第23話 白雪姫の毒饅頭
おりょーは、コロコロと綺麗な声で笑った。その声は、スタジオの壁に天井に跳ね返って来て、あちこちからイゾーを斬り刻む。
「……もっと、ましな嘘ついておくれやす。坂本はんが、死んだやて!あの人は、いつも言うてはりました。"たとえ、首を斬られても、その首転がしてドリブルしながらでも、必ずお前の家に帰ってくるきに、酒と肴の用意は頼むぜよ"……ぼんは嘘つきや!いつか言うてたなあ。ぼんのことを愛してるかて?……死んだ言うたら,うちが、あの人のこと、あきらめるとでも思うたんやろか?そんな、あほな!夕べもな、夕べかて、あの人は言うてくれはったんや。"わしはまっこと、おりょーにぞっこんぜよ。誰にも渡す気はないきに、覚悟しちょけよ。"……たとえ死んでも……来世も、必ず……一緒やて……」
おりょーの眼から、滝のように涙が溢れ、降り注いで、路上に大きな水溜まりが広がって行く。
「何でや……なんで、うちをいじめるの?うち、もう行くえ。忙しいのや。うちの大事な人の一大事や。あんたみたいな、訳の判らん子供の相手はできんのや!……ほな、さいなら!」
足音が凄まじい勢いで遠ざかって消えた。
イゾーは俯いたまま、引き戸を開けて薄暗い家の中に入った。行燈の油が切れかけて、灯りがイゾーの魂のように細く、小さく、薄暗くなっている。イゾーは、油を足すでもなく、座敷の真ん中にぺたんと腰を下ろした。
無造作にガラガラと引き戸を開けて入って来た足音が、イゾーのシルエットに気付いて凍り付いた……半平太だ。皿一杯の饅頭を抱えている。
「おっ父!」
イゾーが一瞬にして立ち上がった。
武市がビクっと反応する……浮いた饅頭たちが皿に戻る音がした。
半平太は唾を呑み込み、何気ない様子で語りかけた。
「帰ったか。」
「おっ父、おら聞きてえ事がある……」
「まあ……ゆっくり聞こう。饅頭でもどうだ。一条戻橋の白雪屋で買ってきた、最近、大人気の姫饅頭だ。半時並んでようやく買えた。きっと美味しいぞ。」
武市がイゾーの前に皿を置いた瞬間、小柄な家ネズミが走り出て、饅頭を齧った……と、思う間もなく、静かに横転するとピクリとも動かなくなった。
「あ!」
「あ……いや、これは多分、年を取った古ねずみだ。寿命だな。美味い饅頭を食って、満足して昇天したと見える……ささ、早く……」
そこへ首に鈴を付けた三毛猫が、コロコロとやってきて、同じように饅頭を齧ると、こてんと死んだ。
「あ!お隣の三毛!」
「あ……お隣の三毛は、風邪をこじらせて寝込んでいると聴いたが、きっと肺炎だったのだな……一口、饅頭を食って死にたかったの……」
言葉の終わらぬうちに、ブタが畳に上がり込み、饅頭をかじり、こてんと……
「横丁の為五郎さんちのブタが!」
「……日頃、食いすぎだと思っていたが、どうしても饅頭が食いたかったんだろうなあ……今の饅頭一口で、遂に胃袋が破裂したのだろう。なんと浅ましいものよなあ……」
続けざまに、牛と、ロバと、おじいちゃんがやって来て、続けざまに饅頭を齧り、こてんと死んだ。
「町外れの牧場の牛と、パン屋さんのロバと、お向いのおじいちゃんが……!」
「今日は、偶然と不幸が重なる日だ。さあ、さっさと死体を片づけて、また誰かが不幸になる前に、とっとと、その饅頭を食ってしまいなさい。」
「はーい。」
二人は死屍累々たる部屋を、四半刻ほど掛けて片づけた。
元の位置に座ると、イゾー、パクッと饅頭を口に入れた。
「食ったか?食ったな!……ははははは、その饅頭には、一個でアフリカ象も死んでしまう量の猛毒=サリンが混ぜてあるんだ。可哀相だがお前の命もこれまでだ。こんな事をした理由を冥土の土産に聞かせてやろう。俺がお前に命令した数々の人斬りを、土佐藩にバラされると命が危ないのだ。悪く思うなよ……」
古舘伊知郎にも負けぬ早口でまくし立てる半平太を、半眼で見つめていたイゾーが、パクッと口を開けると、饅頭が綺麗な桃色のベロに載って、そのままの姿で出て来た。
「と言うのは、もちろん悪い冗談だ……この饅頭は、実はいささか古くなっててな。それで安かったんだ。食べないほうが良いかもな。」
「変な味がした。」
「そうだろ。」
武市は饅頭を受け取ると、皿に載せて台所へ持って行った……『チュー…』『チュー…』『チュー…』と巻き起こった、大量のネズミの断末魔の声を遮るように、障子を足で閉めた半平太の手には、ジュースの瓶とコップが一つずつ。
「和歌山産のカレージュースだ。ちょっと変わった味だが、これが、ピリっとして意外に美味い。飲んでみるか?」
「うん。」
イゾーはためらいもなくコップを持つ。もはや武市には判らない、イゾーが、イゾーの考えていることが判らない……だが、もう進むしかない……ジュースを注ごうとするが、手が震えて、上手く注ぐ事が出来ない……イゾーに手を掴まれて、心臓がドクンと大きく波打つ……だが、イゾーは瓶とコップを取ると、自分で注いで一気に飲んだ。
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