第五章 バントしようよ! 2
私がそうして奮闘をしている間にも他の三人は細々と動いていて、なにより肝心なのは神ちゃんの練習。
不平等な神様から端正な顔と伸びた手足と類まれな優れた知能を貰った神崎隆太は、類まれな音楽のセンスを持ち合わせていた。その低い声が奏でる声はどれ一つとして音程を交わることはなく、笛を吹いてもギターを弾いてもなぜか一テンポ遅れていたし、その音は人間が奏でるようなものではなかった。「アマリリス」を演奏しているはずなのに、笛から飛び出るその音はまるでヘビーメタルのようだった。「ドラえもん」でいう「ジャイアン」みたいだ。天才的な音痴。神ちゃんにはまず、一般的な音楽の技術を教えるところから始まった。
対する綾香はなかなか音楽の才能に優れた人間で、ピアノも弾けたし歌唱力もなかなかだった。みー君は元々器用でその歌唱力についてはいつぞやカラオケに行ったときに証明をされていたので、この二人に関しては特に何の問題もない。
あまりの神ちゃんの音痴っぷりに四人で何度も会議を開き、「ドラムだったら神ちゃんでもできないこともないんじゃないか」という結果に落ち着いた。全国のドラマーにとってはとても失礼な話だか、笛を吹けば呪音になりピアノを弾けば断末魔の叫びに聞こえてしまう神ちゃんにはそれしか残されていないのだ。
本人もそれを自覚していて、今現在は綾香に楽譜の読み方、みー君からかっこいいドラムの叩きからとパフォーマンスを教わっている。
私はなんでもよかったのだけれど、お父さんが少しギターをやっていて、それを通じていくらか経験があることからいつの間にかギター担当になっていた。経験といっても弦がわかるとかちょっと弾けるとかそういうことだけなんだけれど、神ちゃんのように何の経験もないやつがやるよりましだろうとそう言われた。確かに。
「ボーカルをやる!」と意気込んでいたみー君がなぜかタンバリン片手に登校をしてきた。「タンバリン片手に歌を歌いたい」らしい。さすがみー君。私とは考えることやることが一味も二味も違っている。
さて、私は考える。
自分の感じたこと・考えたこと・思ったことを「創作」という形に表現をして人に伝わる形にするためには、それなりのセンスだとかテーマ性が必要なことは知っている。愛とか恋とか友情とかは正直ありきたりすぎている。平和だとか戦争だとかは、正直、平和な世の中に生まれてしまった女子高生には遠い世界の話である。
『身近なところでいいんじゃないの?』
身近なところ。
身近といっても、最近起こった身近な出来事といえば、神ちゃんが誘拐されたり四人で海に行って帰りに雷にビビらされたりみー君が担任の大槻先生に制服の着方で職員室に呼び出されたりとかそれくらいだ。
そんなどうってことのないことを書けといわれても、どうしたらいいのかわからない。
沢山の言葉を紙に書いて、それを破って丸めて捨てる。一階ではお母さんが風呂に入れとうるさいし、お父さんも神ちゃん誘拐事件のときの脱走以来、私の行動にはかなり警戒をしているらしい。馬鹿だな。私ひとりじゃ、そんなの頼まれたってやらないもの。
ごみ箱がたくさんになったことを確認して、私は少し寝ることにする。人間は行動をするためには、程よい栄養と休息が必要なのだ。
ベッドの脇に置いてあるうさちゃんのクッションを手に取り、私は目を閉じる。 私は夢を見る。
出会いというのは、偶然に見せかけた運命であり、人と人との縁があやとりのあやよりも絶妙に絡み合ってできている。全くの他人であった父と母が私の知らない場所で出会い、運よく恋に落ちてそれをうまく成就させ、結婚まで行き着いてなければ私はこの場所にいないのだ。
綾香とだって今でこそこんなに仲良くなっているけれど、中学校のときたまたま席が前後になってあのときたまたま綾香が鞄の中身をぶちまけなければ、一生他人のままだったのだ。神ちゃんにいたっては、あの日あの時みー君が興味本位で「登校拒否の神崎くんを見に行こう」なんて失礼な行動を起こさなければ、それこそ名前を覚えることもなかったのだ。
そんなみー君と私にも、一応出会った日だとか時間だとかが存在をする。そんな十二年も前のことなんてとうの昔に忘れてしまったはずなのに、私の優秀な脳細胞は記憶の奥の奥底の方できちんと覚えていたらしく、まるで3D映画のように鮮明にその映像を映し出した。
小さい頃の私は、今よりずっと頑固で強情で我儘だった。お父さんとお母さんは二つ下の妹がかわいくて掛かり切りだったから、自分の方を見てくれない周囲にやきもきしていた。だから、その分のイライラだとかモヤモヤだとかを周りの友達に当たり散らして、その分友達を減らしていった。幼いながらも、自分が友達とうまくやっていないのはなんとなく気づいていたから勿論幼稚園だって行きたくなかった。
嫌だ嫌だと泣き喚く私を無理やり抱きかかえて幼稚園につれていこうとしたお母さんの腕を振りきって走って逃げた。そのまま逃げて逃げて逃げまくって、公園の土管に隠れた。外からぎしりぎしりと足音が聞こえるたびに息を潜めて、体を縮めた。しょっぱい涙がぼろぼろ零れて、四歳の私の頬を濡らしていった。どれくらいそのままでいたのかわからない。足音も人の声もまったく聞こえなくなった頃に、二つの目玉が私の土管を覗き込んできた。私は驚く。私と同じ、緑のスモッグと黄色い帽子、黄色い鞄を身に着けた同じ年の男の子。
その子は屈んで土管を覗き込んだままきょとんと首を傾げると、とても不思議そうな顔でこう言った。
「なにしてるのぉ?」
今考えると、ひどく間延びした声だとそう思う。幼児なのだから間延びをしていて当然なのかもしれないが、同じ年の他の子に比べて明らかに間延びをしていたし年齢の分舌足らずだった。
「かくれてるの」
「なんでかくれてるのぉ?」
「おかあさんがわたしのことつかまえにくるの。すごくいやなの」
「へぇ」
「あなたはなにしてるの?」
「あそんでるの」
「ママはどうしたの?」
「おかあさん、あっちでみいちゃんのおばちゃんとおはなししてる。つまんないから、あそんでるの」
あっち、とその子が指差した先には誰もいない。幼稚園はとうの昔に始まっているはずだから、恐らくこの子のお母さんも必死で探しているのだろう。
けれど、たった四歳の子供だった私達には大人の苦労なんか関係ない。
その子は、土管の中に潜り込んで私の隣に座り込むと、
「ぼくね、みーくんていうの」
「みーくん」
「うん。なまえ、なんていうの」
私は涙を拭い、もじもじとスカートの裾を握ってこう答えた。
「たかさきあい」
「あいちゃん」
「うん」
「あいちゃん、いまなにもしてないの」
「かくれてるの」
「かくれんぼ? じゃあ、いっしょにあそぼうよ。ぼく、たんぽぽがたくさんあるとこしってるよ」
みー君はそういって私の腕を手に取ると、半ば無理やり土管の中から私のことを引きずり出した。
私はみー君につられるままに歩いて歩いて歩き続けて、幼稚園の裏にある小高い丘に連れて行かれた。これはまだ覚えている。中学校に入る頃に潰されて、今は駐車場になってしまった場所。
お母さん達が探しにくるまで遊んでいて、見つかってすごく怒られた。「なんで勝手に行動したの」とか「一人でいっちゃダメでしょう」とかいうお母さんはすごく怖かったのだけれど、幼稚園に行くことはもう嫌ではなくなった。
そこで私の夢は終わる。
目を開けた私は幼稚園の緑のスモッグも黄色の帽子も着けていなくて、紺のパーカーとジーンズ姿の十七歳の私。なぜかくらくらとする頭を押さえながら、思う。
これがすべての元凶だ。このとき、もし私が幼稚園を嫌がって逃げだして土管の中に隠れてなどいなければ、みー君に見つかることなんてないだろうし、丘などに連れて行かれることもなかっただろう。そしてお母さんに見つかって二重の意味で怒られることもなかっただろう。そして、うっかり仲良くなって本来触れるはずのないはずの面倒なことに巻き込まれることもなかっただろう。神ちゃんの誘拐事件に関わって命が危険にさらされるなんてこと間違ってもなかっただろうし、十年間ももやもやとした感情に包まれることもなかったのだ。
なんでこんな夢を見たのだろう。昔の夢なんて、とうの昔に忘れていたはずなのに。
無性に喉が渇いている。水を飲もうと下に降りると、お風呂から上がったお母さんが「あんたが最後よ。冷めないうちに早くお風呂に入りなさい」と言ってきた。少しぬるめのお風呂に入り、私はまた、机に向かって考える。机の端に置いてある鉛筆立てからシャーペンを一本取り出して、ノートを開いた。
お風呂は冷めないうちに入らなければいけないし、ラーメンは麺が伸びないうちに食べなければいけない。
創作だって、思いついたときに書かなければすぐに忘れてしまうのだ。
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