第03話「エンゲージメント」
戦うことをやめた訳ではない。むしろライガンドで強くなりたいと言うおぼろげな目的も出来、意欲は以前とは段違いに旺盛だ。
しかし、ECNレンズ上の表示を見る度に「この戦いは僕の目指すライガンドじゃない」と言う思いが湧き上がり、キャンセルしてしまうのだった。
自分でもなぜそう思うのか分からない。そんな気持ちを達臣に相談すると、帰ってきたのは「え? お前それマジで言ってんの?」と言う言葉だった。
「マジに決まってるじゃないですか!」
「そうか、いや悪ぃ。でもな、そんなの簡単だ。お前の場合、戦う理由も戦わない理由も、原因は全部同じとこにあんだよ」
笑いながら「なかなか青い春してんじゃねぇの」と背中を叩く達臣に促されて、
そして今、大雅はあの時のコーヒーショップで撫子を待っていた。
目の前に置いた抹茶クリームフラペチーノ・エクストラホイップ・エクストラパウダーに手も付けず、緊張した面持ちで何度も時間を確認する。こんな時、そわそわと腕時計を確認するような恥ずかしい仕草をしなくて済むのは、ECNレンズの良いところだと大雅は思った。
「ごめんなさい。待たせちゃったかしら」
待ち合わせの時間より5分早くやってきた撫子は、以前と同じ長い三つ編みの髪を揺らしながら、大雅に駆け寄り声をかける。
「あ、ううん。僕が早く着いちゃっただけ」
「そう、じゃあ私も注文してきちゃうから」
カウンターへと向かう撫子の後ろ姿を見送って、大雅は自分の心拍数が上がっていることに気付いた。
(心拍数ウィジェット削除するの忘れてたな)
心臓を何とか押さえつけようと悪戦苦闘する大雅の元へ、キャラメルマキアート・ノンファットミルクを持った撫子が戻って来た。流れるような動きで、優雅に席に座る。
「おまたせ。……大雅、レベルが上ってるのね」
ライガンドをインストールしている者同士であれば、目を見ただけで分かる。それは大雅がライガンドでの戦いを続けることを選んだ証拠だった。
大雅が見つめる撫子の目にも〈LIGAND-0024-撫子-03〉と言う文字が表示されている。
「撫子も」
「ええ」
少し悲しそうな笑顔で答えた撫子は目を伏せ、小さくため息をつく。大雅はバツの悪そうな顔で苦笑いを返すしか無かった。
「そうね……私に連絡をくれたって言うことは、そういう事よね」
「うん……ただ、以前撫子が言ったような『黒い刀を振るいたい』と言う気持ちで戦いを決めた訳じゃ無いんだ。僕は自分の居場所がここだと……ライガンドにあると思った。ライガンドに居る理由はそれだけ。……そして僕が戦う理由は撫子、君なんだ……」
ストローを吸っていた撫子が硬直する。
「君と一緒にいたい。同じ世界で戦いたい。君に涙を流させたくない。それが僕の戦う理由なんだ」
ストローをくわえたまま、撫子はあっという間に頬から耳まで真っ赤に染める。
ただ自分の気持を連々と語っていただけのつもりだった大雅は、不思議そうにその撫子を見ていたが、自分の言った言葉の恥ずかしさに気が付くと、冷や汗をダラダラと流し、彼女と同じくらい顔を赤くした。
「あ、いや、ごめん! そう言うんじゃなくて!」
大雅は慌てて言い繕う。
「そ、そうよね、そう言うんじゃないわよね!」
「そうそう、そう言うんじゃ……」
しかし、撫子に出逢ってからの自分を思い出してみると、結局はそう言うことなんだろうと思い至った。
「そう……言うんじゃ……ごめん、やっぱり、そう言うことみたいだ」
「え?」
「……僕は君が好き」
数秒の間があり、やっと時間が動き始めた撫子は「ちょ、ちょっとお手洗い」と化粧室へ向かう。
角を曲がって撫子の姿が見えなくなると、大雅はテーブルの上で頭を抱えた。
(……言っちゃった! 勢いとはいえ、生まれて初めて女の子に告白した! 撫子、呆れてないかな……たった2回しか逢ったことのない相手に告白なんて……チャラい男だと思われないかな……)
喉がカラカラに乾いていた。大雅は抹茶フラペを一気に流しこむ。
(これは喉が渇いた時に飲むもんじゃないな……エキストラホイップとか頼まなきゃよかった)
口の周りについたクリームを紙ナプキンで拭き取ると、落ち着かなげに椅子に座り直す。
それから10分ほど、大雅はその場でボーっと待つことになった。
濡らしたハンカチで顔を冷やしながら、撫子はさっきから何度も自分の顔を確認していた。
ECNレンズには、大雅と戦った時のキャプチャ画像が表示され、顔の部分が拡大されている。
(……なんなのよ! いきなり!)
大雅の顔はECLから消え、撫子は綺麗に整理されたカバンから小さな2つのリップを取り出して棚に並べた。
並んだリップの上を手が何度もさまよい、地味な薬用リップを手にとった撫子は、それを鞄にしまう。
棚に残された、今まで一度も使ったことのない淡いピンク色のリップのフタを開けると、かすかに震える右手を左手で一生懸命押さえ込んだ。
「……お、おまたせ」
「あ、うん」
ぎこちない雰囲気が二人の間に流れる。
椅子に腰を下ろした撫子は、少し俯いたままスカートのしわを何度も手で伸ばし、大雅はそわそわと彼女が話しだすのを待っていた。
「あのね……私たち、まだ逢うの2回目だし……」
撫子がおずおずと話しだす。
「大雅のこと、嫌いじゃないのよ。でもまだ……ちょっと……」
「うん……そうだよね。非常識だったのはわかってる。……ただ、僕の嘘のない気持ちを知ってもらいたくて。ライガンドの事も、撫子の事も」
俯いたまま、撫子は小さく頷く。
「返事はいつでもいいんだ。友達……いや、ライガンドの仲間としてでもいい。ただ一緒に居たいんだ」
もう一度、今度はさっきよりも大きく頷き、大きく深呼吸すると、撫子はホッとしたように顔を上げてニッコリと微笑んだ。
ライガンドのフレンド登録には3つの種類がある。
1つ目は個人同士が
2つ目は1つのグループに登録することで、グループに参加したものが共闘可能になる
そして3つ目が、お互いがECN圏内に居た場合、自主的にキャンセルを選択しない限り、必ず共闘状態に移行する
「エンゲージメント登録はレベルと同じ人数が上限なの。ECN圏内に入った時に方向と距離が表示されたり、
「ライガンドチャット?」
「……違う、リガード。大雅、マニュアル読んでないでしょ? ECNの文字入力の発展版よ。ECNは脳神経からの信号で文字入力が出来るでしょう? あれと同じ。考えた内容で、そのままボイスチャットみたいに会話ができるの」
「……すごい、SF小説みたいだ」
驚く大雅に「もう」と少し怒ってみせた後、撫子は真剣な顔になる。
「あのね、今これを頼んじゃうのは凄くずるいと思うんだけど……大雅さえ良ければ、私とエンゲージメント登録して欲しいの」
「え? ずるくないし、それは僕の方からお願いしたいくらいだよ」
大雅の即答に、撫子は両手でおでこを抑える。困った顔でため息をつくと、大雅を真っ直ぐに見つめた。
「そこなの。今、大雅は私に……あの言葉を言ってくれたばかりだから、承諾してくれることは分かっていたわ。でもね、エンゲージメントは他のフレンド登録と違って
「……僕だってこの2週間、ライガンドで戦う意味はずっと考えてきた。撫子に再会するまで確信は持てなかったけど、僕の悩んだ時間の答えが撫子なんだ。僕の戦う意味が撫子である以上、エンゲージメントを拒否する事はないよ。これからも、ずっと。永遠に」
「……大雅はロマンチストなのね」
撫子は少し笑う。
大雅の視界に〈
どちらからとも無く手を伸ばし、テーブルの上で大雅は撫子の手の甲に触れる。
二人は見つめ合うと、同時にボイスコマンドをつぶやいた。
「エンゲージメント」
重ねた掌から光が溢れ、二人を包み込む。
その光はECNレンズがオーバーレイした偽物だったが、確かな温かさと広がりゆく風を感じさせた。
その風は視界にかかった霧を吹き飛ばし、二人には世界の解像度が一段階上に引き上げられたように見えた。
『これが、エンゲージメント……』
大雅の脳内に撫子の声が優しく響く。視界の端には〈
『リガードチャット……本当に考えただけで会話ができるんだね』
大雅の声が脳内に響いたのだろう、撫子がビクッと身を震わせ重ねていた手を引く。大きく見開かれた瞳には、少しだけ恐怖の色が滲んでいた。
「あっ……ごっ……ごめんなさい。さっきのリガードチャットは無意識だったの。リガードチャットはフェイトを消費するわ、なるべく普通の会話を使いましょう」
大雅は少し傷ついた目で撫子に悲しげな笑顔を向け、ゆっくりと手を引いた。
夕方が近づき、コーヒーショップが混雑し始めると、撫子の提案で住宅街の公園に場所を移すことになった。
「へぇ、こんな所に公園があったんだ」
綺麗にペンキを塗り直された、古い大きなゾウのすべり台を回り込み、裏側にある木陰のベンチに二人は腰を下ろした。
「私、小さい頃からこの公園が大好きだったわ。でも小学生になっても、怖くてこのすべり台が一人で滑れなくて……いつもお兄ちゃんと一緒に滑っていたの」
「撫子、お兄さんが居るんだ」
何気ない大雅の言葉に、撫子は俯いて首を振る。
「今は……居ないわ。お兄ちゃんは今年の1月に死んでしまった。死因はワレンベルグ症候群、脳に損傷を受けた事による突然死だったわ」
脳に損傷を受けたことによる突然死。
大雅は以前撫子が語った、ライガンドによる死者の話を思い出した。
「まさか、お兄さんの死因って……」
大雅の質問には答えず、撫子はファイルを送る。
開いてみると、それは何枚かの画像ファイルだった。
1枚目にはひび割れたスマートフォン。その画面に表示されているのは〈ストラグル・オブ・ライガンド〉のタイトルと〈LIGAND-0003-虎太郎-11〉の文字。
2枚目、ライガンドの戦闘中にキャプチャしたのであろう荒い画像には、黒い鬼の面頬をかぶった武者が、大雅のものよりも長い、しかし同じように真っ黒な日本刀を携え、迫る姿が映っていた。
「これは……」
「お兄ちゃんの遺品のスマホと……データフォルダからサルベージした画像データよ。
「……撫子、
画像の黒い刀に目を奪われながら、大雅は拳を握りしめていた。
しかし、撫子は長い三つ編みの髪を揺らしながら大きく首を横に振る。
「敵討って言う訳じゃないの。……ううん、もしかしたらそう言う気持ちもあるかもしれない。でもね、ライガンドの戦いはお互いの同意の上に成り立つのよ。私は、お兄ちゃんが、どうしてフェイトの最後の一年を賭けてまでこの人と戦ったのか、その理由が知りたいの」
握りしめた大雅の拳を包むように手を添え、撫子はそう話す。
大雅の拳からフッと力が抜けた。
「……わかった。もちろん協力する。撫子を戦いの理由にする僕が、憎しみで刀を振るってはいけないと思うんだ。撫子が持っているお兄さんへの優しい気持ちのために、僕は黒い刀を握るよ」
「……ありがとう。大雅って本当にロマンチストね」
微笑む撫子に照れ笑いで返し、大雅は樹の枝の間から夕日を見上げる。ECNレンズによって減光されてもなお、太陽は眩しかった。
ふと、先ほど撫子から送信された画像に3枚目があるのに気付く。
何気なく開いたその画像には、制服姿の撫子が背の高い高校生くらいの男と仲良く写っていた。
「撫子……3枚目の画像は……」
「うん? それはお兄ちゃんの写真……私の入学式の……あっ! だめ! 削除して!」
「無理無理! こんな可愛い写真削除出来ないよ! ……あれ?」
入学式の写真と撫子は言った。
写真に映るその学校の校門には「2053年度 あおば東中学校入学式 式場」と言う去年の年度が書かれた立て看板が掲げられていた。
「え? 撫子……中2?」
視界に表示される2054年5月16日のカレンダー表示を見ながら、大雅はおそるおそる聞く。
「そうよ、言ってなかったかしら? それより画像削除して!」
勝手に撫子のことを同学年だと決めつけていた大雅は大きなショックを受けた。
「僕……高1なんだけど……」
その言葉を受け、勝手に大雅のことを同学年くらいだと思っていた撫子もまた、大きなショックを受けた。
「……大雅って子供っぽいわ」
「撫子は落ち着いてるね……」
お互いの言葉にひとしきり笑い合うと、大雅は撫子を家の近くまで送り届けた。
「じゃあ、あらためて、これからよろしく」
「ええ、よろしくお願いします。……あの……ありがとう」
名残惜しそうに何度もふり返り手を振る撫子と別れた大雅の帰り道は、撫子からのSNSメッセージでとても賑やかだった。
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