第2話 ビートルズは黒船に乗って
それは総司の書いたリクエスト葉書だった。
『……総司!!』
イゾー少年の瞳に、不思議な光が宿った。
「また血を吐きました。僕の命は少しづつ、でも確実に僕の身体から抜け出してゆきます。こうして、かび臭い四畳半に一人で寝ていると、なんだか、親友のイゾー君の事ばかり思い出されます。もし……イゾー君がここにいて、あの笑顔を見せてくれたら、きっと幸福な気分でいられるのに……ハッピーなまま死んでゆけるのに。そんな気もします……でももし、二人が、また会えるとしたら…きっとそれは最後の、命のやりとりをするために向かい合う……そういう事になりそうです。それでもいい……僕は君に逢いたい。……庭の塀の上に、少しばかり寒そうな青空がみえます。君も、この空の下のどこかに居る…イゾー…逢いたいよ。君の、あのどこまでも抜けている青空の様な、とびっきりの笑顔を……もう一度見てから死にたい!イゾー!イゾー!!……どこにいるんだ……」
イゾーは正座している事しか許されない牢内で、立ち上がっていた。
狼狽した牢番たちが加勢を呼びに走る、乱れた足音が牢内に響く。
「総司!ここだ!」
「おお!」
総司は傍らの菊一文字と呼ばれる銘刀を、姿の見えぬ(ただ、確かに、その存在が感じられる)イゾーに向かって投げる。刀は綺麗な放物線を描いて飛び、少年の手に渡ったと同時に鞘走った。
抜き打ちに一閃する……
軌跡に沿って光が広がり、
牢獄は轟音とともに
真っ二つに分かれ崩れて行く。
久々のまばゆい夕陽の光に、
つぶらな瞳を細めながら走り出たイゾーの視界を
色とりどりの陣傘を被り、
手拭いで顔を隠した捕り方の群、
林立するカシの棒が占領していた。
数万とも思える捕り方たちの視線の集合点で、
少年は飛びきりの笑顔を浮かべる。
右上段に構えた太刀が夕陽を反射してキラリと輝いた。
「行くぞおぉぉー!」
イゾーの楽しそうな叫びは総司の心にこだまして、甘酸っぱい懐かしさで胸を満たした……どこかで、ジョンの声が聞こえてくる。
「リクエストは"ホリベ"、今日は僕たち兜虫社中の演奏でお贈りします……。」
物憂いイントロのフレーズが流れ、スローモーションのように雪崩れ込む捕り方たちの波に、イゾーは素早く斬り込んでいった。うねり乱れる棒の林の中で、蝶が舞う如くに白刃がきらめき、蝶が大きな弧を描くたびに、林は薙ぎ倒されていった。
「総司!!」
「イゾー!!!」
いつのまにか総司は、歌舞伎芝居の赤穂浪士の討ち入り装束のような、派手なダンダラ模様のついた羽織=なつかしい新選組の隊服に身を包み、菊一文字を自在に操って、捕り方相手に大立ち回りをしていた……待てよ!菊一文字がここにあるということは……イゾー君は……
♪堀部
安兵衛
安田の講堂(しろ)で
35人斬った
強い侍
赤穂浪士
堀部
さようなら
安兵衛
(EDO著作権協会承認:への十八番)
沖田総司の眼に、手を振りながら去って行くEDO第四機動隊隊長、堀部安兵衛=市川右太衛門の姿が(16ミリフィルムの白黒映像で)ぼんやりと浮かびあがっていた。
そうか……これは僕の観ていたTV番組だったのか……イゾー……
「大江戸TV歴代名作ドラマ・ベスト10、第1位に輝いた1859年度作品、~赤穂義士伝・堀部安兵衛がゆく!~最終回をお届けしました。」
14インチのブラウン管の中で、ジョン万次郎が、15年前、浦賀に来航した黒船に乗ってきた"本物のビートルズ"ジョン・レノンが着ていたような、けばけばしいミリタリー・ルックに身を包んで現れた。
ビートルズ……そうだ、あの時から僕たちの、いや、この島々に住む者全ての者の運命が、変わっていったのだ……あの黒船が煙を吐きながら水平線を越え、やって来た時から……5才になっていた僕も、小石川の療養所の隣に建てられた孤児院から、幕府が手配した貸切馬車に乗って、お台場の黒船博覧会の会場に、遠足に行ったっけ。
当初、黒船を観る事は、EDO幕府によって堅く禁じられ、沿岸に張られた鉄条網を監視の役人が見回っていたが、強行突破した長州・萩の塾経営者のゴムボートが、機動隊の放水で転覆して溺死事件となったりと、庶民団体は観覧許可を求め続けた。これを無視してきた幕府も、ビートルズのマネージャーでもあるぺリー提督の強硬な申し入れと、未明に行われたアームストロング砲の一斉射撃デモンストレーションに恐れをなし、お台場に特設会場を設けての、3日間限りのビートルズの演奏会と、一週間に渡る西洋文明紹介の博覧会を許可したのだった。
演奏会は、エゲレス語の研究者、学生を初め、蘭学者、歌舞伎役者、邦楽奏者、幕府の役人など、特定の職業の者と大奥のお女中方、そして将軍と、少数のマスコミ関係者のみを観客として行われた(後日、庶民にも大方は害無しと判断されて、大江戸TVニュース枠で、15分ほどの演奏会のダイジェストだけは流されたのだが……恐らく幕府は、ビートルズの新しい西洋音楽が庶民にとっての)。
博覧会は、五文の入場料を払えば誰でも入れたので、連日、押すな押すなの大賑わいだった。また、ペリー提督の「この国の恵まれない子供たちを招待したい。」という申し出により、総司たち、小石川孤児院の子供たち108名が無料で入場出来ることになったのだ。
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