第2話 【ACT二】シラノ

 「……」アルビオン王国外相ヘンリーは円卓に座り、額に青筋を浮かべたいのを必死にこらえている。「それでは、万魔殿は、どうしても全エリン地域を独立させたいと……?」

「ええ」とシラノ・ド・ベルジュラックはその円卓の反対側で平然と言う。彼は穏やかな物腰の、紳士であった。「全てのエリンの民衆が我々万魔殿の支配下に入りたいと言いましたのでね」

「だが少なくとも北エリンはアルビオンの領地です。 余計な干渉は止めてもらいたい!」

「しかしその北をも含むエリンが現実では独立を求めている。 それを手助けして何が悪いのですかな?」

「貴方がた万魔殿のお目当てはエリンの海に眠る豊富な資源でしょう。 あれは我々アルビオンのものだ!」

「はてさてどうでしょうかな」とシラノは言い、両者はしばらくにらみつけとそれの受け流しを続けた。

緊張と対峙が砕けたのは、シラノがいきなり立ち上がった時だった。

「貴様ら!」とシラノが、穏やかな紳士の顔から猛々しい顔に変貌する。「そのつもりで私をここに!?」

「?」ヘンリーには分からなかった。彼には知らされていなかったのだ。否、シラノと対面接触する可能性のある人間には誰一人知らされていなかった。

だが、この会見の場に乱入者が堂々と入ってきた。おまけに、シラノが連れてきた秘書のソニアが人質として引きずられていた。それを手引きした迎賓館の下級官僚がシラノに凄まじい目で見られて慌てて逃げた。

……乱入者は、あの三人であった。


 「ようシラノ・ド・ベルジュラック」I・Cが、拘束したソニアの髪の毛を掴んで引きずりつつ、言う。「子供の時から育てた美人秘書連れてお楽しみかい? 相変わらず良い趣味してんなあ」

「言うな言うな」セシルが――彼ももはや人間の形ではなく、巨大な化け物の姿をしていたが、口を挟んだ。「コイツがウチの無差別爆撃とかで親を亡くした子供を育てているのは有名な話だろうが」

「俺に言わせりゃ、たったそれだけで死ぬ親が悪い」I・Cは滅茶苦茶な事を言う。「たかが爆弾を山ほど落としただけじゃないか」

「おい!」さすがにセシルも声を荒げて、「お前は本当に聖教機構和平派の特務員か!? 強硬派みたいに爆撃を推奨するような発言だぞ、今のは!」

「ぎゃははははは」I・Cはげらげらと笑って、「俺は破壊と殺戮が大好きなんだ。 大体聖教機構の和平派は腰抜けが多くてな、良くねーよ。 もっと世界は血なまぐさくあるべきなんだぜ?」

「――おいI・C!」ついにセシルが怒声を発した時、シャマイムが言った。

「現在の最優先事項は可及的速やかにシラノを拘束連行する事だ。 口論では無い」

「……そうだったな」セシルは冷静さを取り戻し、シラノに向き合った。既にヘンリー達は逃げており、残るは逃げられないシラノとソニアだけであった。「シラノ・ド・ベルジュラック。 大人しく捕縛されろ。 そうしたらこっちの娘だけは解放してやる」

「――逃げて下さい!」ソニアが絶叫した。「私はどうでも良いから、貴方だけは!」

シラノは怒りも憎悪も辛うじて理性で噛み殺した顔で、

「……ソニア。 私が逃げればお前はね、聖教機構ご自慢の異端審問裁判にかけられて処刑されるんだよ」

「構いません、私は! 私は貴方がいなければあの時死んでいた! 私だけじゃない、みんなが! ですから、貴方だけは――!」

「美談だねえ」とI・Cが馬鹿にしきった声で言う。「悲劇ってのはどうしてこうも美しいんだろうな。 そうか、悲劇は当事者以外には他人事で、人の不幸は蜜の味だからか!」

シラノはしばらく黙っていたが、

「――私が大人しく連行されれば、ソニアだけは解放する、そうだな?」そう言って素手で、無防備に近づいてきた。「良いだろう。 だがソニアにだけは絶対に手を出すな。 『屠殺屋ブッチャー』セシル、『自律自動型可変形兵器オートトランスフォームロイド』シャマイム、そして――『魔王サタン』I・C」

「ああ、分かった。 お前さえ捕まえれば、こんな若い娘に用は無いさ。 ちゃんと自由にしてやる」セシルがそう言って近づいてきたシラノを拘束しようとした瞬間だった。

ぎらりとシラノの目が光った。

「I・C。 だが貴様はソニアも殺すつもりなのだろう?」

シラノの指の先から、鋭い爪が伸びた。それは一瞬でセシルの巨体を両断し、そのままシャマイムの胸部に突き刺さって、I・Cへと投げつけた。I・Cの顔に驚きの色が浮かぶ。I・Cはすぐさま鞭を振るって迎撃しようとしたが、既に彼には一瞬の怯みがあって、そこを突かれていた。

その一瞬でI・Cに肉薄したシラノが、そのそっ首を切り落としている。

「ソニア!」シラノはソニアを解放すると、抱きしめた。「大丈夫か!?」

「わ、私は、大丈夫です! シラノさん、シラノおじさん……!」

ぼろぼろと泣き出したソニアに、彼は言った。

「ソニア、急いでオットー君を呼んできてくれ!」

「わ、分かりました!」

彼女は涙をぬぐって、走り出した。

その後姿を見送ってシラノは安全圏に彼女が行った事を確認すると、振り返った。銀色に輝く愛銃ロクサーヌを手にして。

彼が振り返るとほぼ同時に、三人が立ち上がる。

「流石は『セイント・ニコラウス』、シラノ・ド・ベルジュラックだな」セシルが獣の巨体を再構成させて言う。「戦闘能力の高さも噂以上だ。 たった一人で俺達相手にこれだ。 とんでもないぜ」

「損傷箇所の修復開始……戦闘行動に支障無しと判断、戦闘再開始」

シャマイムもサラピス‐Ⅶを握って、構える。

そして、頚部を切断された時点で常人ならば死んでいるはずのI・Cの胴体が、首を掴んで立ち上がった。頭部を首に乗せて、凶悪に笑う。化物が裸足で逃げ出しそうなくらいに。

「女も殺す? 当たり前だろ、聖教機構がどう言う組織かシラノ、お前なら身に染みて分かっているはずだぜ? 異端者は絶滅、根絶、虐殺。 それを延々と繰り返してきた世界最凶最悪の宗教政治暴力組織に、今更なーにを甘えて期待しているんだ? そうだな、女なら焼き殺すのが一番楽しい。 あの最期の悲鳴と絶叫たるや、こっちの体が震えて絶頂しそうになる。 だろ?」

「……」シラノはロクサーヌの撃鉄をカチリと鳴らした。戦うために特化した、老練な戦士に彼が紳士から変貌した合図だった。「そうだな、そうだとも。 聖教機構は我々魔族を人間が支配する組織だ。 それに対して我々万魔殿は魔族が人間を支配する組織だ。 そちらと違って宗教色は薄いがな、少なくとも我々穏健派は」

シラノはそこで憎々しげに、

「……しかしまさかアルビオンが国際法に抵触してまでこんな行為に及ぶとは、な。 そこまでエリンに執着するか、アルビオン! ただでは済まさないぞ……!」

「その前に神様におねだりしろよ、『僕ちゃんを助けて下さい!』って」I・Cは挑発し放題である。その言動の一々がいやらしくて陰湿で不快だった。この男の残忍でねじ曲がった性格がむき出しにされているのだった。「優しい優しい神様の事だ、もしかしたら大急ぎで助けに来てくれるかも知れないぞ?」

「神? 貴様らが信じる『神』とやらか。 貴様らを野放しにするような悪逆非道な神など要らぬ!」シラノは叫んだ。否、吼えた。それはとても強い生き物の咆哮であった。「私は、ただ己の信念のために戦う!」

ロクサーヌがきらめくと同時にシラノの姿が消えた。だが次の瞬間シラノはセシルの前に立っている。銃弾よりも速く、視認できるよりも速く動いたのだ。一切の無駄が無いなめらかな動きであった。セシルは巨体から生えた鋭い触手で返り討ちにしようとした。だが、コツン、と彼の巨体を形成する源である『核』、それのある場所にロクサーヌの銃口が突きつけられた。セシルは回避しようとして、体を大きくよじり、シラノを突き殺そうとしたが、触手は空しく宙を貫く。

「セシル!」同時にシャマイムが即座に援護射撃を行った。だが当たらない。一発もシラノには当たらない。そして、

「死ね」

銃声と時同じくして、セシルの巨体が崩れた。

「セシル!」

シャマイムはサラピス‐Ⅶから硝煙を吐き出して、凄まじい銃撃を行った。それと平行して壁を蹴って天井に上り、I・Cが鞭をかざしてシラノに飛びかかる。

だがシラノはその攻撃の一切が読めていた。

(次は)シラノはそれを元に次の行動に移っている。(電撃弾だ!)

シラノはさっと特殊な銃弾をロクサーヌに装てんする。そして撃った。それはシャマイムの頭部に命中して、辺りを白光で染めた。

「――」強烈な電撃により電子回路がショートして、物言わぬ人形になったシャマイムが、ぐしゃりと倒れる。

「テメエ!」とI・Cが怒鳴った時には、シラノは既に彼の脳天にロクサーヌを突きつけ、火炎弾を撃ち込もうとしていた。

「さっさと死ね、聖教機構の狗共!」

I・Cの体が猛炎に包まれた。

「ぐお、あ、ああああああああああ……!」

それは瞬く間にI・Cを黒焦げの炭化物に変えてしまう。

それを目で確認しようともせず、シラノはロクサーヌを懐に収めて走り出した。ここは彼にとって敵地である。長居は無用だった。

――だが、血相を変えて突如振り返る。

「ようシラノ、俺を火あぶりにするなんざ超絶良い趣味してんなあ?」

炭化物になったはずのI・Cが、無傷で立っていたのである。

「くっ! 貴様が不老不死と言うのは本当なのか!?」

シラノの表情に焦りが出てきた。I・Cは嗤う。まるで魔王のように嗤う。邪悪に、破壊的に、残虐に。

「どうだって良いだろそんな事。 お前はこれから散々拷問受けた後に死ぬんだからな。 なーに、ウチのボスは妙な所で優しいから、お前を火あぶりにはしねえさ」

そしてI・Cの目が、黒く、まるで闇の中の闇のように輝いた。

「――『サタン』発動」


 オットーが迎賓館に駆けつけた時にはもう遅かった。血に濡れたロクサーヌが孤独に落ちていて、激しい戦闘の痕跡があり、そして、誰もいなかった。

「シラノさん!」オットーは絶叫したが、こだまのみが返ってきた……。

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