第1話第3節 はじめまして! バーチャルユーチューバーの樹成ミノリです!
父さんが海外出張したその日の夜、オレは姉さんの部屋へと入った。
「何か勉強見て欲しいとこあるの?」
「お願いがあります」
「ちょっと手を離せないから、そこのベッドで座って話して」
オレは姉さんの言うとおりに、ベッドに座った。
木製のフローリングとキレイに並んだ本棚。
無意識に置いてるはずの家具が不思議な幾何学模様を描いている。
ミニマリストでありながら、ちょっとしたことにこだわりを見せる。
それが姉さん、上村実来の部屋だ。
――
男子の人気だけでなく、女子の人気も高い。スタイルがいいことも関係しているのだろう。
――そんな立派な姉さんとは違って、オレはものすごく情けない。
親に内緒に仮想通貨の口座を作ってくれたのも姉さんだ――まあ、オレが仮想通貨に関する情報を寄せ集めた論理武装で戦って、仕方ないなと折れてくれたのだが――。姉さんは余裕資金で投資しなさいと注意してくれたが、どうせなら全額で、という安直な考えで仮想通貨に投入した。
その結果が全額ロスト。ロストだ。
ホント、自分がイヤになる。
口座を作ってくれた姉さんにも申し訳が立たない。
これが原因で姉さんと仲悪くなったらそれこそ最悪だ。
「姉さん」
オレは姉さんを呼びかける。
姉さんはスマホを見ながら、パソコンで何か作業していた。
「仮想通貨のことなんだけど……」
「ログインさせないよ。これ以上取引してもムダだから」
仮想通貨の価値は一旦回復したがすぐに下落し、もう二度と元の価格には戻らなかった。
「それはわかっています。ただ……」
「ただ」
「姉さんが用意してくれた仮想通貨口座を下手な投資、いや、ギャンブルしてすいません」
「うん」
「本来なら1、2万円ぐらいで投資をするべきだと思いました。けれど、ものすごく上がったチャート線を見ると、これは全力入れないと損だと思って、一気に全額入れたら、チャート線がダダダッと下がって、もう何もわからなくなりました」
「熱くなったってこと」
「はい」
「もうこういうことしない」
「はい。もう二度とバクチのようなことに手を出しません」
「……なんで仮想通貨に全金投入したかな」
「少しでも大学の生活費とか用意したくて」
「本音は」
「一人マンションで優雅な暮らしを」
「はぁ……」
「姉さんだってやっていたでしょう?」
「まあね。シェアハウスですぐ帰ったけど」
「何が原因で家に帰ったの?」
「ゴミ出し」
「ゴミ?」
「最初は楽しくやっていたよ。でもゴミが溜まってきたら、誰がゴミ出しするかケンカしちゃってね。それからオトコとか連れてくるヤツが来て、生活はメチャクチャ。それでなんかすごく疲れちゃってさ――」
姉さんはマグカップを手にする。
マグカップの中にはこげ茶色のカフェラテがあった。
「ここが一番落ち着くことに気づいたんだ」
姉さんはカフェラテを口にする。
「うん、いい味。うん」
姉さんはマグカップを元に戻す。
唇についたクリームを指で取り除いた。
「……これからどうしよう。父さんが帰ってくるまでの半年で100万円なんてお金を用意するなんて」
「そもそも、100万円って、高校生が持つお金じゃないだろう。一体、どうやって?」
「中学生の正月、親戚中、回った」
「スゴイバイタリティーだな」
「ゲームソフトとか最新スマホとか買わない代わりに、多くおこづかいもらっていたし、それで」
「よく貯まるもんだよ」
「エヘヘ」
「ホメてない。呆れてるんだよ」
「ゴメンなさい」
オレはまた頭を下げる。
「……父さんにどう言えば」
「謝れ。必死に謝れ」
「やっぱり……」
「大丈夫。殺されることはない、でも」
「でも」
「大学とかの生活費は一円も出してくれないだろうね。それどころか、親子の縁を切る可能性も高いかも」
仮想通貨で現実のお金を失うだけでなく、家族の信頼も失うとは思わなかった。
――テレビでギャンブル依存症をテーマにしたドキュメント番組があるが、まさかその当事者になるとは。
どうにかして、お金を取り戻さないと。
「姉さん」
オレは姉さんの前で土下座する。
「投資とかそういう甘い話に一切耳を貸しません。みんなが儲かるとかいう話も絶対聞きません。高校生の身でお金を何倍、何十倍も膨らますなんてもう考えません。もっと身の丈にあった生活を心がけたいと思います」
姉さんは何も言わない。
「だから、だから、オレに! お金を貸してください!」
オレがそういうと、姉さんはオレのそばに近づく。
「ダメ」
姉さんはやさしくそう言った。
「じゃあ、なんでもいいからバイト紹介して! ――半年で100万円稼げるようなヤツを!!」
「なんでもいいの?」
姉さんの目が怪しく光る。
「ホントになんでもいいんだね」
「……自分の人生を棒に振らないものなら」
「それなら大丈夫。警察方にはならないから」
「その文法づかいが怖いんですが……」
「実。これはある意味、一番安全で一番楽に稼げる方法かもしれない」
「仮想通貨のフレコミと同じことを言ってるのですが……」
「同じじゃない。――この仕事はノーリスク。うまくやればハイリターンが望める」
「ハイリターン」
「ただ一つだけ、実にとって一番大切にしているプライドを傷つけるかもしれないけど……、それでもいい?」
「もうオレのプライドはズタズタだ。それ以上傷つくことなんて想像できない」
そのときのオレはそう思った。
オレの姉さんが想像の斜め上の、そのまた斜め上を行くような思考の持ち主であることなんて気づいていなかった。
――これ以上、傷つくことなんて何一つない。
そう思っていた。思っていた。
そのときのオレはあまりにも無垢で純粋すぎた。
それがオレの人生において、何か大切なものを失うことを知らなかった。
「ホント、いいんだね」
「ああ、いいとも」
「引き返せないよ」
「引き返す気はない」
オレはもう一度土下座する。
「――取り戻したいんだ。16年間貯めに貯め続けてきたお金をくだらないことで失いたくない。父さん母さんがこの事実を知ったら、多分、オレ、もう普通の家族の一員として見てくれないと思うんだ」
姉さんは何も言わずにオレを見る。
「どんなイヤなことがあっても、オレは家族とお金を取り戻したいんだ!」
姉さんは小さな笑みを見せると、パソコンのキーボードを打ち始めた。
その音を聞いたオレはホッと安心した。
――何かいいアイデアがあったんだね! 姉さん。
いつも厳しく接しながらも甘い態度を取ってくれる実来姉さん。
今回もそういうパターンだと楽観していた。
「――実、こっちに来なさい」
オレは姉さんに言われるがまま、姉さんのそばに来る。
そこには3Dの美少女キャラがクルクルと回っていた。
「何? コレ」
姉さんが3Dキャラクターのモデリングに興味を持っていたのは知っていた。
「これは私が作った3Dモデル。近未来的世界観をイメージした女のコでみんなから注目してもらえることを意識したキャラクター、……名前はまだ決まっていない」
「それはわかるけど、それがオレの損失補填とどう関係が?」
「萌えキャラ、ゆるキャラと続いて来るキャラは3D美少女キャラのバーチャルユーチューバーだと思うんだ。となると、誰よりも先にバーチャルユーチューバーとして活躍すれば、多くのヒトが興味を持ってくれる」
「なるほど。つまり、オレはこのキャラを動かせばいいんだね」
3Dキャラのモデリングとかやったことないけど、今からでも勉強すればいいか。
「いいや、そういうのはしなくていい。実には、キャラクターに命を与えるとても大事な役があるから」
「命を与える大事な役?」
「うん」
姉さんは腕組み足組みして、妖艶な笑みを浮かべている。
――これは何か良からぬことを考えている。
そう感じ取ったオレはここから逃げ出す手段を考える。
……が、姉さんは自分の思ったことをすぐ口にした。
「バーチャルユーチューバーになれ」
「はい?」
「バーチャルユーチューバーになって、
「何をおっしゃってるのかわかりません」
「この3Dモデルでバーチャルユーチューバーになれ」
「だから、何をおっしゃってるのか見当もつきません」
「――わかった。――バーチャルユーチューバーになれ」
目は全く笑っていない。
長年の経験と実績からこれはもう本気だと言うことを察する。
「……はい」
オレはそれしか言い返すことができなかった。
「……なんで、オレがバーチャルユーチューバーに」
「カワイイ声だからな。私が嫉妬するぐらいに」
「嫉妬?」
「男が媚びる声してるんだよ、オマエ」
「媚びてる?」
「合コンした時に一番目立つコいるじゃない。ああいうネコナデ声を日常的に出しているんだ、オマエは」
「オレ貝になりたい。物言わぬ貝になりたいよ」
「だから姉さん、いつも寝る時に、実にあんなことを言わせたい、こういうことを言ってくれたらなと思うと、ガバッと布団を跳ね除けて、この3Dモデルに力をそそいだ」
「姉さん。もしかしてオレに声を当てするために、それ作っていたの?」
「……」
まさかの沈黙。
「イヤだな、そんなことないよ、……ないよ、姉さんないよ」
姉さんは実刑確実な不審者丸出しで返答する。
「とかく、実!」
姉さんはゴマかすように、オレに指差す。
「目には目を、歯には歯を。仮想通貨には仮想動画を!
「ハンムラビ法典も想定してないよ! その復讐法!」
「バーチャルユーチューバーになって、仮想通貨の損失分を補填する。これが実のできること。そして、実がお金を取り戻す唯一の方法だ!」
――これが、このオレがバーチャルユーチューバーになった経緯だ。
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