第3話 黄色い潜水艇
たまたまその当日に、あの小さな、しかし有名な事件が起きた。
ビートルズと一緒に太平洋を渡ってきた、様々な工業製品や美術品の中でも、博覧会の開幕日から圧倒的な人気を集めていた物があった……4人乗りの足踏み動力で動く、小さな潜水艇"リトル・チャーリー"だ。
どこか愛敬のある、ぷっくりとした外観は、沈んだ時のために鮮やかな黄色で塗られていて、安全のために浅瀬でプカプカ浮き沈みする様子が、いかにも可愛らしく……日本橋の港屋で売り出された1000枚限定の錦絵が、昼前には完売してしまう程、EDOの人々に愛されていた。
更にリトル・チャーリーの人気を高める要素が発生した。それは……2日目頃からこの潜水艇の周りを優雅に舞い踊り始めた、赤ん坊の涎掛けくらいの大きさの、一匹の美しい熱帯魚だった……どこか、遠い南の海から、水も澄んでいて、まだまだ綺麗だったEDO湾に迷い込んで来たものか、金色のほっそりした身体に、深いブルーと輝くようなピンクの模様をつけ、ひらひらとした美しい背ビレと、長く伸びた腹ビレを持っていた。
月世界を統治するという女王「ディアナ・ソレル」の名前にちなんで、黒船の船員たちに"ダイアナ"と名付けられたこの魚は、"小さなチャーリー"を、仲間の大きなオスの魚とでも勘違いしたものか、連日、この人力潜水艇の後を追いかけて泳ぎ、潜水艇が止まると、周りをゆらゆらとお尻を振りながら優雅に泳ぎ回り……その殺人的な可愛らしさで、毎日のようにTVや新聞にも登場……この列島に棲む者全てを、笑顔に変えていた。
しかし、その日……"事件"は、総司たちの目の前で起こった。
いつものように"リトル・チャーリー"の後について泳いでいた"ダイアナ"が、急旋回した"リトル・チャーリー"に追い付こうとして、不用意にスクリューに接近してしまったのだ。
スクリューの軸に、その優美な長い腹ビレが絡み、引き込まれた彼女はあっという間に無残な死を遂げた。
その日、潜水艇"リトル・チャーリー"の潜航デモンストレーションは中止となり、黒船の乗員たちや関係者による、簡単な葬儀が行われた。ビートルズを代表して列席したジョン・レノンは、ダイアナの死を悼む歌、”バイバイ・プリンセス”を、即興で創って唄った。おかげで総司は、生でジョン・レノンの声を聞くことが出来た、数少ないEDO庶民の1人になった。"リトル・チャーリー"は、翌日から運転を再開したが、人気者ダイアナの死が報道された事もあり、以前ほどの人気は無くなってしまったという。
数日後、エゲレスやメリケンが、清国を相手に、麻薬の絡んだ酷い戦争をしていることを、日刊トーダイという夕刊新聞社が記事にして、翌月、廃刊に追い込まれた。
開幕時の高揚とは逆に、博覧会の閉幕は、何だかうやむやのうちに終わっていった様な気もするなぁ……総司は、そんなことをぼんやり思い出した。
……画面に、西洋婦人が着ているような足の露出した短いワンピースで身を包んだ女子アナが現れた。
何といったっけ……おりょーさん…おりょーさんに、坂本さんの愛した人に似ている……ということは、多分、僕は知らないが、イゾー君のお母さんにも似ているということだ。
「50年に渡って皆様にご愛顧頂きました大江戸TVとも、今夜でお別れです…明日からは国営の明治帝国放送協会に生まれ変わって、皆様の前にお目見えいたします。時代末生特番、"さようならEDO時代明日からは明治時代"最後のコーナーは、大江戸TVの総力を結集し、ここ第1スタジオから生中継の大河生ドラマ…生演奏で、司会のジョン万次郎さんをはじめとする大江戸ビートルズ=兜虫社中の名曲にのせてお贈りします!・・」
「幕末人斬り伝~岡田以蔵と沖田総司~!」
「このあとすぐ!」
画面には、大江戸兜虫社中最後のレコードの、葛飾北斎のキャラクターを使った宣伝フィルムが流れている。
ビートルズがもたらした西洋音楽は、EDOの、いや、日本中の若者の、圧倒的な支持を得て大きな流行になった。西洋音楽をやる日本人のグループが、雨後の筍のように大量発生し、けたたましい西洋三味線の音が街中に響き渡った。
"兜虫社中"は黒船で日本に帰ってきたイケメン通詞(元漁師)ジョン万次郎(本名:中濱萬次郎・拍子西洋三味線)を中心に、海軍操練所の学生だった(算盤職人の次男)トニー牧(本名:谷正太郎・低音西洋三味線)、(青果問屋の三男)陸奥星之介(西洋組太鼓)、そして金髪碧眼、初代米国公使タウンゼント・ハリスと、唐人お吉こと斉藤きちとの間に生まれた庶子という触れ込みの(今日ではアルビノ日本人が定説化)ジョージ・ハリス(本名:鶴弥亀吉・主奏西洋三味線)によって結成され、瞬く間に日本西洋音楽界の頂点に立った。
この大江戸ビートルズを創りあげたのが、現在のジョニーズ事務所社長であるジョニー近藤(本名:近藤勇)だ……日野の奴隷百姓だった生家から家出して、新宿の陰間茶屋に転がり込むも「ケツの穴が小さい」と言われてお払い箱、しかし、自慢の喉を生かして歌い手となり、小唄喫茶専属歌手から長崎留学を経て、現在の地位を築くまでの当世立志伝は、広く世間に萱伝されている。
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