第11話 覚醒する刃

 視界全てを覆いつくす触手の群れが、全方位からヴァルアリス、およびヴァルアリスの指揮する魔界の軍勢全てを取り囲み殺到しようとしている。

 サチュラの展開した超広範囲の魔力防壁が、かろうじてその動きを押しとどめていた。


 混沌触胞獣ドンダケオンネンと命名されたこの生命体は、魔界から遥か遠く、神格天魔星将ゴッツエライヒトウェリゴースの観測範囲ぎりぎりの世界の片隅にひっそりと生まれた怪生物であった。

 これを放置すれば爆発的な増殖速度によっていずれ魔界に危機をもたらすという神格天魔星将ゴッツエライヒトオルガナインの予知を受け、ヴァルアリスは討伐に駆け付けたのである。

 しかし魔族の軍勢による攻撃はいずれも無力化され、増殖を開始した混沌触胞獣ドンダケオンネンによって完全に包囲されていた。


「なるほど。驚異的な再生力によって物理的な破壊は無意味。温度変化、時間流変化、病毒、封印、全てに耐性を持つか」

「どうしましょう、ヴァルアリスお姉さま。さすがにこの大きさの防壁は長くはもちません……!」


 神格天魔星将ゴッツエライヒト・サチュラの表情にもさすがに緊張が見られる。

 だが、ヴァルアリスは微塵の焦りも無く混沌触胞獣ドンダケオンネンへと指先を向けた。


「どうということもない。終わらせよう」


 瞬間、一筋の光芒が走った。

 奇怪な断末魔の叫びが響き渡り、因果そのものを断たれた無数の触手は存在を否定されて片端から消えていく。

 それはまさしく、ヴァルアリスが魔法によって実現しようとした混沌触胞獣ドンダケオンネンの殲滅手段。

 だが、その攻撃を放ったのは別人であった。


「ヴァルアリスお姉さまの指示を待たずに、勝手に動くなですっ!」


 サチュラの叱責を受けたのは、魔界で唯一人ヴァルアリスに並んで魔神姫の異名を持つ者であった。

 剣魔神姫ソーデモナイゼ、インフェリス。

 以前は無かった鋭利な棘の装飾、そして黒の文様を施した鎧に身を包み、不敵な笑みを浮かべて、インフェリスは振り返った。


「悪い悪い。いつまでも見合いを続けてるのに我慢できなかったんでな」

「なるほど。今のは身の危険を感じて咄嗟に動いたわけではなく、お前の独断専行ということか」

「だったらどうなんだ?」

「さすがに看過できんな。指揮に従うつもりが無いのならば今後は同行を禁じることになるが?」


 全く悪びれた様子のないインフェリスと向かい合い、ヴァルアリスは穏やかに質問する。

 本来ならば命令違反として即刻処刑するところなのだ。この返答次第によっては、


「今後、なんて無いぜ」


 インフェリスは肩を竦め、口角を持ち上げる。


「機は熟した。オレも正式に王位を狙わせてもらう。お前が達成せずにいる滅界儀式ホロボシタルの下準備を実行してな」


 瞬間、ヴァルアリスのみならず、配下の軍勢全員に緊張が走った。

 インフェリスが王位を継承すると明確に口にしたのは初めての事である。彼女の性格上、今この場で直ちに武力行使に及ぶ可能性は高い。

 直接戦闘に参加せずとも、二人の魔神姫の戦いに巻き込まれれば軍の何割かが失われることは必至である。


 極限まで張り詰めた空気の中、不意にインフェリスが一枚の紙片をヴァルアリスに向かって放った。

 サチュラは反射的に叩き落とそうとする素振りを見せたが、その緩慢な動作にヴァルアリスが反応できないはずもなく、無用な手出しを控えた。

 現に、ヴァルアリスは顔色一つ変えずその紙片を指先で挟み止めている。

 紙片は攻撃のために放たれたものではなく、その表面にはとある場所が記されているのが見て取れた。


「そこが決着の地だ。待ってるぜ」

「……!」


 ヴァルアリスが眉を顰めるのも無理はない。

 明日は月に一度のパンケーキ会の日取り。

 ヴァルアリスは国産苺ソースとグラノーラのヨーグルトパンケーキ、インフェリスは焼き林檎の紅茶クリームパンケーキを、それぞれ食する予定だった。

 しかし、今から王座を賭けた対決を行うとなれば当然その予定は反故となるだろう。

 今までにない覚悟が窺える。


 しばし無言で睨み合った後、インフェリスは腰の愛刀を抜き、虚空に円を描くように刃を滑らせた。

 発生させた円形の転移陣に飛び込み、インフェリスの姿はかき消える。

 一方的な挑戦状を受け取ったヴァルアリスは溜息をつき、サチュラは気遣うように寄り添った。


「まったく、懲りない奴ですっ。何度やっても結果は同じです」

「確かに結果は変わるまいが……奴も前までとは違うようだ」

「何がです? 確かに、ちょっと服装が変わっていた感じですけど」


 不思議そうに首を傾げるサチュラに対し、ヴァルアリスは己が観測した事実を告げた。


「今の時空転移はともかく、先の一撃では……奴は、剣を抜いていまい」

「そんな馬鹿な!?」


 サチュラが驚愕するのも当然。

 この魔界において魔法の構築・発動の速度を競ったならば、あらゆる魔法を無詠唱ナンモイワンで可能とするヴァルアリスに及ぶ者は居ない。

 インフェリスは膨大な魔力を持つ魔剣・陰我冥刹ヴェランメエを振るう剣技によってヴァルアリスの高みへと近づいてはいるものの、今一歩及ばない。

 それが現状の二人の力関係のはずだった。


「まさか、あのインフェリスがヴァルアリスお姉さまと同等の無詠唱ナンモイワンを身につけたとでも言うのですかっ!?」

「あり得ざる事だが、否定したところで無意味だな」


 インフェリスに類稀なる才があろうとも、無詠唱ナンモイワンが一朝一夕で身につくものではない。

 ならば、何らかの代替手段によって実現したのは間違いない。

 それが容易な手段ならば魔族の間に広く伝わっていないはずもなく、インフェリスが独自に到達したと見るべきである。


 ヴァルアリスは微笑んだ。

 内なる高揚を隠しきれず、目をぎらつかせて獰猛に、不敵に笑った。

 宣戦布告してきた相手が未知なる力を身に付けている状況が、むしろ心地よいのだ。


(そうだ。そうでなくては困る)


 絶対的な力による君臨はヴァルアリスの望むところ。だが一方で、それは停滞であり、進化の終焉に他ならない。

 常に己の立ち位置を危うくする存在あってこそ、さらなる高みを目指し変わり続ける自分が保たれる。


「誰であっても許すわけではないが、な」


 独り言ちるヴァルアリスを前に、サチュラは胸の内に渦巻く嫉妬の炎を必死に鎮めた。

 ごく稀に自分に見せる微笑みとはまた異なる、妖しく昂るヴァルアリスの笑み。

 そんな、自分では決して引き出せそうにもない竜魔神姫トンデモナイゼの表情を容易く引き出すインフェリスの存在は妬ましい。

 だが、二者の間に割り込む行為がいかに愚かなものか、サチュラはそれを既に学び知っているのだ。


「行ってしまうのですか、ヴァルアリスお姉さま」

「すまんな。部隊の指揮は任せる。近辺の調査完了後に帰還せよ」


 ヴァルアリスの掌に浮かび上がった覇軍権印メイレイダスの光がサチュラへと移る。

 同時に、転移時空破断陣ドッカニデルゲートの光が遥か人界へとヴァルアリスの体を送り出す。

 因縁が結ぶ決戦の地へと。


 配下の魔族たちは皆、息をひそめてその姿を見送った。二人の魔神姫がいかなる地にて、いかなる方法にて決着を付けようというのか、興味は尽きない。

 しかし、その場に居合わせれば間違いなく命は無いだろうという思いから、同行を願い出るものは皆無であった。

 


 ヴァルアリスに、格下相手という侮りはない。

 魔界の王という頂を目指すものが個人的な興味に目を曇らせ、足下を掬われるような事があってはならない。

 ヴァルアリスはそれを十分に理解している。

 故にその心には一分の隙もなく、眼差しは鋭く、抗う者を徹底的に討ち倒す鬼神のごとき苛烈さと冷酷さが満ちていた。



 だが、忘れてはならない。

 この物語の題名は竜魔神姫トンデモナイゼヴァルアリスの敗北である。

 これはあくまでも、魔界の頂点にして至宝、戯れに竜をも屠る、絶対無敵、最強不敗の竜魔神姫トンデモナイゼヴァルアリスが……敗北する物語なのである。

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