第7話 やばい指令
ドッグスにとってトムズキャットにとって、忙しいながらも暫らくは平穏な日々が続いた。しかし、平穏とは長くは続かないものである。
「指令、但し今回の指令に関しては、まず最初に希望者を募る。希望者なき場合、各自からの推薦を募る。それでも決まらない時はメンバー間で話し合い、指令実行者を一名指名すること」
突然トムから、指令の内容は伏せたまま、先に各メンバーの携帯にこんなメールが届いた。
この指令を見て、まだ不慣れな新メンバー達は戦々恐々となった。面接時キャサリンから、『どんな突飛な指令がくるか分らない』という話を聞かされていた為である。
「キャサリンさん。指令の内容を先に言わないっていうのは、何かやばい指令ですよね」
カレンがキャサリンに質問した。
「やっぱり何か変ですよ。この指令って」
ジェーンも腰が引けている。
「そうね。みんなが心配するのは分るわ……しかたがない、001として私が指令を受けるわ」
「キャサリンさんはダメです。それなら私が犠牲になります」
ミッシェルはキャサリンの代わりに自分が犠牲になる覚悟をした。
「そうですよ。キャサリンさんを犠牲にはできません。そうするぐらいなら、私が犠牲になります」
カレンもそういって、自己犠牲を申し出るのである。
「私だって、キャサリンさんの代わりに、犠牲になる覚悟はできています」
ジェーンまでそう言いだした。
「みんなありがとう。みんながそこまで言ってくれるんだったら、最後に言ってくれたジェーンにお願いしようかしら」
そう言われて、ジェーンは愕然としてしまった。みんなの手前つい言ってしまったが、まさかダイレクトに自分に来るとは思っていなかったのである。少々ズッコケキャラなのかも知れない。
「えっ、でも指令の内容は……何ですか?」
ジェーンは急に不安になってきた。
「大丈夫よ。トムさんは無茶振りすることもあるけど、現実的に不可能な指令は出さないから」
「え、そんなに無茶振りがあるのですか?」
キャサリンはジェーンを安心させようと思って言ったのだが、逆にジェーンの不安を増大させる結果となってしまった。
「心配なら、私が指令の内容をトムさんに訊いてあげようか?」
ナンシーは不安一杯のジェーンを見かねたのである。
「ナンシーさん、お願いします……そんなに変な指令を出さないようにお願いしてください」
「大丈夫よ。任せておいて」
そういってナンシーは、トムの携帯にメールを送った。
『トムさん。指令実行者は、ジェーンに決まりました。でも指令内容が分りません。指令内容を教えて下さい』
そのメールの文面を見て、ジェーンはまたしても絶句する。もう逃げられないと思ったのだ。
しばらくしてトムから返信があった。
『一一月二三日は、何の日か知っているか? そう、神戸マラソンの日だ。神戸に本拠を置くトムズキャットが、黙って見ている手はない。そこで指令実行者に告ぐ。神戸マラソンに出て、トムズキャットの使命である世界平和のPRをしながら、マラソンを完走してくれたまえ。尚、このメッセージは、三秒後自動的に消滅する………………ボンッ!』
「何? このメッセージは? トムさん、ふざけてない?」
キャサリンはトム一流? のジョークが理解できなかった。当然『スパイ大作戦』など、知る由もない世代だからである。
「キャサリンさん。私マラソンなんて、高校のマラソン大会で五キロを走ったのが最長なんです……四二・一九五キロなんて、とても無理です」
「大丈夫よ、トムさんならナンシー方式でお願いすれば、何とでもなるわよ」
「えっ、ナンシー方式って?」
「そう。貴女が泣きまねをして、トムさんにお願いするの……ナンシー、演技指導お願いね……そしたら私がすかさずフォローしてトムさんを説得するから」
キャサリンはすっかりこの方法に味をしめてしまっているが、いったい何時まで効果があるのだろうか?
「それにはトムさんに言って、会議を開いてもらわないとね。名付けて『神戸マラソン対策会議』ね」
そう言ってキャサリンは、明日の定休日にトムズキャットの会議を開くよう提案するメールをトムに送った。
翌日、トムズキャット本部のオンボロ事務所にトムとメンバーの他、ベッキーまで揃った。但し今回は、ジェニファーとアリスは来ていない。
ベッキーは、三人の新メンバーと一緒に三日間、美由紀達に教わりながらドッグスの手伝いをしていた。しかし、現在は本来の美容師の仕事に戻っていたはずなのだが。
「月曜日の会議っていうのはいいわね。月曜日なら私も参加できるから」
ベッキーはエージェント総監督として、できる限りトムズキャットの会議に参加したいのである。
「それでは『神戸マラソン対策会議』を始めます」
なぜかキャサリンが議事進行を始めた。
「トムさん、今回の指令について簡単に説明してください」
「今回は神戸マラソンの実行委員会から、『トムズキャットも地元なので、参加してみませんか?』というお誘いをいただいたんだ」
トムは何故か、裁判の被告人席に座らされたような気分になった。
「でも、『確か参加するには事前に申し込みをして、抽選で選ばれないと参加できないのでは?』と訊いたところ、一名だけなら一般ランナーとしてではなく主催者側の特別招待というか、何かフレンドシップランナーとかいう枠で参加することができるらしく、大会を盛り上げてほしいということなんだ」
裁判官のようなキャサリンは、トムに目で続きを促す。
「そこで、マラソンをしながら『世界平和のPR』させていただくことを条件にして、受けることにしたんだよ」
「指令実行者のジェーン、何か意見はありますか?」
「トムさん……グスッ……私、五キロ以上走ったことないんです……グスッ……いきなり四二・一九五キロなんて無理です……グスッ」
「トムさん。こう言っていますが、どう考えているのですか?」
「そうよ、トムさん。いきなりフルマラソンなんて、いったい何考えてんのよ」
ベッキーも憤慨しながらそう言った。まるで被告を糾弾する、検察官のようである。
「いや、目的は大会を盛り上げることと世界平和のPRだから、なにもフルマラソンでなくても……」
トムは周りの威圧を感じながら、弁明に汲々とする。
「それで? どうするんですか?」
冷徹な裁判官が追求する。
「フルマラソンの他に、クォーターマラソンっていうのがあって、こっちだとたしか一〇・六キロだから、これならゆっくり走ればいけるんじゃないか?」
「ジェーン。トムさんはこう言っていますが、どうですか?」
「グスッ……ゆっくりでいいなら、何とかなるかも知れません……グスッ」
それを聞いたキャサリンは、今までの仏頂面をといてニッコリと微笑んだ。
「よかったね、ジェーン。ほら、何とかなるもんでしょ」
「何なんだ、この茶番劇は? 全く君達というやつらは」
そう言ってトムは、あきれる他なかった。
「で、トムさん。他のメンバーはどうするのですか? 応援したいけどお店もあるし」
茶番劇が終わり、漸く本来のスタイルに戻ってキャサリンが質問した。
「当日は臨時休業にする。だから全員でジェーンを応援しながら、世界平和のPRをしてくれ」
「応援は分かるのですが、世界平和のPRって具体的にはどうすれば良いのですか?」
「今考えているのはトムズキャットのオリジナルTシャツを作って、メンバーがそれを着てPRしようと思うんだ」
「えっ、Tシャツ? どんなTシャツにするのですか?」
「以前に合言葉を考えたことがあったろう? そのときの『PEACE SPIRIT IS IN MY HEART』っていうのをTシャツにデザインしようと思うんだ」
「えっ、それって結局、正しい表現だったのですか?」
「いや、まだ確認したわけじゃないけどたぶん大丈夫だと思うし、別に見切り発車でもいいじゃないか」
「何かトムさんていつもいい加減ですね」
「別にいいんだよ、意味さえ通じれば。当日はラジオ局の他に地元のテレビ局も入る予定だから、TシャツにプリントされたメッセージでPRができるんだよ」
トムは更に具体的に説明を始めた。
「当日は、ジェーンを応援しながらも時々ラジオ局とテレビ局が、トムズキャットにインタビューにくるから、その時、大会を盛り上げるような受け答えと共に世界平和に絡めたコメントでPRをしてくれ」
「じゃあ、私たちもテレビに映るかもしれないのですね」
カレンとミッシェルは、そう言って目を輝かせている。
「そうだなあ……ジェーンは主役だから結構テレビに映るかもしれないけれど、カレンとミッシェルは相当頑張らないとキャサリンとナンシーの影に隠れてしまうかもしれないよ」
「え―、そんな―。折角のチャンスなのに」
漸くトムは劣勢を挽回して、体制を立て直すことに成功した。
「まあ後半月足らずだが、ジェーンは少しトレーニングをして備えてくれ。後のメンバーは大会を盛り上げる方法と世界平和のPRについて、どのように展開していくかの工夫をするように」
トムは最後にそう言って会議を締めくくった。
「トムさん、Tシャツはどうするのですか? 制作には結構時間がかかると思うのですけど」
会議終了後カレンはトムの席に来て、疑問に思っていたことを素直に質問した。
「それについては俺の知っている神戸の会社で、デザインさえ決まれば約一週間で作ってくれるところがあるので、デザインを何処かに依頼しようと思うんだ」
「トムさん。それなら私に、デザインをさせていただけませんか? こう見えても私、大阪のデザイン学校卒業なんです」
カレンは何か自分が主役になれるものはないかと考えていたので、喜んでトムにそう申し出た。
「そうか、よし、分った。デザインは君に任せるから、三日でデザインを仕上げて提出してくれ。そうすれば何とか期日までにTシャツを制作することができるはずだから」
トムはこの会議の最初こそキャサリン達の茶番劇に付き合わされ憮然としていたが、ここにきて漸くトムズキャット全体に一体感が生まれてきて満足するのである。
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