第3話 落人


「アリサ、なにを呆けている」

「えっ、あっすみません」

アリサはきれいに磨き上げられた窓から美しい王城の中庭をみるともみないとも区別なく、ただ意識なく目を向けていたが、呼びかけられているのに気付いた。

声をかけた見麗しい二十歳半ばほどの女性は疑わし気に、

「なんだ、男か」

「いえ、違いますよ」

アリサは気難しい上司にしては珍しい冗談に苦笑しながら否定した。それから反問した。

「今更なのですが、私なんかが銀獅子に入っていてもよろしいのでしょうか。私よりも相応しい方々がいらっしゃるのでは…。上流貴族に属されます片尾のメリーサ様や、冒険ギルド『ロリータ』に所属されます

フォーチュン様なんかもいらっしゃいますし、それに…」

「アーメリ国第一姫であらせるエンリ様のご命令だ。不満か」

「まさか」

「ならよい」


それっきり二人は会話なく王城の廊下を歩いて行った。アーメリ国の王城は質素を常としているらしく余計な飾りっ気はないが、その分清掃は行き届いていた。

年若い乙女の足音がこつこつと大理石の廊下に響く。その音を合図にしてアリサはまたここ数か月の出来事に思いをはせていった。


奇跡であった。または幼いころから熱心にこの世界を統べる女神さまへの祈祷のたわものであったか。何にせよ、アリサは生き残ったのである。あの悪鬼らの災いより。


あの日。まだわずか三ヶ月前の出来事でしょう。意気揚々とはいかずも国を乱す悪鬼らを討伐せしめんとそれなりに気を用いて、出向いたがかえって捕らわれの身分に落ち、あの無表情を常としていたさらさらと銀髪に虹の穂先を携えた美少女に助けられ、いえ、見逃されたのは。


ああ、思い出すだけでも酷い。身震いが隠せない。吐き気が胸のうちから込み上げてくる。まだ、目の前で四肢を切り飛ばされた死体が横たわっているのならば、我慢できていたことのもの。人の生き死には容易い世の中。雄は引かない。けれども、全く綺麗な死体がしゅすにしんと横たわっていた。彼女は、ノエルと呼ばれた美少女はころりと勿体ぶるように自身の空腹を告げたばかりにそうなっていた。


わからない。理解が及ばないことは何よりの恐怖です。


ノエルはそんな恐ろしげなことを為しても顔を歪めず、私たちに一言も告げずにまだ日の明かりの届かない森のなかへと行ってしまった。きっと私たちが生き残っていたのは何一つ意味して起きた状況ではないでしょう。一切の関心は私たちに認められなかったのです。


ですので見逃されたと。


「はぁ……」

「なんだ、また溜息か。あの黒狼を完膚なきまでに叩きのめした強者であるというのに随分と虚ろな様子だな」


アリサはまた苦笑をにじませた。黒狼盗賊団はみなノエルに食われている。その事実を知るのはアリサとともに捕縛されていた十人ほどの子供らのみが知るところである。ノエルは下卑た男らを食い散らかした後、夜明けを待たず、そそと真っ暗な森の中へと隠れてしまった。アリサらはそれに続く気力など当然なく、むしろ、得体の知れない化け物が去ったことに安堵の息をもらし、夜明けを待って近隣の村へと助けを願った。それからアーメリ国の重臣らにその旨の話が伝わることになるが、どこで湾曲したか、人の口はまげて物を伝えるを常としているらしく、気づけば討伐隊500をものともしなかった黒狼盗賊団をたった一人で殲滅した英傑として担がれてしまっていた。思えば、当然のことだ。捕縛されていた子供らは自明のこと、ノエルをひったてて「この十にも満たない

娘が須臾に男らを殺しました」と報告すれば尚、冗談にしかきこえまい。

どうしようもないことだ。身の上をはるかに超えた名声を否応がなく受け止めなければならない。

そして、かの栄光ある銀獅子騎士団に名を連ねる羽目となってしまった。憧れは抱いていた。けれども、自身の力量を超えた期待がかかっていることに嘆息を漏らすのであった。


「……はぁ」


そうして、アリサはまた深い深い溜息漏らし、そしてこの現状を作ってどこぞへと去ってしまったノエルへと恨み節をこぼすのであった。



ここアーメリ国は比較的裕福であろう。それは間違いない。気候は温帯であり、土壌は肥沃である。民は勤勉であり、誠実であると隣国は一定以上の評価を持つ。国としての成り立ちは新しくまだ成り立ってから1世紀を越えたばかりと国としては若くも勢いは侮れないものがある。

その勢いを成しているのは海陽神アズカンダの堂々たる威信が国全土に広く浸透しているためであろう。神格化時、身の丈は3丈にも及び、下半身は魚の尾びれを構え、獅子の頭に上半身は筋肉隆々として立派な偉丈夫の姿をしている。アーメリ国首都クーメラには大型商船が行き交う巨大水路が通っており、そこへ時折、海陽神アズカンダは神体を清めたりする。海陽神アズカンダがそんなだから、首都クーメラにすむ人々は神体を実に身近に感じ、親しんだりする。他国からの旅人にはこれは驚きで、こんなに神が気軽に降りてこられるのは珍しいと目を丸くして言う。

そんな神々の中では気さくな風ではあるが、

その人心地の良い神を嘲笑し、己を利益を求めんとするものが、アーメリ国内の上流貴族に属する。先の黒狼盗賊団の乱は、これら上流の者達が一部手引きをしており、これから黒狼をいいように用いて一儲け、あわよくば王座を脅かさんとまで考えていたが、まだ十分に育つ前に壊滅してしまったので、面白くない心地がそれとなく持っていた。

そんな上流貴族において力あるものの称号「四聖」の一人、ガク=フェイデンは痩身に陰気な笑顔を浮かべながらアリサと戯れていた。


「おや。君は近頃銀獅子に入団を命じられたアリサ、であったかな。めでたいことである」


蛇のような眼を前に、知らず知らずアリサは嫌悪感を感じていた。それには日頃、フェイデンの人ざらぬ行いが耳に聞いていたためでもあろうが、相手は四聖の一人。不快な気持ちを軽々しく出しては到底許されぬこと。賛美を素直に受け止め、


「身に余る光栄です」

「いや、まったく実際大したものだよ。あの黒狼は聞くところによると500の兵を相手取るほどの力を持っていたらしいではないか。君のような"落人"が迎え撃てるとは、心底驚きだよ」

「!?なぜそれを!」

アリサは”落人”と呼ばれたことに酷く驚いているようであった。フェイデンはここ王城の中庭では偶然にも近頃の不満の一因を作ったアリサが一人歩いているところへと狙いをつけてきており、周囲には王城勤めの家人しかいないことを確認している。そのため、こうして”落人”と躊躇われるべき言語をまったく勢いつけて述べることができていた。

アリサは屈辱に身を震わせ、目を驚きから見開かせていた。

「ふん。意外なこともないであろう。銀獅子に仮にも入るものとあれば、その身辺は清らかであることが望まれる。余はその方面には通じるものがいるのでな。少しばかり話を聞くことは造作もない。」

アリサはうなだれ、抵抗の意思を全く示さなかった。それを見てもなお、フェイデンは侮辱をつづけた。

「落人がこうも簡単に銀獅子に入団しているようでは王城内とて安心できぬものだな。いつ寝首をかかれるかわかったものではない。末恐ろしいものだ。……そうして沈黙を続けるのも心当たりがあるのではないか?どうかな?」

「そんなことは」

「ないとは言わせない!貴様は落人だ!そのうちに王の首も狙うであろう!?」

フェイデンは日頃落人に対して嫌悪感を持っていた。そこへ体よくアリサという恰好の獲物がやってきたことに、また、アリサが自身の野望の邪魔をしたということがフェイデンの普段の理性を損なわせていた。つい、声を荒げて、王の存亡という禁句さえも口にだしてしまった。そして、それを聞き及んだものがいた。

「あら、決して看過できないお言葉が聞こえましたね」


第一姫エンリその人であった。

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