第二章 登校拒否の神崎くん 7

 それから三日経っても神ちゃんからの連絡は来なかった。

 わたしもみー君も神ちゃんの連絡先は知っているけど、おそらく連絡は私ではなくみー君に行くだろうとは確信をしていた。そしてもし連絡を受け取ったとしてもみー君は私に連絡をすることなく当日の朝行き成り家にいて私を連れて行くのだろうと思っていた。

 だからその日の朝、テレビを見ながらご飯を食べていた私の家のチャイムを押したのは間違いなく渋谷道彦だろうと何の疑いも持っていなかったのだけれど、奇妙な顔で私の行動を監視しているお父さんを尻目に玄関の戸を開けた私の目に飛び込んできたのは黒服にサングラスのお兄さんが三人。ひっ、と呻いて後ずさってそのまま戸を閉めようとすると、間に手を挟まれて拒まれる。なにこれ、超怖い。この人たち何? なんのエージェント? 一番正面にいた黒服の人が(私には全員同じ顔に見える)スーツの内ポケットにごそごそと手を入れ、私に悲鳴を上げさせた。拳銃でも出てくるのかと思って頭を抱えてびくびくぶるぶるしていると、そこから出てきた名刺を視界に入れて私は体を強張らせる。

「電気機器KANZAKIのものですが……」

 黒服の人たちは、神崎家専属の警備員らしい。専属の警備員とか、電気機器メーカーKANZAKIは一体どこまで金持ちなんだと訝しる。それから、その黒服の男の人(松田さんというらしい)の口から飛び出てきた事実に仰天する。


 昨日の夕方、いつものように愛犬オールの散歩に出かけた隆太はそのまま行方不明になる。門限を過ぎても帰宅をしない警備員の松田さんが隆太のスマートフォンに電話を入れるが、全く繋がることがない。本日早朝、隆太と共に出かけて行方不明になっていたオールが帰宅。わんわんと激しく吠え続けるオールに連れられ町の端にある河川敷に急ぐと、そこには真っ二つに折れた隆太のスマートフォンが取り残されていた。


「それで今、隆太くんの居どころは……」

「それがまだ……」

「そうですか」

「ところで」

「はい」

「高崎さんは、坊ちゃんと仲良くしてくださっていたようで」

「はぁ、まあ」

「昨日の夕方は、どこで何をしていましたか?」

「……クラスの女の子と一緒に居ましたけど」


 なにか情報があったら連絡をください、と名刺を渡されて松田さん率いる黒服集団は去って行った。

 神崎隆太の失踪はみー君も知っていたらしく、松田さんと入れ替わりで赤シャツに白のYシャツを羽織ったみー君が私の家にやってきた。

「さっき、うちにも松田さん来た」

 早朝、渋谷家訪れた神崎邸警備員はパジャマ姿の寝ぼけ眼で現れた頭ぼさぼさのみー君に、あれこれ事情聴取を施したらしい。

「おかげで、早く起き過ぎちゃったよ」

 ふわ、と大きな欠伸をするみー君の背中には青いリュックが背負われていて、丸いピンバッジがぴかぴかと光っていた。

「でも、神ちゃんどこいっちゃったんだろうね。まさか、私たち以外に親しい友達がいるとは思えないけどね」

「そうだねぇ」

「みー君、昨日なにしてた? 神ちゃんと一緒に居た?」

「んーん。昨日は、ゆうちゃんが来てたから家にいた」

「ふぅん」

 みー君の耳には大きめのヘッドホンはついていた。とんでもない音量で聞いているらしく、軽快なリズムがこちらまでしっかり聞こえてくる。

「話聞いてる!?」

 とヘッドホンをどかして耳元で叫ぶと、「うわっ!」と体を跳ね挙げた。

 学校で神崎隆太の安否について話が出ることはなかった。その代わり言われたことは、近辺で変質者が現れているので出歩く際は厳戒に注意をすること。夜一人では出歩かないこと。何時にまでに帰るのか家の人にキチンと連絡を施しておくこと。これらは恐らく、神崎隆太の失踪を比喩しているのだろう。

 ヘッドホンを首に掲げたみー君は、授業が終わると私の腕を引いて神崎邸を訪れた。

 神崎邸の周りには黒の高級車も警察の車も止まってはいなかった。インターホンを押して聞こえてきたのは、ひどく緊張感のある低い声。おそらく、警備員の一人だろう。

『はい、どちら様ですか?』

「あの、隆太くんのクラスメイトの高崎で……」

『申し訳ありませんが、大変立て込んでおりますのでお引き取りください』

「でも……」

『お引き取りください』

 地を這うようなドスの利いた声。インターホン越しでも充分伝わる圧力に、私は思わず後ずさる。逃げるようにその場を退いて、後ろでじっと待っていたみー君に報告をする。

「なんだって?」

「無理。話もろくにしてもらえなかった」

 私の簡潔な報告に、みー君は「だよなぁ」とばかりに肩を竦めた。

「でも、どうするの? こんなんじゃ、神ちゃんが今どうなってるのか家の人に聞けないよ」

 私が言うと、みー君はううんと首を左右に振って

「このヘッドホン、盗聴器になってるんだ」

「はい?」

「横の所にボタンが付いてて、それを押すと盗聴器と音楽が切り替わる。朝、うちに来たとき松田さんのスーツに小型のマイクくっつけたから、そこから今の状況が聞こえてくるんだ」

 なんて奴だ。呆れ半分、関心半分。こいつ犯罪者の才能があるんじゃないの。みー君はリュックの中からイヤホンを取り出すと「これもマイクと繋がってるんだ」と私に押し付けるので、それを装着する。ガ―ガ―という雑音のあとにドスの利いた男の人の低い声が私の耳に飛び込んでくる。

『……息子は安全なのか? ……声を聞かせろ……五千万? そんな大金をどうやって……わかった……検討してみよう……』

 聞こえてくるのはがさがさという雑音と、押し下したような声が発する衝撃の事実。息子ってことは、つまり神ちゃんのお父さんで、電気機器メーカーKANZAKIの社長。それってつまり誘拐ってこと? 金に困ったどこかの誰かがが犬の散歩をしていた神崎隆太を誘拐して、身代金を要求しているということだ。こんなドラマみたいなことが、まさか現実にあるなんて。

 ガチガチブルブル震える私の隣では未だかつて見たこともないくらい真剣な顔で松田さんの声を聞きいるみー君がいて、ああやっぱり神ちゃんの友達なんだ心配してるんだってちょっとだけキュンとしたのに、ヘッドホンから漏れているのが日曜の朝八時半から放送している子供向けヒーロー特撮番組の主題歌だということに気が付いて興ざめする。

 私のイヤホンにはずっとKANZAKIの社長と松田さんと犯人とその周囲のやり取りが聞こえていて、その場の緊張だとか緊迫感だとかずっと伝えていた。甲高い、中年の女の人の声。『隆太は、隆太は無事なの!?』『奥様、お気を確かに!』『うわぁぁぁぁぁぁ!』初めて聞いた。奥様? 神ちゃんのお母さんのようだ。

「警察には連絡してないのかな……」

 私がぽつりと独り言みたいに呟くと、ぽかんとたんこぶを作ったみー君が

「連絡するなって言われたんじゃないかな。警察に行ったら殺すとか」

 なるほど。だから、神崎邸警備員たちが松田さんを中心に動いているのか。あの黒服の人たち、下手すれば警察よりも強力そうだ。

 とか思っていたら、ヘッドホンを耳から外したみー君がすでに行動を始めていた。

 みー君は、できるだけ人気のない場所を探し出すと、イグアナのように素早く正確に塀の上に上り詰めた。辺りに人影がないか慎重に見回して、ぴょんっ、とまるで猫のように庭に潜入をする。正面の門に回り込みなにやらごそごそ作業をして、また塀の上から「早くこい」とばかりに手招きをした。

「みー君、何したの?」

「赤外線センサーを解除した」

「はぁ?」

「あの門の裏辺りに、家一体の赤外線センサーを司る機能がついてたんだ。そこだけ実は死角になってて、今一時的に解除してきた。早くしないと松田さんに見つかるかもしれないから、早く」

 なんでそんな所にセンサーがついてるんだとかなんでそんなことを知っているんだとかなんで解除できるんだとか聞きたいことはたくさんあったわけなんだけど、みー君があまりに私を急かすものだからそういう突っ込みもままならない。

 みー君に手伝ってもらいながら塀に上り、恐る恐るゆっくり降りる。広いお庭には繋がれたオールがぽつんと一匹残されて、寂しげに悲しげにしっぽをたらんと垂らしていた。可愛そうに、美しい金色の毛は少し色褪せたようになっていて、大きな体も一回り小さくなっているかのように見えた。

「オール」

 と小さな声で名前を呼ぶと、わふ、と顔を上げてみー君のズボンに鼻先を擦りつけてきた。

「オール、大丈夫か? ご主人様はいないのか?」

 みー君の声に応答をするように、オールはくぅんと悲しそうに喉を鳴らして立派な耳を落とした。オールの心を表現するかのようにして、青い首輪に取り付けられた鎖がカシャンと音を立てて上下した。

 センサーを元に戻して神崎邸に潜入をする。まさか玄関から入るわけにはいかないから一体どうするつもりなのだろうと思っていたら、行き着いたのは神崎隆太の部屋の前。窓ガラスを割って入るとかそんなことするわけないだろうとか思っていたら、なんとみー君は普通に窓を開けて潜入をした。

「神ちゃんはいつも、窓を締めない癖がある」

 などと、靴を脱ぎさも当然のように室内に忍び込むみー君を唖然とした表情で眺める私。「いつまでもそこにいたら、松田さんに見つかるよ」ってみー君が言うので私も急いで室内に入る。

 神ちゃんの部屋には相も変わらずものが沢山あって、それでもきちんと整理が施されていた。威力の知れないモデルガンだとかぬいぐるみの形の盗撮カメラも置いてあった。

 みー君は机の上にあったパソコンの電源を入れると、パスワードを打ち込んで起動させる。なんでパスワード知ってるんだろう。現れたのは愛犬オールのデスクトップ。みー君はカチカチとマウスを動かして、車についているナビの画面みたいなものを表示させる。なにこれ?

「GPS」

「へ?」

「この赤いマークが多分神ちゃん」

 意味がよくわからない。なんで? どうして? 体中からハテナマークを飛ばして首を傾げると、みー君はなんともわかりにくい解説を施した。

「あれ、スマホってGPS機能常備されてるじゃん? だから多分、誘拐犯はスマホを壊して捨ててったんだ。神ちゃん、もしかしていままでもこういう経験あるんじゃない? だからわざわざ、発信機とか防犯対策くさいやつばっかり作ってたんじゃないかなぁ」

 そういえば、神崎隆太は持ち前の知能を生かし様々な機械を作っていた。発信機だとかブザーだとか空気砲だとか。素晴らしい才能を持つ神崎隆太にはいい暇つぶしだったのかもしれないが、確かに少し、偏りすぎている気がする。

「警備員の人たちは神ちゃんが発信機とか作ってるの知らないんだよ。だから神ちゃんのパソコンなんかチェックしないし、部屋だって見ない」

「みー君は知ってたの?」

「ううん。神ちゃんだったら、これくらいのことしてるんじゃないかなぁって思って」

 なるほど。あのマイペースな神崎隆太ならば、時計やらキーホルダーやらを気まぐれで改造して、アクセサリー感覚で身に着けていても不思議ではない。

 みー君はなにやらケーブルを繋ぎUSBを入れたり出したり、手慣れた様子でマウスを動かし他人のパソコンを弄った。それから、部屋の端に放置してあった威力の知れないモデルガンだとかを手に取り、次々リュックに仕舞い込んだ。リュックに入らない分は私の鞄に押し込んだ。神ちゃんの机に入っていた盗聴用シールをぺたりと張り付けたところで野生の感覚を持つみー君が「誰かくる」と言い出して窓から急いで外に出た。三十秒後に黒い服に髭の生えた男の人がやってきて、なにやらごそごそ作業をしていた。その人が部屋から出ていくのを待って、また塀を超えて神崎邸の外へ出た。

「警備員の人たちに言わなくていいの?」

 私が言うと、みー君はうーん、とヘッドホンを付けたまま何とも言えない顔をした。

「……なんかさぁ」

「どうかした?」

 私が聞き返すと、みー君は濃く入れ過ぎて渋くなったお茶を飲んだ時のような嫌な顔をして。それから何でもない、と首を振った。

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