踊らされる王宮

サラエル第一王子

 第二王子ミラケルの兄で、現在王位継承権一位を持つ王子の名を、サラエルと言った。南国のナン大国に視察に行ったときに貧しい娘を見初めたが、彼女の扱いに今は困り果てている。


 ナン大国は首都のある比較的大きな島と周辺の諸島で成り立っている島国である。その暑さと湿気故に周辺諸国の主な主食である小麦の生産に適さず、彼ら自身は専らトウモロコシを食べていた。


 寒冷な気候の国々が多い、緯度の高い地域の国にしては温暖な気候を保てているのは、首都のあるナン島の周りを二つの暖流が囲むように流れているからに他ならない。温かい海流はナン大国の北、王国の南港付近でちょうど交わり、その付近はいい漁場でもあった。


 しかし、その暑さ故に寒冷な土地で発達した金属加工の技術も応用できておらず、不幸なことに島には化石燃料もなく大陸の大企業の工場なども誘致できないことから工業化に後れをとり、周辺諸国からは常に後進国と嘲笑される身分だった。そのナン大国が近年目覚ましい経済成長を遂げているのは、ひとえに王国からの資金援助のお陰である。


 政治的な立ち位置としてナン大国への資金援助に積極的なのは、王国の第一王子であった。ニニ国の妃を持つ代々の王とは路線を異にするが、それもナン大国出身の妃が第一王子を誑かしたと言われる所以だった。


 しかし、第一王子は娘の美しさにほだされて資金援助に踏み出したわけではない。元々資金援助を計画しており、そのための視察に行っていたおりに娘を見つけたのである。その因果をないがしろにして、よく扇動主が第一王子を貶める記事を書き騒ぎ立てているが、それは事実ではない。


 そんな王子の、ただ一人の妃と、彼は最近めっきり会っていない。顔も見たくないというのが本音だった。


 王子とて、妃を信じたかった。出会ったころの妃は素直で物分かりがよく気立てもよい娘で、やきもち焼きなのも当時としては愛らしさに繋がった。しかし今は、夫よりも権力が好きだと言わんばかりに官僚を私物化しその結果としてナン大国への王国の資金流出に歯止めがかからないらしい。


 第一王子の考えとしてナン大国への援助はするが、妃のやっているのはナン大国の海賊や私掠船への文字通り”流出”である。海路での貿易が生命線の王国にとっては看過できない問題であり、交易に訪れる商人たちからも、王家とナン大国が手を組んで交易船から利益を略奪しようとしているという噂や王国の中立性が担保できていないという苦情が来ていた。


 第二王子に外交を頼みっきりの王宮で安寧を享受している第一王子でも、それはいただけないことだというくらいはわかる。


「廃妃も考えねばならんか」


「お待ちくださいませ」


 待ったをかけたのは、第一王子の世話役の爺だった。


「なんだ、爺も奴に買収されたのか? 遠国の貂蝉や妲己の例にあるようにこの女は国を傾けると忠告してきたのは爺であろうが」


「それは違いまする! 殿下は、本当にお妃さまを信じておられないので……?」


 最近の第一王子は妃の名すら聞きたくないと言い名を出しただけで怒り狂う。


「信ずるも信ぜぬも、お前の言う通りになったのだぞ? 貧しい国の教養無き女を妃にしては己が滅ぶと、散々反対したではないか」


「……本当にお妃さまがやったことだと、お思いなんですか?」


 第一王子は額に深いしわを刻んで爺に向かい合う。爺はその顔を見て口をつぐんだ。


「くどい! 何が言いたい」


「……いえ、なんでもございませぬ」


「ならば何も言うな。それからお前は明日から来ずともよい。陸軍総帥の若造の方がよほど使えるわ」


「……!」


 爺はもう何も言えなかった。王子の重用著しい陸軍総帥シンを悪く言うことは、自分の死すら予感できることである。シンは血筋もよく、王国に代々仕えている有力な家の子息であった。最近は王にも重用されるようになった彼の権力を思い、爺は部屋を辞した。そして肩を落とし王宮を後にし、もう二度と帰らなかった。


「わずらわしい爺だったことだ。しかし、第二王子ミラケルもどこの馬の骨かわからぬ若い娘を見初め、その扱いに困っているようじゃないか。しかもやつはけもみみだとか」


 けもみみに嫌悪感を隠せない王子の後ろでほくそ笑む影。異形の者に対する忌避の心を第一王子に植え付けたその人であり、第一王子の養育に関わったもう一人の爺だった。彼は自らの仕えた王子の死の以後、まだ幼かった第一王子に仕え王妃の信用を得る。そんな爺こと、王宮の奥を取り仕切る昭陽大臣には隣国の息がかかっていた。彼にとって使える主のいない王国など無意味だった。第一王子のただ一人の妃を廃することができれば、王国の混乱は増すばかり。それを、彼――アドゥワは狙っていた。

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