第8話 確執

 金属を擦り合わせる音にも似た、不快な嘶きが魔界の大地に響いた。

 疾風というよりもはや稲妻に近い速度で駆けるのは三頭の九節馬。

 手綱を握るのは我らが竜魔神姫トンデモナイゼヴァルアリス。

 後に続くのは額に第三の目を持つ筋骨隆々の巨漢、神格天魔星将ゴッツエライヒトウェリゴース。

 そしてもう一人、やや盲信的にヴァルアリスを慕い、年端もいかない少女の外見を持つ神格天魔星将ゴッツエライヒトサチュラだった。


 九節馬は魔界の過酷な環境に適応した強靭な生物。名前の示す通りその体は九つの節に分かれており、人界で言えば虫に近い構造を持つ。

 機嫌を損ねると突如背中に開いた口で乗り手を噛み殺すこともある。


 飛翔魔法や転移魔法を自在に操るヴァルアリスには不要な移動手段ではあるが、それでも折に触れて騎乗の腕を磨くのが王族の嗜みというものであった。

 ウェリゴースもサチュラもこの九節馬の扱いには長けており、魔族の中でも屈指の乗り手。しかしヴァルアリスは涼しい顔で三馬身以上離れて先を行く。


「うあーん、ヴァルアリスお姉さまの凛々しい横顔を間近で見つめたいのにっ!」


 サチュラは焦れたが、闇雲に手綱を握る手に力を込めたところで、ヴァルアリスとの差は縮まりはしない。


「自重せよサチュラ。我らの役目はあくまでヴァルアリス様の護衛、遊びに行くわけではない」


 ウェリゴースは渋面を作って嗜めるが、実際のところ魔界最強のヴァルアリスに護衛など必要になるはずもない。

 それは形だけの役割である。


 三人の目指す先は魔源枢城マンナカニアルノより遥か東に位置する真骸丘陵ミドコロゼロダ。見渡す限り砂と岩山ばかりの殺風景な僻地だが、たまたまこの地で地質調査を行っていた一団が地中に遺跡らしきものを発見したのだという。

 その報せを受けたヴァルアリスは、急遽騎乗訓練の経路を変更しこの地を訪れることにしたのだ。

 発見された遺跡の年代によっては、壁前遺物……魔界において壁の時代と呼ばれる一万年以上前の物品が眠っている可能性がある。

 しかし、そこでヴァルアリスが見たのは予想もつかぬ光景であった。




 轟音が大地を揺らし、もうもうと煙が上がっている。

 十数人の魔族が同調して行う大掛かりな術式によって、地には巨大な破壊魔法の跡が刻まれていた。

 集団に指示を出しているのは、側近の兵を引き連れ九節馬に跨るザドゥム。魔界の王が自ら陣頭に立って指示を出すことなど、近年では滅多にない。


「……何をしているのです。父上」


 ヴァルアリスの姿を軽く一瞥し、ザドゥムは少し眉をひそめつつ返答した。


「この地で見つかった遺跡は、劣化した呪具の類を貯蔵しており、危険だった。故に処分した」

「危険? この私でも、ですか?」

「たとえお前でもだ。ヴァルアリス」


 あり得ないことである。ということはつまり、ザドゥムは理由を偽っているのだ。


(いつからだ? 父上はいつからこのようなことをしていた。壁前遺物の数があまりに少ないのは気にかかっていたが、もしやそれらすべてが父上の……)


 魔界の歴史を伝える遺物は不自然に少ないが、王であるザドゥムが側近の兵に命じ片っ端から処分していたのだとすれば辻褄が合う。

 しかし、何のためにその必要があるのか。

 思案を巡らせるヴァルアリスに対し、ザドゥムは考える間を与えまいとするように問いかける。


「ヴァルアリスよ、他ごとに気を取られていてよいのか。ニルファナスの捜索は……」

「その話は今せずともよいのではありませんか」

「ニルファナスの捜索は進んで」

「その話は今せずともよいのではありませんか!」


 ヴァルアリスはこの問いにすんなりと答えるわけにはいかなかった。

 母ニルファナスとは既に人界にて再会を果たしているが、その思惑を知ることは出来ず、魔界へと連れ戻すことも叶わなかった。

 まして、その際に起きた不名誉な敗北の詳細を明かすことはできないのだ。


「いずれは吉報をお届けします。それよりも父上、一つお聞きしておきたいのですが」

「申してみよ」

「父上は、母上にこの魔界へ戻ってきてほしいと思っておられるのですか。もう一度共に暮らしたいと、願っているのですか?」


 ザドゥムはヴァルアリスの目をじっと見て、その言葉を受け止めた。

 サチュラとウェリゴースの背に冷や汗が落ちる。魔界の支配者である親子の間には、今にも戦が始まろうかというほど張り詰めた空気が流れていた。


「それは私の決めることではない。出ていったニルファナス次第であろう」

「私は父上のお気持ちを聞いています」


 なおも食い下がるヴァルアリスに対し、ザドゥムは眉をしかめる。


「……お前には夫婦の事は分かるまい。口を出さぬ事だ」


 あまりにも頑なな拒絶の意思。

 これ以上話すことは無いと言わんばかりに背を向け、ザドゥムは撤収を始めた。

 王が動けば側近の兵たちも従わざるを得ない。あっという間に一団は立ち去り、後にはヴァルアリスら三名と、大きく抉れた大地、その破壊の痕跡のみが残された。



「もうー、ザドゥム様ひどいです! ヴァルアリスお姉さまが遺物の調査をしている事を知ってて壊してしまうなんて!」


 唐突に、ヴァルアリスの意思を代弁するかのようにサチュラが両手をぱたぱたさせて不満げな声をあげた。

 横から怒りを表明されたことで少し毒気を抜かれ、ヴァルアリスは苦笑する。

 あるいはサチュラ自身もそれを見越して発言したように思える。


「いや、ザドゥム様にも何か考えがあってのことかと。ニルファナス様のことも、外からは計り知れぬ事情があるのやもしれません。男女の仲とは深遠なものですよ」


 このウェリゴースの発言には、ヴァルアリスもサチュラと顔を見合わせ微妙な表情を作った。


「……ウェリゴースよ。グレミアは異界遠征エンソクキブンの最中であったな」

「は。その通りですが」


 即答の後、ウェリゴースは首を傾げた。


「何故、今グレミアの話を?」


 グレミアはウェリゴース配下の死告魔星将ダイブエライヒトである。

 彼女がウェリゴースに想いを寄せているのは側から見ても明らか、もはや魔族の間では公然の事実となりつつあるのだが、肝心のウェリゴースはそれに微塵も気がつかないという朴念仁ぶりを発揮していた。


「ウェリゴースにだけは、男女の仲がどうとか言われたくないですよねー。ヴァルアリスお姉さま」

「まあ……そうだな」

「なっ! 何故です!?」


 二人分の冷え切った視線を受け、ウェリゴースは狼狽した。彼は実直にして生真面目な男だが、時にそれが仇となるのだ。


「自分の胸に手を当てて聞いてみるといいですっ!」

「こ、こうか……?」

「本当にやれとは言ってないですー!」

「ま、まあそのくらいにしておけ、サチュラ。ウェリゴースにばかり非があるわけでもない」

「はいっ、ヴァルアリスお姉さま!」


 サチュラは表向き聞き分けがいいが、目の届かないところではまたウェリゴースに辛辣に当たりそうな気配がある。

 当のウェリゴースはといえば、まだ自分の胸に手を当てて首をひねっていた。


 ヴァルアリスは思わずため息をついた。 

 色恋沙汰で軍紀が乱れるほど馬鹿馬鹿しいことはない。

 真意のつかめない父の言動といい、頭の痛いことだった。


(一刻も早く母上を魔界へ連れ戻し、人界を滅ぼして、私がこの世界の王となる。全てを思うまま滞りなく進めるためには、それ以外に道はあるまい)


「サチュラ。私の九節馬も連れて先に戻ってくれ」


 ヴァルアリスはひらりと馬の鞍から飛び降り、砂の上に着地した。


「えーっ、ヴァルアリスお姉さまは一緒じゃないんですかぁああ?」


 往路はともかく、復路は歩調を合わせて一緒に帰れると思い込んでいたらしいサチュラが目を潤ませ悲しげな声を出す。


「それはまた今度にしよう。何処へ行くか考えておくがいい」


 そう告げると、サチュラは渋々了承したようだった。

 遠く離れていくその姿を見送った後、ヴァルアリスは思わず苦笑した。

 以前ならば、ぐずるサチュラに知ったことかと一喝していただろう。


(私は、変わった……のだろうか)


 ヴァルアリスは、時の流れ、経験、他者との関わりによって変化する自分が嫌いではない。変化を恐れがちな魔族の中で、それを好ましく思うのは異端とも言える。


(構うものか。どのように変わろうとも、己を定義するのは己自身)


 天に向けた掌の上から転移の光が迸り、竜魔神姫トンデモナイゼの体を包む。

 繰り返される光景の中で、ヴァルアリスの心の内は同じではない。

 今までより更に強く、己の手で運命を変えてみせるのだという意思の力が満ちている。


 だが、忘れてはならない。

 この物語の題名は竜魔神姫トンデモナイゼヴァルアリスの敗北である。

 これはあくまでも、魔界の頂点にして至宝、戯れに竜をも屠る、絶対無敵、最強不敗の竜魔神姫トンデモナイゼヴァルアリスが……敗北する物語なのである。

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