第35話 運命の日③
家に帰り、夕食を済ませると、時計の針は午後七時を回っていた。
そろそろ動き始める頃か。
俺は自分の部屋のクローゼットを開き、上下黒のジャージを取り出し、それに着替え始める。
ん? 何だこれ?
制服のズボンを脱いだ時、ポケットに違和感があるのを感じた。中からブレスレットが出てきた。虹色に輝くブレスレット。
俺はそれをまじまじと見てから、もしかしたら事件に関係する物かもしれないと思い、それも持っていくことにした。
ライトは……スマホのでいいか。
俺はスマホを持ち、三つ折りに小さくまとめた事件の資料、ブレスレットをズボンのポケットにねじ込んだ。それから、英語が書かれた黒いキャップを深く被る。
「よし」
強く息を吐き、部屋のドアを開ける。俺は、家族にも気付かれないように家を出た。
夜の学校は、やはり不気味だった。高くそびえ立つ特別棟は、夜闇に照らされ群青色に染まっている。広大なグラウンドに、人影が一人も見えないのも、新鮮味かつ、不安を感じさせた。
俺は橋を渡った後、グラウンドの横にある小さな雑木林に身を潜めた。ここから特別棟までは、おそらく百五十メートル程あるだろう。
俺はスマホを顔の前にかざし、カメラを起動する。別に望遠鏡など無くとも、カメラのズーム機能を使えばいい。このスマホも、夜にでも高画質な写真が撮れるという優れものだ。
俺は倍率を調整し、特別棟にピントを合わせると、それを一旦地面に置いた。
ここから正念場だ。いつ、犯人がやって来るか分からない。油断してはいけない。もちろん、今夜犯人が学校に来ない可能性もある。それはそれでしょうがない事だ。それと、特別棟方面で犯行を行わない可能性もある。今まで、たまたま特別棟の近くで異変が起きていただけかもしれない。
正直、成果を得られる気がしない。でも、やってみる価値はある。
俺はそこでじっと待機した。
気付いたことがある。ここから特別棟の右側に、職員の駐車場が見えるのだ。時間を確認すると、もう八時を過ぎている。今わずかに残っている車も、もうじき無くなっていくことだろう。
九時を過ぎて、おそらく最後の職員が学校を出た。その間に、特別棟に不審な人物は訪れていない。そろそろ集中力が切れかかってきた。
辺りもだいぶ暗くなり、近くの茂みからコオロギの鳴く声が響いている。リスキーだとは思いつつも、俺は少し雑木林から離れた場所に移った。
夜十時が過ぎた。月がようやく天から見下ろし始める。夜の暗さが増した今、そいつの明かりだけが頼りだった。スマホのライトはもう、むやみに使えないと察した。
十時半頃、危険な思想が脳内によぎった。
近づいてみるか?
自分のふと出た考えに身の毛がよだった。「危ない」と危険信号を出す自分と、好奇心を貫こうとする自分が葛藤する。
もう、犯行済みだとしたら?
俺はグラウンドの外から、特別棟の側面を見ていただけに過ぎない。もし、裏側や別の場所で犯行が行われているとしたら、俺は気付けない。
駄目だ。危険だ。
いいや、上手くやれる。大丈夫だ。校舎の周りをグルッと廻るだけだ。
好奇心が、俺の足を動かし始めた。徐々にその建造物がずんずんと近付いてくる。羅列した窓の奥は、闇しか映さない。だが一瞬、どこからか火災警報器の赤い光が一瞥をくれた気がした。
特別棟に突き当たってから右へ進み、角を左に曲がってから背を屈めた。職員の駐車場を横目に、校舎の壁に沿って進む。
秋風は吹いていない。遠くで車が走る音がたまにするだけで、あとはいつの間にか大きくなっていた自分の呼吸音が耳を占める。
一滴の汗が首筋に垂れていく。俺はキャップを被り直した。
数メートル歩き、部室の小屋が建ち並ぶ場所へ着いた。そこで俺は、初めて異様な音を聞く。
ガンッ!! ガンッ!!
何かを叩く音。俺はひとつの小屋の壁に寄って、足を止めた。
ガンッ!!
音は絶え間なく続く。その音は明らかに何処かの部室からするものだった。今、自分の横にある部室ではない。
どうする。壁から顔を出して、覗いてみるか?
危険信号がパカパカと、心臓の動きに合わせて照っている。どんどんどんどん速くなる。
駄目だ。ダメだ。だめだ。それだけは。そこまでは……!
……探偵魂の信念が勝った。
もうここまで来たら、犯人の顔を拝んでやる。
俺はしゃがんだまま、音のする方へと近づいていった。
落ち着け。落ち着いて、ちゃんと見るんだ。そしてーーーー
ブウウウウウッ!! ブウウウウウッ!!
心臓がもぎ取られるような気がした。何が起こったか、分からなかった。
少し遅れて、やっとその感触に気付いた。ズボンのポケットの中で、スマホがバイブ音を鳴らしたことに。
慌てて俺はスマホを取り出した。通知が来ている。父からのメールだ。
「どうした? どこにいるん……」
ロック解除前の画面で、全文は見れないが内容は分かった。親にバレた。家に居ないのが。
ザッ
いや、今、それどころじゃない。
足音が、すぐそこまで迫っているのを感じた。
顔を上げる。銀色の棒が、壁の向こうからゆっくりと、姿を現していく。
人の指が見えたその刹那、俺は走り出した。続いて、俺の足音とは違う音が追い始める。
しゃがみっぱなしで、乳酸が溜まっていた足は思うように動かない。思うように酸素が吸えない。それでも必死に走った。今まで来た道をがむしゃらに。
駄目だ。だから言ったんだ。あの時やめてれば。
「うっ……! うるせっ!……うっ、せえ!! ハァッ!」
さっきから何なんだ? これは、別人格が話しかけているのか?
住人が脳内で騒ぎ立てる。
俺の言う通りにすれば……。
うるせえ。うるせえ。うるせえ!
みんな落ち着いて!
もう、嫌だよ……。
きっと助かるって!
自分の身の危険に抗うように、涙が溢れ始めた。今すぐ泣き崩れたい。後ろを追ってくるヤツに、命乞いをしたい。でも、それでもヤツは俺をなぶり殺すんだろうな。
生きなきゃ駄目だ。
カクつく足を精一杯回した。地面をこれでもかと思うくらい蹴った。肩が抜けるくらい、腕を振った。
速く、速く、速く。
……え?
突然、世界がぐるりと回り始める。片足が宙を蹴っていた。その次に、手、肘、肩、背中、順々に身体が打ちつけられる。ぐるりぐるりと身体を回した俺がたどり着いたのは、石が無数に敷き詰められた場所。
河原……?
倒れ込む自分の頬に感じる、冷たい感触。ザアザアと川が流れる音。
俺は、土手から落ちたのか。
身体の節々の痛みを我慢しながら、俺はまた立ち上がった。
「あーあー、盛大に転びましたね」
ヤツは俺の真後ろまで来ていた。咄嗟に身構えるが、もう足腰は使い物にならない。
ヤツも、俺と同じく黒ずくめの格好だった。右手にバット。フードを被った顔は、狐のお面を着けている
俺の警戒する姿を見て、ヤツは「ふふっ」と嗤った。ヤツの左手がお面に伸び、その顔をあらわにする。
「やだなあ、透さん。僕ですよ僕。翔ですよ」
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