妃にたった悪評

 ワサの主は言わずもがな、共和国である。直属の上司で情報を”納品”するのは、王国に頻繁に出入りする商人に化けた男だった。彼は港で能力のある歌歌いを見つけたと嬉しそうにワサに語っており、仕事以外の会話を嫌うワサが煙たそうに聞いていたことがあったが、その港に今から向かうワサはこの時点では思い出していない。


 ところで工作員組織では、下部組織員が定住し幹部は流れ者になる。それは、敵国に定住する任務は心身をすり減らす重労働で、有事での撤退に危険が伴うからである。その点流れ者に化けた者は比較的気楽であった。ターゲットの国あるいは組織にしがらみを持たず、本国の庇護の届くところでいつでも逃げられる。


 しかし、とワサは考える。王宮の動きを探れなどという大規模な情報収集というものは、流れ者に化けた者が主体となって、いつでも撤退できるように国に出入りしながら長い時間をかけてするものである。


 定住しているワサのような者は日々の暮らしで得られた些末な情報の提示を求めるような簡単な仕事を任せられるのがオチで、そんななか能動的に動いて情報収集しなくてはいけないような仕事が与えられたのはどういうことか。考えられる状況は何個かある。だがいずれも、ワサにとって嬉しいものではない。


(いかんいかん、俺の悪い癖だ)


 主に忠実に従う犬であれなかったことが、ワサの出世を妨げた。くれぐれも、共和国の弱体化を疑い保身を図ろうとしていると思われてはならない。そんなことをしたから、滅多に起こらない国を揺るがす大クーデターのような情報が庶民から漏れでもしない限り歴史に残す大きな仕事ができないのだ。


 ワサのかき集めていた情報などといえば、近くの廃屋に不良のたまり場ができたとか、野菜の値上がりで主婦の不満が高まっているとか、およそ母国に影響を及ぼしそうのない情報ばかりで、退屈していた。その点今回の任務は、きな臭い臭いはするが血が騒ぐ。自分はきっといい情報をあげられるとワサは疑わなかった。


(ま、そうとは言え、何らかの心構えをしておいた方がよさそうだな……と)


 ワサが目指していたのは、ミクが暮らしていたあの港である。ワサの店は品揃えの一つとして異国の果物も置いていた。珍しい品が手軽に買えるとあり、不況のなか周辺の青果店と差別化が成功し今の今までワサは店を続けられた。一方その品揃えは、小売店の主に過ぎない男が港に頻繁に行き来することに正当性を与えた。こんなときのためにとっておいたのだ、とワサは自分の先見性に自画自賛してみせた。


 ワサは港に着いた。この国に港は一つしかないため単に「港」といえばここのことである。


(ふむ、やはり季節じゃないだけあって閑散としているな)


 季節風の影響で船が港に来にくいこの季節は、王国は国の北部を通る交易路での貿易に力を入れる。この時期の王国南部は沈黙期だ。だから尚更、南部で儲かる旅館というのは怪しく、旅館の男の懐疑心も駆り立てたのだ。


 そんな時、目の端に波止場で釣りをする男を捉えた。ワサはたちまち青果店店主に戻り、男に声を掛ける。口調も姿勢も、王国民のそれにスッと変化へんげするさまはかつて養成学校の教官をして天才と言わしめたワサの実力だった。


「精がでますな」


「え? ああ、そっちも釣りかい?」


「いや、仕入れに来たんですが、やっぱりこの時期は船が来ませんねえ」


 男は自嘲するような笑みを浮かべた。彼は身なりからして漁民だろう。


「そりゃそうだ。それに、妃が移民優遇を始めたんだ、まったく傾城の美女でもあるまいに……」


「傾城の美女というと、第一王子の?」


「いんや、今度は第二王子妃だよ。子を授かったは吉兆かもしれんが、ずうずうしくなったもんだ。ただの家なき子の癖してよ……」


 話を聞くに、第二王子の七番目のお妃が、王子を誑かして自分の出身である西方からの移民に軽減税率を適用させたらしい。ワサの知る限り、王宮でそんな動きはない。


 ワサは思い出した。彼の上司が言っていたのだ。目の前でけもみみの歌姫が第二王子に攫われ、あとで調べるとどうも妃になったようだ、と。箪笥の下の方から泉のように知識がでてくる。そうだ。そのけもみみがミラケル王子の第七夫人だろう。その知識を基に、漁民の男の言葉を精査する。


 ――そんな馬鹿な、が第一印象であった。ワサの上司いわく、その妃が西方からの移民であることは周到に伏せられ、王宮の機関による情報統制が行き届いているはずだ。情報はどこから漏れたのか……? 彼自身がそれを知っているのは、直属の上司が妃をよく知る人物だからであった。


 ワサの脳裏が疼いた。これは、面白いことになるぞ、と。そんな風を皮膚の上には微塵も見せず、ワサは気落ちした風を装って男と別れ、旅館の男に聞いた儲かっているという旅館に向かった。

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