第二章 登校拒否の神崎くん 10

 無免許で埼玉県の田舎道を走らせる神崎隆太は、それでもちゃんと、恐らくみー君が運転するよりもはるかに安全に真夜中の道を走らせていた。夜の十二時なんてもう夜中も夜中で虫も獣も何もかも寝静まっていて、起きているとすれば精々蛇と蛍くらいだ。コンビニなんてこの辺りにはないし、車だって一台も走っていない。それどころか警察さえも寝ている時間なのだろうから、検問だってしているはずがないのだ。

 乗用車のミラーには、すごいスピードで迫りくる黒の軽ワゴンが映っている。神ちゃんは目の動きだけでそれを確認して、ちっ、と小さく舌打ちをして、ぎゅるんとギアを入れ替えた。ぐぎぎぎぎ、というエンジンが軋むような音は私の体を戦慄させる。

「ひぎぃぃぃぃぃっ!」

 それまで無理やり私と神ちゃんの間に居座っていたみー君はきょろきょろと様子を覗うと、座席と座席の間から頭を突っ込むようにして後ろの席に乗り込んだ。みー君の泥だらけの背中には、やたらと重量のある例のゴルフバッグが乗っかっている。

「神ちゃーん」

「なに」

「これ、天井開くかなー?」

「……どうかな」

 神ちゃんはちらちらサイドミラーとバッグミラーと周りの機能を確かめて、とあるスイッチをポチンと押した。ワンテンポ置いて、狭い天井がういぃぃぃぃんと開く。うお、すげー。天井の開く車なんて初めて見た。うちの車と大して変わらない自動車なのに、かけてある機能が違うんだ。

 みー君が例のゴルフバックから取り出したのは、体長一メートルは超えるんじゃないかというような大きさの銃。昼間、忍び込んだ神崎邸から持ち出したもの。元の持ち主曰く、

「ショットガンだよ。近距離で使用され、自衛隊とか狩猟用で、攻撃用に使われてるやつ」

「え……モデルガンでしょ?」

 私の言葉に曖昧に笑う、神ちゃん。ウソでしょう?

 みー君は狭い天井に大きく開いた窓から上半身を乗り出させると、ぐっ、と狙いを定めて迫りくるワゴンに引き金を引く。ぱしゅん、ぱしゅん! その小さくて細い銃口から出てきたものは銃弾なんていう野蛮なものではなく、赤いペンキ。無駄に器用な渋谷道彦は、エアーガンになるはずだったこのモデルガンを水鉄砲に改造したのだ。

 神ちゃんの運転をする乗用車がふらっと安定感を失って、左右に振れる。アクセルとクラッチを踏み間違えたのだ。

「うわっ!」

 ショットガンから飛び出たペンキが左右に振れて、まるで血液のように飛び散った。運転に慣れた成人男性がハンドルを握るワゴンが鬼気迫る勢いで近寄ってくる。みー君は憎々しげに唇をかむと、

「あいちゃん、援護して!」

「ひうっ!」

「いいから! 大丈夫だから! あいちゃんはこっちの大きい方持って……そう! それで、車のフロント狙って……そう!」

 そうって言われても、モデルガンなんて持ったの、こないだ神崎邸で水鉄砲遊びをしたのが初めてだよ。それでいいよって言われても、どれがいいのか全然ちっともわからない。神ちゃんの運転をする車はぐんぐんと前進しながら左右に揺れるし、車の上を私に任せたみー君は一度ぐいっと潜ってしまうし、言われたとおりに打っても赤いペンキは風に吹かれてこちらに戻ってくるだけだ。そうしている間にもワゴン車はどんどん接近してきて、松田さんはガラスから半分顔を出して拳銃を握っている。え? あれ本物? とか思っている隙に、松田さんの太い指は缶ジュースの蓋を開ける時みたいに軽く引き金を引いてパキュン! と車のガラスに罅を入れる。私のテンションは一気に下がる。それどころか顔面蒼白になって、体中の血液を一気に採られたような気分になる。なんであの人たちは本物の拳銃を持っているの? 銃刀法違反とか、神崎の警備員には通用しないの? つうか、拳銃の音にしてはなんだか静かすぎないか?

 なんてショットガンを構えたままの姿勢で固まっていると開いた天井の隙間からまた新しいモデルガン(おそらくハンドガン)を携えたみー君がやってくる。天井の間からずるん、と足を引き抜くと、渋谷道彦は正しい意味で車の上に仁王立ちをした。止まっている車ではない。夜の闇を走り抜ける、無免許の高校生が運転をする車だ。黒のワゴンはどんどん接近をしてきているし、松田さんの銃口からはかなり正確に銃弾が放たれている。ぴしゅん、ぷしゅんと音を立て発射したそれは、左右にうねり曲がる車のタイヤを掠り、ガラスに罅を入れ、灰色の車体に傷をつけた。

 左右に振れながら全身をする車の上に現れたみー君は、バランスを取るようにして膝立をすると一気に狙いを定めて引き金を引いた。素晴らしいセンスを持つ渋谷道彦によって放たれたそれは、向かい風など諸共せず、綺麗に磨かれたフロントガラスにショットした。赤いインク。インク? 違う。甘ずっぱい匂い。これはトマトだ。

「ははっ。どーだ! 母さんが買い過ぎて使い切れなかった賞味期限切れのケチャップの味は!」

 黒のワゴンはかなり焦っていて怒っていて、ウインウインとワイパーを動かし続けている。しかもワイパーを動かすことでフロントガラスが綺麗になるどころか逆に広がって汚くなっている気さえしているので、みー君は腹を抱えて笑い出す。

「ははははは!」

「あんまり挑発しないでよ!」

 怒りマークを浮かべた黒のワゴンは、ゴゴゴゴゴという地響きさえも立てながらあと数メートルの所まで近寄ってくる。その手にあるのは勿論拳銃。ぱきゅん、ぱきゅきゅん。子供にコケにされて完全に頭に来たらしいKANZAKIの元警備員は、ついに人を目掛けて拳銃を発射してきた。なんてやつらだ。みー君は一時的に車内に避難をすると、ゴルフバッグの中から今度はフライパンを取り出した。その大きさのものが、一体どうやってはいっていたのか不思議でならない。それなりの重量を持つそれを掲げて再度車の屋根に上がると、まるで楯のようにして防御を始めた。こないだテレビで見た、「アーサー王伝説」の映画みたいだ。

 松田さんの打った銃弾がぱきゅん! と乗用車のタイヤを霞めて、車体自体が左右にぶれた。

「うおっ!」

 大きく揺れたみー君の体はどうやら素晴らしいバランス感覚を持っているらしく、少しふらついただけで体勢を立て直す。対する私はそのまま車の屋根から滑り落ちて、ぼすん! と座席に落下した。

 黒のワゴンは発砲を続けながらどんどん接近をしてきていて、あと数センチの距離までやってくる。みー君が怒鳴る。

「あいちゃん、パス!」

 私は天井の穴からケチャップ入りのライフルとフライパンを放り投げられて、慌ててそれを受け取った。

 みー君は感覚だけで距離を測ると、ポンッ! とワゴンのボンネットに飛び乗った。私は焦る。私だけじゃなくてKANZAKIの警備員二人も「おいおいまじかよ」っていう顔をしていたし、必死でハンドルを操作する神ちゃんなんて驚きを通り過ぎて逆にちょっと笑っていた。

 松田さんは、ボンネットに転がっているみー君に銃を向け引き金を引いた。弾が出ない。大急ぎで相方から銃を受け取るが、身軽なみー君は引き金を引くと同時にぽんっと屋根に移動する。黒のワゴンはどんどん神ちゃんの運転をする乗用車に近寄ってきて、ついには体当たりまでしてきた。どん! どん! 松田さんの銃も意識も殆どお猿みたいにちょろちょろとしているみー君に注がれているのに、運転手は前を向きながらちらちらと鋭く視線を向けている。どうしよう。どうしたらいいのかわからない。田圃がすれすれまで近寄っているし、ドライビングテクニックでは明らかに向こうの方が上だ。

 どんっ! と黒のワゴンが灰色の乗用車にアタックをして、ワゴンの上で仁王立ちをしていたみー君の体がぐらりと揺れる。ぱしゅん! 松田さんの発射した銃弾をすれすれでよけたみー君の体は、思い切りバランスを崩して道路に落下した。

 みー君が落ちた。

 みー君が落ちたんだ!

 道路に伸びたみー君の体が遠くなる。

 私は赤いペンキの入ったショットガンを手に取ると、窓を全開にして引き金を引いた。細い銃口から真っ赤なペンキが飛び出して、空中に弧を描く。飛び出たペンキが松田さんの顔にヒットして、突然の出来事に混乱をした松田さんがバランスを崩す。黒のワゴンががつんと体当たりをするとほぼ同時に松田さんの体もがくんとブレて、ハンドルを握る運転手に思い切り衝突をする。

「うわっ!」

 ハンドル操作を誤ったワゴンが左右に振れて、回転をして、そのまま脇道に突っ込んだ。みー君が遠くなる。

「神ちゃん!」

「わかってる!」

 神ちゃんはぐるっ、とハンドルを巻き返すとかなり無茶なやり方で方向転換をした。グギィィィィヤァァァァなんて、発音ができないような嫌な音を立ててタイヤが、というか車全体が軋んでいる。逆走をするフロントミラーには、大急ぎで車から脱出を図る二人が映っている。先ほどまでハンドルを握っていた男が、こちらに向けて拳銃を握っている。神ちゃんは、正面で私たちを待っているみー君と後ろで拳銃を構えている男をちらちらと見ながら、ゴルフバッグから飛び出ているモデルガンに気が付いた。

「あいちゃん、それを道彦に投げて!」

「え!?」

「それ! 早く!」

 私はゴルフバッグから体長一メートルを超えるような大きさのモデルガン(おそらくライフル)を取り出して、全開の窓からみー君を目掛けて放り投げた。ライフルがみー君の手に渡る。男がぐいっ、と引き金を引いて、銃弾を発射させてそれが休みことなく運動し続ける車にヒットする。ボン! ギュルルルルル! 世界が軋んでしまうような不穏な音を立てて歪む視界。ライフルを構えたみー君が狙いを定め、発射する。みー君のライフルから何がでたのかよくわからない。ただ、真っ暗な夜の空にばちっ! と火花が飛び散って、その瞬間だけ太陽ができたような気分になる。神ちゃんの運転をする乗用車がガードレールに突っ込むとほぼ同時に、ライフルの銃口から飛び出た何かが元警備員二人に直撃をして、そのまま後ろに卒倒した。

 運転席に座っていた神ちゃんはエアバッグに突っ込んで無傷だった。私はそのまま座席から転げ落ちて、挟まるように丸まっていた。目は回っているし汗は掻いているし涙は出ているしちょっと気持ち悪くて最低だったけれど怪我はなかった。

 引き金を引いた体制のまま固まっていたみー君は、誘拐犯が二人とも完全に落ちていることを確認して、そのままへたりと座り込んだ。

 全員が呆然としている状態で最初に我を取り戻したのはやっぱり神ちゃん。灰色にぴかぴか光っていた乗用車がぼこぼこなのもボンネットが拉げている上に半開きで煙がちょっと上がっているのにも気を留めず、ぼろぼろの状態で転がっている私に声をかけた。

「あいちゃん」

「……はい」

「生きてる?」

 とりあえず、死んでいる感じはしないと思う。

 みー君はぼろぼろで傷だらけだった。泥だらけの汗まみれで、汗を搔く過ぎて服は色が変わっていた。血だってちょっと出ているし、服についているのは血なのかペンキなのかもしくはケチャップなのかよくわからない。

「みー君!」

「道彦!」

 怪我はないかと近寄ると、完全に腰の抜けたみー君がぜいぜいと息切れをしながらピースをした。よかった。かと思えば、左足の付け根辺りを中心にズボンが真っ赤に染まっていて、私に悲鳴を上げさせる。そしたらみー君が、

「違う。これ、予備のケチャップ持ってたの。容器が壊れて、中身が飛び出たんだ」

 心配させないでよ、馬鹿。

 みー君はそのままぐったり夜の車道に寝転んで、ぐでん、と首を転がした。

 七月の夜の空はとても綺麗で澄んでいて、星も月も宝石みたいにきらきら音を立てて光っていた。勅使河原市はコンビニも大きなマンションも名物だって何にもないけど、その分空気は綺麗だし星だってくっきりはっきり見える。

「なー、神ちゃん」

「……うん」

「すげー、びびったなー」

「うん」

「ちょー怖かったし、まじで死ぬんじゃないかって思った」

「……うん」

「でもさー」

「……うん?」

「すげー、ちょー、楽しかったぁー」

 あり得ないみー君の発言に、神ちゃんはぽかんと口を開いて間抜けな顔を作り上げた。それから、なぜか困ったような笑みを作り、「そうだね」とそう言った。

「うわー」

 みー君は意味もなく両足をばたつかせて、くてん、と四肢を投げだした。

「つっかれたぁー」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る