第02話「戦う理由」
「お!
月曜の朝、あくびをしながら教室に入った大雅に飛びつくようにヘッドロックを決めたのは、親友と呼べるただ一人の友達、
「いててっ! やめろよ龍信、高校入ったらECNレンズ買ってもらう約束だったんだよ!」
「え? マジ? ECNレンズなの!?」
「うん」
「すげー!」
大雅の周りに人だかりができた。「どこのやつ?」「いくらした?」「アプリ見せてよ!」ワイワイと賑やかに騒ぐ。
昔からあまり目立つ方ではない大雅は、少なからず優越感を覚えていた。
突然、スパーン! と勢い良く大雅の頭が叩かれる。
「ほれほれー、席につけー。
くるくると丸めた教科書を手の上でポンポンと叩いていたのは、いつも眠そうな担任の井上先生だった。
みんな慌てて席につく。
大雅も頭をさすりながら座り直すと、ECNにライガンドのルールを表示して読み始めた。
〈ストラグル・オブ・ライガンド とは〉
当アプリは、ECNレンズ連携機能により、バーチャルな対戦が楽しめるアクションRPGです。
対戦はECN圏内、つまり視認可能な範囲にいる相手と同意の上でのみ行うことが出来ます。(設定により自動承認も可能です)
戦闘は1ミリ秒毎に最大1分相当の情報を圧縮処理することにより、実際の時間経過はほぼ0で終了します。
現実時間で1秒、ゲーム時間で約16時間以上の連続接続は、脳神経系に
〈基本戦闘ルール〉
戦闘開始時に1以上3,650未満の
どちらか一方が戦闘不能、または戦意を喪失して負けを認めた場合、戦闘終了です。
※
※同様に、参加者全てがドローの宣言をした場合、全員がベットした生命の3分の1を失い、戦闘終了です。(1ポイント未満切り上げ)
〈
フェイトの最大値は理論上131,071ポイントです。基本的に残ポイントの確認はできません。
※ただし、3,650ポイント未満の場合は365まで、365未満の場合は30までしかベット出来ないため、おおまかな値を知ることは可能です。
また、小数点以下の値も管理されていますが、ベット出来るのは整数単位です。ライガンドに接続している時間と同量のポイントが、ベット以外に消費されます。(0.00001ポイント単位/約0.86秒)
※フェイトが0未満になった場合、プレイヤーは死亡します。
(……死亡します……か)
正直、大雅にはまだ「命のやり取りをする」と言うこのゲームの内容に実感は湧いてこない。
ウィンドウを閉じると、SNSの登録IDの一覧を開いた。
〈
登録順に逆ソートされた一覧の一番上に、その名前は表示されていた。
何も知らない大雅に突然戦いを挑んできた、長い三つ編みの少女。
無防備に自分の生命を晒していた大雅の設定を安全なレベルに直してくれた少女。
ライガンドによって命を落とした人のために、涙を流した少女。
(可愛かったなぁ)
色々と思いを巡らせても、最終的にはそこに帰結する。
――大雅はライガンドをやる理由もないんだから、出来ればもう戦わないで。
彼女の言葉が耳に蘇る。現実の世界と同じ。いい子。いいやつ。どうでもいい子。どうでもいいやつ。そう言われたような気がした。
――もしあの黒い刀を振るう気なら……その時は私に連絡して。
しかし、彼女は別れ際にそう言い残した。今のところライガンドで命を削る戦いをする気持ちは全くなかったが、彼女と連絡を取るための理由としては申し分ないものであることは確かだった。
放課後、龍信にせがまれてECNアプリ〈ライガンド〉の画面を開いてみせた大雅は、「誰にもこのアプリの事を教えちゃダメよ」と言う撫子の言葉を思い出して冷や汗をかいていた。
「ふーん、なんだ。メーカー標準アプリか。ゲームとか入れないの? 面白いらしいぜ」
「え? ……あぁ、まぁもう少し慣れてからかな」
平然を装ってスマホの画面を見るが、そこにはやはり〈ストラグル・オブ・ライガンド〉のタイトルが表示されている。
どうやら何らかの偽装が行われているらしい、大雅はほっと胸をなでおろした。
「俺も一学期の成績が良かったらECNレンズ買ってもらえるからさ、夏休みには一緒に対戦ゲームしようぜ」
「ゲーム下手なのに龍信はほんっと好きだよね。今まで僕にゲームで勝ったことなんてほとんど無いだろ?」
「あるだろ! 記憶を捏造すんなよ! 『ノックアウトヒーロー』とか『祭り太鼓の人間国宝』とか『スーパーフォーミュラE』とか、俺の圧勝だったじゃん!」
「あぁ、ゲーセンの筐体ものね。龍信は体動かすのだけは得意だもんな」
無駄話を続けていると、廊下から「おーい龍信、もう先輩も集まってきてるぞ」と言う声がかかった。
「うわっヤベっ! じゃ、大雅またな!」
慌ててカバンを掴み、部活へと走り去る龍信に軽く手を振って見送った大雅は、Bluetoothヘッドセットを耳に掛けるとスマホをポケットに仕舞う。
まだ部を決めていない大雅だったが、特に何かやりたいことがあるわけでもなく、この学校は部活動が必須ではないため、このまま帰宅部でもいいかなと考えていた。
(部活なんかやる暇があるなら勉強しろって言われるだろうし)
ぶらぶらと繁華街まで歩き、ゲームセンターの自動ドアを抜けた時、ECNレンズに黄色い〈WARNING〉のフレームで囲まれた〈
相手の姿はよく見えないが、クレーンゲームの横にカーソルが表示され、そこには〈LIGAND-0084-達臣-01〉と表示されていた。
(インターセプト?! えっと、この表示だと確か末尾がレベルだから、僕と同じ1レベルの初心者だな……)
――大雅はライガンドをやる理由もないんだから、出来ることならもう戦わないで
撫子の言葉を思い出し、戦闘を拒否しようとした大雅だったが、突然、心の中に何かモヤモヤした思いが湧き上がる。
(何をビビってるんだ僕は! たかがゲーム、それにフェイトを賭けるって言っても所詮1日だ! 部活もしない、学校も、家に帰ったって別に面白いことなんて無いんだ、少しくらい遊んだっていいじゃないか!)
「……クオリア・コネクト」
大雅のボイスコマンドに反応し、ECNレンズの表示は〈
色の消えた空間がガラスのように砕け散り、破片が溶けるように消え去ると、そこは巨大な石柱が立ち並ぶ遺跡のような場所だった。
黒い鎧を纏い、円形に並ぶ石柱の中心に立った大雅は、無言で右腕を正面に伸ばす。
その手の中に雷光とともに実体化した黒い刀を握りしめ、重さを確かめるようにヒュッと振り下ろすと。それだけで空気は切り裂かれ、大雅の心にゾワッと波が立った。
剣先を立てるようにして体の右側に両手で構える。そのままやや前方に左足を踏み込むと、八相の構えをとった。
無論、剣など全く触れたことのない大雅が、考えてその構えをとったわけではない。ただ黒い刀を思いきり振りたい。その思いが、野球のバッターのような構えをとらせただけだった。
――ジャリッ
左後方から、小石を踏みしめるような音が聞こえたのと同時に、大雅は飛び込んだ。
現代剣道では用いられなくなって久しい八相の構えは、広い空間を移動しながらの長時間かつ複数人戦闘に対応した、超実戦型の構えだ。無意識ながらもその構えをとった大雅の動きは、普段の彼を知るものには信じられない程の機敏な動きだった。
音の聞こえた石柱の影に回り込み、黒い刀を一閃する。
力いっぱい刀を振り回した大雅が、たたらを踏んだその瞬間、頭上から体重を乗せた大小2本の刀が振り下ろされた。
危うく黒い刀を持ち上げ、2本の刀を跳ね上げると、撫子の時と同じように、今回の相手も勢い良く吹き飛んでいった。
石柱の1本に背中を打ちつけながらも二刀を構えて持ちこたえたその男は、口元から血を流してニヤリと笑う。
「てめぇ、……強ぇな!」
口の中に溜まった血をプッと吐き出すと、男は別の石柱に向かって飛び、跳ね返るように方向を変えると、またも頭上から大雅へ打ちかかった。
もう一度弾き返そうとして振りかぶった大雅の黒い刀は、しかし、一本の刀を弾くに留まった。2本の刀が上と左、別々の方向から襲いかかってきたのだ。
「うっ……うあぁぁっ!」
男は剣とともに吹き飛ばされていたが、悲鳴を上げたのは大雅の方だった。大雅の左腕には脇差しが深く突き刺さり、鼓動に合わせて血が溢れだしていた。
(痛い! 痛い! ゲームじゃない! こんな痛いゲームがあるわけない!)
「てっめぇ……何だよ……その刀ぁ……」
吹き飛ばされた場所からゆっくりと身を起こした男には、あるべきはずの左腕が付いていなかった。
根元からちぎれ飛んだ左腕が大雅の足元でピクピクとうごめく。
「つばぜり合いしただけで……腕が飛ぶってよぉ……おかしいじゃねぇか!」
残った右腕で杖のように剣を地面に突き刺し、男は立ち上がる。
大雅は腕の痛みとその男の狂気じみた恐ろしさに、立ち上がることも出来ずにガタガタと震えていた。
「
起き上がれない大雅を見下ろして、男はもう一度ニヤリと笑う。体を引きずるように大雅の頭上に立つと、逆手に構えた右手の刀を大きく振り上げた。
左腕の付け根から男の血がボタボタと大雅の顔に落ちかかる。
「ひっ……ひぃっ」
情けない悲鳴を上げる大雅に向かって、男の刀は体重を載せて突き下ろされた。
――ゴリッ
骨を断ち、肉を突き通す音が、異様に大きく響き渡る。
男は
大雅の上に覆いかぶさるように倒れた男の背中から、真っ赤な血に濡れてもなお黒い、漆黒の刀が長く突き出ていた。
体を引きずるようにして何とか男の体の下から抜け出すと、大きく荒い息を吐く。
男の体に突き刺さる黒い刀を握った右手は、意思に反して離すことが出来ず、大雅はガタガタと震え続けた。
唐突に黒い刀は紫色の稲光を、男の姿は白い光の粒子を発し、かき消されるように消えていった。
〈
自分を中心に世界が収縮するような感覚を感じた大雅は、ゲームセンターの床に膝をついた。
ライガンドの中で怪我をした左手はしびれたように動かない。右手に男を刺し貫いた時の何とも言えない感覚が蘇り、大雅は口を抑えてトイレへと駆け込んだ。
便座を抱きかかえるようにして胃の中身を全て吐き出した大雅は、口をすすいだ水を洗面台に流す。
左手の感覚はすぐに戻ったが、右手には未だにあの感覚が鈍く残り、大雅の目には血に染まっているように見えた。
突然、大雅は後ろから襟首を捕まれ、壁に押し付けられる。
「おいてめぇ、あの黒い刀ぁなんだ。普通じゃねぇぞ」
そこには黒いニット帽をかぶりサングラスはしているものの、紛れも無くライガンドで戦ったあの男が立っていた。
肩口からちぎれ飛んだ腕がフラッシュバックし、大雅は何も言えずにガタガタと震える。
「……おい、どうした。さっきライガンドで戦った俺だ。
そう言って
(左手……)
大雅は達臣の左手を両手でつかみ、ただ泣き崩れた。
「ほれ」
「あ……。ありがとうございます」
達臣が放り投げた缶コーヒーを受け取り、大雅はベンチから礼を言った。達臣は少し離れたベンチにドカッと腰を下ろし、缶コーヒーを飲み干す。
しばらくゲームセンターの騒音を聞きながら、無言の時間が流れた。
「……達臣さんは、なんでライガンドをやってるんですか?」
「あ?」
「僕は、ライガンドをやる理由がないって……戦わないでって言われました。彼女は、僕をいらない人間のように……それに反抗するような気持ちで戦って……このざまです」
温かいコーヒーの温もりを両手で感じながら、大雅は下を向いたまま話す。
大雅にとって、ライガンドとの出会いは16年生きてきた中で最も衝撃的な事件だった。にも関わらず誰にも話すことも、相談することも出来ず、いつもなら何にでも答えをくれるネットで検索しても、どうするべきなのかの手本もない。
達臣はそんな大雅の前に現れた、初めての相談相手だった。
「このざまってなぁ。負けた俺に言う話か? それ」
「あ……、すみません」
「まぁいいや。なかなか青い春してるじゃねぇの。俺がライガンドをやってる理由な。それは、強くなりてぇからだ」
あまりにも子供じみた単純な答えに、大雅は言葉を失う。
「あ、大雅お前、今『ガキくせぇ』って思っただろ? 違うぞ。俺はこう見えても高校までバスケやっててよ、プロになれるかもしれないって言われてたんだぜ。毎日死ぬほど頑張ってよ、それでもダメなヤツはダメだって分かっちゃった訳よ。その点な、ライガンドは頑張ってレベルを上げれば必ず強くなれる。努力が必ず報われる世界だ」
そのまま空になったコーヒーの缶をゴミ箱に投げ捨てる。缶は休憩室の反対側にある小さなゴミ箱にすっぽりと入った。
「理由なんてそんなもんだよ。お前だって戦っていいんだぜ? お前がライガンドに居たいって思ったら、それがお前の戦う理由だ。……俺が許す」
大雅の髪をくしゃっと手のひらでかき混ぜると達臣は立ち上がる。
「俺は仕事のねぇ時は大体この辺ウロウロしてるからよ、俺がノービス卒業したら、今度は一緒に戦おうぜ。じゃ、またな!」
大雅のECNレンズの視界の端に、SNSの友だち申請が表示される。そこには〈達臣〉と、初めて出来た年上の友人の名が書かれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます