第6話 兵庫県神戸市の中華街食べ歩き(前)
兵庫県神戸市。
古くから港町として栄えたこの町は、明治元年に神戸港を開設し、多くの外国人が居住するようになった。
そのため、当時の建物がそのまま残るもの、阪神・淡路大震災という大きな災害の後に復元されたものを合わせ、ハイカラな街並みを楽しめる観光都市になっている。
中でも中央区の元町通から栄町通を結ぶ一帯は通称南京町と呼ばれ、中国風の意匠を特徴とするチャイナタウンである。
港町に合わせてAラインのマリン風ワンピースに身を包んだヴァルアリスは、この南京町を訪れていた。
(事前の調査によれば、この地は食べ歩きの名所とか。その実力を見せてもらうとしよう)
気合十分のヴァルアリスは、南京町の東側入り口である長安門をくぐる。
この長安門から、西側の西安門へと続く通りを抜けるまでの間に勝負を決める心算なのである。
しかし、いざ屋台の並ぶ通りを歩き始めたヴァルアリスは驚愕し叫び声をあげた。
「何だこの人混みは!?」
折しも晴天の外出日和となったこの日の南京町は普段にも増して大盛況。
見るからにめでたい赤や黄色の建物をバックに記念撮影をする家族連れ、パンダや牛の像を見て笑い合うカップルなどで大賑わい、押し合いへし合いしながら進まねばならないほどの大混雑となっていたのである。
(おのれ人類め……私が行く場所に集まるな!)
至極勝手な事を思いつつ、ヴァルアリスは人混みの中をのろのろと歩き出す。
このままでは、事前調査により決定している目的の店にいつたどり着けるか見当もつかない。
(狼狽えるな。いかなるトラブルにも対応する。私にはその力がある……)
ヴァルアリスは当然、このような事態に対処できる魔法も習得している。
ヴァルアリスの精神は肉体の軛を離れ、上空へと舞い上がる!
上空からの俯瞰視点で南京町の混雑状況を完全に把握したヴァルアリスは、目的の店への最短ルートを選び出すのだ。
精神が離脱したヴァルアリスの無防備な肉体はどうなっているのかと疑問に思うかもしれないが、案ずることはない。手足こそだらりと脱力し、白目を剥いてはいるものの、ヴァルアリスの精神体に引きずられるように肉体もまた移動していくのだ!
この姿を目の当たりにした人々は、小さな悲鳴とともに道を譲る。人混みが左右に分かれていくため、ヴァルアリスにとっては一石二鳥!
だがその時、じわじわと歩みを進めるヴァルアリスに向かって、突如横合いから三枚の皿が飛んだ。
店先に商品を並べていた雑貨屋の店員が、つんのめって放り投げてしまったのだ。大混雑故のトラブルか!
「なんの!」
ヴァルアリスは咄嗟に
その瞬間的な判断力、体幹、バランス感覚を持ってすればこの程度の芸当は容易なのだ!
「ありがとうね!」
投げられた皿を受け取った店員はにっこり笑顔で礼を言い、同時に通行人からは歓声と拍手が上がった。
本日のヴァルアリスは絶好調中の絶好調だ!
しかし、順風満帆に見えたヴァルアリスの快進撃にここで歯止めがかかる。
「くっ、やはり混雑している!」
ようやくたどり着いた目当ての店、「善珍楼」の前には既に長蛇の列が出来ていたのだ。
美味い店には当然客が集まる。これだけ混雑している日には、長い行列が形成されるのも無理からぬことであった。
(どうする……他の店をあたるか?)
何も善珍楼だけが名店というわけではなかろう。予定を変更し第二、第三候補の店へ向かうという手もある。
しかし、目当ての店の前まで来ての断念は妥協であり、ある種の敗北ではないかという懸念も拭えない。
思い悩むヴァルアリスの目に、「特製タピオカミルクティー」の看板を出した屋台が飛び込んできた。
店先には「人気商品」「話題沸騰」「SNS映え」などの宣伝文句も掲示されている。
「タピオカミルクティー……?」
未知の飲料だが、しかし、人類の間で流行しているものならば押さえておく必要はあるかもしれない。
ヴァルアリスがふらふらと屋台に引き寄せられていくと、愛想の良い小太りの店員がぺこりと頭を下げた。
「いらっしゃい! どうぞ。美味しいよぉ」
彼の名は沢谷健星。この南京町にその名を轟かす、沢谷兄弟の末弟であった。
何を隠そう、ヴァルアリスが並ぼうとしている行列店の「善珍楼」は彼の兄、沢谷逸星が経営する店なのである。
善珍楼の行列を待つ客は、ちょうど良い場所にあるこの屋台でタピオカミルクティーを買う。一方で、タピオカミルクティーを飲みながらであれば並ぶのも苦ではない、と善珍楼の客が増える。
兄弟の店がお互いに利を生む、暗黙の協力体制なのだ。
そうとは知らないヴァルアリスは、まんまとこの策に嵌りMサイズのタピオカミルクティーを購入、プラスチックのカップに入ったそれをしげしげと眺めた。
「何だこれは。底の方に、何か溶けずに残っているぞ……きちんと混ぜたのか?」
店員の怠慢を疑ったヴァルアリスは手にした容器をくるくると回してみたが、底に溜まった黒い球状の物体は一向に変化する様子がない。
「それがタピオカです。キャッサバという芋の澱粉から作っていますよ。ミルクティーと一緒に食べてね」
沢谷健星はニコニコと朗らかに笑い、愛想を振りまいている。
(……何やら得体のしれない飲料だな。しかしまあ、飲んでみないことには始まらないか)
意を決したヴァルアリスは、思い切ってストローに口をつけた。
(これは……なんとも心地よい甘味……)
花の蜜のような香りと芳醇なコクを持つ鉄観音茶に、まろやかなミルクを合わせたミルクティー。
甘くて濃厚なのに後味はスッキリとして、ぐいぐいと飲めてしまう。
そして更に、太めのストローからとぅるんと吸い上げたタピオカがヴァルアリスを襲った!
(なっ……!?)
稲妻のような衝撃がヴァルアリスの脳天を駆け抜けた。表面はゼリーのようにつるりとして、しかし噛むともっちりした弾力のある噛み応え。
タピオカの本場で「QQ感」と呼ばれるその食感は、魔界には存在しない未知の食感だったのである。
(馬鹿なっ……つるっとしているだけなら耐えられたものを……その上でもちもちしているとは、卑怯ではないか!?)
何が卑怯なのか全くわからないが、ヴァルアリスは憤慨した。
冷たいミルクティーの爽やかな喉越し。冷やされたタピオカの小気味よい弾力。
このような多面性を持つ食物は、決して許せないと感じたのである。
故に、一滴残らず飲み干してしまうのも無理からぬことであった。
そして、その様を眺めていた沢谷健星は意味ありげにニヤリと微笑んだのである……!
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