第6話 台東区浅草のラーメンライス(前)
ラーメン。
一般的には、小麦粉にアルカリ塩水溶液を加えて作る麺を茹で、スープに入れて具と共に食す料理である。
人類に広く愛される料理の一つで、人類の中にはラーメンから隔離され続けると死亡する個体さえ存在するという。
それほどまでに人間の生活に密接に結びついた食物ならば、人の世界、その文明の証として残すに相応しい。ヴァルアリスはそのように判断した。
だが、ラーメンについての調査は難航した。そもそも表記が『ラーメン』だったり『らーめん』だったり『らぁめん』だったり、突然『中華そば』になったりする。
次につけ麺の存在がネックになった。単純にラーメンのスープと麺が別々に提供されるのがつけ麺なのかと思いきや、ざるラーメンだのざる中華だのという名称で似たような存在が登場し、混乱を誘う。
タンメンとは何なのか。野菜が入ったラーメンではないのか。
ワンタンメンはタンメンが一つある状態を示す言葉ではなく、タンタンメンもスーラータンメンもタンメンとは全くの別物なのだという。
油そばって、何?まぜそばと、和え麺と、汁なし麺は何が違うの?
ジロウはどう見てもラーメンなのに、ラーメンではなくジロウという別な食べ物で、しかしてジロウリスペクトというラーメンはあるらしい。
「いい加減にしろッ!」
ヴァルアリスはキレた。
危うく、自室の壁を破壊しガンマ線バーストを発生させるところであった。
すんでのところで持ちこたえたのは、
その後もソーメンだのローメンだのジーメンだの、こちらを混乱させようとしているとしか思えない様々なメンがヴァルアリスを苦しめた。
疲れ果てたヴァルアリスは、最終的になるべくシンプルなラーメンを扱っている店を求めて、台東区は浅草に降り立ったのである。
浅草といえば浅草寺は総門・雷門を始めとして、仲見世商店街などノスタルジックな日本文化に触れられる街。平日でも外国人観光客で賑わう通り、その人混みを縫ってヴァルアリスは先を急ぐ。
揚げまんじゅうや天ぷら蕎麦など、数々の恐るべき誘惑もなんとか振り切り、目的の店へと辿り着いた。
宝生軒。
駅から徒歩7分、立地にも恵まれ客足が途絶えない人気のラーメン屋である。
戦後間もない頃から屋台を引いてラーメンを売っていたという初代店主の頃から数えれば、五十年以上続く老舗だ。
相手にとって不足なし!
いそいそとテーブルを拭いていたアルバイトの青年は、暖簾をくぐって現れた絶世の美少女に一瞬見惚れ、慌てて普段の三割増の声を張り上げた。
「えーらっしぇー!」
このやかましいほどの歓迎の言葉に対して、ヴァルアリスはおうむ返しを……しない!
ヴァルアリスは、ラーメンについて調査する過程で副次的に学習した。店員がいらっしゃい、とかいらっしゃいませ、と言っても、客が同じ言葉を返す必要はないのである。
既に二度ほど致命的な誤りが発生していた気もするが、しょせん過去の事。
そんな事よりも重要なのは、現在を良く生きること、そしてより良い未来へ繋ぐことである。人類根絶という未来へ!
券売機で淀みなく『ラーメン』そして『煮卵』の食券を購入し、店員に渡す。実にスムーズな、事前脳内シミュレーション通りの進行であった。
百五十円増しの『チャーシューメン』にも心惹かれるものはあったが、公式サイトの写真を見る限り、普通のラーメンに煮卵トッピングの方が全体のバランスが良いとヴァルアリスは判断したのである。
先日のカレーライス以来、卵には特別な愛着が湧いていたのもある。もはや盟友と言っても良い。
(もっとも……お前を食べてやれるかどうかは分からないがな。煮卵!)
そんな事を思いながらカウンター脇を通り過ぎる際、厨房で調理に勤しむ男と視線が交錯した。
額にタオルを巻いた坊主頭の男。眼光は鋭く、油断ならない熟練者の風格が漂っている。茹で上げ中の麺を見つめるその姿は、料理人というよりも修行僧のようであった。
公式サイトで見た宝生軒の三代目店長・沢嘉人に違いない。
(見せてもらうぞ。三代目の心意気、とやらを……)
油断なくテーブルに座ると、卓上の円筒形容器には細長い木の棒が何本も立てられている。
ヴァルアリスはこの道具も知っている!
割り箸といって、割れ目が付いている部分で二つに割り、食事に使用するのだ。
さっそく両手で持って勢いよく割ると、上部がくっ付いたまま変な風に折れて、左右非対称の形状となった。
ヴァルアリスは苦笑した。
(所詮人間の作る道具か。綺麗に半々に割れないという、想定外の不具合を生じる事もあるわけだな)
慌てず騒がず、もう一本の割り箸を手に取り、力を込めて割る。
割り箸は再び上部がくっ付いたまま変な風に折れて、左右非対称な形状となった。
「……」
ヴァルアリスの顔から苦笑が消え、
これは永続する単分子の刃を作り出す魔法で、いかなる物体も切断可能である。
最小限に発動したためカッターナイフほどの大きさとなったそれを使い、ヴァルアリスは新しい割り箸を縦二つに割った。
割り箸を指で挟んで持ち、満足げに開閉する。箸の使い方自体は既に練習済みなのだ。
使い終わった単分子の刃は、近くにあった屑かごへ捨てた。それは屑かごの底も、床も貫通して、最初についた勢いのまま永遠に落下していく。
いずれはマントルに到達して蒸発するであろうが、それまでにガス管や重要な地下ケーブルを切断しない事を祈るばかりである。
これまたテーブル上にあったヘアゴムで髪を縛り終える頃、待ち構えていたように注文したラーメンが到着した!
「ラーメン、煮玉子す。ご注文以上でお揃いすかっ」
「ああ」
「しゃーす!ごゆっくりーどぞー!」
ヴァルアリスは今回の敵を観察する。
どんぶりの中央からやや左側に二枚のチャーシュー。その隣にメンマとネギがごそっと置かれ、逆サイドにナルトとトッピングの煮卵が並ぶ。器のふちに乗るように海苔が一枚。
茶色の濃いスープには金色の油がきらきらと浮かび、黄色っぽい麺が少し顔を覗かせている。
立ち上る湯気がふわりと顔にかかると、そのなんとも言えない醤油の香りにヴァルアリスはしばし恍惚となった。
数秒後、ハッと我に帰る。
(あっ、危ないところだった!)
ヴァルアリスは再度、この後の流れをシミュレーションする。
ラーメンを一口、二口食べる
↓
こんなものか、まあまあだなと評価
↓
魔界へ持ち帰るため、食べ残しを封印
↓
人類絶滅
↓
魂回収
↓
(よし。行ける!)
スープの海へ箸を突っ込み、麺を掴んで高々と持ち上げる。ふう、ふうと二度吹いて冷まし、口の中へ。そのまま麺を噛みちぎって、ヴァルアリスは確信した。
「この勝負……勝った!」
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