第2話 雲

「空のいろは、何いろですか」

 幼稚園の頃の記憶、私は先生から聞かれた。わからない、そう応えると先生は私を諭すように教えた。「あおいろでしょう?」

 私は生意気な子供であったから、そんなやりとりは数え切れないほど経験した。

 やがて、生意気は自分に不利になると知り、私は変わったが、私の心はいつになっても生意気だったようだ。

 中学生の夏、それを痛感した。

 ふと気づくと、友達がいないのだ。小学校のときにやや人気者だったのがそれに拍車をかけた。私はいつの間にかうぬぼれていたようなのだ。自らを過信していた。

 ──友達は、隣にいるもの。そんな考えは、人気者しか通用しないもので、それが当然だと育ってしまった私は、友達を大切にすることができない子になってしまった。そんな自分に気づいても、私は変われずに自分を責めた。自分を責めて、なんら行動しなかったのだ。

 そんな私の隣には、誰も寄らなかった。

 高校に上がって、私は自分に慣れてしまった。ひとりでいることになにも覚えなくなった。そんなときに、一人の少女に逢った。


「いい天気ですねえ」

 小学校高学年ほどの背丈の子に、声をかけられた。やや高い、ガラスが響くような声。丸っこい顔をしていて、髪はストレートで肩の下あたりまでのびている。彼女は淡い若葉色のワンピースを着ていた。

 天気の話だった。世界共通の、便利な言葉。ゆえに、いつになくつかわれる。私はその場に座ったまま答えた。

「ええ、そうですね」

 いきなり対応を求められたので、私は焦っていた。声も少し小さかったし、うわずってしまっていた。

「雲一つないですよ、ほら」

 そう少女は指差すと、微笑んだ。幸せな人がいつでも使用できるような笑みだった。

「雲一つないのがいいんですか?」

 つい私は、質問してしまった。少女の淡い若葉色のワンピースが揺れた。

「綺麗じゃないですか」

「綺麗ですか。そうですか」

 私は、人と何かを共有できるほど余裕かましている状態ではなかったので、ついそんな訳ありな発言をしてしまった。

「雲があったほうが、綺麗じゃないですか?」

 嫌な人間の部類に入ってしまう。そう感じていたが、止められなかった。雲一つない空がいいなんて、あまりにもありふれていて、まるで固定観念にとらわれている人のようではないか。生意気な私は、そう言いたかったのだ。

 しかし少女は首を傾げると思案顔をして、そして答えた。

「確かに、雲があったほうが楽しいですよね」

 楽しい?なにを考えているんだ。私たちはいい空がどうたら、綺麗がこうたら、と話していたのではなかったか。そんな私をおいて、少女は話した。

「雲は、私たち人間に似ていますよね。絶えず変化して、絶えず何かとくっついて。それはときに、人に夢を与えたり、不安を与えたり。固定されていないものの象徴的な存在ではないですか」

 私は言葉を失った。それどころか、なんだか少女の言葉が、私の琴線に触れたような感じがしていた。私の渇いていた場所を、少女は畑にしてしまったようだった。

「えへへ、生意気でごめんなさい」

 少女は軽く頭を下げ、私から離れていこうとした。それを私は、自分でも驚くほど強く止めた。

「待って!もう少し、話そう?」

 必死さのあまり、とても大きな声が出てしまった。どうやら私は、この少女と話すことに必死らしい。

 わかりました。少女はそう応じて、私の隣に座った。私の周りが少し暖かくなった。

「雲は、楽しいものだと考える?」

 どんな話でも良かったのだけれど、私の頭にはこのネタしか浮かばなかった。天気の話。世界共通の、便利な話。ゆえに、今回もつかわれた。

「楽しい、っていうのは客観的に見てですよ」

 少女は淡々と続けた。

「例えば、雲を見て嫌に思う人がいれば、逆に喜ぶ人もいるでしょう。そういうのを考えさせてくれるから、雲は楽しい、っていったんです」言ってから、まあ喜ぶ、っていうのは多くはないと思いますが、と補足した。

「つまり君は、雲は“楽しいことを考えさせてくれる”と」

「さっきふと思っただけですよ」

 先ほど思っただけにしては根拠が面白いな、と私は思いながら言問うてみた。「他にはなにか、ある?」

 少女はしばらく難しい顔でうなっていた。私はそれをずっと眺めていた。やがて少女は、ぱっと笑顔になると「きいてください」と始めた。

「さっきも少しいったんですが、雲って絶えずなにかとくっつくじゃないですか。あ、あの、この場合でいう“なにか”は他の雲のことですよ」

 見事な饒舌だった。

「あれって、人間関係そのものに似ていません?いつまでもくっついているものがあれば、すぐ離れてしまうものもある。たくさん集まって愉快で豪華なかたまりがあれば、小さくこじんまりとしたものが点々と集まっている場所もある。人間関係そのものと似すぎているほど似ていません?」

「なるほど。確かに似てる」

 私は相づちをうって、結論をいった。

「君はそれを考えることが、“楽しいこと”だと」

「はいっ」

 今の私は、この少女と話すことが“楽しいこと”だった。実に楽しいことだった。この少女は、私に似ていた。まるで──自分を誉めるわけではない──自ら独特な考え方を求めた子供なのだ。求めている、そう私の目には映った。

「楽しいお話をありがとう。また会えたら、そのときはなにか違う楽しい話でもしましょう」

 私の提案に、少女は嫌がる素振りも見せずに賛成した。私の心に未来の幸福を約束するような花が咲いた。

 それから私たちは別れ、それぞれの場所に戻った。

 私は次に少女に出会う日を夢見て、その日を終えたのだった。

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