サラ

 翌日のこと。所用により王国の外れにいた第二王子が馬を極限まで駆けさせて王宮に帰り対策を練るほどの火急の案件が、王宮の事務方の手違いということで取り消された。


「殿下。ご足労をおかけして申し訳ありませんが、今回のことのきっかけになった報告が嘘であったことがわかりました。どうかお戻りくださいませ」


 王宮の執務室に属する、父親である王の腹心の部下の軍人から言われた言葉に思いを巡らせながら、王子は頭を抱えていた。丁寧に磨かれた白清石の美しい廊下で、手早く述べられたお沙汰。第二王子に対し無礼極まりない作法ではあったが、王宮の使い走りをさせられている当の第二王子は気にも留めなくなってしまっていた。


 今日の朝、他ならぬ執務室から国境付近で小競り合いがあったと緊急の連絡があったばかりだというのに手違いとは何事か、と第二王子は違和感を拭えない。それに、あの言い草はまるで邪魔者扱いではないか。――いままでも邪魔者だっただろうが、ついに本音が出たとでも?


 情報が錯綜したことを、あまり責め立てられたくなかったとも取れなくはない。しかし――?


 そんな中、自室で略装に着替える王子の耳に、乱暴に扉の開かれる音が聞こえる。来訪者の連れてきた空気は殺気だっていたので、王子は思わず身構えた。


「何者……なんだお前か。ノックをしてから入ってきてもらいたいものだが」


 幸いなことに来訪者は見知った顔だった。そんな彼の非礼を咎める不機嫌な声を、来訪者は塗りつぶした。


「殿下! サラ様の行方がわかりません!」


 王子の眉が曇る。嫌な予感がした。それを裏付けるように、二・三人の人間の走る音がけたたましく廊下にこだまする。


「殿下、どこから漏れたのか、ミク様がけもみみであらせられることがカラ政府の検閲を通されない非合法の新聞の俗称に載りました」


「殿下、港近くの例の旅館が強盗の被害に遭い、宿の主以下宿泊客の子どもに至るまで皆殺されたという報告があがりました!」


 開け放たれた戸から次々に投げ込まれる言葉の数々に、お前の計画はすべて嗅ぎ付けたぞ、と目に見えぬ悪魔が背中で笑っているようで、王子の背筋が凍る。


「なぜ……」


「殿下、如何致しましょう」


「なぜだッ! なぜミクの耳と旅館が……ハッ」


 第三夫人が失踪した、という初めの報告が、王子の脳裏に浮かんだ。まさか、しかし。


「まさか……シル、ただちにカラを売る業者を洗い出せ。どんな手段を使っても構わぬ。関係者は見つけ次第切り伏せてよい。また、旅館のことには一切知らぬ存ぜぬを通せ。そして、サラは、見つけ次第処刑の準備に入る」


 最初の報告を持ってきた騎士見習いの青年に命令をする。言いたくなかったことを言う王子の顔色は青ざめていた。


「な、何ゆえサラ様を?」


「全てサラが仕組んだことやもしれぬ」


 他国への利益供与罪、特にスパイ行為は死罪。王族は滅多に裁かれることがないが、こればかりはあってはならぬこと。報告の数々を逆算し、事件が起こった時間を推測し、それを呼応するように、王子の近くにいた人間が消えた。計画を知る者が、消えた。


「筒抜けだったか……サラめ」


 王子はまだ、サラの思惑で家畜舎が壊されそこからミクの顔が盗み見されたとまでは気づいていなかった。しかし、サラはミクが来てから確かにおかしかった。妙に、ミクに構うものだと思っていた。内気だったサラが妹分を見つけたと微笑ましく思っていたが……。


 王子の、身分に関係なく妃を取るという慣例に背いた行いが、悪く出てしまった。妃候補の身元を調べないわけはなかったが、不十分だったということだろう。


 王子の志を、サラも知らぬわけではあるまいに。王子だけでなく、その場にいた者全てが忌々しくその名を思い浮かべる。


「姉様が、どうしたのです?」


 ――そんなとき、開け放たれた戸から招かれざる客が来た。王子も取り次ぎも顔を青くした。サラを姉様を呼ぶのは一人しかいない。王子たちは、混乱のあまりミクの来訪に気づかなかったのだ。


「ミク、君は執政所にいろと言っただろう」


「火急の仕事は片付いたから今日からは出歩いてよい、と帰還された殿下が先ほどおっしゃったんですよ?」


 その場の全員が、言葉を失う。確かに王子はそう言った。国境で隣国との小競り合いがあったと報告があったが、それは杞憂であったと、胸をなで下ろしながら迎えに出たミクに告げたのを王子は思い出す。しばしの沈黙ののち、王子が絞り出すように告げた。


「サラを……捕らえる」


「どうして?」


「……お前は知らずともよいことだ」


 王子はミクを気遣った。全てを告げればサラを姉と慕うミクの心が曇るだろう、と。しかし、ミクは王子の気遣いに気づけなかった。王子は自分を信頼していないと、ミクは思い込んでしまった。


「姉様が何かしたって仰るんですか?」


「……」


「ねえ、殿下」


「くどい」


 短いやりとりで、断絶の感触を深めてしまったミクは、よほど堪えたのだろう、足早に部屋を出て行ってしまう。そんなミクを、苦虫を噛み潰したような表情で王子は見送った。

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