第五章 バンドしようよ! 4
今年の冬は暖冬で、十二月に入っても例年よりもずっと暖かくてコートもマフラーも必要がなかった。そもそも、埼玉県の冬なんてただ寒いだけで雪は降らないし風もないので、東北各地に比べてずっとずっと過ごしやすい。
それでも朝だけは寒いからだんだんとコートやマフラーをつけている人も増えてきて、冬も冬らしくなってきた。もっとも、紙一重のみー君だけはコートもマフラーも手袋もなしで時々半袖短パンで走り回っていたりもしたのだが。
その頃には、どの楽器を使っても悪魔的な音をたてることしたできなかった神崎隆太も楽譜に合わせて演奏できるようになっていた。
「成功は、一%の才能と九十九%の努力なんだよ」
ドラムステックを両手に掲げて得意げに言った神崎隆太。名言だ。
期末テストを過ぎてみー君が赤点を三つも取って補習をして追試を受けて、クリスマスコンサートがやってくる。
体育祭や文化祭ほど派手ではないし一般開放もないけれど、生徒会主催だから文化祭や体育祭よりもずっと自由で楽しめる。
生徒会の先輩たちは、それぞれサンタだとかトナカイだとかのコスプレをしていて、校長先生すら頭の緑と赤の煌びやかな円錐の帽子をつけている。普段は散々、制服を着ろ姿勢を正せ踵を踏むなとうるさいくせに。
勿論その浮かれっぷりは私達一般生徒に伝染をするわけで、校内全体が浮かれたような気分になる。
出店なんて調理部とかお菓子研究会くらいしかやらないと思っていたのに、科学部がフラスコと試験官でジュースを作成していたり手芸部がサンタやトナカイのぬいぐるみを販売していたりと、明らかに去年よりも華やいだ雰囲気を醸し出している。などと思っていたら、例の如く行く先々で渋谷道彦が声をかけてかけられていて、もしかしてこれもみー君が一つ絡んでいるのじゃないかと訝しる。
「みー君、今日体育館でやるんでしょー?」
「見に行ってやるから頑張れよー」
おーう、なんて四方八方に手を振りまくるみー君。アイドルかっつーの。
基本的に登校下校は制服でしなくちゃいけないし、着替える人は学校で着替えなくてはいけないんだけれど、みー君は家から学校まで自転車で三十分の道のりをノリノリのサンタクロースの服装でやってきた。そしてその背中にあるものはいつもの茶色のリュックではなく白くて大きな袋。何が入っているのかと覗いてみると、赤青黄ピンクの描く4色で胸の所に「OH2KI」って書いてある。
「なにこれ。このTシャツどうしたの?」
「ゆうちゃんが作った。うちに、前に母さんが通販で買った“家庭でできる簡単Tシャツプリント”の機械があったんだけど、一回も使わないで押入れの奥に入ってたんだ。片付けしてたら出てきたから、暇つぶしだってゆうちゃんが作ってくれた」
ほらっ、と大きくそれを広げるみー君。なるほど、すごいよくできてる。
「これ着てバンドやる。色はもう決めてるんだ。俺が赤で神ちゃんは青。あいちゃんが黄色で綾パンがピンク」
「いいけど、でもちょっと寒くない?」
「大丈夫じゃない? 実際、体育館の中って結構熱気溢れて暑くなると思うよ」
なるほど。なんてことを言ってる間に、みー君はその場でサンタクロースの上着を脱ぎ捨て着替えだした。周りを行く人たちはみー君のことをなんだなんだと見ているのだが、残念ながら私たちはすでにみー君の奇行に慣れ切ってしまっていたのでここで全裸になるくらいなら怒らない。いや、全裸は流石に怒るかな。パンツ一丁になって腹踊りをするくらいなら驚かないのだ。
大きく「OH2KI」と書かれた赤いTシャツを着たみー君は、「どうだ!」というようにして腰に手をあて、胸を張った。
私たちが気にしていなくとも校舎から体育館での渡り廊下でこんなことをしていると流石に目立ってしまうようだ。赤いTシャツを羽織ったみー君が「うっふん」とグラビアポーズを取った瞬間、五味くんに頭を叩かれる。
「おい、道彦。お前、こんなところで何してるんだよ!着替えるなら、教室なり更衣室なり行け!」
なんて言う五味くんの顔はとても厳しくて険しいのに、今彼がしている恰好がそれを柔和にして仕方がない。頬っぺたは赤いし、鼻にはさくらんぼみたいな丸くて赤い玉をつけている。そして角。五味くんの黒い髪の毛から茶色い二本の角が主張している。しかも、顔はペイントがしてあるのに首から下は規定通りの制服なので、まったくもってミスマッチ。正直どう反応をしたらいいのかわからない。
みんながポカンとしている中で、頭にたんこぶを作ったみー君だけが五味くんを指して大笑いしている。
「なにそれ!? トナカイ!? なんでそんな恰好してるの!?」
「笑うなよ! 仕方ないだろ、役員の決まりなんだから!」
「つか、トナカイ! トナカイとかいって! ぷぷーっ!!」
「黙れ!」
遠慮など一切なしに腹を抱えて大笑いをするみー君を殴って叱りつける、五味くん。
それから落ち着きを取り戻すように頭を振り、私達に向き直る。五味君の足もとには、「サーティーワン」のアイスみたいにたんこぶを2段重ねにしたみー君が転がっているのだけれど、あえて視線を逸らしているのだろう。
「体育館、十時から始まるの知ってる?」
「知ってるよ」
「高崎さんたちは八番目だから、早めに入っておいてね」
じゃあね、といって去っていく五味くんの周りをたくさんの人が行き来していて、いつも通りの制服の人だとかサンタのコスプレをしたひとだとかその他たくさん。そしてその中に頭の悪い恰好をした吉住健を発見し、私は思わず顔を顰める。向こうもこちらに気が付いたらしく瞳孔を開いて見つめている。私は腹が立ったので思わずべーっと舌を出した。
ところで、みー君が調理部の出店でチョコバナナを買っていたので私も購入をしたのだけれど、そこにいたのがなんと吉住の元彼女のヨーコちゃん。眉毛はやっぱり薄いけれど、前に私を襲ったときよりもずっと綺麗に生えそろい、肌だって人間の色に近くなっている。目の周りも黒くないし、睫も短くて少ない。化粧が厚いことには変わりはないけれど、前よりもずっと人間らしく可愛くなってる。ああ、そうか。吉住が別れたとかいってたっけ。
ヨーコちゃんも、私が「チョコバナナくださいー」って言ったときに私のことに気が付いたらしく、なんとも気まずそうな表情を作っていた。
その話はそこで終わりだ。
私はおそらく、もう二度とヨーコちゃんと話すことはないだろう。
ピンクのTシャツを着込んだ綾香が呼んでいる。「そろそろ入ろうー」周りの人たちが吸い込まれるように体育館に入っていく中で、携帯電話を右手に抱えたみー君だけは何やら不穏な動きをしているのだが誰も気にしていない。
成長をするということは、いいことよりも悪いことの方が遥かに多くて辛いことも苦しいこともたくさんある。知りたくない真実を知る時もあるし、失ってはいけない元を失い手に入れてはいけないものを手に入れてしまうこともある。
私達は本質的にそれを知っていて本当はとても臆病だから、一歩踏み出すことをひどく恐れて躊躇する。それでも私達には、蛇のように纏わりつく恐怖だとか不安だとかを振り切ってまでも進まなければいけない時がやってくる。
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