第22話 さよならという別れの言葉ではなく
「……そうすれば、坂本竜馬殺しを私たちの手柄にしてくれるってね。フン!」
いや、いくら悔しいからって、あんたが、土方の尻馬に乗ってはいかんでしょ!……と、斎藤は唇を噛む。
「いい話じゃありませんか!幕末史の一番手柄ですよ。それに、こいつが居なくなれば総司だって……」
土方の劣情を遠くすり抜けて、イゾーの眼はここに居ない誰かを見ている。
ゆらゆらと水底から、水面の上を見上げているように……
その男の顔を見ている。
「おっ父が………おらを……?」
「売ったんだ。武市半平太は、土佐藩の重臣、吉田東洋の暗殺容疑で捕まったが、証拠不十分で保釈された。しかし、土佐藩が証人として、お前を探していると知って、お前の口から、今までの人斬りがバレルのを怖がっている。口封じに殺してくれと……事もあろうに、我々新選組に頼んできたんだ!」
「おら、おっ父に嫌われたの?……おら、ずっと、おっ父の言う通りに働いてきたのに……おらが……死んだ方がいいのか?……おっ父は、本当に、そう思ってるのか?……」
イゾーは長船を取り落として、涙を拭った。
後から後から、とめどなく涙が湧いて来て止まらない。
土方、じりじりと近づき刀を振り上げようとするのを……いつの間にか、そこに駆けつけていた男が、静かに制した。
「……総司、邪魔するな!」
「土方さん!あんたは、泣いている子供を、無抵抗の子供を斬るほど、落ちぶれたんですか!それがあなたの武士道ですか!」
「子供じゃない!そいつは岡田以蔵だ!我々の警護する京の都を、恐怖のどん底に叩き込んだ"天狗面"だ!」
「知ってますよ!けれど……どうしても、この子を斬るというなら……」
総司が、毎夜、甘い夢の中に現れるその顔が……未だ見たこともないような顔で氷のような殺気を放ちながら、歳三の正面に立った。
「僕が相手です!」
どす黒い嫉妬と、細胞が破裂しそうな哀しみが瞬時に満ちて……水風船のように膨らんだ土方の肩を、近藤の手が後ろから優しく叩いた。
「勝負あり、ね。……さ、馬鹿1、馬鹿2、帰るわよ。」
「はい。」
「え?近藤さん?!!」
泣き叫ぶ新選組副長の耳を引っ張って、近藤は後ろも観ずに去っていった。
斎藤一は何か言いたそうだったが、仕方なさそうに笑ってから去った。
沖田総司は近藤たちの後ろ姿に深々と礼をして……
そっと歩み寄り、イゾーを抱き締めた。
「辛いかい…辛いだろうな。父親と慕ってた人に裏切られたら。でもね、武市さんだってきっと……」
「おら、おっ父に会いに行く。」
「イゾーくん!」
「おっ父に聞いてみる。おら、約束した。おら、おっ父に聞いてみる!」
「……わかった。近くまで送るよ。」
イゾーは、ふるふると首を振る。
「これは、おらとおっ父のことだ……総司に迷惑はかけられないよ。」
イゾーは竜馬の死体に向かって合掌した。
「なんみょーはーらーみだーぎゃーてーだぶーへんじょーほけきょけきょ」
聞き慣れぬお経の様な言葉を唱えてから、イゾーは、竜馬が珍しく腰に差していた愛刀、肥前忠広を抜き取って、紐で背負った。そのまま2、3歩離れてから振り返って、ぴょこんとお辞儀をした。
「イゾー君!」
イゾーの背中が小さくなって行く。
それは、たまらないくらい大切な物だ。
自分にとって哀しいくらい大切な……無くてはならないものだ。
総司は胸の中で動悸を打つ滑らかな心臓が、乱暴な荒縄で、ぎゅっと締め上げられた様に感じた。思わず声が出る。
「また会おう!…きっと!また会おう!」
小さな背中が、くるりと振り返った。
無理やりの笑顔が、力なく両手を振り、もう一度お辞儀をして去っていった。
「必ず会おう!!」
総司の言葉が、ゆっくりと暗転して行くセットに何度か木霊した。
『ここのCM飛ばすぞ!』
インカムの指令で甚五郎は、ポーンと身体ごと跳ねるように、カメラの向きを転換した。裏方も役者も全てが『領域』に入ってる感じだ……
『嘘や……そんなん嘘や……そんなことあらしまへん…大嘘や……』
胸の動悸に合わせて頭の中に言葉が木霊する。
おりょーは裾を乱して京の街路を全力疾走していた。
子供の影に気付いて転びそうになりながら止まる。
「あ……ぼん!竜馬はんが、坂本はんが……!」
「知っています……おりょーさん、ごめんなさい。」
イゾーの幼い顔が、重たげに俯いた。
「ごめんて…どないしはったん?何ぞ知ってはるの?」
砂の音がして、イゾーの姿が目の前から消えた……と、見ると、
地面に這いつくばる様に土下座している。
「イゾーはん、何してはるん!こないな所で。やめとくれやす……ほんまにどないしたん?」
「おりょーさん。おらを殺す?」
「何?……何やのん?何でうちが、ぼんを殺さなあかんのどす?」
「おらが、坂本さんを……おらが……世界の坂本竜馬を殺したからです!」
「ぼん……」
「ごめんなさい……どうしよう……おら、どうしたらいいのか。おりょーさん、おら……」
「ぼんが、そないな嘘のつける人やとは思わなんだ。」
「え?」
「……嘘や、大嘘や。ぼんは大法螺吹きや。あの人が死んだやて……」
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