第21話 悲しき願ひ
傘を差したイゾーが、渦に吸い寄せられる笹の葉のように男に近づいて来る。
ふわっと、傘がその手を離れて浮かび、シルエットの方に傾いた。
影の男の手が、思わずその傘を掴まえた、と見えた瞬間、
傘は二つの半円となって足元に転がっていた。
視界にオーバーラップする真っ赤な色彩の向こうに
刀を抜き放ったイゾーの姿があるのを
"世界の"坂本は見た。
「……イゾー……おまんが、来たか……」
「坂本……さん……?」
イゾーの体がわななく。
「なんじゃ……知らんときよったんか。えらい能天気なやつぜよ……わしんボスのグラヴァーが”大政奉還はいけん、幕府と薩長に戦争させて儲けるんじゃ”っち、ゆうちょったのを、わしゃあ裏切ってしもうた……いずれは誰か斬りに来る思うちょったが……そうか、おまんが来たか。ええ、ええ、おまんなら文句はないきに……痛たたた……相変わらずええ腕しちょる。脳天から綺麗に真っ二つじゃ。即死でも文句の無いところじゃが……こんドラマの作者は悪魔のような奴じゃ、喋らんと死なしても、もらえんぜよ……」
竜馬は路上にどっかと座り直した。
「気が狂いそうに痛いぜよ……まあ、おまんも座れ。立ち話も何じゃきに。」
竜馬の正面にイゾーが座ると、竜馬は突然、手を取った。
「イゾー!頼むぜよ。おまんは生きちょくれ……おまんに死なれちゃ、困るきに……わしはな、ゆうべ、次ん帝に会うて来たんじゃ。帝に頼んできたんじゃ。新時代に、明治の世になったらこれだけは頼むちゅうて、ちゃんとしてくれんかったら、岡田以蔵が”帝の首で蹴鞠がしたい”言うちょった!……ゆうて、脅かしたぜよ。生き物を殺したら畜生道に堕ちるゆうて、1300年も庶民を脅かしてきた仏教を、何とかしてくれ!日本を、カムイの道に戻してくれい…そん為には、帝直々、四つ足ん肉も食うてくだされ。士農工商なんちゃ身分制は、とっとと止めて、長吏貧人にも、解放令を出しちもらう……そう、約束したんじゃ。じゃがな、イゾー!おまんが、おまんが居らんようになったら……どないにごまかされても、ええ加減なことされても、打つ手はないんじゃ、……ありゃあ、ああ見えて、なかなか食えん餓鬼なんじゃ、約束守ったふりして平気で逆の事しよるじゃろ……おまんが、生きておってくれて初めて、この竜馬の命懸けの偉業が、歴史に残るぜよ。なあ……ほらほら、こないに脳みそ出ちょるきに、こんなもん手に取って見たのはわしくらいぜよ。……ほんまに痛いき、もう……死んでもええかのお?……そうじゃ、いかん、おりょうに言われたことを忘れちょった…おりょうは、おまんに…………あ。ああ……もういかんぜよ……ビートルズが……レクイエム唄うちょ……」
竜馬、ゆらりと地面に伏した。
イゾー、恐る恐る竜馬をつっつく。
動かない。
背中のネジを巻いてみる。
片手がジジジジ……と動きかけたがパタリと落ちる。
もうそれっきり、竜馬は動かなかった。
数々の伝説に包まれた『世界の坂本』……三人組の黄魔術社中で大ブームを巻き起こしたかと思えば、ソロで歌った”SUKIYAKI”では米国ビルボードのランキング・トップを飾り、数々の映画音楽やCMソングを作曲し、出演した映画はオスカーを獲り……武器商人グラヴァーの右腕として、明治維新まで成し遂げた稀代の天才は、そぼ降る霧雨の中で冷たくなっていった。
イゾーの眼から涙が迸り、霧雨と相まって竜馬の死体を濡らして行く。
顔が壊れ、突っ伏して大声で泣き出した。
「ああ~…」
気配が背後で動いた……数人の殺気がイゾーを取り囲む。
一瞬、頭が締め上げられるほど嫌だと感じた。
『ああ、もう!このまま泣いてもいられないの?』
顔を上げると涙越しに、新選組の斎藤、土方、近藤の姿が見えた。
「みんな、どうしたの?」
「……駄目よ!みんな、この可愛い顔に騙されちゃ駄目よ!」
「え?だますって?」
近藤局長の声は僅かに震えていた。
土方が斉藤に視線を送った。
「行け、斎藤……」
「土方さん……一緒に行きますか?」
「いや、子供相手に2人掛りとは大人げない。」
「この、馬鹿1、馬鹿2!何言ってんの!相手は岡田以蔵なのよ!せーの!」
いずれ劣らぬ裂帛の剣気が三筋、息を合わせて同時に頭上から襲った。イゾーの身体が感情から切り離されて、綺麗に回転する。同地点に向かって振り下ろされた三本の刀は、それぞれ少しずつ軌道を外され、見事な正三角形を描いて地に這っていた。その真ん中にイゾーが立って、倒れた三人の呻き声を聞きながら峰打ちの刃を返し、備前長船を鞘に収めた。
「悔しー……このあたしが…子供に馬鹿にされてる……」
天下のジョニーさん、あの近藤の肩がわななくのを甚五郎は初めて見た。
「イゾー、良い事を教えてやろう。」
「副長!そいつは反則です。」
斎藤の顔色が変わったが遅かった。
「ここを教えてくれたのは、武市半平太なんだ。」
「……おっ父が?」
「そうだ、お前のおっ父はな、敵である我々新選組に……」
「土方さん!」
必死に掴んだ斎藤の腕を土方は振りほどく……
「お前を、岡田以蔵を殺してくれと、そう頼んできたんだ。」
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