。聖教機構特務員、表に出せない仕事から表に出せる仕事まで、何でも遂行する上級構成員にはよくある事なのである。

「いや、もう完全に解決済みで、もうすぐ正式に報道もされるだろうから話しても構わないさ」グゼは何よりも精神的に疲れ果てた声で言った。「――アルバイシン王国で会見中だった、アルバイシンの外相とウチの幹部が万魔殿のテロリストの襲撃を受けて囚われてな……」

「……テロリストの目的は何だったんだ?」

「それがその、目的は後で知らされたんだが、アレだ。 この前のシラノ・ド・ベルジュラックを解放しろと言う――。 ……テロリストは、子供や未成年ばかりで――一番最年長だった女だって、まだ二十歳そこそこだった」

「うわあ……」セシルは想像して、本当に嫌な気分になった。

「……」彼以上に嫌な気分であるグゼは、長く嘆息して、「『セイント・ニコラウス』、シラノが戦災孤児とか、とにかく親や身寄りのない子供を引き取って育てていた、と言うのはもう二百年の昔から有名な話だろう? 恐らくはその子供達の中の一団だったんだろう。 だからあんなに必死だったんだろうな。 その、だが、未成年であろうとテロリストはテロリストだ。 俺は……俺は誰でも殺せるよう訓練は受けてはいるが、つい手が鈍ってな。 それでこの様だ」

「無理も無いなあ……」セシルは苦い気持ちを噛みしめる。「完全に解決済みって事は……グゼよう、本当に俺達因果な商売だな」

「地獄堕ちは確定だな」

そう言ってグゼは目を閉じた。そこにシャマイムが花束と花瓶を持ってやって来る。そんなものを持ち歩く兵器の有様と言うのは、中々シュールな光景であったが。優しい花の香りにグゼは目を開ける。

シャマイムは花を活けてから、「医者に質問した所、退院まで二週間だと返答があった。 療養に専念する事を推奨する」

「ありがとうシャマイム。 俺はI・Cが羨ましいよ」とグゼは恨めしそうに言った。「ヤツは化け物だ。 誰を何を殺す事にためらいは感じないし、罪悪感も抱かない。 まるで機械のように殺せるなら、どれだけ楽か」

「何があった?」シャマイムが訊ねた。グゼは重苦しい声で、

「生き別れになった俺の弟――生きていればの話だが――くらいの子供がな、万魔殿のテロリストに成り果てたんだ。 俺はそれを殺すよう命令されて、殺した。 本当にあの時は嫌になったよ。 しかもテロリストになった動機が『シラノおじさんを返せ』だ。 金寄こせとかろくでもない動機ならともかく、自分達の親のような人を返せ、だ。 気持ちは分かる。 むしろ同情してしまう。 ウチの無差別空爆撃だので孤児になって、そこをシラノに救われたんだからな。 だがテロ行為は死罪だ。 テロリストは即刻処刑しなければならない存在だ……でも」

「それ以上の発言は特務員として不適切であると判断される可能性がある」シャマイムは淡々と言った。「グゼの心理的外傷が考慮されたとしてもだ」

「ああ、分かっている」グゼは頷いてから、ちょっと顔を引きつらせて「で、そのI・Cはまた酒場に?」

シャマイムはやはり淡々と、

「自分はI・Cが逃亡した先が酒場以外である事態を知らない」


 (なあ)と彼の中の誰かが囁くのだ。(生きていて楽しいかい? どんな事からでも良い、充実感と達成感と満足感を得られているかい?)それは一般には悪魔の囁きと呼ばれ、あるいは彼にとっては良心の声なのかも知れない。(違うだろう? お前はもはやそれらを一切亡くし、一人ぼっちで流浪した挙句、今でも絶望を抱えている。 お前は一人ぼっちだ。 お前は無敵かも知れないが、同時に一人ぼっちなんだよ! ざまあみろ!)

死にたいなと思った。

死ねば楽になるとかそんな優しい甘ったれた意志ではない。

消滅したいのだ。この世界に生きてきた痕跡も何もかも抹消して、根絶して、消え果たいのだ。罪?罰?そんな腑抜けた自虐思想ではない。救世主は言った、愛だけが全てを救うと。否!救いとは己の手で掴むものだ。彼は己の意志で救いを掴むのを止めた。そして永劫の苦しみを選んだ。永劫。そうだ。彼は恐らくこの世界が滅びてもなお生きねばならないだろう。たった一人で生きねばならないだろう。生きる事が、存在する事が、思考する事が、食べる事が排泄する事が呼吸する事が全て労苦となって彼を押し潰す。押し潰されるのをただ彼は受け止めねばならないのだ。甘んじて!

こんな生よりも、無慈悲に死を寄こせ。

I・Cは、酒に今日も溺れている。


 ――電子音が鳴った。酒場で酔いつぶれていた彼はびくりと震えて、それから懐から小さな通信端末を取り出して、鳴っているそれをまじまじと見つめた後、スイッチを入れた。

『あらI・C、任務を放棄してあおる酒は美味しくて?』

皮肉たっぷりの、若い女の声が聞こえた。マグダレニャンの声だった。

「どうだって良いだろ。 お嬢様」とI・Cはいつになく親しい口調で言った。「それより今度は何の任務だ」

『簡単な輸送任務ですわ。 エーベルリ街の聖教機構和平派拠点ビルより、あるものをアインヘイヘ街の拠点ビルに運びなさい』

「あるものって何だ、シラノ用の自白剤か?」

『当たらずとも遠からず、ですわね。 自白をさせる、新兵器の機体です』

「新兵器、か。 そいつはラッキーだ、俺は早い所、用済みになりたい」

『残念ながら貴方を馘首クビにする事はまだまだ出来なくってよ。 ところで――』

「ジキルとハイド。 どうしてたかが一介のマフィアが兵器なんぞ持っていたのか。 だろう?」

『ええ。 詳しく調べさせた結果が「デュナミス」ですわ』

I・Cは、ふんと鼻を鳴らした。

「……極悪非道な暗殺組織の代表格が出てきたじゃねえか」

世界最強と呼ばれる暗殺組織が『六道りくどう』である。だが、世界最悪の暗殺組織と呼ばれるのが、この『デュナミス』であった。テロリスト扱いを受けていて、『一人殺すために百人殺す』と言われている。

「それで、マフィアとどうつるんでいたんだ?」

『金ですわ。 イクティニアスの金が「ジキルとハイド」を通して裏のルートを流れ……金が流れ込んできた証に「デュナミス」が例の兵器を送った模様』

「ふーん。 それでか。 よりにもよって『デュナミス』か。 とんでもない地雷を踏んだな、お嬢様。 そこまで嗅ぎ付けたって事は、連中にもそこまでお嬢様の情報が流れたって事だ。 殺られるぜ、お嬢様」

『命が惜しくて政治家が務まるものですか。 殺されるくらいならば殺し返してやります』

「……相も変わらず可愛くない女だな」彼はぼそりと言ってから、「で、話を元に戻すが、何の新兵器なんだ?」

『唯一……恐らくは唯一、I・C、貴方をも戦闘不能にする代物です』

「へえ」とI・Cは心底嬉しそうな顔をした。「そいつはありがたいな、俺が死ねるのならば」

『いいえ』だが、冷酷にも否定される。『むしろ生き地獄を味わうでしょう。 地獄がまだ生ぬるいと思えるような……』

落胆した顔で彼は、「……そうか。 俺を殺す事は出来ないんだな」

『ええ。 ――では、急ぎなさい』


 「やれるか?」とオットーは訊ねた。

「やれるじゃない、やる。 やらねば俺は殺された方がまだ楽だ。 ……俺達はソニア達の暴走を止められなかった。 俺だってああしたかった。 あれでシラノさんが戻るならああしたかった。 ソニア達のように! だが……」

薄い電子タブレットを持ったサングラスの男サイモンは、そこまで言い切って、タブレットに目を落とした。そこには、『テロリストはその場で全員処分』との電子新聞の文字が躍っている。

「聖教機構め」オットーはぎりりと歯を食いしばる。怒りに燃えている、真っ青な目をしていた。「見ていろ。 ソニア達のためにも、必ずシラノさんは奪還してみせる!」


 新兵器の機体は、想像していたよりも小さかった。小型のトランクケースに収まる程度の大きさだった。I・Cはそれをエーベルリ街の拠点ビルで受け取ると、万が一にも奪われないように左手と手錠で繋ぎ、ガソリン・カーを走らせてアインヘイヘ街の拠点へと運んだ。

アインヘイヘ街のビルでは青年エステバンが待ち構えていた。彼はいわゆるマッドサイエンティストであった。天才ではあるのだが、常識人では無いのだった。

「なーにやってんのさこのボンクラマヌケのすっとこどっこい! また任務放棄したのかと思ったよ!」挨拶代わりの一声がこれである。「待ちくたびれて僕ぁ老いぼれのジジイになる所だった! やいこのアル中、責任取れるのかい!?」

「うぜえ」I・Cはそう言ってエステバンを無視して彼のラボへと向かった。ふと思い出したように、「それより、これはどんな兵器なんだ?」

精神感応兵器マインドウェポン、とでも言えば良いんだろうね」付いてきたエステバンはけろりとして、「それの試験機はもう完成しているんだ。 これはその実用機」

「精神感応兵器?」

「うん」とエステバンは胸を張った。「今までの兵器は物理破壊が主流だっただろう? ミサイルとか戦艦とか戦闘機とか。 でもこれは対象とした『ヒト』の心を破壊するんだ」

「……滅茶苦茶嫌な兵器だな」とI・Cは言った。

「いやそうでも無いよ?」エステバンは嬉々として、「これは余計な破壊をしないんだ! 上手くいけば敵軍隊を無傷で無能力化出来る! 誰も傷つけずに、さ! 凄いだろう!?」

「でも心が破壊されるって事は、アレだろう、廃人を生み出すんだろう?」

「その辺の加減は試験機や電子頭脳コンピューターの架空実験で調整済みさ。 やろうと思えばやれるけど、まあそこまでやる必要は無いかなあと僕は思うね。 それにしても設計図を見せられた時はビビったね! まあ一べつしか出来なかったんだけれど」

「お前」とI・Cはもう慣れた様子で、「一べつしただけで兵器の設計図を暗記したのか?」

「暗記ってか、何か覚えちゃった(テヘ☆)」とエステバンはひょうひょうと答えるのだった。「まあでも良いよね、強硬派の兵器なんだからさ、どうせ戦争で台無しにされちゃうよりは有意義に使えるかなあって」

「おい。 兵器ってのは戦争で使ってナンボの代物じゃねえのか?」

「……『科学は政治のためにある』『科学は政治に利用される』、でもねでもね、それで諦めたらいけないんだ! それで諦めたら科学者じゃ無い! 僕はより高みを目指すために兵器なんぞを作っているけれど、だからあんまり兵器は戦場に投入させたくないんだ」

「兵器が芸術品だとでも思っているのか?」I・Cは小馬鹿にしたように言う。「だとしたらそれは大間違いだぜ。 ……人を殺しても銃は悪くない、使い手が悪い、誰もがそう言う。 だが銃に人を殺す以外の最善の使い方があるのか、なあ?」

「うるさいなー、僕は僕の意志を貫くまでさ!」

エステバンはそう言って、ラボの扉を開けた。そこにはシャマイムがいた。

「どうしてシャマイム、お前が――?」I・Cは不思議そうな顔をする。

「経験値、記憶を複製して移植するためさ!」エステバンはもう飛び上がったり跳ね回ったりと興奮して忙しい。「言い換えれば人格を移植するのかな! うふふふふふひゃはははははははは!」

「……つまり、シャマイムがもう一匹増えるのか?」I・Cはとても複雑そうな顔をした。

「いや」エステバンは色々な機器を作動させながら、「シャマイムじゃあない。 だってこんな人間の出来た超善人の人格者が楽に増やせる訳無いじゃん! あくまでもモデルとしての人格の源シャマイム、それだけだよ。 多分『核頭脳』となった素体の人格が次第に浮かんでくるんじゃないかなあ。 そうだ新兵器の名称は何にしよう? 試験機がシェオルって言うんだ。 とすると……」

「シャマイム・アーレツ・シェオル。 天と地と黄泉よみ。 アーレツだな」I・Cは言った。

「良いねそれで決定! それにしてもI・Cって意外と学があるよねえ、一見だとただのアル中クソ野郎なんだけれど」悪気なく毒を吐くエステバン。

「俺は見てきた、聞いてきた、感じてきた、食ってきた、それだけだ」

「あっそ」エステバンは全く聞こうとせず、飛び回っている。「よし! こっちの準備は完了だ! ささ、シャマイム、そこの台に寝て寝て!」 

「了解した」シャマイムは台の上で横になる、と様々なケーブルが彼に自動で接続された。シャマイムは自動でスリープモードになる。機器が点滅したり、音を立てた。

「さあてと」エステバンはI・Cの持っていたトランクを開けた。そこには、シャマイムと瓜二つの白い兵器が折りたたまれて入っていた。「きゃははははははははははは!」歓喜のあまりに完全に狂ったかのような笑い声を上げるエステバンに、I・Cは呆れた顔をする。

「お前……」

だが、エステバンの暴走は止まらない。機体を抱き上げてシャマイムの隣の台に寝かせると、ラボの金庫を開けて、中にあった――『核頭脳』を取り出した。それを機体に組み込み、

「さあ実験だ実験だ実験だ! ハッピーバースデイ、アーレツ! 僕は君が生まれてきてくれて本当に嬉しいよ、きゃはははははは!」

ふと、モニターに誰かが映った。

『いよいよですか』マグダレニャンであった。

「いよいよです、ボス!」エステバンは絶叫した。今の彼は脳内麻薬が出すぎて、躁鬱の躁の状態に近かった。「うぉおおおおおおおおおおおおお! それじゃ行きます!」

そして、彼はコンソールをいじくった。するとラボ中の機器が作動して、別のモニターに、

『ダウンロード中……残り九九%』と表示が出た。

「アーレツ、アーレツ、アーレツ♪」全ては順調に見えた。エステバンは待ちきれなくて、歌いながらくるくると回っている。だが次の瞬間、ラボ中につんざくような警報の音が鳴り響いた。エステバンがコンソールを手に、悲鳴を上げた。

『侵入中……ハッキングの開始』モニターにそう文字が浮かび上がる。

『何が起きているのです、説明なさい!』マグダレニャンの声に、エステバンは真っ青になって、

「このビルの主要電子頭脳ホストサーバーの外部からのクラッキングです! 電子回線ネットワークから不正介入してきたみたいだ! 新兵器が、アーレツが、シャマイムが、このままじゃ乗っ取られます!」

『何者の仕業です!? 即時対処なさい!』

「こんな事聖教機構相手にやらかすのは決まっているだろう、万魔殿だ!」I・Cがシャマイムに駆け寄り、ぶちぶちと接続コードを引きちぎる。「おいエステバン、どうにかしろ!」

「分かっているよ!」エステバンは機器の一つに駆け寄り、そのキーボードを連打した。「このラボを主要電子頭脳から隔離する! 間に合え、間に合ってくれ!」

びくん、とシャマイムの機体がアーレツの機体が痙攣した。びく、びく、びくと不自然な痙攣を始める。I・Cの舌打ちと、引き千切られる接続コードの音、エステバンの必死になって叩くキーボードの音が響いた。

「よし、隔離に成功した! 後は侵入したウィルス・プログラムを削除するだけだ!」

エステバンがそう叫んで、コンソールに目を落とした時だった。

『――ハッキング成功。 これよりアーレツは万魔殿管理下兵器となる』

「「!?」」その言葉を聞いた誰もが、己の耳を疑った。

アーレツが、むくりと起き上った。

「自分は」アーレツは言った。「自律自動精神感応兵器アーレツ。 これより活動を開始する」

アーレツの周りに、光のもやがかかった――次の瞬間、凄まじいばかりの精神波の直撃をくらったエステバンが卒倒する。I・Cは辛うじてこらえたが、

「ぐ、が――!? 俺に、俺に攻撃が通用するだと!?」

「出力の増加を認可。 記憶の再現による精神破壊を開始する」

I・Cの目の前に、不意に安っぽいアパートの一室の光景が浮かび上がる。壁に貼られた写真。漂う美味そうな飯の匂い。綺麗に拭かれた床。窓ガラスから西日が差しこんでいる。そして、そして彼女が。彼女が彼女が彼女が彼女が女が女がONNNNNAGAGGGGGGGA!

「イノツェント! お帰りなさい!」

そこで彼は、絶叫を上げて失神した……。

 「何だこの男は」アーレツは怪訝そうな顔をして、「記憶に強固なプロテクトがかかっている。 それに……人格障害者なのか? 多数の記憶が入り乱れている。 多重人格障害か? まあ良い」ここでアーレツはにやりと、邪悪に嗤った。そしてラボから出て行こうとした。

『待ちなさい!』鋭いマグダレニャンの声が響く。『行く事は許可しません!』

「……うるさい女だ」振り返りもせずにそう言い捨てて、アーレツはラボから外に出た。


 「ああシャマイム」と警備員は何気なく話しかけた。「またI・Cの捜索かい? 大変だねえ、本当にお疲れ様」

「……」

「シャマイム?」と警備員は返事が無いので妙な顔をした。「調子でも悪いのかい?」

「……はどこだ?」

「うん?」

「シラノ・ド・ベルジュラックの牢屋はどこだ?」

「嫌だなあシャマイム」警備員は苦笑して、「そんなジョークを言うだなんてさ。 ご存じ、シラノなら地下三階の階段を下りて左の突き当りの『尋問部屋』さ。 でもシャマイムにジョークを言えるだけの余裕があるなんて、ほっとしたよ、シャマイムはI・Cの所為でいつも酷い目に遭っているからさ」

「……そうだったな」とアーレツは聞こえないように呟いた。


「……うわあヤツらやりやがった」と優男のレット・アーヴィングは話を聞いて思わずうめいた。「ごめんよ、情報を掴めなくって。 ついさっきまで『デュナミス』に首突っ込んでいたからしばらくは大人しくしなきゃって思っていて……」

彼はいわゆる『情報屋スパイ』のようなものであった。正式な特務員では無いのだが、それに近しい待遇を受けていて、聖教機和平派に味方している。

『どうしよう』エステバンはモニターの向こうで泣きじゃくっている。『もうお終いだ。 全てがおじゃんだ。 ……ボスは何て言っている?』

「ボス達和平派幹部は現在緊急対策会議中さ。 僕がお部屋のお留守番。 もう怒りを通り越して真っ青さ。 だって、ねえ……」

盗まれたもの、聖教機構の兵器関係の軍事機密が丸ごと一山と、折角捕えた万魔殿幹部シラノ・ド・ベルジュラック。

『……僕ケーブルで首吊ってくる、首吊り死体になってくる』エステバンは思いつめて、そこまで言った。

「落ち着いてよ。 君が死んでも事態は何ら打開されないんだ。 それにシャマイムの修復を先にやりなよ」レットは甘えてきた猫を抱き寄せて、言った。彼らのボスの飼い猫である。「それにしてもI・Cのアル中は何をやっていたんだ、戦闘能力の無いエステバンならともかくヤツならアーレツを止められたはずなのに」

I・Cが泣いているエステバンを足蹴にして、モニターに出てきた。

『……うるせえ、俺はあんな攻撃は久しぶりにくらったんだよ! 人の記憶をほじくり返す精神攻撃なんて恐ろしく久しぶりだったんだよ!』

「情けないな、何も出来なかった言い訳がそれか。 そうかI・Cの弱点は『精神』なんだ。 無敵の最悪の男にも弱点があったんだねー、良かったねー無敵じゃなくて。 これからは僕が精神をズダボロにしてあげるよ、任務放棄してシャマイムを困らせる度にね」

『……』

「それにしてもだ。 敵ながら派手で鮮やかな手腕だね。 まさかそっちの主要電子頭脳をハッキングするなんてさ……恐らくこれは万魔殿の幹部連中が出張っているような気がする」

そこで猫が鳴いた。


 声が、聞こえる。姿が、見える。……何だ、おちび達か。

「シラノさん! 畜生、聖教機構の連中め、両目まで潰すなんて!」

「すぐ帰って再生治療を! シラノさん、分かりますか、俺です、サイモンです!」

分かるよ、覚えているとも、駆けっこでいつもビリだったけれど、人一倍手先が器用で賢かったあの子だろう?喋りたかったけれど喉が潰されて舌が切られているので、頷く。

「シラノさん、もう大丈夫です、もう――みんなが貴方の帰還を待ち望んでいます! 帰りましょう、『彼女達』の所へ!」

オットー坊や。いつの間に君はそんなに大人になっていたんだい?

だが、その時、私は邪な姿を捉える。

何だこれは……?これは、悪だ!

「ふん、随分とお涙頂戴の臭い演技をするじゃあないか」

「「!?」」

「用は済んだ。 自分はこれより自由行動を取る」

「何を言っているんだ、兵器の分際で!」

「バグか!? どこで間違った!? まさか人格移植が不完全だったために暴走を始めたのか!? ち、畜生!」

「自分は最強だ。 最強なのだ。 自分はそれを証明する!」

「壊れた兵器め。 ――大人しくしろ!」

ダメだ。この子達は戦おうとしている。ダメだ。逃げろ。逃げるんだ。ここは聖教機構勢力圏内で、おまけにこのざまの私を抱えてなんてあまりにも不利だ!この邪悪を相手にするのは!

「大人しく? 誰が? 何が? 撃破されるのは貴様らの方だ!」

精神感応波が見えた。いけない、あれをもろに受けたらこの子達は!私はもう動かない、もしくは失った手足を動かそうとした。けれど動くはずもなく――。

「出力最大――精神完全撃破!」

その時だった。

『――BIGBANG!』

何が起きたのか分からなかった。猛烈な衝撃波と振動を感じる。恐らくは『心眼』の射程距離よりも長い武器か能力で攻撃しているのだろう。この子達が吹っ飛ばされ、それでも私を庇おうとしてくれた。もう良い、良いんだ、良いからお前達だけでも逃げろ、逃げるんだ!

「何の攻撃だ!?」

「分からない、だが――もう呑気に戦っている余裕は無い! シラノさんを連れて、逃げるぞ! この人だけは何が何でも!」

「分かった!」

そこで、私は、ついに意識を失った――。


 『最強? 貴様が最強? どこが。 何が。 何故に。 体に発信器が組み込まれている事も知らなかった癖に?』彼がゆっくりと、舞い降りてきた。目も覚めるような赤の衣をまとい、布一枚で顔を隠した男が。『私がほんの少し本気を出したらこの様では無いか』

立ち込める粉じんと飛び散ったガレキの中、赤い彼は不自然なまでに荘厳だった。人は既に逃げ出している。アーレツが起き上がると同時に、それは着地した。

『さて、と。 万魔殿の連中は……おや、貴様をしんがりに逃げたようだな』

「否。 自分は自ら自由になった! 何故なら自分は最強だからだ!」

「おいおいおいおいおい」彼はにやりと邪悪に、これ以上なく邪悪に笑う。「最強とは何なのか、生まれたてのお前に教えてやるよ――BIGBANG!」

謎の爆発によりアーレツの機体が吹っ飛んだ。空中高く吹っ飛んだ。そこに追撃が襲う。もはや精神を破壊する暇すら与えられずに、壮絶な連撃がアーレツを襲う。

「BIGBANG! BIGBANG!」それはもはやただただ一方的な暴行であった。「BANGBANGBANG! ――そうら最強、反撃してこい! BANG! 体を再構成しろ! BANG! ほら、射程距離圏外の遠い場所から俺を攻撃しろ! BANG! さあ、ありとあらゆる俺の攻撃を叩き潰せ! BANG! あのな、最強ってのはな! BANG! 己が最強であると分からないんだよ、分かるか? BANG!」

ぐしゃりとアーレツが地面に叩きつけられる。そして、動かなくなった。

「――何だ、もう壊れたのか」

だが、アーレツは体を軋ませながら立ち上がった。立ち上がって、

「――出力最大! 精神完全撃破!」

一撃で精神を壊す感応波を、放った。

「Ver.『奔放なる娼婦神』」

だが、弾かれる。そこには淫らな格好をした美女がいた。美女のまとう薄いヴェールが羽衣のように揺らめいて、精神感応波を弾いていた。

『当たらないわあ』と彼女は妖艶にほほ笑む。『わらわには当たらない。 ありとあらゆる攻撃が当たらない』そこで彼女は高笑いをした。

「くッ――! 何だお前は、何なんだ!?」アーレツは叫んだ。

『我らは一人であり集合体であり刹那であり永劫であり零にして那由多であるもの――要は』と赤い男に変身する。「魔王サタンだ」

BIGBANG!


 べそべそとラボの中でうずくまって泣いていたエステバンは蹴飛ばされて引っくり返った。

「ぎゃあ!」

「ほれ」とI・Cが黒いゴミ袋を差し出す。「お前が一番欲しがっていたものだぜ」

「まさか」エステバンは無我夢中でゴミ袋を開けて、歓喜の声を上げた。「助かった! これでみんなが助かった! でも、一度はやられたのにどうして!? どうやって!?」

「どうだって良いだろ。 結果は出した」

「うん、うん!」エステバンは嬉しさのあまりにぴょんぴょんと飛び跳ねながら、「それでシラノは!?」と訊ねた。

「シラノは駄目だった。 コイツがどうもシラノを逃がすための足止めにされたらしくてな」

「そっか、でも、でも、シラノはどうせレットかこれじゃない限り自白はさせられなかったと思うからさ、良いよ、うん、うん!」

「しかしシラノの野郎はしぶとかったなあ、グゼの方がヘロヘロになるくらい拷問を受けたのに、全部に耐えて」とI・Cは言った。「何がヒトをそこまで忍耐強くさせるんだ?」

「子供達の未来のためじゃないかな。 命がけで意地を貫いたんじゃない? 魔族って人間より長生きするからさ、人との離別も多いでしょ。 そんな中でさ、子供達の前途ある未来は等しくシラノの未来だったのかも知れない。 その数多の未来や未来への希望を失うくらいなら、この地獄でただ一人耐えた方がマシだ!って思っていたのかも。 まー、つまりは愛さ。  科学者の僕がああだこうだ言うのもアレだけど。 でも、それを失うよりは死んだ方がマシだと思っていたんじゃない?」

「愛って何だ?」

「世界一素敵で世界一恐ろしいもの」

「……そう、か」

「さあてと」エステバンはがさごそとゴミ袋をあさっていたが、そこからチップを取り出した。「記憶のチェックをしよう。 何を万魔殿がやろうとしていたのか、何をアーレツが喋ったのか」

 ――その結果を聞かされて、マグダレニャンは明らかに安どの顔を見せた。

『アーレツそのものが不完全だったためにこちらが助かるとは。 皮肉ですが感謝しましょう』

「はい」エステバンはモニターを見て殊勝な顔で頷く。「それで、アーレツはこれからどうしましょう?」

『欠陥品なのですから……しかも一度は万魔殿支配下に置かれたものなので……起動させるのはお止めなさい。 機体は凍結して保存しておくように』

「了解です、ボス」とエステバンは頷いた。

『それにしても』猫を抱き寄せて彼女は言った。『オットーとサイモンが出張っていたとは予想外でした』

「誰なんだ、あれ」とI・Cは言った。「若造にしちゃあやるじゃあないか」

『オットーはかの「大帝」カール・フォン・ホーエンフルトの一人息子で、次期万魔殿幹部と噂されている男です。 最後の「高貴なる血ブルーブラッド」ですわ。 サイモンは裏で有名だったハッカーです。 人間の身でありながら電子頭脳を操作する術にとても長けているとか。 それは事実だと今回の騒動で証明されましたわね』

「……ボス」I・Cがぽつりと言った、「『BBブルーブラッド事件』――『聖王』と『大帝』がかつて聖教機構と万魔殿の果てしない闘争に終止符を打とうとして、出来なかったあの事件。 恒久和平の調印現場で二人は取り巻きと共に消失。 一切の消息を絶ったため死亡と認定。 お互いにこれは相手がやったんだと罪をなすりつけ合い、第一一九次世界大戦が勃発。 これは因縁だな。 人間と魔族の、果てしない、絶望的な……」

『絶望? 何をたわ言を言っているのです。 それで貴様は諦めたのですか? 諦めて放棄して、さぞすっきりしたでしょうね。 背負っていたものを全て放り投げて、身軽になったのだから。 ですが私はたとえその重みに潰されようと諦める訳にはいかないのです』

「……ボス。 アンタはいつもそうだ。 俺はそれが羨ましい」

I・Cは、酷く哀れで弱々しい目で己の主を見上げるのだった。


 「シラノは……しばらく休ませなければならない。 とても、とても今の有様では子供達にすら会わせられない。 その間だが、オットー、お前が臨時で幹部になれ」

「……はい。 シラノさんは、治りますか?」

「大丈夫。 あの子は、まだ心が折られていないから。 必ず元に戻ります」

「……子供達からね、下手くそなシラノの似顔絵だのキラキラ光るビー玉だのが贈られてきたよ。 『おじさんが早く治りますように』……泣ける話じゃあないか」

「……ですが、シラノさんがあの事を知ったらどうなりますか。 ソニア達が自分のために、自分が原因で、テロリストまがいの行動を取って皆殺しにされた、など……」

「……。 いずれは知らせねばならないだろう。 だが、今は。 今は。 とにかくシラノの回復を待とう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る