第7話 兵庫県神戸市の中華街食べ歩き(後)

 タピオカミルクティーを飲み干したヴァルアリスは、空になったプラスチックカップを火焔鏖渦撃サットアブルテイドにて一億二千万度の炎の中へ葬り去った。

 竜魔神姫トンデモナイゼたるもの、空き容器を放置するようなはしたない真似などするはずもないのだ。


(人類の流行の品など下賤の極みと思ったが、意外にも楽しませてくれる……だが、本命はここからよ!)


 そう、ヴァルアリスがこの南京町を訪れたそもそもの目的は、中華点心の名店として名高い善珍楼である。

 タピオカミルクティーの美味しさに悶絶している間にも行列は進み、ヴァルアリスの注文する番が訪れようとしていた。


 しかし、意気揚々とレジ前に進んだヴァルアリスは思わず自分の目を疑いゴシゴシと擦った。


(この男は先程タピオカミルクティーを売っていたはずでは……双子の兄弟か?)


 レジには小太りの男が柔和な微笑みを浮かべて佇んでいる。その姿は、服装から髪型、表情に至るまで、あまりにも先ほどタピオカミルクティーを売っていた男と酷似しているのだ。

 双子だとしても、そこまで差異を無くす意味がわからず不気味である。


「いらっしゃいませー。ご注文は?」


 ヴァルアリスは考えるのをやめた。瑣末なことに気を取られ本題を見失うのは、愚か者のすることだからだ。

 故に、指を二本立て、高らかに宣言する。


「豚まんを二つ頂こう!」


 善珍楼の名物は豚まんである。

 全国的には肉まんという名で売られる食べ物だが、関西圏では肉といえば豚よりも牛が主流。故に、肉まんではなく豚まんと称するのだ。

 あえて二つ購入したのは、この豚まんがやや小ぶりなサイズであったためだ。


(一つは食べきり、残る一つを封印保存すれば良い。完璧な道筋だ)


「二百円です。ありがとうございますー」


 滞りなく金銭のやり取りを済ませ、ついに目的の品を手にしたヴァルアリスは、店舗に隣接する休憩スペースへと足早に移動した。

 そしてほわほわと湯気を立てているいかにも熱々な豚まんを前に、一度大きく深呼吸をする。


(焦るな……これは相当な熱さが予想される。慌ててかぶりつけば口内の火傷は必至)


 逸る心を抑え、ふうふう吹いて冷まし、慎重に豚まんを一口齧る。


(む……評判の店が、この程度か?)


 確かに、モチモチふっくらした皮の甘みが中の具の塩気と引き立てあう美味しさはある。

 しかし期待のハードルを越えるほどのインパクトは感じられない。


(この程度ならば恐るるに足らんんんんんん!?)


 油断したヴァルアリスの口内に怒涛の勢いで押し寄せる熱い肉汁の波!

 それは幸福の限度メーターを振り切る勢いで流れ込んでくる!


(ばっ、馬鹿な! 物理的にあり得ん!)


 このやや小ぶりな豚まんの、一体どこにこれほどまでの肉汁が閉じ込められていたというのか。

 信じられないことだが、しかし紛れもない現実としてそこにある!


 善珍楼の豚まんは冷凍作り置きをせず、毎日手包みで作ったものをベストの蒸し時間で提供している。

 それ故に皮はもっちりふかふか、弾力に富んだ豊かな甘みが楽しめるのだ。

 冷凍保存しないということは大量に売れ残れば全て廃棄せねばならないが、善珍楼においてその心配は無用。

 美味しいからこそ行列が出来、行列が出来るからこそ惜しみなく美味しさを提供できるという正の相関関係が成立している!


 中の餡は豚肉と玉ねぎ、調味料、香辛料というシンプル極まる構成。

 しかし、食べ応えを楽しめるようにあえて粗めに挽いた豚肉、熱でとろけるみじん切りの玉ねぎ、ぴりりとした黒胡椒の刺激、深みのある熟成XO醬が圧倒的な味の広がりを見せる。


 これらを大量の肉汁と共に味わう豚まんは、皮も餡も渾然一体となり、食した者を天上へと誘う芸術的な旨味の爆弾と化していた。


 二つ目の豚まんをもぐもぐ味わいながら、ヴァルアリスはしきりに感心していた。


(二個では足りなかった……! 三個、いや四個でも良かった!)


 恍惚の表情で余韻に浸るヴァルアリスに、沢谷逸星が目ざとく声をかける。


「そっちの店のゼリーも美味しいよ」


 なんという余計なお世話!

 言われるがままにふらふらと歩みを進めると、その屋台でも小太りのにこやかな店主が姿を現わす。


(なっ……また同じ顔の店主が!?)


 彼の名は沢谷優星。善珍楼の店主、沢谷逸星の兄である。

 この屋台では、さっぱり爽やかなレモンシロップで味わう愛玉ゼリーを提供している。


(おお……酸味と甘みのバランスが秀逸……!)

「向こうの店の角煮まんも美味しいよ」


 再び同じ顔の店主が現れる。

 彼の名は沢谷秀星、沢谷優星の兄である。

 この屋台は濃厚な味付けの角煮を生地に挟んだ角煮まんが売りなのだ。


(むう、これは……肉の旨味もさる事ながら、甘みのある脂身がとろとろ溶けて美味しい!)


 もはや計画性など何処へやら。今のヴァルアリスは目についた美味しそうなものを手当たり次第に買っては食べ、買っては食べるだけの食欲の権化と化している。

 何故このようなことになってしまったのか!?


 その理由は、食べ歩く品のチョイスと、南京町に張り巡らされた沢谷兄弟のネットワークにあった。

 最初に口にしたタピオカミルクティーを皮切りに、ヴァルアリスは意図せず冷たいものと温かいもの、あるいは甘いものとしょっぱいものを交互に口にしているのだ。

 これにより味のコントラストが際立ち、食欲が加速した上で反復のリズムが生まれてしまっている。


 さらにどの店に行っても同じ顔の店主が繰り返し現れることでこのリズムが強化!

 無意識のうちに買っては食べる動作を同じように繰り返してしまうのだ!

 無論、これらは全て沢谷兄弟の計算の内。

 ヴァルアリスは知らず知らずのうちに彼らの策に嵌っている……!


「あっ!?」


 我に帰ったヴァルアリスは思わず叫び声を上げた。

 気がつけば、南京町メインストリートの西端である西安門は目の前。

 このまま外に出れば、通りを抜けるまでの間に勝負を決めるという当初の目論見は崩壊する。

 それは完璧主義のヴァルアリスにとって我慢ならない完全敗北を意味するのだ!


「何か……何か無いのか!?」


 必死に周囲を見渡すヴァルアリスの目に、「おいしいフルーツかき氷」の看板が飛び込んできた。


(フルーツかき氷……これだ!)


 うだるような暑さの中ならいざ知らず、心地よい陽気程度の中でならばかき氷の破壊力は抑えられるはず。

 そしてこの屋台の店頭に立つのは小柄な老婆。同じ顔の繰り返しによる流れも断ち切られる!


「この、マンゴーのかき氷を貰おう!」

「はいよー。六百円ね」


 老婆がごりごりと氷を削る音に続き、見た目にも鮮やかなオレンジ色の氷が、カップにこんもりと盛られてヴァルアリスの目の前に差し出された。


(一口だけ味わって後は残す! 一口だけ味わって後は残す!)


 さくっと突き立てたスプーンでかき氷をすくい、口へと運ぶ。


(一口だけ……大したことのない、一口……がっ!?)


 想定外の衝撃がヴァルアリスを襲った。


(これは! ただの氷ではない!?)


 それは確かに、氷を削ってシロップをかけたものではない。よく熟したマンゴーを鮮度そのままに急速冷凍し、まるごと削って作ったかき氷なのである!

 六百円というかき氷にしてはやや高めの値段設定に疑問を感じるべきだったのだ!


 しゃくしゃくと冷たい果肉を噛み砕けば、舌の上でとろける豊潤で濃密なマンゴーの味わい。ご丁寧に角切りのマンゴー果肉もプラスされ、ゴージャスな甘酸っぱさの二重奏を完成させている。


(お、終わってほしくない……この味に永遠に浸っていたい……!)


 幸福の絶頂にあるヴァルアリスがマンゴーかき氷を食べ残すことなど、もはや考えられるはずもなかった。


 満足げなヴァルアリスの表情につられて微笑む屋台の店主。何を隠そう、この老婆の名は沢谷美星……沢谷四兄弟の母親であった!

 競合店ひしめくこの南京町で自分の店を経営していくのは容易なことではない。

 沢谷美星は息子たちに調理技術を仕込むだけではなく、お互いに助け合い、補い合うことの大切さを説いた。


 奇しくもその結果が、初めて西の地を訪れた竜魔神姫トンデモナイゼに対して強烈すぎるほどの洗礼となったのである……!



 そして、そんなヴァルアリスの姿を、遠く四階建ての建物の屋上より見つめる一人の人物がいた。

 ヴァルアリスをこの地に導いた張本人……ヴァルアリスの母にして魔界の王ザドゥムの妻、ニルファナスである。


「ヴァルアリス……何者にも縛られぬ気ままな食べ歩きこそ中華街の醍醐味の一つ。今日のところは、その楽しみを邪魔せずにおきましょう」


 両手に山ほど抱えた中華ちまきの中から一つを口に運び、もぐもぐと咀嚼しながら、ニルファナスは静かにほくそ笑むのであった……!

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