第五章 バンドしようよ! 3

 綾香による神ちゃんの教育はどうやらうまくいっているらしい。

 最初のうちはどう叩いても断末魔の鶏のような音しかでなかったドラムが、ようやく聞くに耐えれる音を出し始めたころに私の歌詞が出来上がる。

 自分の作ったものを人に見てもらうとか正直初めての体験で、どういう反応が返ってくるのか不安だったしそして楽しみでもあった。

 まさか大丈夫だとは思わなかったし、ど素人の高校生が作ったものだ。みんな優しいから罵詈雑言を言われたりはしないだろうけど、苦笑失笑を浴びて黒歴史にお蔵入りするのが常だろうと思っていた。

 けれど、私の作った素敵なポエムは、意外や意外、みんなにあっさりと受け入れられて、「これでいいじゃん」という話になった。私は驚く。私の作った恥ずかしいポエムの一体どこを気に入られたのかわからない。

「愛ちゃん、すごいね! やっぱり愛ちゃんはこういう才能があるんだよ!」

 綾香は大げさに私よりもずっとずっと派手に喜んだ。綾香はミーハーで気まぐれで結構ちょっとわがままだけど、こういう所が憎めない。さて、曲をつけようということになったのだが、それに関してはどうしたらいいのかわからない。四人であーだこーだと話あってみるのだが、所詮は素人の高校生。私達のセンスではどうにもこうにも上手くいかない。

 散々悩んで考えて、最終的に綾香が

「私、曲作れる人知ってるよ。お兄ちゃんのお友達のお父さんのお友達の奥さんなんだけど、音楽の先制してるの。ちょっと相談してみるね」

 といって、スマートフォンを取り出した。ピンク色で、ラメだとかプリクラだとかがたくさんついてキラキラと煌びやかに光っている重たそうなスマホ。

 その人って大人のプロのひと? お兄ちゃんのお友達のお父さんのお友達の奥さんて他人じゃない? そんな人に頼むとか、それってすごく失礼だし迷惑じゃないの?

「こんにちわー。あのあの、わたしのこと覚えてますかー? そうですー。芝原綾香ですー」

 ぺらぺらぺら。よくもまぁここまで口が回るものだと呆れ半分関心半分でぽかんと話を聞いていた。どれくらい話しただろうか、じっと待っていた神ちゃんがうつらうつらとし始めて、完全に飽きたみー君が教室を飛び出して校庭に遊びにいったとき、ようやく綾香が電話を切る。

「先生と電話してね。今、丁度仕事が終わって暫く暇になるから、ちょっと相談に乗ってくれるって。今度の休みに、おうちにいってみるね」

 嬉しそうに楽しそうにニコニコという笑みを浮かべる、綾香。みー君ほどではなくても、綾香も充分顔が広いし実は色々伝手がある。

 曲ができるまでの間私が一体何をしていたのかというと、ギターの練習。お父さんが使っていた古いクラシックギターでは格好がつかない。さて、どうしようと思っていたら、例の音楽の先生の所に行って帰ってきた綾香が何とギターを持ってきた。昔お父さんが使っていたような古くてぼろくて大きいものではない。ピンク色で中心の部分がハート形に抜けている可愛いエレキギター。

「せんせのところから借りてきた。今はもう使ってないから、貸してくれるって」

 弦と弦の間に指を挟み、ぽろんぽろんと弾いてみる。可愛い。すごく綺麗な音が出る。こんな可愛くて綺麗なものを使わせてもらえるのは嬉しいけど、うちにある三十年ものの無駄に存在感のあるクラシックギターとは形もなにも違い過ぎる。練習しなくちゃ。

 音楽家の先生のもとへ行って帰ってきた私の曲は少しばかり修正が施され、素敵なメロディーがつけられていた。それを綾香が弾いてみる。問題も不満も何もない。ただ一人みー君だけが、

「あーあ。折角全部おれたちでやろうと思ったのに」

 なんて不満げにぼやいていたので言ってやる。

 無理なものは無理。いくら頑張ったって、実力以上のことはできないのだ。

 さて、今日は遅いからもう帰ろう。明日からまた頑張ろうといって解散しようとしたときに、にやけた綾香がこそこそと私の耳元で囁いた。


「愛ちゃん、恋してる?」


 ひみつ。


 

 初めのうちは全然合わなくて大変だった。

 ようやくまともに楽器を扱えるようになった神崎隆太は、音を合わせる段階で盛大に音を外しまくった。なんかやっても駄目なので、メトロノームに合わせるところから始まった。みー君は大笑いだし私は呆れ困ってしまったわけなのだけれど、綾香はずっとにこにこしていた。

「神ちゃんちょっと音痴すぎるよー。今まで生きてきた中でこんなに合わせられない人初めてだよー。お母さんのお腹の中にリズム感を置いてきちゃったんだよー。早く取りにいってこなくちゃー」

 綾香の話し方はちょっと間延びをしているし私よりもずっと背が低くて全体的に小柄なのだけれど、実は結構性格がきつくて文句でもなんでも思ったことはその場でずばっとそのままいう。

 例の如く、何の遠慮も躊躇もなく発せられた綾香の言葉に私はがちっと凍りつく。綾香はとても素直で素直すぎて、いいことも悪いことも全部本人に言ってしまうので、反感を買いやすくて実は結構敵も多い。今は大分落ち着いたけれど、中学の時は喧嘩を売られて因縁をつけられて大分大変な思いをしたのだ。

 中学のとき、綾香のことを校舎の裏に呼び出しをしたり妙な言いがかりをつけていた女の子達と神ちゃんは違うけれど、神ちゃんだって人間だ。なんたって、つい数か月前まで登校拒否をしていたようなやつなんだ。

 神ちゃんをあの豪邸から連れ出したみー君は、すでに飽きてピアノを弾いて遊んでいる。神ちゃんは基本無表情でみー君や綾香のようにわかりやすい変化は起こさないけれど、ちゃんと感情があるから地味に傷ついたり喜んだり怒ったりと表情を変化させている。クールなのではない。ただ単に不器用すぎて顔の筋肉が気持ちの変化についていかないだけなのだ。

 わたしは、はらはらとした気分で向かい合って座っている神ちゃんと綾香のことを見つめるのだけれど、どうやらただの杞憂だったらしい。

 ぷっ、と軽く拭き出すと、

「そうだね。置いてきちゃったのかもしれない。取ってきたほうがいいかな」

「取ってこれるならそうしたほうがいいけど、今からじゃちょっと遅すぎるよー。お母さんも、そんなのとっくも昔に捨てちゃったし覚えてないよー」

「あはは」

 なんてことだ。

 神ちゃんは、綾香の皮肉ともいえるような言葉をいとも簡単に笑い話に代えてしまったのだ。私がぽかんとしている間に、二人は「じゃあ、忘れたのを取りに行く代わりに練習しようか」「そうだね」なんて仲睦まじくドラムスティックを握っている。

 私がひとりでぽかんとしていることを尻目に、みー君はぽろんぽろんと「ねこふんじゃった」を弾いていた。

 そんなことをしているうちに夜も早くなり、冬になる。綾香の英才教育を受け、ジャイアンよりもひどかった神ちゃんの音感も徐々に一般人の感覚に近くなる。

「愛ちゃん、作詞の才能あるね。作詞家になったらいいんじゃない?」

 最初にそんなことを言い出したのはやっぱり綾香。綾香はすでに楽譜を見なくてもキーボードが弾けるようになっていて、ぽんぽんぽんぽん狸のお腹を叩くみたいにして鍵盤を弾いている。

「無理だよ。だって私才能ないもん」

「嘘だよー。絶対あるってー。絶対になったほうがいいってー」

 ほんと、ほんとのほんとだよー。なんていう綾香は年齢よりもずっと幼く見えた。

「いいな、いいなー。才能のあるひとは。私なんてなにもないもん。神ちゃん、神ちゃんは将来会社を継ぐんでしょ?」

 神ちゃんは、それまでどんどんどんとドラムに叩きつけていた手を止めて、綾香を見やった。それからゆっくり首を振って、答える。

「継がないよ」

 それに過剰に反応したのはやっぱり綾香。

「えーっ! ウソォー! なんで継がないのー!?」

 校内中に響き渡るくらいに大声で叫んだ綾香ほどではないけれど、私も充分驚いた。だって、かの有名な電気機器メーカーKANZAKIの息子なのだ。盗聴器だとか発信機だとかを作っちゃうような素晴らしい才能を天から授かった人間なのだ。

「ホントに継がないの?」

「継がないよ」

「どうして? 神ちゃんが社長になったら、きっとすごい会社ができると思うよ」

 これは綾香。

 神ちゃんは両手に持っていたドラムスティックを置くと、

「継ぐ気がないんだ。会社の経営とか興味がないし。それに、僕があの会社を継いだとしても、うまくやっていけると思えない」

 私は少し考える。社長として会社を経営し、社員を動かす神崎隆太。神ちゃんは確かに頭がよくて科学者としての才能があるのだろうけれど、人に指示をしたり集めたり動かしたりするのは少々難がある気がする。性格もおだやかで顔もいいし嫌われたり笑われたりすることはないと思うけれど、それだけで社長は務まらない。そういったことはやる気と努力でどうにかなることなのだろうけれど、本当にやる気がなければできることもできないのだ。本人が本気でやろう変えようと思わない限り、人間の本質だとか根本にある性質はそう簡単に変わらないのだ。

「想像できる? 僕が、経営してるところ?」

 できない。それだったら、どこかの研究所に籠ってメカを弄っている方がしっくりくる。

「じゃあ、会社はどうするの?他の人が継ぐの?」

「会社のひと、か、あとは兄さん」

「兄さん?」

「そう。言ってなかったっけ。腹違いの兄さんがいるんだ」

 そんな話聞いていない。神ちゃん自体、お父さんが不倫して生まれた子供じゃなかったっけ? とか思うのだけれど、複雑な話になりそうなのでその話題はそこで切る。

「じゃあ、神ちゃんは将来どうするの?」

 これは綾香。頭の後ろに腕を組んだ神ちゃんはそのままうーん、と横に伸びて

「わからない。機械関係は好きだから、KANZAKIの開発部に入ってもいいかもしれない。芝原さんはどうするの?」

「私は、特にないなぁ。ちっちゃい子好きだから、保母さんとかいいかなぁって思うけど。思うだけ」

 綾香は結構移り気だから、今までも「ケーキ屋さん」「コックさん」「お巡りさん」とか、聊か現実性のない夢見がちな発言を多々してきた。夢見がちな反面、意外と現実的で建設的な面もあるから、しっかりわけているみたいだけれど。

「ねぇみー君。みー君は将来、一体何になりたいの?」

 そこで、話題はみー君に映る。私はすっかり忘れていたし気が付かなかった。先ほどから、みー君はたった一言もしゃべっていない。

 ぽろんぽろんとピアノで遊んでいたみー君は、綾香の不意を突いた発言にきょとりと視線を彷徨わせる。自分に質問が振られると思っていなかったのかピアノに夢中でまったく話を聞いていなかったのか。

 ぱちりと瞬きを繰り返し、いった。

「獣医」

「じゅうい?」

「そう、獣医。動物のお医者さん」

 お医者さん。まさかみー君からそのような言葉が出てくるとは思わなかった。みー君は瞬きを一つしてピアノを弾く指を再開させると、

「高校卒業したら獣医学部に入るんだ。それで、動物のお医者さんになる」

 なんていうみー君の横顔は、少しだけ笑っているみたいに見えるけどその実殆ど無表情で、何を考えているのかよくわからない。いつも爛々と光っている目玉はまるで薄らと氷を張っているようにも見えたし、私の知らない見たことのないずっとずっと遠くの風景を見ているようにも見えた。

 理由を聞くべきかこの話題を掘り下げるべきかそれともしらんぷりをするべきかと私が悩んでいるうちに、みー君のお腹が「ぐーっ」と大きな音を立てた。一瞬の沈黙と、その後の爆笑。

「やだー。みー君、すごい音―」

「怪獣が啼いたみたいな声がしたよ」

 綾香と神ちゃんに散々言われて、流石のみー君も少し恥ずかしかったらしい。今にも背中とくっついてしまいそうなお腹を押さえて、ぶー、と口を尖らせた。

「だっておれー、お腹空いたんだもんー」

「仕方がないなぁ、道彦は」

「もう、こんな時間だもんね。みんなでなにか食べていこうよ」

「はいはいっ! おれ、うどんとカレーが食べたいです!」

「カレーうどん食べればいいんじゃない?」

「ちっちっ。わかってないなぁ、神ちゃんは。カレーライスはカレーライス、カレーうどんはカレーうどんで食べてこそ意味があるんじゃないですかぁ」

「よく、わからないよ」

 さくさくと楽器を片付け荷物を持ち、さくさくと音楽室を出ていく3人。

 私はなぜかちょっと遅れて取り残されて、神ちゃんが迎えに来てくれる。

「あいちゃんもいくでしょ?」

 その言葉に、私は大急ぎで荷物を持って後に続く。

 あれを食べたいこれを食べたいとわいわいと話しながら冬の空の下を歩きつつ、私は思う。

 もしかして神ちゃんは何かを知っているのではないだろうか。

 足早にファミレスへ向かうみー君の後ろに続きながら、私は思う。口には出していないはずなのに、まっすぐ歩いていたはずの神ちゃんが唐突に足を止めて振り向いた。

「どうしたの?」

 こんなのんびりとした風貌を保っていても、最高の知能と知識を持つ神崎隆太は意外と敏感で鋭いから、私の言わんとしていることに気が付いているのかもしれない。そして、もしくは同じ疑問を持っているのかもしれない。

でもわたしには、その一言がなぜか私にやめておけと言っている気がして。

「なんでもない」

 と首を振った。

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