第26話 海を見ていたジョニーとダン

「近藤さん。」

 

 斎藤さんが気配に振り向くと、近藤さんが斎藤さんの羽織の袖で、濡れた手を拭いている処だった。


「あらあら総司、目が覚めたのね。長いトイレになっちゃったわ。歳ちゃんは?」

「何か叫びながら走ってゆきました。」

「じゃあ、3日くらいはかかるかもね。ま、そのうち後を追って来るでしょ……総司、有難う。一番辛い役を演じさせたわね。恩に着るわ。」


 近藤さんのウインクが心に沁みる。


「土方さんと……もう、二度と逢えないかと思うと、」

「ちょっと寂しい?」


 近藤さんが両手で、ちょっと冷たい僕の手を包んだ……温かい、柔らかい手だ。


「あたしね、今、自分で素敵な人生だなって思えるのよ。この時代に生まれて、この時代に死んでゆけて……本当に良かったなって、そう思えるの。出会うのも素敵だけど、別れることも素敵。始まりがあって、終わりがある。そんなことを……いっぱい繰り返して……それが生きているって事じゃないかしら?」

「はい。」

「あたしたち、とても沢山、生きた。例え短くても……」

「……はい。」

「いい子ね。さすが、あたしが育てた最後のアイドルね。」

「はい……」


 近藤さんが、よいしょっと立ち上がった。


「じゃあね。また、いつか。」

「はい……また、いつか。」

「またな。」

「斎藤さんもお元気で。」


 近藤と斎藤が静かに去ると、暗い部屋の中で総司は、小さく咳き込み始めた。


 甚五郎のカメラが、隣のセットへとパンをして、闇の中で灯芯に火を点ける年季の入った手にピントを合わせる。カメラが腕を這い上ると、フランス映画の大スター、ジャン・ギャバンにも似た、いぶし銀の様な存在感を持つ浅草弾左衛門の顔がモニターに浮かぶ。ズームをひくと、隣に近藤の顔も見えた。弾左衛門の嗄れ声が、沈黙を破る。


「人の世に光りあれ。……ジョニー、随分歳を取ったな。」

「お互い様よ。」

「何やら、慶喜公に気に入られて出世したとか?」

「幕府にろくなのがいないのよ。300年は長すぎたのね。」

「われら"日(ひ)"と申し、"影(え)"と申し、"蜂(はち)"と呼ばれ、"八(や)" とも"八(ぱー)"とも呼ばれ」

「穴居して"土蜘蛛(つちぐも)"、山野に潜みて"隠忍(おに)"と呼ばれる……」

「EDOは影(え)=の土地、歴史の影(かげ)に生きる者たちの土地。家康公もまた、影(え)の民の生まれじゃ。ここは我々のクニ。EDOは、良い時代になるはずだった。それがあの綱吉の"生類憐れみの令。"から狂ったのだ。幕府は坊主と付き合いすぎたかの?今や影も、尊皇と佐幕に別れて殺しあう……クニとはいかにも厄介なもの。いや、そもそも"影"がクニなど作ったのが間違いだったのか……。」

「徳川幕府を助ける気は?」

「錦の御旗まで持ち出されては……最早、先は無いだろう……後が辛いな。」

「新政府は、何かおいしいことを言ってきたの?」

「おいしいが……信じられぬ。所詮、幕府も薩長も西洋商人の操り人形だ。」

「……じゃあ、あたしの為なら?」

「……若き日の、美しき思い出の為に……か。」

「よせばいいのに、やたらに"永遠"を誓う男がいたわ。」

「一緒に海を見ながら……だったかな。」

「そいつより素敵な男には、とうとう出会えなかった。」

「ふふ……仕方が無いな。軍資金一万両と、若い者200人。この、十三代浅草弾左衛門を持ってしても、今すぐ動かせるのはその位だ。これでワシは、新政府に弓を引いた事になる。この貸しは大きいぞ……まあ、お前に返してもらおうと思った事はなかったがな……ジョニー、今夜はゆっくりして行けるのか?」

「いいえ。」

「そうか……ひとつ教えよう。」

「何?」

「徳川も、お前たちを見捨てた。『甲陽鎮撫隊』などと名前だけは勇ましいが、要は厄介払いだ。」

「そう。……まあ、遅かれ早かれそんなことだと思ってたわ。」

「ジョニー……」

「なあに?ダン……」

「死ぬなよ。」


 近藤、にっこり笑って立ち上がり、闇に消える。

 弾左衛門は、首を振って溜息を洩らし、静かに明かりを吹き消した。


 ジョン万次郎の声が手紙を読みあげる。


「勝沼にて……これは、新選組局長、近藤勇さんからのリクエストです。」


 スポットライトの中に、戦装束の近藤が浮かぶ。

 背景のホリゾントが、次第に朝焼けの色に染まり、

 激しく戦っている兵士たちのシルエットが、浮かび上がって来る。

 ある者は鎧兜、ある者は洋式の軍服、

 ある者は、道場の稽古に使うような防具の胴を着けただけの姿で……


 アームストロング砲が咆哮する……砲弾が空気を裂いて飛来する……

 激しい炸裂音!悲鳴が土煙に呑まれる……

 生首や千切れた手足が、宙を飛んで落ちるのもシルエットで見える……


 こんなにも生々しく、こんなにも美しく、こんなにも哀しい戦闘場面が、 

 ドラマで描かれた事は、かつて無かった。

 EDO時代最後の夜、大江戸TVの作る最後のドラマだ。

 最早、コンプライアンスなど考えなくても良い。

 人体がバラバラに爆ぜて飛ぶのが、戦争という物の真実だ……

 甚五郎の覗くファインダーの中で、近藤が血刀を手に仁王立ちしている。

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