第42話 ペロペロキャンディ

象さんのデザインをした滑り台、キリンの絵が支柱となったブランコ。スコップやらバケツやらが無造作に置かれた砂場。小さな子供たち三人が、のびのびとその公園を走り回っている。

その公園の中にベンチを見つけた俺は、ひとまずそこで休憩することにした。

公園の錆びれた時計台は、もうすぐ一時を指そうとしていた。

まだ、そんな時間か。

口をだらしなく開けて、ぼんやりと空を眺める。視界の端からゆっくりと雲が姿を現しては、その反対の方で今まで見えていた雲が消えていく。俺の意識はこの青く塗られた空に沈んでいくようだった。


「おにいちゃん、だいじょうぶ?」


その声は突然だったので、肩が一瞬ビクついた。

何だ?

視線を空から元の位置まで戻し、それからまた少し下の方へと移す。

小さい女の子が俺の前に立っていた。

髪型をツインテールにした、赤いジャンパースカートの女の子。手にカラフルなペロペロキャンディを持っている。ほっぺが丸々で赤い。

声をかけたのはこの子か。

心配そうに、上目づかいで俺を見てくる。「ああ、大丈夫だよ」と俺は力が込もってない返事をした。


「なにか、なやんでるの?」


……ん?

俺は今、大丈夫、と答えたよな? いや、ホントはちっとも大丈夫なんかじゃないんだけど。……この子は食い下がって俺に同じような質問をしてきた。まるで俺が嘘をついているのが分かっているみたいに。大人との会話に慣れているような、そんな貫禄もあった。


「いや、まあちょっと、お金が無くてね」


俺は嘘を重ねた。いや、お金が無いのは事実なんだけれど。別に、この子に真実を言う必要はない。慰めてもらおうとか、同情してもらおうとか、そういうのはいらないんだ。俺は失った記憶のピースを集めたいだけなんだ。こんな小さな子に、何から何まで俺の奇妙な体験を話すほど、俺はまだ落ちぶれていない。むしろ今はどんな人にも話したくない。大人にもだ。話せば話すほど、自分が自分を憐れに思っていく一方だろう。多分聞いている相手も、そう思う。ルーズルーズな関係になるだけだ。

そう、思っていた。


「ふうん」


……二回目の嘘は視破れなかったようだ。口を尖らせて相槌を打っている。


「これ、あげる」


女の子がペロペロキャンディを高く上げた。ちょうど、俺の目線と同じくらいまで。


「えぇ、いいよ」


俺は遠慮する。


「ダメ!……たべて」


女の子は諦めない。キャンディを俺の顔の前まで押し付けてきた。


「しんぴんだから!」


そういう問題か。何だ、この子は。

しばらく嫌な顔をして見せたが、一向に引いてくれないので、貰うことにした。


「いまたべて!」


……今?


「いやあ、帰ってから食べようかな」


俺は、はは、と笑った。だが女の子は、「ダメ!」とまた強く言って、俺を睨みつけた。

どういうことだ?

女の子はじっと俺を見てくる。俺が食べ出すまでを待っている。おそらく俺がこのままキャンディを食べなかったら、日没になってもここに立ち続ける、そんな確固たる意志が見えた。まるで石像のように動かない。

俺を気圧されて、キャンディを食べることにした。

何ビビってるんだ、とも思ったけど、相手は普通の子供だ。子供の遊びには正直に付き合うのが普通だし、別に断る理由もない。俺がキャンディを舐めて、それで終わり。アハハ、引っかかった! と、女の子は高らかに笑い出すことだろう。キャンディの片面には泥を塗ってました、と俺を嘲笑する。

そんな事だろうと思っていた。


一口舐める。甘い。泥や砂の舌ざわりはしなかった。普通のキャンディだ。

なんだ。ただの優しい女の子だったか。こんな子もいるんだな。

礼を言おうと、女の子の顔を覗いた。

瞬間、ギョッとする。

女の子の顔が、みるみる赤くなっていく。目がこれでもかというくらいに見開かれて、全身が小刻みに震え出した。

普通じゃない。異変が起きている。


「大丈夫?」


今度は俺が彼女に訊いた。答えない。顔が俯き出し、拳がわなわなと握られている。

やばい。泣き出す。俺がどこかで失敗したんだ。それが彼女を怒らせた。彼女の気にさわったんだ。……たぶん、キャンディの舐め方か。

馬鹿な思考を巡らせていると、彼女は踵を返して、俺の前から離れていった。

あれ……?

とぼとぼと、公園の入口に向かっていく。その後ろ姿は、勤め先が倒産したサラリーマンを思わせた。予想していた事態と全く違う結果となり、俺は呆然とする。

数メートル先で女の子はピタリと立ち止まり、俺に横顔を見せてこう言った。


「がんばって」

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