第5話 守人
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「……これ、食べれる?」
森の中に生えている青々としたきのこをつまもうとして、胸はつつましやかなふくらみを強調する。しわ一つない柔和な顔に感情が映っていない気色。紅く湿った唇をそっと開けた。
「……食べれた?」
頬をぷっくりと膨らませながら、ゆっくりと咀嚼して、それから触れれば折れそうな細首をこくりと掲げながら自問自答する。先ほどからノエルはこうして”エルフの大森林”にて昼食を漁っていた。真昼ではあるが、太陽の日の光をかすかに通すほどに、この大森林の木々は高く、また密集している。微風が草木の青いにおいをそっと運んでくる。大森林の根っこはノエルがうんと背伸びしてようやく超えることができるほど、四方を埋め尽くし、また、地面を隆起させている。大の大人が十人も囲って一回りといった立派な木がそこらに押し詰めあっているものだから、ノエルには一寸先も見えず、日の光も十分ではなく、先のみえない遠渡となっていた。時折小動物が木々をかけのぼっているのをふと目で追いかけるが、それもすぐに見失う。
あの日、黒狼盗賊団を食べ、ノエルは何となく居心地は悪いような気がしたのである。黒狼の者たちは言うことを聞けば、食べ物を分け与えてくれた。イノシシをさばいた生肉を地べたに投げ捨てられれば、砂だらけのそれをためらいなく口にする。釣った魚をそのまま顔に投げつけられ、生臭いが黙々と口を動かす。腐った肉といえど、文句ひとつ言わずに咀嚼するのを見て周囲の男らはみな大笑いしていたが、気にはならない。ノエルにとってはみなごちそうであったからだ。けれども、ノエルの飢えが満たされることはなかった。
食べても食べても背の骨と皮がひっつくように飢えを感じる。ノエルは永遠と飢えを味わっている気分がした。そんなあるとき、ノエルは黒狼盗賊団らに囲まれた。その眼はいつも彼らが飯を与えず、首を切ってしまう者らを見る眼と同じであった。それゆえ、ノエルは残念な心地がして、男らを食べてしまった。食べたはいいが、周りのこどもらがこちらを見る目がまたおもしろくない。さっき自分はこどもらに「にげていい」といった。それは稀にノエルが小動物を捕まえて逃がすときに合図としていたもの。にげていいといったものをまた追いかけて食べるのはノエル自身納得のいかないことであったので、そのままおいてさっさと去ってしまうことにした。
そうして、一月歩いてここエルフの大森林にたどり着き、ノエルはあてもなく二か月ほどさまよい歩いていたのであった。元々もぼろぼろになっていた衣服は穴だらけになっており、着ているというよりはかぶっているというが正しいか。
「あれも、食べれる?」
ノエルは新たに目についたきのこを貪ろうとしてそれに近づいていった。その時、ごうと男の声が轟いた。
「動くな!人間!」
ノエルは反射的に声の出どころへと顔を向けると、そこには毒々しい色付きをした大蛇にまたがる幾人かの男らが弓をつがえてこちらへ狙いをつけていた。頭はずんぐりと大きく、耳は長くとんがっており、肌色は木々の青々しいのによく似ている。肌着は動きやすそうに肩口が切り開かれており、肩から指先まで筋肉隆々としているのがよくみえる。苦々しい顔をしながら、
「よくみれば薄汚れた人間の小娘ではないか。ふた月ほど前から『ドルイドの眼』によって迷い込んだ人間がいるとは聞いていたが、まだ生きていたとは。ほおっておけばそのうち野たれ死ぬものとばかり思っていたが、どうやらただの小娘ではなさそうだな」
「……その眼、嫌い」
ノエルは相も変わらず無表情ではあるが、わずかに嫌悪を示した。嫌悪と、一つの感情としてはっきりと形成してはいない。が、確かにノエルは男らの眼を確かに見て反応を示していた。彼女をにらみつける緑色の肌をした男らの目が以前、自身を襲おうとした黒狼盗賊団のそれと同じようにみえる。それを見ているとなんだか余計にお腹が空いてくるのだ。
「何?我らの目が気に食わないと?ふん、それもそうであろう。人間の小娘程度が我らの眼を見て小便を垂れていないことは大したものだ。我らは『旦夕の賢者』に仕える『御苑の守り人』。人間ではハイエルフと呼ぶそうだな。まぁ貴様ら愚物の情報網ごときは到底ここには及んでいないであろうな。いつまでもここエルフの大森林にはエルフどもが住み着いている、と考えているであろうが……。愚か!すでにエルフなどは根絶されており、この森は我らハイエルフのものとなっておるわ。わはは」
男らの中でも際立って大きな体を持っていた男が快活と笑った。男は勢いよく語りだすものだからノエルはその語りをまったく意味くみ取れておらず、どうにか聞こえた言葉をもごもごと反芻していた。
「……たんせき?ぎょえん?」
それを咎めた男は、ふんと鼻息荒く、
「愚物には我らの意思など理解できまいか。まぁよい。この小娘、愚物にしては中々の成りをしている。薄汚い恰好を多少は見れるようにして、隣国に売ってしまえば多少の金にはなるであろう。お前ら、縛ってこい!」
応、と答えて大蛇にまたがっていたハイエルフたちは大蛇に鞭打って進ませる。ノエルはそれを見て食べてしまおうと考えた。この人たちも私には食べ物を与えないつもりだ。あの盗賊団の男らと同じ目をしていると。それはノエルの胸のあたりをつんと何か刺激が与えられた。それはノエルにとって何だか判別つかない。けれども、それはお腹がすいているからであろう、彼らを食べてしまえばそれもすぐに収まると考えいたり、ノエルは体に縄回すものから食べてしまおうとした。が、思い出した。そういえば盗賊団を食べても結局おなかはすいたまま。それどころか、逃がした子供たちには面白くない目で見られてしまった。何だかむかむかする。お腹はへる。すっかりノエルはわからなくなってしまっていた。ええい、とノエルは思考を止めて、縄に縛られたまま地面に生えていたきのこに向かって飛びつき顔を動かしてきのこの地面に生えていた苔ごと食う勢いで、むしゃぶりついた。
そんなノエルを見て、ハイエルフたちはかかと大笑いした。その笑い声は大木を突き抜けて空まで届くようだった。
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