王子の涙
サラは逃げていた。
一方、第二王子が密かに作っていた情報拠点の一つである旅館が何者かに襲撃された事件で、第一王子が主導になって事後処理を始めた。大きな旅館だったとはいえ、一国民に過ぎない者が被害者の強盗事件の捜査の責任者が王族なのは異常だった。
他国の使者や他国から来国した貴人が万が一国内で亡くなった時に貴人の出身国への敬意と王国の潔白を表するために王族が捜査の責任者であるとすることもあるのだが、国民からすると貴人の関わらない事件で王族が出てくるのは違和感を感じさせる案件だった。
そんな国民の違和感につけこむように、モグリの新聞社カラが騒ぎ出す。これは国民が思うほど簡単な事件ではない、なにか王家にとって重要な秘密があるのだと、嵐の前の森のカラスのように。
志を共にした旅館の主とその旅館を失ったことは確かに第二王子にとって痛手だった。しかし、変に騒がれさえしなければ、匂いを残さず足を引けるはずだった。旅館の主には悪いが、彼ならわかってくれると王子は思う。いざという時、匂いを残さず撤退する――そのためにカラの取り締まりを強化したのだ。
それも、第二王子ミラケルと不仲であると触れ回った侍従長ラカルに任せており、ミラケルに火の粉が降りかかることはないはずだった。しかし……。
ミクの懐妊で、ラカルはミラケルの右腕であることを正式に内外に示した。足元を固めるためであり、ミクを守るためでもあった。極秘裏に動かせる駒がなくなったことは痛手だったが、あと一息だと油断した。
統制をかいくぐって、カラは大々的に、
――外国の貴人の死が関わっているのでなければ、王族が捜査の責任者になることは
「殿下……。また取り締まりが妨害されましたッ! スラム街で貧民中心に表裏一枚の新聞で荒稼ぎしているカラのアジトに部下五十人を遣わしましたが、昨日より連絡がとれません。印刷所は証拠隠滅のためか荒らされ、証拠の押収には時間がかかります!」
「絶対に第一王子の配下です! あいつら、よくも」
「まあ待て。こうなれば取り締まりから手を引こう」
恐らく殺されたか捕らわれ、第二王子の配下として死ぬことを許されなかった部下を思い騎士たちが呻いた。誇りある騎士たちだからこそ、情にも篤く忠誠心も強い。特に、王位継承権を持たないことがわかっている
しかし、ここでさらに足を突っ込んでは勘付かれてしまう。王子は騎士一人一人の手をとって肩を抱き、今は耐えよと言って泣いた。騎士たちは歯を食いしばり、しかし報復にはでないことを確約した。馬に乗った彼らは各々の邸宅に帰っていく。
それにしても、酷いことをする。王子はそう呟いた。王家に嫌われていることは知っている。実の父である現国王に疎まれ、次期国王の地位が約束されている兄サラエルには警戒され、それでも国のためにあちこちで人脈を作り理想に向かっていたというのに。自分の騎士が、腕がたち第一王子に仕えていれば大臣の座を射止めることも容易かったであろう騎士たちが戻らないことが、王子の心を傷つけた。
王子は久々にミクの元に足を運んだ。宮殿の中で守られているとはいえ、風の噂でミクは自分の評判を聞く。けもみみであることが露呈してしまってからというもの、テロリストの一味だとか、王子を誑かす悪女だとか、様々に言われていることを薄々知っていた。日に日に大きくなるお腹と反比例してミクは痩せ、虚ろに王子を見上げるが何も言えない。
「気にするな」
そんなことしか言えなかった。第二王子が移民優遇に走っている、それはミクという妃のせいだという根も葉もない噂は時間がたっても消すことができず、王子も困り果てていた。移民への軽減税率など、王子にとっても寝耳に水で、そんな法案が成立したことなどないのだが、なぜか国民は信用しない。
オッドアイの王子の目がわずかに揺れたのを、ミクは見つけた。ミクは腕を伸ばし、細い指で王子の目の端の水滴を拭う。
「すまん……」
王子は慌てて目をこすり、誤魔化すように語りだした。出会ったあの日聞いたミクの歌が、自分の心を捉えて離さなかったと王子は言った。母を思う歌に、強く心惹かれたのだと。
「私には母がいない」
「?」
「兄の母は今もご存命だが、私は幼い頃に母を失った。だから、自分は愛情の足らない冷酷な人間なんじゃないかといつも怯えていた。移民への誤解を解くべく奔走しているのは、いい人に思われたいという承認欲求に過ぎないのではないかと」
ミクは静かに王子の話を聞く。
「しかし、あの日君の歌を聴いて、私は君に母を見た。顔も覚えていない母がそこにいるような気がした」
王子はミクの背に腕を回し抱き寄せる。
「私の母に、なってくれないか? 君を見ると、お前のやっていることは正しいと母に言われているような気がする。お腹の子とともに、私とずっと生きて欲しい」
そう言って王子はしばしミクの方に顔をうずめた。
「信じて……くださるのですか?」
第三夫人サラを罪人として指名手配することの仔細を教えてくれなかった時から、王子も所詮自分を信用していないと思い詰め気安く王子に頼れなかったミクは、王子の言葉に涙を浮かべ、やがて大声で泣いた。幾分がつかえが取れたような顔をしたミクは、その日から少しではあるが流動食を口にできるようになった。
そして、王子もまた、そのなかに母を見た女性のふくよかな腹を見て、再び戦うことを決意した。
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