第五章 バンドしようよ!

第五章 バンドしようよ! 1

 そういうわけで満を持して「渋谷道彦バンド」に入会をしたのだけれど、問題は沢山あった。

 とりあえずまず、「渋谷道彦バンド」という名前がダサすぎる。四人で相談をした結果、担任である「大槻先生」の名を借りて「OH2KI」でいいんじゃないかという結果に落ち着いた。「渋谷道彦バンド」と大して変わらないんじゃないかという意見も約一名からあったのだけれど、ここは担任の先生への敬意を祓いそれでいいんじゃないかという話になった。

 そして曲が決まっていない。「綾香が見ていたカーペンターズはなんだったのか」と問いかけると「ただ、楽器の練習用としてみていただけ」という話。そういえば、時々みー君がハーモニカで「トップ・オブ・ザ・ワールド」を吹いていた気がするけどあれは練習だったのか。

「え、じゃあ何の曲やるかまだ決めてないの?」

「うん」

「どうするの。早いところは、もう練習始めてるよ」

「あいちゃん作ってよ」

「は?」

「あいちゃんが作った曲を演奏しよう。それがいいよ」

 ね、なんて顔を見合わせて頷く三人。そんないい笑顔で言われても、私そんなのしたことないよ。

「愛ちゃん、中学のとき、音楽で曲を作る授業で褒められてたじゃん。愛ちゃんならできるよ」

 なんていう綾香の笑顔はとってもかわいいんだけれど、いかんせん内容がよろしくない。だってそれは授業でしょ? やらなくちゃいけないから適当に作って提出しただけだよ?

「歌詞はどうするのよ」

「愛ちゃん、僕たちの中で国語の成績一番いいんだよ。前に詩を作る授業でも褒められたし。愛ちゃんが作るのがベストだよ」

 確かに神ちゃんの頭はいいけど、その分どうしても音感だとか芸術的感受性だとか鈍くて「創作をする」ことが苦手らしく、絵を書いたり歌を歌ったりする作業は散々だ。対するみー君は絵を書いたり歌を歌ったりすることが好きで手先も器用だったりするけど、「宇宙人がブラックホールに吸い込まれている」ようなシュールな絵だったりみー君が創作したキャラクター「環境戦隊エコレンジャーのテーマ」だとか、正直センスが悪いのだ。綾香は綾香で、変にセンスが偏っていたりするので人前に晒せるようなものではない。

 この三人に比べたら私の音楽的センスだとか芸術的感性だとかはおそらくまだまだまともな方で人前に出せるものを作れる可能性も高いのかもしれないけれど、正直そんな自信がない。

 そんなの無理だと私がいうと、綾香が私の腕に引っ付いた。

「愛ちゃん、曲っていうのは頭で考えるものじゃないんだって。感じたものをそのまま現すものなんだって」

 そんなこというなら、綾香が書いてよー。なんて私が言うと、「無理だよー。私そんな才能ないもんー」きゃー、なんて言いながら逃げ惑う。全く綾香ってば、自分ではできないくせに口ばっかり達者なんだから。

 それがお世辞だったり煽てだったりそうしても決して悪い気持ちはしなくって、「愛ちゃんしかいないよ」とか「愛ちゃんにしかできないよ」とか言われるうちに、だんだんその気になってきて「いっちょやってみっか」という気になってくる。

 でも、私の歌詞レベルなんてせいぜい国語の授業レベルだし、曲のレベルに関しては道の端に這いつくばっているミミズに等しい。参考として、机の上に積んであるCDの歌詞カードを覗いてみるのだけれど、レベルが違い過ぎてどうしたらいいのかわからない。

 なんてぼやくと、

「そんな特別に考えなくてもいいんじゃないの?愛ちゃんの思ったこととか感じたこととか、そういうのを書いてみればいいよ」

 なるほど。

 神ちゃんは作れないくせに、そういうことはよく言える。

 そしたらみー君が後ろの方で

「考えるなー! 感じろー!」

 とかポーズをつけて叫んでいる。アホか。

 思ったこと。感じたこと。考えたこと。 

 それを書けというのは簡単だけれど、実際やるのはとてもとても難しい。手をひらひらと動かせば空を飛べるような気がするけど、実際飛んでみるとそのまま屋上から地面に叩きつけられるのと同じことだ。

 何行かぼさっと書いてみたりもしたけれど、どうしても「高校生の寒いポエム」から抜け出せなくてぐちゃぐちゃに丸めてそれを捨てる。

 そして私は改めて思う。

 曲作りに限らず、絵を書いたり歌を歌ったり物語を書いたりすることは難しい。物を作ること=創作をすることは、そのまま「自己表現の世界」に直結をする。裏を返せば、「曲」「絵」「物語自体」が、作者そのものを現しているといえるだろう。名は体を表すとはよくいったもの。ふんわりと柔らかな春の風のような曲を作る人は穏やかで優しい人だろうし、心に打ちつけるような激しいタッチで絵を書く人は、恐らく真夏の太陽のような熱い情熱を持った人なのだろう。作り手の性格だとか性質だとかがそのまま表現されるのだ、創作というものは。

 ただし、創作というのは誰にでもきるものではない。

 自分自身を表現するためにはそれなりの才能がいるし、努力だっている。世界に名だたるベートーベンだって最初からあれほどの天才だったわけではない世界に戒める天才といわれるまでに、生まれ持った才能だとか経験だとか環境だとか努力だとかそういったものが沢山関係しているのだ。それ相当のセンスが必要なんだ。神から与えられた才能だとかが必要なのだ。物を作り出すためには、自分の中にある命だとか心だとか魂だとかを切り取らなければいけないのだ。

 神崎隆太は神に愛された特別な人間であろうといえた。私達の常識を大きく卓越した知識と知能は、まさに天から授かったというべきものだ。

 

 みー君についてはよくわからない。彼もまた、私達一般人の常識を凌駕して脱線をして、それどころか転げ落ちて宇宙まで飛んで行ってしまっているような奴だけれど、神さまに愛されているどころか、神様さえも呆れて見放した結果こんな感じになったのではないかと思う。

 天才と馬鹿は紙一重というけれど、未だにみー君がなんなのかわからない。


 私は神様に愛されていないしだからといって見放されたわけでもないと思うけれど、そんな特別な才能なんてなにもない。人の誇れるものなど持っていないただの人だ。

 

 けれど私はやってみる。私は、自分の意地だとかプライドだとかをかけて、守るために頑張らねばいけないのだ。 

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