第12話 大阪府大阪市のたこ焼き(前)
大阪府大阪市、北区。
この地に存在する梅田駅といえば、大阪駅とも接続する西日本最大級のターミナル圏である。
「大阪 梅田駅前」とだけ記された大雑把なインフェリスの地図は、この地を訪れたヴァルアリスを大いに混乱させた。
「どの梅田だ!?」
複数の路線が乗り入れるこの駅は「梅田駅」と「大阪梅田駅」が隣接しており、正確に指定されなければ著しく混乱を招く。
恐ろしい事に近年改名される前はこれらの駅がいずれも「梅田駅」だったのだという。魔界生まれ魔界育ちのヴァルアリスには信じがたい暴挙であった。
「新宿駅の出口もそうだが、人類風情が紛らわしい駅名をつければ取り違えが発生するに決まっているであろう……まったくもって理解に苦しむ!」
もしもヴァルアリスが命名を任されたならば、光芒天絶梅田駅と深淵魔凄梅田駅、というような直感的に理解しやすい名を付ける所だ。
ぶつぶつと文句をつけながらも、ヴァルアリスは
(それにしても、興味深いものだな)
暇を持て余し町行く人々を観察していたヴァルアリスは、この大阪の言葉にどことなく魔界で古くから使われている言語と通じる響きがあるのに気がついていた。
あるいはこの大阪という都市には、過去に魔界から訪れた者が定着して言語を広めたのではないか、という仮説も成り立つであろう。
(用事がなければじっくりと検証してみたいものだが……母上もこの事をご存知なのだろうか?)
足を止めて物思いに耽っていた所に、インフェリスが悪びれた様子もなくのんびりと到着した。
「よう、待たせたな」
「遅い! 先に出ておいて何故私よりも後に……な、何だその服装は」
声を荒げて叱責しようとしたヴァルアリスは、予想外の光景に目を見張った。
インフェリスが着ているトレーナーの前面には、肉食獣の顔が大きくプリントされていた。人界の食肉目、ネコ科、ヒョウ属……虎である!
絶句するヴァルアリスを前に、インフェリスは余裕綽々の態度で胸を張った。
「はッ。人界の文化に対する理解が甘いんじゃねえか? ヴァルアリス」
「何だと……」
インフェリスの口から文化などという言葉が発せられるとはあまりに予想外。
ヴァルアリスは思わず警戒を強めた。
おそらく遅れの原因も、その服を買い求めていたためなのであろう。
「これはこの地方では定番の服装。人界に違和感なく溶け込むためには、まず服から……そういう事だぜ!」
「しかし見たところ、そのような服を着ているのはごく少数のようだが」
「え?」
インフェリスは慌てて周囲を見渡した。
言われてみればその通りである!
大阪の人間が皆、獣の顔がプリントされた服を着ているわけではない……それはバラエティ番組によって作り上げられ誇張されたイメージであり、実際はごくごく一部の大阪のおばちゃんに愛好される文化にすぎないのだ。
魔界生まれ魔界育ちのインフェリスがそれを知らないのも無理からぬことであった。
「それは、あれだ……流行の最先端だからだ! お前は遅れてるんだよ」
「ほう。この私が人類ごときに遅れていると?」
ヴァルアリスの眼が、ぎらりと鋭い光を帯びる。
「ああ、そうだ、お前のその地味過ぎる服はここ大阪では時代遅れの……何だとォ!?」
余裕たっぷりに嘲ろうとしたインフェリスは、その途中で思わず叫び声を上げた。
たった今まで無地であったはずのヴァルアリスの服に、いつの間にかアザラシの顔が浮かび上がっているではないか!
驚くべき早業であった。
動物の顔が大きくプリントされている衣服など所持していなかったヴァルアリスは、咄嗟に
白色無地のセーターの分光反射率を操作し、動物の顔を描き出したのだ。
極めて高次元の争いでしか発生しない、繊細な魔法の使い分けであった!
「お前! それ、今着替えただろォ!」
「は? 言いがかりはやめてもらおう。私の服は最初からこの模様だったが?」
無論、目を泳がせるヴァルアリスの言い分を素直に受け止めるインフェリスではない。
「なんでやねん!」
短いシャウトと共に、閃く手刀がヴァルアリスを襲った。
「くっ!?」
肩口を切り裂こうとするその鋭い一撃をすんでのところで回避し、ヴァルアリスはバック転で距離を取る。
「何のつもりだ、貴様!」
「これは『ツッコミ』だ! なんでやねん!」
二撃、三撃と続けざまに放たれる攻撃を躱し、なす術もなく後退する。
「ツッコミ、だと!」
「オレもそれなりに人界の文化を学んだんでな。ここ大阪では、ボケたことを口にする奴には攻撃してもいいというルールがある! それがツッコミだ!」
人類の間にそのような野蛮なルールがあるとは聞いていない。
しかし思い返せば、インフェリスを待っていた駅前の地点でも何度か「なんでやねん」という言葉と共に裏拳を放つ人物の姿を見かけた気がする。
「しかし私は何もボケたことを言っては……」
「なんでやねん!」
問答無用とばかりに、インフェリスは手刀を振りぬいた勢いそのままに高速回転しながら連続攻撃を放つ。
ヴァルアリスは同方向に回転してその連撃を全ていなし、壁を蹴って跳躍。
距離を離してインフェリスの動作を詳細に観察した。
(なるほど、種は見えた! インフェリスめ、魔剣の鞘と己を一体化しているな!)
魔剣は鞘に納めれば力を蓄え、鞘から解き放たれた際にその力を発揮する。だが、今のインフェリスは己の意志のみでその状態を切り替えることができるのだろう。
加えて、解放された魔剣の力を己の身体に巡らせ、無刀の剣術とでも言うべき独自の格闘術として完成させたのだ!
これにより、魔剣を抜刀し、構え、振る、という動作がワンアクションに短縮され、
更に、みだりに刀剣を振り回せない人界においても気兼ねなく攻撃を繰り出せるというメリットもある。
単純ながらも見事な発想であった。
「気づいたかよ。だが気づいたからといって止められはしねえ!」
まるで舞を踊るように、二者は回転、跳躍を繰り返しながら移動していく。
道行く人々はこの光景を前にしても、流しのブレイクダンサーか、はたまたカポエリスタかと大喜び、拍手や歓声を送るものさえ居る始末だ。
そんな中で壁を背にして追い詰められたヴァルアリスは、ついに逃げ場のない空中へと舞い上がった。
「勝負あったな! なんでやねん!」
インフェリスが上方に飛びながら手刀を振るう。
がきり、と鈍い音が響いた。
勝利を確信し口元に笑みさえ浮かべていたインフェリスは、しかし、不測の事態に顔を歪めた。
「うっ!?」
「なんでやねん……と、言えば良いのか?」
ヴァルアリスの肘から先は六本に分裂していた。三本の腕がインフェリスの手刀を掴んで抑え込み、さらに残る三本がそれぞれ異なる軌道を描いてインフェリスへと振るわれる!
「ちっ!」
インフェリスは舌打ちしながらも、襲い掛かる三本の腕を高く上げた蹴り足で受け止め、その反動を利用した急旋回で抑え込む腕を振り払う。
そのまま勢いよく地面を転がり、跳ね起きて構え直した。
「お前はツッコミってものを根本的に勘違いしてんだよ。この場でツッコまれるべきはどう見てもお前の方だぜ」
インフェリスは腰の刀に手を添えたまま手刀の素振りを繰り返す。
その速度は今や空気を裂いて異音を発し、小型の竜巻を起こすレベルに達している。
「どこまでも愚かな奴……この私に、ツッコむべき点など一つもない」
ヴァルアリスは六本に分かれた腕を構え、ゆらゆらと揺らした。
千手観音を思わせる、全方位をカバーする隙の無い動きである。
正面からぶつかり合う次の激突でどちらかがツッコまれることは必至であった。
しかし、その時!
「何しとんねんアンタら!」
一帯に轟く怒号に、二人の魔神姫は思わず動きを止めた。
(何だ今のは!?)
(人界にこれほどまでの
二人は揃って、叫び声を上げた中年女性を食い入るように見つめざるを得ない。
淡い紫のカラーレンズをはめた眼鏡から覗く目つきは鋭く、首かけのエプロンは目に痛いほど赤い。
がっしりとした横幅のその女性は、向けられた視線にも臆することなく再び声を張り上げた。
「店の前でバタバタバタバタやかましいわ! お客さんドン引きやないか!」
超常的身体能力によって大立ち回りを演じるヴァルアリスとインフェリスを真っ向から罵倒するその人物こそ、梅田駅近くに構えるたこ焼き屋「大たこはじめや」の店主、開田花子であった!
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