驚きの訃報

 その日は雷にでも打たれたような、信じがたい出来事に周辺諸国全てが朝から混乱した。身の振り方を一庶民に至るまで考える大地震である。


 共和国で強勢を誇った書記長ロベスが、処刑された。あっという間に、水面下で結託していた反ロベス派が手のひらを返し、ロベスはあろうことか自らが王族を弾劾した革命裁判所で死刑を宣告され、王族を処刑した処刑台で首をはねられた。


 権力者の死は驚きを以て受け止められたが、激震もやっと静まってきたころ識者たちはもっと驚くべきことに気づいた。ロベスの死を望んだ議員たちのなかに、ロベスの政党の党員もいたのである。独裁が消えたことで共和国は混乱を極め、国政の空白期が当分続くと予想される。周辺諸国は、問題児であるこの国からは距離を置くとともに、共和国の息がかかった各国の者たちは戦々恐々とした。明日は我が身である。


 ミクは遅れてその報に接した。居酒屋で飲んでいた男が忌々しげにつぶやいたのである。


「まったく……やっと見つけたお得意さまだったってのに。これで借金返済はお預けだよ」


「それまたどうしたんです?」


 ミクは彼が注文した、跳鶏のカリノ葉煮込みを盆に乗せて給仕を行う。テーブルに置かれたその煮込み料理は、飛ばない鳥である跳鶏と山に自生する香草を鳥だしで煮込んだ人気料理である。山がちな国土を飛ばずに生きる鳥ゆえ身が固く食べにくいが、長時間煮込むことで柔らかくなり、カリノ葉の香りが食欲をかきたてるこの国の郷土料理だった。


 香りに誘われて、難しい顔をしていた客も顔をほころばせる。


「やっぱり嬢ちゃんの作る煮込みはうめえなあ」


「まだ食べてないじゃないですか」


 ミクは笑った。この客は常連で、故郷の小さい村にミクと同じ年頃の娘がいると言っていた。


「ワシをなめるんじゃない。この国でもう半世紀も生きてるんだ、煮込みの出来くらい香りでわかるわ」


 ”煮込み”といえば跳鶏のカリノ葉煮込みを指す。それほど郷土に染みついた料理であるから、その出来で女が嫁にいけるかどうかがわかると言われるほどだった。


「私、嫁に行けますかね」


「行ける行ける」


 楽しげに会話を楽しみながら、ミクには気がかりがあった。今でこそほがらかな笑みを見せてくれているが、彼の目の底に生気がない。彼のため息の原因も、心配をかけまいと教えてはくれないのだろう。


 同じく店の常連でいつも大勢でどんちゃん騒ぎする客がいた。その男は珍しくカウンターで一人で飲んでいる。突き出しには箸をつけず、酒ばかりを頼んでは煽るように飲む。


「そんな飲み方してたら悪酔いしますよ」


 さっきの客から離れ、ミクはその男に向かった。店は閑散としている。従業員の多少の勝手は許される雰囲気だった。ミクは氷室から塩漬けにされた魚卵を取り出し、手早く料理を作った。それを男に差し出す。ミクの差し出した魚の卵の醤油漬けに、男は目を丸くする。


「これって高いんじゃねえのかい? 俺は今そんなもんに金払えねえよ」


「お客さんはいつも大勢を連れてきていっぱい注文していただいてます。そんな方が借金のために店に来られなくなったら淋しいんです。これは私のおごりですから、愚痴いっぱい吐いてすっきりして、明日から沢山働いてちゃんと借金返して、またここでいっぱいお金使ってください」


 同僚に聞いておいてのだ、彼は多大な借金を抱えてしまったのだと。男はしばし黙ったのち、目にうっすらと涙を浮かべた。


「チッ……お嬢ちゃんにまで心配かけるとはニニのおとこの名折れだ。有り難く、頂戴するよ」


 人は腹に飯を入れたら元気になるものだ。ご飯が進む醤油漬けを出したのは、酒じゃなく米を口にさせるためである。ミクの思惑通り、酒を頼んだ客はお代わり自由のご飯を何杯もお代わりし、どこかすっきりした目でミクに話し始めた。


「チベッタ共和国のロベスってやつが死んだのは知ってるか?」


「……いいえ、初めて聞きました」


「そいつが死んだお陰であっちは政情が不安定で、取り引きをキャンセルさせてくれって言われてさ。せっかく掘り出した鉱物たちが今は行く当てもなく倉庫に眠ってるよ。安く商品を提供するためにとか言って大量注文してくれた客でさ。あっちにとっちゃ割安でお得かもしれないが、大量に注文してくれる客なんて最近はいなかったからまとまった金が入るって喜んでたんだ。それで借金の三分の一は一気に返済できたのに……」


「そのお客さんはどういう職業の方なんですか?」


「なんでも金持ちのご婦人方がつけるような装飾品を、職人の手作りじゃなく機械で大量生産するらしい。『庶民にもお洒落を』が宣伝文句だそうだ」


「ミク! ちょっとこっち手伝って」


「すみません、奥さんがお呼びなので」


「……ああ」


 店主の妻に呼ばれ、ミクは男の元を去った。ミクは男の言葉になにか感じていたが、消費の早い酒の入荷作業に追われすぐに忘れてしまった。

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