第二章 登校拒否の神崎くん 2

 神崎隆太の家は学校から自転車で三十分くらい走ったところに存在をした。その大きさに私はビビる。時代劇から飛び出てたきたかのような、時代から取り残されたのを通り越して先を行き過ぎてしまったような日本家屋。え? ここって一体誰が住んでるの? お殿様? っていうくらいに大きな家。見たこともない「ベルリンの壁」みたいに高い壁で敷地のすべてを取り囲んで、忍者の一人や二人出てきそうな雰囲気を醸し出している。目の前にある大きな門から一体どこまで壁が続いているのかわからないようなその場所に、私は一人で取り残される。まん丸く口を開けてぽかんとその場に佇んでいると、近隣のコンビニに自転車を置いたみー君がやってきて、嬉しそうに楽しそうに声を発した。

 テレビドラマに出てくるみたいな門にはインターホンが付いていて、よくよく見ると見えにくいところに防犯カメラも設置が施されていた。うわぁ、多分これ赤外線センサーとかセコムとか入ってるんだろうな。不法侵入すると音が鳴って町中に響き渡ったりするんだろうなとか思っていると、みー君が防犯カメラに向かってピースサインをしていることに気が付く。

「みー君! 馬鹿! 駄目!」

 どこからどう見ても非常ベルなボタンを今にも押しそうな勢いで体を疼かせているみー君を引き離す。みー君は同じ年の男の子に比べてずっと小柄で体も細いわけなんだけど、それでもちゃんと男の子だから私よりずっと力がある。そのみー君をまた引き摺って引き離して、離れたところで説教をする。みー君が余計なことをしないように見張りながらインターホンを押すと、くぐもった男の人の声が聞こえてきた。

『はい、神崎ですが。どちら様ですか?』

『えー……と……東高の、隆太君と同じクラスの高崎なんですが……』

『はい、少々お待ちください……大変申し訳ありませんが、隆太は只今体調が優れないということなので、お会いできません』

『ああ……でも少しくらい……』

『できません』

 なんというベルリンの壁。

 有無を言わさぬその口調に、私はただただ「はいぃ……」という情けない声を上げて引き下がることしかできなかった。ここで引き下がらなかったら、黒スーツにサングラスをかけた怖い顔の男の人が拳銃を持って飛び出てきそうな気がしたのだ。

 なんだ、やっぱり駄目じゃない。金持ちはやっぱりガードが堅いとか思って振り向くと、渋谷道彦がもういない。

 どこへ行ったのかと周りを探すと、高い城壁の上に揺れるみー君の短い足とお尻が見えた。どうやったのか、二メートル以上高さのあるベルリンの壁に上り詰めた渋谷道彦は上半身を壁の向こうに突っ込んで、なにやらもごもごと動いている。

「みー君、なにしてるの?」

 甲高く叫ぶようにして名前を呼ぶと、それに返事をするようにして短い足を上下させた。

「あのねー、犬がいるー」

「犬ぅー?」

「そー。あいちゃんも登ってみぃー?」

 無理だっつーの。

 するとみー君は「しょうがないなぁ」と呟いて、城壁の向こうに飛び込んだ。これに驚いたのはやっぱり私で、防犯ベルだとか赤外線センサーとかそれらのものが一斉に機能し始めないかと焦る。敷地内に侵入をしたみー君は大きな門を内側から開錠して、離れたところでわたわたとしている私に向かって早く来いと手招きをした。なんて奴。みー君には怖いものなどないのかもしれない。

 みー君に連れられて入ったお庭はとても広くて大きかった。辺り一面が白くて綺麗な石で埋められていて、歩く場所には石畳が置いてある。蹲がことん、ことんと音を立てて、所々に置かれている庭石と、所々植えられている苔だとかなんとも高価そうな植物だとかが、家屋全体の高級感を引き立てている。そんな中を怯むことなく突き進む渋谷道彦はなんとも世間知らずというか命知らずというか、逆に大物の風格さえあるかに見えた。

「ほら、あそこ」

 そこにいたのは、綺麗な金色を全身に纏った大きなゴールデンレトリバー。鎖に繋がれていないその犬は、みー君の姿を見つけると嬉しそうに鼻を鳴らして颯爽と近寄ってきた。

「オール」と名前の書かれた青い屋根の犬小屋の周りだけ芝生で、空っぽのエサ入れと水入れが置いてある。

 人懐っこくみー君に鼻を擦りつける「オール」は、金色の毛に包まれた耳が上品に垂れて、なんとも頭のよさそうな目をした、賢そうな犬だった。高級な絹糸みたいな金毛が太陽の光を反射してきらきらと輝く、血統書付の犬。

「すげぇー。ふさふさぁー。あいちゃん、この犬すっげぇかわいい。触ってみなよー」

 なんて、金色の毛に包まれたみー君が幸せそうにいうもんだから、私もちょっと触りたくなる。恐る恐る指先だけでそっと触れると、驚くほど柔らかく沈み込んで、私のことを驚かせた。なにこれすごい、超かわいい。

 それから暫く、ここが登校拒否のクラスメートの家だということをすっかり忘れて2人で「オール」をわしわしするのだけれど、後ろから聞こえてきた「誰?」という低い声で、私は現実に引き戻される。

 そこにいたのは、同じ年くらいの男の子。背が高くて、結構恰好よくて、でもぼんやりとした感じの子。全体的にほっそりしてて、黒いTシャツとスラックスが更に背を高く見せていた。

「……誰?」

 まるっきり不審者を見るような目つきで問いかける、彼。どこかちょっと逃げ腰だし、見方を変えればいつ攻撃してもいいように構えを取っているかにも見えた。

「うわぁぁぁぁぁっ! 違っ……私達は――」

「クラスメートの神崎くんに会いに来た」

「……門、通して貰えたの?」

「ううん。インターホンで断られたから、あそこの壁飛び越えて入ったんだ」

「ひぇぇぇぇぇ!」

「壁? 飛び越えて? 二人で?」

「俺は飛べたけどあいちゃんが飛べないって駄々捏ねたから、あいちゃんは門から入った」

「門から? ……内側から開錠したの?」

「おう。なんかセキュリティみたいなのついてたから、適当な数字打ってボタン押したら簡単に開いたぞ」

 えへん! と両手を腰に当て偉そうに胸を反らせるみー君の口から出てくるものは、いかに自分たちが正々堂々と不法侵入を行ったのかという事実ばかり。その男の子は犬用のリードを手に持って(多分散歩にでも出かけようとしたのだろう)なんとも理解できがたいというような奇妙な表情を浮かべていた。私は思わずその場に鵜蹲り、頭を抱え、いかに自分の行動が軽率だったのか後悔をし、渋谷道彦がいかにアホで駄目なのか実感をした。私は、どうしてみー君につれられるままにこんな金持ちのお屋敷に不法侵入をしてしまったのだろう。みー君が勝手で強引で後にも先にも考えないなんてだいぶ前から知ってるじゃない私の馬鹿馬鹿! なんて、芝生の上で頭を抱えて悶々としていると、頭上から軽快な笑い声が二人分聞こえてきて、私は涙目で頭を上げた。

「あはは。それでそこから来たの?」

「そうそう。防犯カメラにピースしたら怒られてさぁ」

「ああ……それでさっき管理室で騒ぎが……」

 やっぱり。

「オール」という名のゴールデンレトリバーは男の子の姿を見つけると嬉しそうに寄り添ってはふはふと甘えるように鼻の先を擦りつけた。

 男の子はふさふさの金色を撫でると、

「よかったら、ちょっとお茶してく?」

「はい?」

「してくしてくー!」

 いうが早いか、みー君はすでに玄関に向かい歩き出した。今の子の短いやり取りで、一体どれほど心を開いたというのだろう。傍若無人、厚顔無恥、無遠慮だとか恥知らずだとか色んな言葉が浮かんできて、それらの言葉をそのままボールみたいに投げつけてみたい衝動に駆られる。そんな私の前には黒いシャツを着た背の高い男の子が立っていて、随分と高い位置から私のことを見下ろしていた。なんとものんびりとした雰囲気の人だ。

 男の子はダルマみたいに蹲っている私に、どこかぼんやりとした口調でこういった。

「よかったら、一緒にどう?」

「え……」

「ほら、もうあの人、中入っちゃってるし……」

 長い指の差す方を見れば、茶色い鞄を背負ったみー君が玄関から顔を出して早く来いよと手招きをしている。なんて無作法な奴だろう。呆れて声も出なくなって、頭を押さえて蹲ると、男の子はあーあというようにして笑っていた。

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