マヤ・ファンタジー 三の巻

三坂淳一

マヤ・ファンタジー 三の巻

三の巻


 ボロンカルはマヤの平和な村であった。

いたるところに南国の赤い花、黄色い花が咲き乱れる、マヤの平和な村だった。

村の周囲は鬱蒼と繁る厚い密林に囲まれており、数世紀にわたり、外敵の侵入も無く、人々は穏やかに暮らしていた。

周辺に川は無かったが、豊かな水量を蓄えた地底湖が村の外れの幾つかの洞窟にあり、人々は家事に使う水を汲んだり、水浴をしたり、洗濯をすることが出来た。

 村には家畜として、七面鳥、犬が飼われており、野原には野生の七面鳥の他、鹿、うさぎ、雷鳥、うずら、土鳩、イグアナ、アルマジロといった動物がたくさんおり、人々は狩でたやすく捕らえることが出来た。

また、周辺の密林は計画的な焼畑が行われ、トウモロコシ、マメ、カボチャ、アボカド、トマト、綿花といったものを栽培し、豊かに暮らしていた。


 しかし、数年前から他の部族からの襲撃が重なり、村人はマヤパン末裔の王国の一部落として自衛のための戦士軍を組織せざるを得なくなっていた。

その戦士軍の一人の長にホルカッブという若者が居た。

屈強な体をしており、戦士ということでマヤの風習で、体を黒い染料で隈なく塗ってはいたが、その膚はしなやかで艶があり、ホルカッブの身体は雨水を綺麗に弾き、濡れないという部落の女たちの評判を取っていた。


 そのホルカッブが草叢に身を潜め、激しい雨に打たれながら、じっと前方を見詰めていた。

 その視線の先に、数人のインディオと見慣れぬ姿をした白く背の高い男が雨宿りしながら、巨木の蔭に立っていた。

 インディオは敵対しているメシーカ族の戦士だった。

 白く背の高い男が脇に居た。

あれが噂に聞いたククルカン末裔の男か、とホルカッブは息を潜めながら思った。

 その男は見慣れぬ服を着て、長大な剣を腰に差し、細長い棒のようなものを両手で持っていた。

 あの長大な剣は見たことの無い金属で出来ているとのことだ。良く切れ、そして頑丈という噂だ。あの剣が欲しいものだとホルカッブは思った。

 また、細長い棒のようなものを見詰めながら、あれが火を吐く棒か、とホルカッブは推測した。これも剣同様、部落の誰かが噂をしていた。

あの棒は稲妻を吐き、その稲妻に打たれた者は即座に死ぬという噂であった。


 微かな音がした。ホルカッブは音がした方を横目で見た。

そこに蛇が居た。

頭が三角形をしていた。五尺ほどの長さの蛇だった。汚い斑点のある蛇だった。

毒蛇だった。

ホルカッブの右手が動き、蛇の首を掴んだ。すばやい動きだった。 

蛇は体をくねらせ、ホルカッブの右腕に絡みつき締め上げた。

ホルカッブは構わず、左手で器用に黒曜石のナイフを腰から引き抜き、地上に押さえつけた蛇の頭を切り落とした。

 ホルカッブは音を立てないように行ったつもりであったが、木陰に佇んでいたインディオの一人が気付いたようであった。

ホルカッブが潜んでいる草叢を見た。そして、弓に矢をつがえようとした。ホルカッブは草叢を離れ、駆け出した。矢が右の耳をかすめていった。ホルカッブは後ろを振り向かず、ひたすら密林の中を走り、逃げた。


 ボロンカルに辿りついたホルカッブは暫く、大きな樹の下で体を休めた。

 「ホルカッブ、どうしたの?」

 ホルカッブが眼を上げると、そこに一人のウィピル(マヤの貫頭衣で、脇を縫っただけの衣服)姿の若い娘が居た。色とりどりの花を手に持っていた。

 「ああ、シュタバイか。俺は今、メシーカ族から逃げてきたところだ。あいつらはすぐ近くまで来ている。これから、アーキンマイかホルポルに知らせてこようと思っている」

 「メシーカ族なの。あの残酷なメシーカなの?」

 「そうだ。やつらは強い弓を持っている。逃げる俺に矢を射掛けてきた。それに、話に聞いたことのあるククルカンの末裔の男も一緒に居た」

 「えっ、こんな近くまで来ているの」

 驚くシュタバイを後にして、ホルカッブは村落に行き、首長のアーキンマイを探した。


 アーキンマイはピラミッドの神殿の上に居た。

アーキンマイはいつものように、ケツァル鳥の青い羽根のついた頭飾りをそよ風にたなびかせていた。

マヤのピラミッドは階段状に造られており、ボロンカルのピラミッドは五十尺(15メートル)ほどの高さで、頂上に神殿が建てられていた。ピラミッド、神殿共、赤く塗られていた。

アーキンマイは魔術師のスキアと一緒にタバコを吸って寛いでいるところだった。

 ピラミッドの急な階段を駆けるように登ってくるホロカッブを見て、少し驚いたようであった。不安が一抹の風のように、彼の心に忍び込んだ。


 「偉大なる首長アーキンマイと偉大なる呪術師ウアイ(スキアのこと)よ。私はメシーカ族とククルカンの末裔の男を見た」

 「勇者ホロカッブよ。お前はその者たちをどこで見たというのじゃ」

 「北のヤシュチェー(セイバ)の樹の下で雨宿りをしていた。メシーカが三人、ククルカンの末裔が一人居た」

 「お前はやつらに見つかったのか」

 「見つかり、矢を射かけられたが、何とか逃げてきた」

 「もう、あんなところにまで、メシーカは来ているのか。おそらく、その者たちは斥候であろう。周辺の部落はもう制圧されたものと見える。スキア、何か言うことはないか?」

 スキアは葉巻を吸うのを止めて、アーキンマイに語った。

 「おそらく、メシーカはこの村に奇襲をかけてくるだろう。神々が私に語りかけている。奇襲は明日か明後日であろう」

 「ホロカッブよ。スキアの予言に基づいて、戦士の長に伝えよ。奇襲に備え、棍棒と槍を戦士に配れ、と」

 ホロカッブが命令を持って、ピラミッドを駆け下りようとした矢先、アーキンマイが呼び止めた。

 「戦士の長に伝えてから、ご苦労ではあるが、近隣の部落にもメシーカ族の来襲を告げてきて欲しい」

 ホロカッブは駆け下りて行った。


 「アーキンマイよ。どうするつもりだ。奇襲は何とかしのぐとしても、正規軍で来られたら、部落連合くらいでは太刀打ちは出来ないぞ。マヤパンの王にも知らせておくべきではないのか」

 「スキアよ、わしもそう考えていた。マヤパンの王にも連絡をしておこう。ホルカンに命令し、マヤパンに行かすこととしよう」

 アーキンマイはあたふたとピラミッドを下りて、ホルカンを探しに行った。

 マヤの場合は、アステカ帝国を築いたメシーカ族とは異なり、王、神官の下で国家の運営にあたる官僚組織は無かった。従って、専制的リーダーである王自体の個人的資質に国家としての運営が依存していた。個人的資質に優れた王ならばともかく、資質で劣る王の在位時は、順風満帆に行っている時は良かったが、敵国の襲来といった異常な事態が起こった時はその国家は悲惨な運命を辿らざるを得なかった。

 これはボロンカルのような部落の首長にも言えた。

 スキアは再び葉巻を吸いながら、別なことを考えていた。薄い笑いを浮かべていた。


 今までは、周辺の部落と力を合わせ、何とかメシーカ族の侵入を阻止してきたが、ククルカンの末裔がメシーカ側についたということであれば、話は別だ。ククルカンの末裔たちの或る者は四足の巨大な体躯をしているということであるし、剣も特殊な金属で出来ており、わしたちの黒曜石とか火打石から作ったナイフでは到底太刀打ちが出来ない、また、稲妻を発するという恐るべき武器も持っている。到底、わしたちに勝ち目はない。それに、今の首長のアーキンマイという男は翡翠とカカオの豆を集める能力しか持っていない強欲な男だ。頼りにならない。また、これから連絡を取ろうとするマヤパンも昔の勢威はもはや無く、王の人望だけで盟主の地位を占めているだけの国だ。まして、噂では北の海からもククルカンの末裔たちは上陸しているという話だ。北の海に近いマヤパンもそちらの対応に追われているらしい。もう、わしたち、マヤも時間の問題で滅亡する時か。

 スキアはそんなことを考えていたのであった。

 ※ 筆者注記:カカオの豆は当時大変貴重なものとされ、通貨としても通用していた。

        飲み物としては、磨り潰して、水や香料、唐辛子を入れて泡立てて飲

んでいたと思われる。砂糖を混ぜ、甘くして飲んだのはスペイン人の

征服以降である。


 一方、ホルカッブはアーキンマイに命ぜられたことを忠実に実行していた。戦士の長はホルカッブも含め、十人ほど居た。それぞれ、二十人ずつの戦士を率いていた。合計、二百人の戦士がこの部落の防衛にあたる戦士だった。ホルカッブは戦士の長の家々をまわりながら、メシーカ族とククルカンの末裔たちを部落の近くで目撃した旨を告げ、スキアの予言に基づく戦闘の準備を呼びかけて行った。途中で、コチャンに遇った。コチャンは猟師で弓の達人だった。と同時に、シュタバイに恋しているということに関しては、ホルカッブの恋のライバルでもあった。しかし、二人は幼馴染であり、少年時代は若者宿で一緒に寝起きした仲良しであった。

 「どうしたんだ。ホルカッブ、そんなに急いで」

 「ああ、コチャンか。今日、部落の北のヤシュチェーの樹の下で、メシーカのやつらを三人見た。恐らく、斥候だろう。傍に、ククルカンの末裔も一人居た。アーキンマイとスキアに話したら、じきに奇襲があるかも知れないということで、今戦士の長の家々をまわって、戦闘準備を呼びかけているところだ。コチャンも矢をいっぱい作っておいた方が良いぞ」

 「うん、そういうことなら、矢をたくさん作っておくこととするよ。時に、シュタバイは見なかったかい?」

 「ちょっと前に、部落に入るところで見かけたよ」

 「ああ、そうか。メシーカに襲われたら、と思うと心配でならない。シュタバイを探してくるよ」

 ホルカッブはコチャンと別れ、また、戦士の長の家々に走っていった。


 ホルカッブと別れ、コチャンは部落に入る入口の方に歩いて行った。

コチャンは、シュタバイには自分とホルカッブの他に、求婚者があと二人居ると思い、少し憂鬱になった。ホルカッブと同じ、戦士の長で格闘技の勇者、ホルカン、そして、天文担当の神官見習いのナチンの二人も数年前からシュタバイに求婚していた。メシーカ族の神官は独身を守るという定めになっていたが、マヤ族の神官は妻帯が許されていた。ナチンの家は神官を世襲しており、家格としてはアーキンマイに次ぐ家格の貴族であった。

娘の結婚に関しては、その娘の父親が絶対的な権限を持っていた。そして、シュタバイの父親、サーシルエークはこの四人の求婚者の中で、コチャン自身の目から見たら、どうもナチンに娘を嫁がせるつもりでいるように思えた。


村の入口から少し入ったところをシュタバイは摘んだ花を両手で持って歩いていた。

赤色、黄色と色とりどりの花は可憐で綺麗だった。まるで、シュタバイのようだ、とコチャンは思いながら、声をかけた。

「やあ、シュタバイ、元気かい。早く、家に帰った方が良いよ。ホルカッブから聞いたんだが、メシーカがうろちょろしているらしいから。明日か明後日か、メシーカが襲ってくるかも知れないって」

「私もホルカッブから聞いたわ。それはそうと、コチャン。村でウツコレルを見なかった?」

「ウツコレル? いや、今日は未だ見ていない。どうかしたの?」

「二人で花を摘みに行って、森で別れたんだけれど。メシーカが近くに居るらしいから、ウツコレルが心配なのよ。さらわれたりしたら、大変だから」

「うん、それなら俺が探しに行ってくるよ。シュタバイはこのまま早く、家に帰った方がいいよ」

シュタバイと別れ、コチャンは村の入口の方に歩いて行った。

ウツコレルはシュタバイの妹でシュタバイより一歳下だったが、実の妹では無く、サーシルエークが十年ほど前に交易のために部落を離れ、西方を旅した時に孤児となっていたウツコレルを連れて帰り、シュタバイの妹として育てていた娘だった。


サーシルエークが旅の途中で、燃えている家を見かけた。サーシルエークは恐る恐るその家に近づいた。中から、泣き叫ぶ女の子の声がした。思わず、飛び込んだ家の中で彼が見た光景は無残なものだった。


頭を割られ、血に染まった白い男とマヤの女が倒れていた。その脇で小さな女の子が立ちすくみ、泣いているのだった。炎は既に屋根に移り、いつ屋根が倒壊してもおかしくはない状態だった。思わず、彼は女の子を両手で抱きかかえ、家の外に転がり出た。その瞬間、屋根が落ち、家は黒い煙に包まれた。まさに、間一髪の出来事だった。


彼は女の子を連れて、部落に戻った。その後、彼が聞いた噂によれば、ククルカンの末裔たちの仲間割れで、一人が殺され、一緒に暮らしていたマヤの女も殺されたとのことだった。殺された両親の不運な混血の子がウツコレルだった。


ウツコレルは変わった顔立ちをしていた。肌の色は白く、顔立ちもマヤの顔をしていなかった。頭の形も生まれた時のままで丸く、マヤに独特な額の変形が無く、眼も斜視とはなっていなかった。恐らく、殺されたククルカンの末裔と思われる父親がマヤの風習である額の変形と強制的に斜視にすることを嫌がったためかと思われた。子供が生まれるとすぐに額と後頭部を板で挟み、額を後ろに強制的に反らせることと、額から紐で玉を鼻のところに垂らし、その玉を見詰めさせることにより、強制的に斜視(やぶにらみ)にするといった風習がマヤ民族には共通していた。そして、反らせた額と斜視が顕著なほど、高貴であると見なされていた。シュタバイはそのマヤ独特の観点から言えば、高貴で美人であると評価されていたのであった。一方、ウツコレルに関しては、マヤの美的観念から言えば、完全な出来損ないの少女という評価でしかなかった。


コチャンはウツコレルを探して、村の入口を出て、北のヤシュチェーの樹の方に歩いて行った。そこは、ホルカッブの話によれば、メシーカ族の斥候が徘徊しているところであり、コチャンは弓に矢をつがえ、油断無く身構えながら、歩いて行った。

村の入口と北のヤシュチェーの樹の中間あたりに来た時であった。


突然、女の悲鳴が起こった。その声の方向にコチャンが素早く走って向かった。

巨木を背にして、ウツコレルが立ちすくんでいた。ウツコレルの前に、弓矢を持ったメシーカが居た。メシーカはにやにや笑いをしていた。

コチャンが鋭く、ウツコレルに声をかけた。メシーカはコチャンの方を振り向き、弓を構えて矢を放とうとした。コチャンの方が速かった。コチャンの放った矢がそのメシーカの胸を貫いた。メシーカは断末魔の声を上げ、崩れ落ちた。

「ウツコレル、速くこちらへ。逃げよう!」

コチャンがウツコレルを手招きしながら呼んだ。そして、ウツコレルの手を握りながら、部落の方へ駆け出した。耳元を矢がかすめて行った。コチャンが後を振り向くと、別なメシーカの戦士が居て、新たな矢をつなごうとしていた。二人は全速力で走り逃げた。


部落に着いた。大きく息を弾ませるウツコレルを身ながら、コチャンが言った。

「今日、ホルカッブがメシーカの斥候を見た。お前を襲ったあのメシーカもおそらくその斥候かも知れない。ここニ、三日の間でメシーカが奇襲をかけてくるかも知れないとホルカッブは話していた。当分は、ウツコレル、部落の中に居た方がいいよ」

「ええ、コチャンが助けてくれなかったら、私はどうなっていたかしら。本当に、ありがとう。シュタバイと別れ、森の中を綺麗な花を探して歩いていたら、ふいにあのメシーカが現われて、・・・」

そこに、ホルカンが走って来た。ホルカンは腰帯(褌のようなもの)姿であったが、戦士の長らしく、マント状の肩掛け布を上に纏っていた。

「ホルカン、そんなに急いでどこに行くんだ?」

「ああ、コチャン、それに、ウツコレル。俺はこれから、マヤパン王に会いに行くんだ。アーキンマイの命令で、メシーカ族の来襲を告げに行くんだ。ホルカッブが今日近くでメシーカを見たらしいんだ」

「知ってる。そいつらがウツコレルを襲おうとしたんで、俺はそいつらの一人を矢で射殺してやったんだ」

「おお、それはお手柄だったな。俺は急いでいるので、これで行くけれど、メシーカがウツコレルを襲った件はアーキンマイに言っておいた方がいいよ。では、・・・」

ホルカンは走り去っていった。


ナチンはコパルを焚いた部屋に座って、ぼんやりと考えていた。

マヤは滅びる、と薄々感じてはいたが、この頃の天文観察を行えば行うほど、マヤ滅亡の日が近いことを痛感させられていた。天文を見れば見るほど、マヤは近いうちに必ず滅びるという暗示に満ちていたのであった。

マヤはメシーカ族と異なり、強力な帝国をつくらなかった。都市国家として昔からそれぞれが独立国として存在していた。ただ、その時々で都市国家の盟主はあった。例えば、ウシュマルが栄え、次にチチェン・イッツァが栄え、マヤパンが盟主となった。しかし、今は盟主がなくなり、小さな独立都市国家が点在しているに過ぎない民族となってしまった。

この部落も名目上はマヤパン王国に属してはいるが、マヤパン王にかつての威厳はなく、メシーカの襲来、ククルカンの末裔たちの攻撃に対して、部分的な抵抗しか出来ない国家となってしまった。

このままでは、必ずマヤは滅び、都市を捨て、かつての森の惨めな暮らしに戻ることになり、マヤ文明は消滅する。その思いがナチンの確信ともなり始めていた。

俺はどうしたら良いのだろう。

俺は、シュタバイの父親のサーシルエークには受けが良いので、このまま順調に行けば、シュタバイと結婚出来るだろう。そして、親父が死んで俺がアフ・キン(太陽の男:マヤで神官を云う)となる。シュタバイを妻とし、幸せな一生を送れるはずであるが、肝心の部落が滅びてしまったら、俺の人生設計は狂ってしまうのだ。部落が何としてでも存続するようにしなければならない。アーキンマイもそう考えているだろう。おそらく、魔術師スキアもそうだ。メシーカ族、或いは、ククルカンの末裔と云われる男たちとも、うまく立ち回らなければならないのだ。

特に、メシーカ族との関係は微妙だ。このままでは、メシーカ族に滅ぼされてしまう。と言

って、メシーカに勝てるとは到底思えない。ホルカンとかホルカッブが率いる部落の戦士がいくら頑張ったところで、多勢に無勢だ。いつかは、滅ぼされてしまう。戦えば戦うほど、メシーカには憎まれることとなる。戦って、少し強いところを見せて、メシーカと和睦し、メシーカの中で有利な位置を占めた方が利口ではないのか。

かと言って、戦わずに降伏したら、その後はメシーカの言いなりになってしまう。

やつらの儀式の都度、生贄を出せ、という無茶な要求も出てくるかも知れない。これはまず

い。一度、力を示しておいてから、有利な条件で和睦するのが賢明というものだ。この件はアーキンマイにも秘かに伝えておかなければならない。

コパル香の淡い煙の中で、ナチンはそう思いながら、シュタバイの優雅な顔をうっとりと想い浮かべていた。


「お帰り、ウツコレル。シュタバイから聞いたけれど、メシーカに遇わなかったかい?」

ウツコレルが戻って来た時、母のイシュタブが訊ねた。

「ええ、お母さん、襲われそうになって、怖かったのよ。でも、コチャンが助けてくれたの」

「ああ、そうだったのかい。コチャンが助けてくれたのかい」

「ウツコレル。良かったわ。丁度、コチャンが居て」

シュタバイも笑顔でウツコレルを迎えた。

「それに、お母さん。コチャンがこれを呉れたの」

ウツコレルはコチャンから貰った兎を二匹、母に渡した。

「まあ、この兎を。いつも、ありがたいわねえ」

「コチャンは腕の良い猟師ね。いつも、私たちに何か獲物を呉れるわ」

「それは、シュタバイ。コチャンは貴女の気を引きたいからよ」

「まあ、ウツコレルったら、おませなことを言って」

シュタバイは妹にからかわれ、少し赤くなった。そして、ウツコレルをぶつ仕草をした。

「だって、シュタバイは男の人、四人から求婚されているのよ。ナチンでしょう、ホルカン、コチャン、それに、ホルカッブ。いずれも素敵な人ばかりよ」

「ウツコレル。お姉さまをからかうのはお止し。結婚を決めるのはお父さまなのですから。うかつなことはお言いでないよ」

母から叱られ、ウツコレルは舌を出して、シュタバイを見た。

「ウツコレルも来年、十五になったら、求婚されるわよ」

「それはないわ。私はお姉さまのように綺麗じゃないから。男の人から求婚されることなんかないわ」

「また、そんなことを。ウツコレル。自分をそんなふうに言うのはお止し」

母から注意されたが、ウツコレルの顔は晴れなかった。

奥から、父のサーシルエークが現われたので、母娘三人の会話は途絶えた。ウツコレルは自分の顔、そして肌の色が部落の娘のそれと違いすぎるのを恨めしく思い、悲しかった。

普通の娘になれたら、と思い、母と姉の居ない時を見はからって、斜視になるように練習をしたのであるが、どうしても駄目だった。


「イシュタブ。娘たちとどんな話をしていたのだ」

娘たちが自分たちの部屋に戻ったのを確かめてから、サーシルエークは妻のイシュタブに尋ねた。イシュタブは少し口ごもりながら、夫の問いに答えた。

「また、ウツコレルが自分の容貌について、悲しいことを言ったのよ。シュタバイと違って、私に求婚する人はいないって」

「そうか。そうなのか。ウツコレルも可愛そうに。赤ん坊の頃に普通のことをして貰っていたらなあ」

「でも、私はウツコレルを醜いとは思っていませんよ。綺麗な肌をしているし、顔だって、額の形と眼を除けば、十分綺麗なんですもの」

「そうだよ、お前。別な地域に行って、他の部族の男とならば立派に結婚は出来るのだから」

「ウツコレルのことはそれくらいにして、あなた、シュタバイの結婚について、どう思っていらっしゃるの」

「どう思うって、お前、四人の求婚者のことかい?」

「そろそろ、決めるべき時期と思うわ」

「コチャン、ホルカン、ホルカッブ、ナチンと、全て部落の中では良い若者ばかりだ。それだけに、誰と結婚させるか、なかなか難しいのは事実だ。妥当なところとしては、ナチンと思っているが」

「礼儀正しいし、家柄も良いし、将来はお父様の跡を継いで神官になる人ですものね。私も反対はしません。そろそろ、シュタバイに話してみたらいかが。あなたの決めたことですもの、シュタバイも嫌とは申しませんわ」

「そうか。それでは、時期を見て、シュタバイに話すこととしようか」

サーシルエークの言葉に、イシュタブも頷いた。


その翌日のことである。


朝から良く晴れ、暑い日となった。ホルカッブの知らせにより、戦士たちはそれぞれ戦士の長の家に集まり、武器を受け取り、思い思いに武器の点検を始めていた。

槍の穂先及び棍棒の端面には鋭利に削られた黒曜石かフリント(火打石)が使われていた。槍はアトラトル(槍を投げるための治具)を用いて遠くに投げられる投げ槍だった。 

他、武器としては石斧、球状の石を放つ吹き筒があった。弓はあることはあったが、狩猟用であり、マヤの戦いにはあまり用いられなかった。一方、メシーカ族は弓を多用しており、これがマヤ族とメシーカ族の戦闘力の差にも繋がっていた。

それに、ククルカンの末裔たち(スペイン人)が持つ稲妻を放つ細長い棒(鉄砲)という強烈な飛び道具が加わり、メシーカ族とククルカンの末裔たちの連合軍は無敵の勢いでマヤの都市国家を次々と殲滅していたのである。

戦士の長にはそれぞれ二十人程度の戦士が割り当てられていた。いずれも、全身を黒い染料で塗っていた屈強の戦士だった。独身の若者は全て黒い染料で全身を塗るというのがマヤの習俗であった。

結婚すると、戦士以外は黒く塗ることは止めて、その代わり刺青を彫るという習俗でもあったが、戦士は結婚しても刺青は彫らず、独身の時と同じく黒い染料をそのまま塗っていた。

戦士の長はホルカッブ、ホルカンも含め、十人居り、総勢で二百人ほどがこの五千人足らずの部落の戦士軍であった。

全体の指揮は、ホルポルという中年の貴族が取ることになっていた。

ホルポルは部落の首長アーキンマイの副長であるが、小さな猿をペットとして飼っており、その猿はいつもホルポルの肩にちょこんと座って愛嬌を振りまいていた。厳めしい顔付きで笑ったことがないと云われているホルポルと、キーキーと鳴いて愛嬌を振りまく猿の奇妙なコンビは周辺の部落にも愉快な組み合わせということで知れ渡っているほどであった。

そのホルポルが巡回してきた。

「ご苦労である。武器の点検、補修が済んだら、神殿ピラミッドの前に集まるように。その際、胴着と盾も忘れないこと」

ホルポルは全員に鋭い一瞥を与えた後、次の戦士の長の家に向かった。


部落の中央に赤く塗られた神殿ピラミッドが在り、その前に二百人の戦士が武装して整列していた。

頂上の神殿の中央に、首長のアーキンマイが立ち、戦士軍を見下ろしていた。

アーキンマイの傍らには、ジャガーの毛皮を纏ったスキアが居た。

アーキンマイがおごそかに叫んだ。


「勇敢なるマヤの戦士よ。我が息子たちよ。心して聴くがよい。昨日、ホルカッブが近くでメシーカが屯しているのを見た。また、コチャンが商人サーシルエークの娘ウツコレルを襲おうとした一人のメシーカを倒した。ここに居る偉大な呪術師スキアの占いに依れば、今日か明日、メシーカの奇襲があるとのことだ。我々は全力を挙げて、メシーカを撃退しなければならない。メシーカの企みを成功させてはならない。メシーカを一人残らず、殲滅せよ。我々の戦いは記録され、我々は伝説となる。勇敢なるマヤの戦士よ。お前たちは伝説の戦士となる。お前たちは永遠となる。神々よ、ご照覧あれ! 我々の戦士の死を恐れない戦いをご照覧あれ。倒れた戦士は天の国に迎えられる。死を恐れず、戦え! 死を恐れず、戦え!」


アーキンマイの演説の後、戦士の長たちがホルポルを囲み、奇襲に備え、それぞれの防衛すべき場所を確認した。マヤパンに行っているホルカンは未だ戻っていなかったので、ホルカンの部隊はホルポル自身が率いることとなった。ホルカッブの部隊は村の背後にある洞窟で奇襲に備えることとなった。

ホルポルから少し指示があり、その後各部隊は持ち場に就いて待機した。


ホルカッブと二十人の戦士は洞窟で思い思いに寛いでいた。

やがて、ホルカッブが立ち上がり、指示を出した。

「ホルポルから、部隊を二つに分け、交代で奇襲に備えるよう指示されている。十人は配置に就き、残りの十人は待機ということになる。配置に就いた十人の内、二人は周囲を巡回し、異常があればすぐ仲間に知らせることとする。その二人は先ず、配置に就いている八人に知らせ、その後、待機している十人に知らせるように」


このホルカッブの指示により、十人が洞窟の周囲の警戒に就き、残りの十人が洞窟の中で待機した。


「ホルカッブが見たというメシーカはどうも、チチェン・イッツァを占領し、そこから出撃しているメシーカという話だ」

「ほとんど、毎日のように、あのチャック・モール(人身供犠で生贄の心臓を受ける石像)で、戦いで捕らえた捕虜を生贄にして心臓を取り出し、やつらの神に捧げているという話も聞いた」

「メシーカは残虐な部族だからな」

「捕虜は先ず、拷問で指先を潰し、部落の詳しい情報を得るということだからなあ。本当に残虐な部族だ」

「アステカがククルカンの末裔たちに滅ぼされて、アステカの主力であったメシーカ族が各地に分散し、俺たちマヤの領土を荒らしまわっているという話は聞いていたが、今度は自分たちの国を滅ぼしたそのククルカンの末裔たちと組んでいるようだな」

「ククルカンの末裔たちという話も本当かな? ククルカンの末裔にしては、やり方が残酷だ」

「そうだよ。アステカを滅ぼした時なんか、神官たちを並べておいて、あの長い良く切れる剣で次々と首を刎ねたということだ」

「それに、稲妻を発する細長い棒で撃たれて死んだ者の体はばらばらに引き裂かれているということも聞いた。見るも無残な死体らしいよ」

「本当に、ククルカンの末裔なのかなあ」

「でも、生贄を嫌っているのは事実らしい」

「ククルカンは生贄を止めさせようとしたからな」

「でも、そんなやつらに俺たちの武器で勝てるかな?」

「大丈夫だよ。槍もいっぱい作っておいたし、ほら、石だってこんなにあるし。何とかなるさ」

「そうさ、俺たちにはホルカッブという部落一番の勇者がついているんだから」



三の巻 終わり

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マヤ・ファンタジー 三の巻 三坂淳一 @masashis2003

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