歌歌いの名はカナリア

 鉱山労働者におにぎりを振る舞った日の二週間後、ミクは店主に一ヶ月の暇を願い出た。旅費は自分で稼ぐので諸国を旅したい、と言い、よい酒の肴にできそうな素材があれば話をつけてくるとも言うミクの目は真っ直ぐで、店主にもそれがただの旅ではないことを感じさせた。二週間前からミクの様子が変だと薄々感じていた同僚たちは、初めてミクに会った時のどこか捉え難い印象を思い出しこんな日が来ることが察知できなかったものかと思い悩む。


「悩みがあるなら言えばいいんだよ、カナリアちゃん。私たちが知らない間にあんたを辛い目に遭わせていたなら謝るから早まらないでおくれ。カナリアちゃんは旅人が母を思う歌をよく歌うね。母上と生き別れたなら探すのを手伝ってやろうか?」


 ミクの顔を窺いながら優しく言い聞かせてくれる店主のお母さんを見て、ミクは顔を覚えていない祖母を感じる。温かさに心が揺らぐが、ここで折れてはいけないと思いなおした。そんなミクの顔を見て店主が寂しげに言う。


「カナリアのさえずりがなくなるとあれば、店の名前を元に戻さなきゃいけないねぇ。居酒屋さえずりの名を皆が忘れてしまう前に帰ってくるんだよ」


 店主の奥さんで女将さんと慕われる女性がミクの肩を抱いて言った。同い年からミクより幼い子、年配の女性までさまざまな背景を持つ従業員と働けたことは、ミクに下町のよさを初めて喚起させた。ごちゃごちゃとした下町はそれまで惨めな移民の閉鎖的な社会の象徴でしかなかったが、そこに人肌の温もりが付け足されたのである。


孤児みなしごの私を預かって、養い育ててくださりありがとうございました」


 ミクの目には涙が滲み、それが粒となるまえにミクは慌ててそれを拭う。あえて、必ず帰るとは言わなかった。常連客で何度ミクの介抱にあずかったか知れない男たちも、娘の嫁入りのように感傷に浸る。


「では、行って参ります」


 ミクは歩き出した。まずはルミディア王国、我が子と夫がいる国へ、次にサオサーン共和国、混乱極まる内乱状態の国へ。危険な旅になりそうだ。王国の現国王の母と太子の妻を輩出したナン大国にも行かねばならぬ。ナン大国でしか食用にされていないトウモロコシという穀物にミクは興味があった。寒冷な気候にも耐えうるものならば品種改良して取り入れたい。


 そして、生きて帰って来れたなら、凍てつく寒さと鉱山だけが名物のニニ国に、新たに産業を起こしたい。


 夢は広がるが自分は一孤児の身分にすぎない。しかし、母の歌を歌い王子に見初められたあの日から、歌に深みが出た気がする。それが旅の道連れになるだろう。憐れな家なき子の日銭を稼ぐ手段としてではなく、一人の女性として感じた愛と哀を、主人公に重ねて歌えるから。今まで歌ってきた冒険譚、恋愛、その他もろもろの歌の登場人物が味方になった気持ちがした。

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