第5話  臨時ミーティング

 そんなやり取りをしているところに事務所の入口が開いて、ジェニファーとアリスが飛び込んできた。

「何だ、ジェニファーとアリスまで。休みの日まで会社に来なくてもいいのに」

「アリスと二人で街の中をブラブラしていたのですが、何故か足がこっちに向いちゃって」

 株式会社オフィスドッグスの本社であり、トムズキャットの本部でもあるこの事務所は、エレベーターもないようなオンボロ事務所なのに、そんなにも居心地がいいのだろうか?

「今日は休日なのに何故か不思議と関係者が全員揃ってしまったな……折角の良い機会だから、少し今後の方針について、会議っていうかミーティングをしてみないか?」

 トムはベッキーを二人に紹介した後、この不思議な状況を鑑みて提案した。

「いいですね。私達も今の状況を把握しきれていないので、今後どうなるのか不安でいっぱいなんです。できればトムさんから詳しく説明していただけると、少しは安心できるのではないかと思うんですけど」

 キャサリンが全員を代表してそう言うと、それぞれミーティングをするためのポジションを求めて移動する。

キャサリンとナンシーはジェニファーとアリスにソファーを譲り、自分達のデスクの席についた。

ジェニファーとアリスは譲ってもらった一人掛けのソファーを、デスクに背を向けないように置き換える。

トムはベッキーがいるので自分の席には行かず、ベッキーと共にソファーの長椅子に座ったままだった。

 臨時会議室の完成である。

「先週は大変な状況を各自経験したので、普通の思考ができないのは、何となく理解できるよ」

 そう言いながらトムは、ここ一カ月足らずの出来事を振り返る。

 キャサリンとナンシーが流通業最大手のイオンヨーカドーのCM出演を果たし、その直ぐ後に在京キー局大手の南北テレビからインタビューを受け、更にそれが日曜日の夕方と夜のゴールデンタイムに全国ネットで放送されるといった普通では考えられないような幸運があった。

そして、そのことでトムズキャットという存在が一躍全国に知れ渡り、キャサリンとナンシーは本人達は無自覚ながらも今や時の人となってしまっているのである。

「キャサリンもナンシーも、今までとは全然違う立場にあることを理解してもらいたい」

トムは敢えてそこから説明する。

「先日までは例えテレビCMに登場しても、君達がどういう素性かまでは視聴者には分らなかった。だから特に君達の周辺での変化はなかったと思う」

 二人共その点については、そのとおりだと思った。

「ところがその直ぐ後に、南北テレビによるトムズキャット及びドッグススタッフである二人に対するインタビューによって、君達の素性やその居る場所まで公になってしまった」

 トムはそのときのことを回想しながら順番に説明していく。

「その結果、それまで君達の事を好ましく思っていてもそれを表すことが出来ずにいたファンが、君達の居場所を突き止めた事で一気に殺到したと考えられる」

そこでトムは一息ついて、二人が頷くのを確認してから更に続けた。

「その結果、先週のドッグスの大変な忙しさに繋がったわけだが、それについてはある程度想定の範囲だった」

「えっ、トムさんはそれを想定できていたのですか?」

「当然想定していたよ。だからこそ営業時間も短縮して、休日も拡大することで君達の負担を軽減してきたんだよ」

 確かにトムの言うとおり通常の営業時間や休日をそのままにしていたら、全員が寝込んでしまうほどハードなものになっていたに違いない。

 インタビューが放送される前に予め営業時間を午後五時までとし、休日も月・火の週休二日に設定していたのである。元より臨時的な処置ではあるが。

「もちろん美由紀さんや、それ以外の二人の先生方の応援があってのことだけどね」

 トムもキャサリンもナンシーもジェニファーもアリスも、その時のことを思い返していた。只一人ベッキーだけは、その実感がなく漠然と話を聞いている。


 そう、それは一週間前だった。

トムとキャサリン、ナンシー、ジェニファー、アリスによる『お客様殺到対応対策会議』を済ませた後の最初の営業日は、予想通り大変な数のお客様が殺到した。

 お客様だけではなく、幾つかのテレビ局や雑誌社や新聞社からの取材もあった。

取材については事前に『臨時広報部長』ということで、ジェニファーとアリスを任命していたので事なきを得た。

しかし『対応対策会議』で万全を尽くしていたにもかかわらず、結局各自がパニックになるほどの大変な期間を過ごす事になったのである。

 それでも事前に十分な対策を立てていたことや、美由紀やその他二人の先生方の応援や、トムが営業時間と休日を早めに調整していたことで各自の負担を軽減することができた。

一時はパニックになりながらも今日の休日に寝込むことなく、ウィンドーショッピングや街をブラブラしてみようかという活力に繋がったといえるだろう。

「キャサリンもナンシーも今や神戸の有名人になってしまった。だからその行動は全て、衆目に晒されているものと思っていいだろう。それが結果として、携帯カメラ撮影で追いかけられることになってしまったといえる」

「えっ、私達が有名人なんですか?」

 二人共、今日は単に携帯カメラで追いかけまわされたという不快で気懸りで憂鬱な思いをしただけで、まだ自分達が有名人という自覚はないのだった。

「もうそれは避けられない事実として、それなら逆に『世界平和のPR』について発信する事に活用すればどうだろうか?」

「でもトムさん……言っていることは分るのですが、私達二人だけでは何か怖くて不安なんです」

「それは俺も分っているよ。美由紀さんや先生方にも、いつまでも応援をお願いする訳にもいかないしね」

 トムは今までの思考を反復するかのように一息ついた。

「そこでだが、君達二人の負担を軽減する為にもトムズキャットの次のメンバーである003、004、005を先日来苦情のきているハローワークを通して募集をしようと思うんだ」

「えっ、003に004や005もですか?」

 キャサリンは一挙に三名のメンバーを募集するというトムの提案に驚いている。

「今の忙しさから考えれば、三名位のメンバー増員は必要だろう……休み交代も考えておかなければならないし。何よりもお店の仕事以外に『トムズキャット』として『世界平和PR大使』としての任務も、別途遂行してもらわなければならないからね」

今後も『世界平和PR大使』としてのオファーがあるのかどうかは不明だが、もしあればトムのいうとおりである。

「それにメンバーが五人になれば、君達二人への精神的な負担も少しは軽減できるんじゃないかな」

 トムはメンバーを増やすことで、二人に掛る重圧を分担させようと思っていた。

「そこで早速だが、今回もキャサリンとナンシーでその募集と面接をして採用までしてくれるかな?」

「えっ、又私達二人だけでするのですか?」

「当然、君達の仲間となるメンバーなんだから、君達に決めてもらいたいんだよ。もし希望するならジェニファーもアリスも立ち会っても良いよ。二人にとっても一応仲間になることだし良い経験にもなると思うから……但しあくまでもオブザーバーというポジションでだけどね」

「トムさん、私もオブザーバーとして立ち会ってもいいですか?」

 今まで黙って聞いていたベッキーが突然話に参加した。

「私もトムズキャットエージェントの総監督として、今後エージェントを募集するときの参考にしたいんです」

 ベッキーも総監督という立場の自覚から、すでに何らかの将来像を模索しているようだ。メンバーがベッキー一人だけいう今日誕生したばかりのエージェント組織なのに。

「そうだなあ。エージェントの事はまだ具体的には考えていなかったけど、その準備という事ではベッキーもオブザーバーとしてならいいだろう」

 トムもそう言って同意する。

「で? 具体的にはどうするのですか?」

 キャサリンは次のステップに早く進みたいのだろう。

「今、俺が君達の事を考えて臨時ではあるけれど月・火と連休にしているので、明日の火曜日に003、004、005の募集をしにハローワークへ行ってくれ」

「でも募集してもすぐには応募はありませんよ」

 キャサリンは、ナンシーを募集したときのイメージが、まだ残っているのかトムにそう指摘した。

「直ぐには無いかも知れないけど、一週間以内には何らかの反応はあるだろう。後一週間位は美由紀さんや先生方も応援してくれるから人員的には心配ないし、それにその頃にはある程度客数も落ち着いてくるはずだから」

 トムも頭の中では、念入りにシュミレーションをしているのである。

「だから来週の月・火で面接して決めても何とか間に合うんじゃないか?」

「まあ、そのように計算通りに行けばいいんですけど」

 キャサリンは素直な良い娘のナンシーに比べると、かなり疑り深い性格だ。

「あのう……私、結構有給休暇を貯めていて一週間位なら休みを取れるので、その前後に応援に入ってもいいんですが……そうすればキャサリンさんやナンシーさんやジェニファーさんやアリスさんとも、少しの間交流できるんじゃないかと思うんですけど」

 あの気の強いベッキーが、そんな殊勝な事を言い出した。

「えっ、ベッキー……大丈夫かい? 熱でもあるんじゃないのか?」

 トムは驚きのあまり、ついそう聞き返す。

「何よ、トムさん。その言い方は? 私だってトムズキャットエージェントの総監督として、トムズキャットを支えなきゃって思っているのよ」

「そうよ、トムさん。そんな言い方って、ベッキーさんに対して失礼じゃないですか」

 キャサリンもそう言って、ベッキーの肩を持った。

 気がつけばトム一人に対して女子五人というトムにとって非常に不利な構図に、いつの間にか追いつめられていた。

 トムはキャサリンとベッキーは共に気の強い性格なので、お互いに反目しあうのではないかと危惧していたのだが、まさか二人で共闘してトムに対抗してくるとは思わなかったのである。

先ほど二人が反発し合わなかったことに感謝したのを、早くも後悔しはじめた。

「いや、ベッキーが手伝ってくれることに対しては何も言う事はないんだけど。まさか思いもよらない事だったので」

 トムはタジタジとなって言い訳をしている。

「私、トムズキャットエージェントっていっても単に自分の大切にしている職業を持っているっていうだけで、『世界平和を願う精神』という事ではトムズキャットの正式メンバーと同じだと思うんです」

 やや興奮気味にベッキーが熱弁する。

「だからエージェントにも正式メンバーと同じように『世界平和をPR』する機会が得られるようにしてほしいんです」

 まだベッキー以外にエージェントメンバーが存在しないにも関わらず、総監督という自覚からエージェントの地位を確保しようとしていた。

「だからその前に私もエージェントの総監督として、可能な限りトムズキャットを支えていこうと思っているんです」

「ベッキーさん、すご~い。私達以上にトムズキャットのことを考えてくれてありがとう」

 いつの間にかキャサリンとベッキーは、すっかり意気投合をしてしまっていた。

 トムはキャサリン一人でも少々手を焼いていたのに、これからはその二倍、いや二人のシナジー(相乗)効果で、三倍以上も苦労しそうな予感に襲われるのである。

「分かったよ……エージェントにも正式メンバーと変わりなくオファーを受けられるようなシステムを検討してみるよ」

 トムはベッキーの要望に応えながら、更に続ける。

「但し、エージェントにはまず自分の仕事を大切にしてもらいたいんだ。自分の仕事をおろそかにして『世界平和のPR』をしても全然説得力がないし、何よりも本末転倒だからな」

 続けてエージェントと正式メンバーとの役割の違いについても言及する。

「エージェントには、正式メンバーではできないような『世界平和のPR』をしてもらおうと思っているんだ。例えば自分の職業に関する事や、自分の住んでいる地域に関する事で活躍してもらいたいんだ。そういうのは正式メンバーではできないことだからな。そういう意味で、各種の職業や各地域を代表するエージェントを全国的に組織しようと考えているんだよ」

 まだ構想段階とはいえ、トムはトムなりに結構深く考えていた。

「分かったわ、トムさん……ところで私達エージェントにはコードナンバーは無いの?」

 トムの説明に頷きながらも、ベッキーは次の要求をしだした。

「ああ……エージェントのコードナンバーについては100から開始しようと思うんだ。だから第一号であり総監督でもあるベッキーはコードNO,100ということだ」

 ここまでみんなと一緒に聞いていたジェニファーが、何か意を決するかのように発言した。

「トムさん。私、もうすぐ大学を卒業して、就職してしまうんですけど……就職したら、私もエージェントにしていただけませんか?」

 ジェニファーは今までトムズキャットのメンバーになりたいという思いと、以前から憧れて漸く内定を勝ち取った女子アナという職業との間で葛藤していたのである。しかしこのエージェント構想を聞いて、それが解決した思いだった。

「えっ、ジェニファーがエージェントになりたいって? ベッキー、どうだい?」

「ええ、ジェニファーさんなら大歓迎よ。なんてったって女子アナがエージェントのメンバーになってくれるなんて最高じゃないですか」

「トムさん。私も卒業したらエージェントにしてください」

 アリスまでそういいだした。しかしトムは、少し考えてから諭すように言った。

「アリスの卒業は、まだ一年以上も先のことじゃないか。慌てて決めなくても卒業前にもう一度考えてからでも遅くはないよ……なんせトムズキャット自体、そのときにはどうなっているのかなんて誰にもわからないんだから」

 トムにしては珍しくネガティブな発言である。

 大きな夢を持ってポジティブシンキングしていたトムだが、ここ半年あまりの予想以上の成功で逆に不安になってもきていた。何でもそうだが、上り詰めてしまえば後は落ちるだけという不安である。

「ダメダメ、トムさん。弱気になっちゃ。そんなの全然トムさんらしくないんだから。トムさんの夢は、もっともっと大きなはずよ」

「そうだな……キャサリンのいうとおりだ。まだ夢の実現は始まったばっかりだからな」

 キャサリンに励まされ気を取り直したトムは、そう言って自身の弱気を反省するのだった。

「よし、ミーティングはここまでにして、約束通り昼食をご馳走しよう。キャサリン、何が食べたい?」

「トムさん、私うなぎが食べたい。ここ数年うなぎが高くなってしまって全然食べていないので、うなぎの味を忘れてしまいそうなの……だから、オ・ネ・ガ・イ・ネ」

 キャサリンは滝川クリステルの「オ・モ・テ・ナ・シ」の仕草を真似していた。

「うなぎか……しょうがない、約束だからな。よし、うなぎ専門の『梅葉亭』という高級店があるからそこに行こう。まあランチのうな重ならなんとかなるだろう」

「わ~い、トムさんありがとう。だからトムさんって、だ~い好き」

 好きになったり嫌いになったり、本当に忙しいキャサリンだった。

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